思い出した昔の事と、今の幸せ
詰め寄られて、なんとか一言絞り出すように声を出した。
「ヘザーと一緒じゃないの?」
咄嗟に出た言葉にゲオルグ様は笑う。
「ああ。今日は、午前中、文官の視察に同行してもらっていたから一緒じゃなくても大丈夫なんだよ。君もそんなところだろう?」
ヘザーがいない事を聞いて安堵する。
こんな場所で大声で攻め立てられたら、ライアン様の計画が丸潰れだもの。
「まあそんな所かしら」
ゲオルグ様は、ライアン様の顔を知らないから、一人で来た風を装う。
これでライアン様には迷惑はかからない。
「君との婚約解消は残念だったよ。もしも、あのまま何事もなく魔法学園を卒業していたら、君は上級薬師だったのに」
ゲオルグ様は、今まで見たこともないような屈託のない笑顔で笑った。
その顔を見て、心の中で『嘘つき』と悪態をつくが態度には出さない。あの時のゲオルグ様は私を信じることも庇うこともせず、さっさと婚約を解消したくせに。
その言葉をグッと飲み込む。
「過去の事は振り返らないの。もう過ぎた事だもの」
「そうなんだ。悔やんでいる事はないのか?」
悔やんでいる事?そんなの沢山ある。あり過ぎて答えられない。でも、そんな弱音は吐きたくないので、にっこりと笑った。
「ないわ。疑いもはれているし。まあ、それまでにかなりの時間がかかったし、失った物も多かったわ。しかも、今でも疑っている人もいるけど、今の生活に満足しているもの」
少なくともヘザーはまだ疑っている。でも、今の生活に満足しているのは本心だ。
「過去は振り返らず、悔やんでいる事もないのか……。私は沢山の事を悔やんでいるよ。今はね。あの時、抵抗していたら君との婚約は解消せずに済んだかもしれない」
「それってどういう意味?」
「そのままの意味だよ。君は無実だった。あの時、婚約解消した時点では、まだ捜査中で、君は容疑者の疑いがかけられていた。でも、何故、結果が出る前に婚約解消したのだろうか、とね」
「何を言い出すかと思ったら。そんな昔の話、忘れたわ」
私は、気まずくて視線を逸らし、ワインを飲む。
「一ヶ月前に弁護士事務所で会った君と、今の君とは別人のようだ。昔から、わざと人前に出る時は薄化粧に目立たないドレス。それが君の価値を隠していたんだと今知ったよ。普通のご令嬢と同じように着飾るとこんなにも変わるんだな」
「何が言いたいの?」
「こんなに綺麗な人だとわかっていたら……嫌よそう。飲み過ぎたみたいだ」
ゲオルグ様の言いたいことが分からずに、私は気まずくて下を向いてしまった。
「セーラ、こちらの方は?」
突然、ライアン様が私の腰を抱き、声をかけてきた。
こんなにスキンシップをされた事がないので、顔が赤くなってしまう。
「こちらは、先日屋敷に来た従姉妹のヘザーのご主人のバログ子爵令息のゲオルグ様です。ゲオルグ様、こちらは私の夫の、ライアン……ライアン・ドネリー様です」
危ない危ない。
思わずマクヘイル伯爵と言いそうになってしまった。
「はじめまして。妻からはどこかの伯爵と伺っていましたが、『ドネリー商会』の方ですか!」
ゲオルグ様はそう言って握手を求め手を差し出した。
「ええ。当商会のご贔屓をお願いします」
ライアン様は笑顔を崩さずに握手をした。
その視線は、何だか複雑で、お互いのブレスレットをチラリと確認している。
何を確認しあっているのかしら?
