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あと一日しかない

新連載始めます。

是非お読みいただけると嬉しいです。

セーラ・タンニングは焦っていた。

なんとしても明日までに結婚しなければいけない。

でも、困ったことに婚約者もいなければ、恋人もいない。


どうやったら結婚相手を見つけられるのだろうか?

突然、降って湧いた難問に頭を抱える。

23歳のセーラは、過去の苦い出来事から、自分は一生結婚なんてしないと思っていた。

にもかかわらず、明日までに結婚しなければいけないのだ。


リバートンホテルの客室清掃員であるセーラは、掃除用具を眺めてため息を吐いた。


「グズグスしていると、仕事が終わらないわよ?早く次の客室に行きましょう?」

同僚のエマに促されて、掃除用具の入ったカートを押す。

「今日は、スイートルームの掃除を任されるだなんて運がいいわ」

エマは嬉しそうに、ドアを開けた。


清掃係の仕事はお給料が少ないが、ゴミに捨ててあるものは暗黙の了解で持って帰っていい事になっている。

スイートルームに泊まるような上客は、なんでも簡単に捨てるので、みんなスイートルームの掃除を任されると、張り切るのだ。

例外に漏れず、エマもやる気に満ち溢れている。


「今日のお客様って、男性だったのね」

エマは、ゴミ箱の中身を順番に並べる。


ゴミ箱に捨てられているのは、香水、ハンカチ、整髪料、など全て男性用だ。

しかも、開封すらされていない新品だ。


「あっ!チョコレートや、クッキーもあるわ。しかも全て未開封!メッセージカードが付いているから、プレゼントで貰ったのね」

エマは嬉しそうにそれらをカートに積んである回収ボックスに入れた。


「プレゼントした人はまさか捨てられるとは思ってないわよね?」

そういわれて、私は「うん」と生返事をした。


「あっ!こっちのゴミ箱にも沢山のお菓子の箱が捨ててあるわ!やっぱり開けずに捨ててる」

2個目のゴミ箱にもやはり未開封のお菓子が捨てられており、エマは目を輝かせている。


「こっちの箱にもメッセージカードがついているわ。今日の宿泊客って、すごく性格が悪いのかしら?私なら貰ったお菓子が好みじゃなくても、全て食べちゃうけどなぁ。ねえ、セーラならどうする?」


話しかけられているとだけ認識していたので、また「うん」と適当に返事をした。

「セーラどうしたの?様子が変よ?」

エマは、心配をして私の手を掴み、目を見て質問をしてきた。


「……悩みがあるのよ。私、明日までに結婚しなければならないのよ。でも相手がいないの」

真剣な顔のセーラが突拍子もない事を言ったので、エマは笑い出した。


「明日までに結婚しなければならないってどう言う事よ?『したい』って言う気持ちの話じゃなくて、『義務』なの?」

「そうなの。やらなければいけない事なの」

あまりに唐突すぎて、エマは苦笑いをする。


「どうやったら、結婚相手を見つけられるのかしら?ちなみにエマはどうなの?彼氏からプロポーズされるかもって先週言っていたけど」

「まあプロポーズはされたわ……。でも、その後、彼の両親との顔合わせでね反対されたの」

「何故反対されているの?」

私の質問にエマは苦笑いを浮かべた。


「私は魔力が低いから、下級魔法学校しか卒業してないでしょ?だから、私がありつける仕事といったら、リバートンホテルの清掃係なわけ」

そう言いながら、エマは水魔法で床を濡らす。

それからブラシを出すと床を磨き始めた。


「私はこの仕事に満足しているわ。彼も理解してくれているけど、彼の両親は、もっと魔力がある娘をって、大反対しているのよ」

「エマの彼って、確か鍛冶屋だったわよね?」

「そうよ!逞しくて素敵な人なの。彼は両親の反対を押し切って結婚しようって言ってくれたの……でも……」


リバートンホテルなどの清掃は、手作業で磨く作業が多いので、少ない魔力量でも生活に困らない程度のお給料がもらえる。

そのためだろうか、魔力量が少ない人は清掃員の職につく傾向がある。


「どんなに魔法が得意でも、性格が悪人もたくさんいるわ。エマは性格は最高だし、こんなに美人じゃない! なんでみんな魔力の事ばかり言うのかしら」

私の言葉にエマは笑顔になる。


「ありがとう。私、彼の両親に認めてもらうために努力しようと思って。魔法は無理だけど、それ以外のところでね。ところで、セーラは何故、結婚しなければいけないの?」

「それはね……祖父の遺言よ」


「おじいちゃんの??何よそれ!」

「祖父の遺言で、結婚したらお金が貰えるの」

「お金かぁ。結婚しなければもらえないの?」

「そうみたい。しかも、1年間夫婦として生活していないと貰えないのよ。変な遺言よね?」

顔を顰める私を見て、エマはゲラゲラと笑う。


「変な遺言!セーラのおじいさんって気難しい人だったの?」

「ここ数年は交流がなかったんだけど、子供の頃の記憶を辿ると、いつもムスッとした顔をした、全く笑わない人だったわ」

ここ数年交流が無かったのは、色々な事があって、会う事ができなくなったのだ。

そこまでは話す必要がない。


「へえ。なんだか現実離れした話だけど、羨ましい!お金が貰えるなら私もなんでもするわ」

エマは自分がお金をもらった時の事を想像しているようで、仕事の手が止まった。

「でしょ?だから私もなんとしても結婚したいのよ。でも相手がいなくて……」


◆◆◆


2週間前、私の住むアパートに突然、お祖父様の顧問弁護士の助手と名乗る人物が尋ねてきた。


「貴女様のお祖父様が半年前に亡くなりました。かなり騒がれていたはずなんですが、ご存知ないのですか?」

「知りませんでした。そんな半年も前に……。今の生活は新聞も読まないので」

正しくは、買うお金が無いから読めない。


「お祖父様は有名人ですから、新聞などのメディアに触れていなくても、噂話等で聞いていて、当然貴女様もご存知だと思っておりました」

私の質素なアパートを見て、「でも、ここでは噂話も入らないかもしれませんね」と弁護士助手は呟いた。


もうどう思われようがいい。

「遺言書なんて私には関係ないでしょうから、参加を辞退します」

そう伝えた。お祖父様を1人でゆっくり偲びたい。

あのお屋敷にはいい思い出以上に、辛い思い出もある。


しかし、相手は冷たい表情になった。

「この期に及んで他の親族の方にご迷惑をかけるおつもりですか?一人でも欠席したら、遺言書は開封できないのですよ」


その言葉には逆らえず参加することになった。 

私は、手元にある服の中で一番マシな服を着て、数年ぶりにお祖父様のお屋敷に向かった。


サロンに入ると、すでに私以外の相続人が3人いた。

皆、私をバカにしたように見た。

「まあ!みすぼらしい格好。アンタが来ないと、遺言が開封できないだなんておかしすぎるわ!お祖父様は、この女にも遺言を残したのかしら」

従姉妹のヘザーが私を罵るが、他の二人は何も言わずに軽蔑した目で私を見る。


「数年ぶりにアンタを見たけど、落ちぶれてみすぼらしいわね」

ヘザーの攻撃が止まらないので、弁護士がヘザーをなだめた後で、ようやく遺言書の開封が始まったが、そこで読み上げられた内容が衝撃的だった。


『遺産は相続権のある相続人で均等に分け合う事。ただし、以下の条件に則って相続人を決定し、実行されること。


1、遺言の周知から一週間以内に婚姻届が受理されているものが、相続人候補となる。


1、上記条件を満たし、且つ配偶者と1年間夫婦として同居生活をしている者が相続人としての権利を有する事になる。


1、独身者、別居婚、一年未満の離婚者には相続権は発生せず、どのような私物も分け与えることはできない。


1、該当者がいない場合は、資産の全額を慈善団体に寄付する』

というものだった。


◆◆◆


「好きでもない相手と1年間、夫婦として生活するなんて耐えられないわ。それって無理難題よ?」

エマは遺言の内容を聞いて、呆れたように言った。

確かに無理難題かもしれない。でも、私はどんな我慢も厭わない。


この遺言に指定された『この遺言が開封されて1週間以内』は明日。

あと1日で相手を見つけないといけない。誰かいないかしら。

男性なら誰だっていい。

そんな事を考えながら、大理石の床を磨く。


「今日の宿泊客、何を溢したのかしら?汚れが取れないわ」

エマが愚痴をこぼす。

「そんなに酷い汚れなの?」

「ええ。ここよ」

問題の場所を見ると、大理石の一部が真っ黒に変色していた。


「しかも、この汚れ、奥のベッドルームまで続いているわ」

エマはそう言ってため息を吐いた。

しかし、その言葉に何か不穏なものを感じる。


「奥のベッドルームまでって事は……」

私は跡が続くベッドルームのドアを見た。

床に点々と残る跡は、呪いを受けた人が歩いた跡のようだ。


ドアは半開きになっていたので、急いで開けてみる。

すると、ベッドに男性がうつ伏せで倒れていた。

「大丈夫ですか?」

呼びかけに返事がない。


「エマ!お客様が倒れているわ。支配人を呼んで!」

私の声にエマは驚き、狼狽しながら、部屋に備え付けられている通信用の魔道具のボタンを押した。


「誰も応答しないわ……」

エマは、幾度となくボタンを押す。


しかし、間が悪い事に、今日はこのリバートンホテルを常宿にしているプレミアムスイートにお泊まりのお客様が、リバートンホテル内のレストランを貸し切ってパーティーを行っており、そちらに沢山の人員を取られているせいなのか、誰も応答しない。