握手をする二人を見て、すごく対照的だと感じた。
二人とも背が高いが、ゲオルグ様は、線が細い方だ。
しかも、文官様という職業のため、日に当たらないから、肌はお嬢様並みにすけるように白く、流し目がセクシーな男性だ。
かたや、ライアン様は、無駄な肉が一切ない細マッチョだ。
毎日馬を相手に仕事をしているので、肩幅は広く、胸板が厚い。その体つきに似合わず、繊細な顔立ちをしており、ライアン様が育てている魔法馬が人間になったようなしなやかな美しさのある方だ。
マシューさんと、ケンネスさんの話によると、ライアン様は社交界でも、トップを争う人気だそうだ。
確かに、惚れ薬で狙われたんだものね。
あの『惚れ薬』って、なぜ素人が調薬しても罪には問われないのかしら。
謎でたまらないけど、貴族社会の中で行われている事だからそんなものなのだろう。
「セーラ、今日の用事は済んだからそろそろ行こう」
ライアン様は、私のこめかみにキスを落として、それからゲオルグ様を見た。
何故かそんなライアン様の事を、ゲオルグ様は睨んでいる。
「それでは失礼致します。ゲオルグ様におかれましては、いい夜をお過ごしください」
ライアン様は、商人のような言葉遣いと挨拶をしてこの場を後にした。
無言のまま馬車に乗る。
「ライアン様、偽馬の情報は何か集められましたか?」
「ああ。でも、もう少し調査しないと分からない」
馬車の窓の外を眺めながらそう答えたが、窓越しに私と目が合う。
すると、険しい顔をしていたのに、柔らかい表情へと変わった。
「セーラは、初めてのパーティーはどうだった?」
「まさか、ゲオルグ様にお会いするとは思わなくて驚きました」
「かなり親しそうに話していたけど、昔からの知り合いだったの?」
昔からの知り合い?そうです。子供の頃から知っていて、長い間婚約者でした。
なんて、そんな事実は言わない。
今はもう接点はないもの。
第一、お互いにもう違う相手と結婚している。ゲオルグ様は、従姉妹であるヘザーの旦那様だ。
「ゲオルグ様のお祖父様と、うちのお祖父様はお友達でしたから、昔から知っていました」
あの頃は、ヘザーを含めて三人でよく遊んだ。
「そっか。だからすぐにセーラを見つけられたんだね。いつものセーラと雰囲気が違うから、親しくない限りは気が付かないよ」
「そんなに違いますか?」
私の質問にライアン様は目を細める。
「全く違うよ。今日はすごくセクシーだ。セーラを見ている男性が沢山いたから、ヒヤヒヤしたよ」
「フフフ。ライアン様はお上手ですね」
「事実だよ。それより、少しだけ寄り道しようか」
「寄り道ですか?どこに?」
すぐに馬車が止まった。
「セーラ嬢、お手を」
イタズラっぽくエスコートの手を差し出されたので、右手を乗せて支えてもらい、馬車を降りた。
金色の看板が掲げられたお店の前だった。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
ショッキングピンクのメイド服に兎耳をつけた可愛らしい女の子が出てきた。
「ここに『シャイニング』というものがあると聞いたのだが」
ライアン様が言うと、細かい泡の塊が出てきた。
「こちらになります!」
弾むような声と満面の笑みで渡される。
空中に浮いたそれは、ふわふわと漂っている。
「これが『シャイニング』?」
私の疑問に、兎耳の女の子はにっこり笑う。
「そうですよ。またのお越しをお待ちしてます!」
その言葉を聞いた瞬間、お店の外に立っていた。
「アレ?中にいたはずなのに」
びっくりしてライアン様と顔を見合わせる。
シャイニングは私の前に漂っている。
それをそっと両手で掴み、馬車に戻った。
「光の角度で虹色に光りますね。これって何ですか?」
「それはお楽しみだよ」
何かわからないまま邸に到着した。
それからメイクを落として着替えると、主寝室に向かう。
ここのベッドは狭いから、やっぱり緊張する。
私が入っていくと、既にライアン様がソファーに座って待っていた。
テーブルにはキャンドルと、スパークリングワインと、細いグラスが置いてある。
その側には、あの泡の塊が浮いていた。
キャンドルに照らされた泡は、少し形を変えながら尚も漂っている。
「隣に」
そう言ってライアン様はソファーをポンと叩いたので、言われた通り隣に座る。
「見てて」
言われた通りじっと泡の塊を見る。すると、ライアン様の掌から雪の結晶が出てきた。
その結晶が泡を包むと、眩しく光り輝いた。
そしてパチパチと弾ける音を出しながら、だんだんと小さくなっていく。
しばらくすると光が消えて、そこに現れたのは、球体のゼリーだった。