「お客様?大丈夫ですか?」

何度か呼びかけるが、動く気配すらない。

私は近づいて耳を澄ませる。


呼吸音が聞こえるわ。

息はしているので、死んでいるわけではない。

でも、歩いた跡が黒く変色している事を考えると、強い呪いに晒されている可能性がある。

これは一刻を争う事だ。グズグスしていると、この人は呪い殺されてしまうかもしれない。


どうすればこの人を助けられるのか……。

あまりやりたくないけれど、一つだけ方法がある。

私は意を決して、部屋の中を見回した。


通常なら、スイートルームには大きなフラワーアレンジメントが置かれているが、この部屋にはない。

「エマ、お願いよ、廊下に大きなフラワーアレンジメントが置いてあるでしょ?アレを花瓶ごと、急いで持ってきて!」


「セーラ、何をする気なの?」

エマは突拍子もないお願いをされて、混乱しているようだ。

「この人を助けるのよ」

「花瓶でどうやって?」


「いいから早く!時間がないの!」

私の気迫に押されてエマは部屋を飛び出して行った。

そして、大きな花瓶を抱えて戻ってきた。


「持ってきたわ。でもこれで何をするの?」

その質問には答えずに、花瓶から花を取り出して、床に置く。

やはり、薬草として代用できる花が紛れている。

自分の知識を頼りに、薬の代用になるものを選別した。


「エマは、支配人を呼んできて」

「わかったわ」

エマはそう返事をして、急いでスイートルームから飛び出して行った。


私は目の前にいる、ぐったりした男性をもう一度見た。

ここで焦ってはいけない。


深呼吸をすると、ウエストのポーチを開けた。

ぱっと見はボロボロのポーチだけど、これはアイテムボックスになっており、家一軒分の荷物が軽く入る。

このポーチが今の私の唯一の財産だ。


ポーチを開けて、中に手を突っ込む。

この中には沢山のガラクタが詰まっているので、集中しないと、欲しいものが見つけられない。


今必要なモノを頭に思い描いて、ポーチの中を探る。

きっとこれだ!通って引っ張り出してみたが、安物の花瓶だった。


違う。今必要な物はこれではない。

もう一度集中して、ポーチに手を入れる。

目を閉じて、指先の感覚を頼りに、中を探ると、思い描く物に手が触れた。


それを慎重に取り出して見る。

出てきたのは、ポーションを作る簡易釜だった。

それから、釜専用の囲いと、薬草箱などをポーチから出した。


何年も魔法薬の調合はしていないから自信はない。

もしかしたら失敗するかもしれない。不安が顔をのぞかせるが、目の前の人を助ける事の方が大切だ。


大丈夫。

きっと上手くいくわ。

なんのために上級魔法学校を飛級したのよ!


不安な気持ちを払拭するために、目を閉じて何度も深呼吸をする。

それから、目を開けると、先ほど選別した花を並び替え、花瓶を自分の真横に置いた。


そして、もう5年も開けていない薬草箱に手をかけた。

この中には沢山の乾燥させた薬草が入っているが、5年前に何を入れたのか、覚えてはいない。

きっと、使える薬草があるはずだと信じて、中を確認する。


干からびてはいるけれど、解毒作用がある数種類の薬草が入っていた!