キラキラと光っていて、中に閉じ込められているイチゴやラズベリー、チェリーにオレンジ、メロンなど、小さくカットされた果物が本当に宝石のようだ。
「このゼリーがシャイニングなんですか?」
「どうかな。とりあえずスプーンを入れてみて」
ライアン様に言われて、スプーンでゼリーを崩すと、パチンと弾ける音がした。
「なんの音ですか?」
私の質問には答えてもらえずライアン様はニコニコしている。
すると、ゼリーの中から、2センチくらいの泡がぷくぷくと、空中に沢山浮いてきて、浮遊する。
「シャボン玉みたいで綺麗!」
部屋中に漂うシャボン玉のような泡が、キャンドルのライトに照らされて幻想的に見える。
ライアン様は、一際大きな泡をにそっと掌に乗せると、その泡に魔力を込めた。
すると泡はキラキラとミラーボールのように輝いた後、フワリと消え、水の結晶のようなアクアマリン色の石のついたネックレスが現れた。
「なんて綺麗なんでしょう!」
「シャイニングは、どの魔法をかけるかによって出てくるアクセサリーの種類や宝石が変わるらしい。これは私の魔法の色だ」
「魔法によって色が変わる石?」
「仕組みはよくはわからないが、そうらしい。今流行っていると聞いて、買い求めたんだよ。さあ、つけてあげよう」
ライアン様が私の後ろにまわり、ネックレスをつけてくれる。
「ありがとうございます」
サプライズプレゼントを貰ったのは初めてで、嬉しくてペンダントトップを触る。
これは、ライアン様の魔力の色なんだ。絶対に大切にしよう。
その後、二人で他愛もない話をしながらゼリーを食べてスパークリングワインを飲み、同じベッドで眠った。
今日はどちらがベッドを使うか、という話にはならず、自然と二人で眠ることになった。
向かい合わせで眠るのは恥ずかしいので、ライアン様に背を向けて目を瞑る。
眠れないので色々な事を考えようとしたが、今日のパーティーの事が頭に浮かんだ。
5年ぶりのゲオルグ様との会話で、自分もあの頃とはもう違う人間になっていると気付かされた。
もう時間は戻らないし、やり直しも効かないのだ。
5年前は、殺人未遂の疑いをかけられて、しかもポーションの研究結果の捏造の疑いまでかけられた。
殺人未遂の捜査期間は半年にも及び、証拠不十分で犯人は捕まらなかった。
捜査が始まった当初から貴族界ではある事ない事言われ、ビフラ伯爵家からは勘当を言い渡された。
当然だが婚約は解消された。
私達は14歳から17歳までの長い期間婚約者だったのに、解消はあっという間だった。
一瞬にして私は、ポーションの研究も、地位も、婚約者も何もかも無くしたのだ。
空っぽになった当時の私は、14歳や15歳だった楽しかった頃の事をよく思い出して泣いた。
ゲオルグ様と二人で勉強したり、遠乗りに出かけたりと子供の頃の延長線上だったけど、本当に楽しかった。
でも、最後の一年くらいはコミュニュケーションが上手く行かなくなっていた。
ゲオルグ様は二人きりだと、目も合わせず、全く楽しそうではなかったのだ。
私の事を、ポーションの研究に没頭するくだらない人間だと言っていたのは知っている。
そんな状態にもかかわらず、お誘いはしょっちゅう届いた。
婚約者の義務というやつだったのか、それともゲオルグ様なりの私への優しさだったのか、今となってはわからない。
オペラやバレエに、演奏会など、目新しい公演は大抵お誘いのお手紙が届いた。
17歳の頃、研究に没頭していた私は、断腸の思いでお断りする事もあったが、可能な限りはお誘いに応じた。
それは、ゲオルグ様の事が好きだったからだ。
あの頃、私が断った公演はヘザーを誘っていたようだった。
だから、最後の方は、私がお誘いをお受けしても、例外なくヘザーも一緒だった。
あの頃の記憶は、いつも研究に没頭していたことと、ヘザーはいつも、出かける支度をする前に私に会いにきたことだ。
そして必ず、私の身なりに口出しをしてきていた。
「セーラはゲオルグ様と婚約しているからいいけど、私は婚約者がいないのよ?だから、今日行くオペラで婚約者を見つけるの。私はお相手を探しにいくんですから、私より目立つ格好はしないでね」
と言ってはドレスを指定されていたのだ。
格好に無頓着だった当時の私は、ヘザーに言われるがまま、流行のないシンプルなドレスに薄化粧だった。
薄化粧が一番自分に似合うと、最近まで思っていたけど、ライアン様と結婚してからそれは間違いだと気がついた。
アンナにメイクをしてもらうと、本当に上品に、そして美人に仕上がるのだ。
そんな事を考えていたらいつのまにか眠っていた。