それを取り出して、先ほど選別した数種類の草花と共に、ポーション作成用の釜に魔法で火をつけてから、花瓶の水を注いだ。

きっとこの水には、お花を長持ちさせるために、聖水を使い、しかも腐敗防止と、滋養強壮の魔法が付与されているはずだ。


私は鑑定魔法が使えないので、そう信じて花瓶の水をベースにポーションを作り始めた。

手早く強火でかき回す。


そして、きっちり2分経ったところで火を消して、フラスコに移し替える。

それから魔法で急速に冷やす。


すると、液体が濃縮されて、釜いっぱいにあったはずの液体が、コップに半分くらいの量までに減った。

トロッとした質感を確認する。

大丈夫、これなら希望する効果が得られるはずだ。


うつ伏せになっている男性を仰向けにすると、頭を起こしてポーションを口に入れた。


最初にこの部屋に来て、ゴミ箱の中身を捨てようとした時、未開封のお菓子にまぎれて、チョコレートの包み紙があった。

それ以外に、何かを食べた形跡はないし、対面で魔法をかけられたのなら、歩いてベッドまで来れないはずだ。


きっとチョコレートに薬が仕込まれていて、それを知らずに食べたに違いないと想像をしてポーションを作った。

もしも違っていたならば、もう一度、ポーションを調合しなければならない。


効果がありますように。

祈る気持ちで、男性を眺めていると、パチっと目を開けて、起き上がった。


「助けてくれてありがとございます!」

男性は膝をついて感謝をしてくれた。

「いやー。ゴミ箱に捨ててある食べ物を食べないように、キツく念を押されていたのに、その中に高級チョコレートがあったので、盗み食いをしたら……この様ですよ」


目の前にいる男性は、歳の頃は25前後で背が低く、髪は少し寂しくなっていたが、清潔感があり人懐っこいタイプだった。

快活に喋る様子を見ると、後遺症などはないようだ。

完全に解毒できたらしい。

私は安堵して自然と笑みが溢れた。


「本当にありがとうございます!このご恩に必ずや報います!」

男性はそう言って、私に握手を求めてきたので、私も手を出した。


その時、スイートルームのドアが勢いよく開いて、支配人が飛び込んできた。

「大丈夫ですか?」

支配人は叫びながらベッドルームに入ってきた。

その後ろには震えたエマがいる。


「ええ。彼女が私を助けてくれました。本当に命拾いしました。もう大丈夫です」

男性が笑顔で答える。


このタイミングでまさか支配人が入ってくるとは思わなかった。

やばい。

ポーション作りの道具がそのままだ。


ベッドルームのドアの方を見ると、支配人以外にも、人がいる事に気がついた。

年は目の前の男性と同じくらいの25歳前後だろうか、まるで彫刻のような左右対称の整った顔をしている。

きっとパーティーに参加していたのだろう。透き通るような金色の髪の毛は前髪を少しおろし、後ろ髪は整髪料できっちりと整えられており、パーティー用の貴族服を着ていた。


「こちらに病人がいると伺って、この部屋の宿泊客であるマクヘイル伯爵様にも、お越し頂きました。本当に何事もなくてよかったです」

支配人は大袈裟に安堵してみせる。


「支配人、うちの執事がご迷惑をかけて申し訳ない。せめてものお詫びに」

支配人の後ろに立っている男性が、スイートルームの本当の宿泊者であるマクヘイル伯爵だったようだ。

伯爵は、ポケットから高額紙幣を数枚出すと、チップとして支配人に渡した。


すごい金額のチップだわ!

私とエマは驚いて目を丸くする。


「このお嬢さん方の仕事が終わっていないのは、ウチの執事のせいだ。支配人、どうか叱らないでやって欲しい」

マクヘイル伯爵の言葉に、一瞬耳を疑った。

この人は何を言っているのかしら?


しかし、冷静に部屋の中を見て苦笑いした。

廊下にあるはずの花瓶がベッドの横にあり、その周りには活けてあった花が散乱している。

リビングルームに目を向けると、掃除中のブラシや洗剤が無造作に置かれていた。

これは酷い有様だ。


確かに叱られてもおかしくない。

むしろ、叱られる案件なのかもしれない。


「申し訳ないが、このまま部屋を掃除して欲しいのだが、お願いできるだろうか?」

マクヘイル伯爵の言葉に私達はもちろんですと、答えたし、支配人も当然ですと答えた。

そして、支配人がスイートルームを後にすると、マクヘイル伯爵は私とエマの前に来た。


「改めて礼を言います。お嬢さん方、ありがとう。あなた方がいなかったら今頃どうなっていたことか」

「私は支配人を探しに行っただけで、介抱したのは、ここにいるセーラです」

エマがそう言うと、マクヘイル伯爵は優しい笑顔を浮かべた。


「貴方が、私を呼んでくれなかったら、うちの執事はこの件を隠蔽しただろう」

エマに向かってそう話した後、執事を見る。

「さあ、ケンネス、何が起きたのか説明しなさい」


ケンネスと呼ばれた執事は、頭をかきながらハハハと力なく笑った。

「この度は酷い目に遭いました。マクヘイル伯爵が、『届いたプレゼントは全て捨てるように』という指示を出してパーティーへと向かわれたんですけどね」

「そこまでは知っている」

マクヘイル伯爵はソファーに座り、長い足を組んだ。


「プレゼントは、チョコレートに、高価なワイン。それから香水に、ハンカチに、シルクの靴下。どれもこれも一流品ですよ!捨てるなんて勿体無い」

私達がゴミ箱で見つけた未開封の物だわ。

エマと私は今の話を聞いて顔を見合わせた。


「マクヘイル伯爵はパーティーに行っているし、私は暇で。美味しそうだったチョコレートを食べたら急に眩暈がして、なんとかベッドまでたどり着いたけど、そこで身動きが取れなくなったんです。意識ははっきりしているのに、体は全く動かないし、声も出ない。いやー死ぬかと思いました」

そう言って、ケンネスさんは作り笑いを浮かべた。


「そうか……。すまないが、この部屋のゴミ箱から回収したものを全て見せて欲しい」

その言葉に、先ほど選別した未開封の品物と、チョコレートの包み紙を出す。

マクヘイル伯爵はその包み紙を手に取って、じっと眺めた。


「女性からの贈り物には高確率で、中には惚れ薬が仕込まれている。しかも、大抵が自作した惚れ薬だから、食べた途端に倒れたり、泡を吐いたり、大変な事になる」

マクヘイル伯爵はケンネスさんを見た。


「贈り物には何が仕込まれているかわかったもんじゃないから、絶対に開封するなとあれほど言ったのに!先ほどの話だと、この他にワインや靴下もあるな?出しなさい」

そういわれて、ベッド横の棚から、ワインの入った箱などを10個ほど出した。


「これは全て処分する!」

マクヘイル伯爵はそう言うと、目の前で火魔法を放った。

すると私達がゴミ箱から回収した未開封の物と、今しがたケンネスさんが出した箱が一瞬で跡形もなくなった。


「はじめからこうすればよかった。注文しておいた荷物と一緒に届いたから、贈り物の廃棄と、荷物の開封をケンネスに頼んで出かけたら、この有様だ」

確かに、マクヘイル伯爵を見ていると、どんな表情をしていても本当に素敵だ。

だからといって惚れ薬を贈るのは間違っているが、お相手の女性達も必死なのだろう。


「本当に貴女方のおかげで命拾いしました。何かお礼がしたいのですが、あいにく、本日は持ち合わせがありません。後日改めてお礼を送らせて頂きたいので、ここに名前と住所を書いてくださいませんか?」


紙とペンを渡されて、エマは嬉しそうに名前と住所を書いたが、私はセーラとしか書かなかった。

まさか名前と住所を聞かれると思わなかった。

緊張で冷や汗が出てくる。


「わっ私、すぐに立退を言われているんですが、次の住所が決まってないの」

フルネームも住所も書かずに紙を返した。


絶対に私の素性を知られてはいけない。

貴族なら尚更だ。

 

しかも、マクヘイル伯爵に見られている中で、ポーション用の釜をアイテムボックスにしまわないといけないこの状況が辛かった。


多分、相手も不思議に思っているだろう。

何故、リバートンホテルの清掃員がこんな物を持っているのか。

これで何かしらの薬を調合したのか。

その事について聞かれたらどうしよう?


一刻も早く仕事を終わらせたいので、バスルームなどはエマが見ていない事をいい事に、自分に高速魔法をかけて、あっという間に掃除を終わらせる。

同僚達には、魔法が得意ではないとウソをついているので、これを見られるわけにはいかない。

そして、いつもよりも早く掃除を終わらせるとスイートルームを後にした。


「もしも知らずに、あのお菓子を食べたら薬が仕込まれていたのね。こんな怖い事ってあるんだ! 今まで、色々な捨ててある物を持って帰ったけど、今後は気をつけないとね」

エマは職員用の階段を降りながら、興奮気味に話す。


「本当よね」

「ねえ、どうやってあの人を介抱したの?」

エマは私がポーション用の釜を出し入れするのを見ていないから、本当の事には気がついていない。


「それはね、ベッドルームの水差しの横に薬が置いてあったから、それを飲ませたのよ」

エマが洞察力が鋭いタイプじゃなくて良かった。

そう安堵しながら、私はウソを伝える。


「そうなんだ!じゃあ、あの伯爵様は万が一に備えていたのね。あの顔じゃ、どこで何を混入されるか恐怖に怯えるのもわかるわ。だって、あの顔に敵う男性なんて見た事ないもの!」

そんな話をしながら、私達は仕事を終えた。


服を着替えて職員用の通用口から外に出る。

エマは今日起きた出来事を同僚達に雄弁に語っていたが、私はその話には付き合わずに皆と別れた。


急がないと次の仕事に遅れる!

同僚達には内緒で仕事を掛け持ちしている。

次の仕事に遅刻すると、ペナルティとしてお給料が減らされるので、急いで駅に向かった。


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