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夢境のアルカディア  作者: 挟むギョウタン
第二章「帝国編」
25/29

ユア・ハイネス〈中〉

ハイネス

 メルセは教皇との質疑応答を繰り返す。その中には手渡した報告書に記載されている内容も含まれていた事に気づくが、疑問を挟みはしない。恐らく確認作業の一貫なのだろう。教皇猊下が無駄な事をする筈がないのだ。

「――ええ、凡そは把握できました。メルセ、長い時間でしたがお疲れ様でした」

「いえ何の苦労がありましょうか。寧ろ代理とはいえ、教皇猊下のお側に居られたのは嬉しい限りです」

 この感情は本物だ。それだけは嘘じゃない。

 常日頃、粉骨砕身、身を粉にして精進する姿勢はこの国の民ならば誰もが知っている。

 今日だって、午前は各ギルド長との会合。

 午後は残った会合と「聖別」に「魔石作成」、それとたった今こなしていた書類報告だ。休憩時間も恐らく15分と無い筈だ。あまりに多忙すぎる。

 だがそんな御姿に憧憬や畏敬の念を抱いているのもまた事実であった。

 メルセは言葉を紡ぎながらも、心の中で其れが確かなものであると反芻する。


 然し教皇猊下の定められた「定時」は既に過ぎているというのもまた事実。既に辺りはすっかり夜の帳に包まれていた。

 今日の夜は何を食べようか、などと考えていると

「メルセ、今日この後の予定はありますか?」

「いえ、何もありませんが…。何か御用でしょうか」

「大した用ではありません。夕食を一緒に食べてもらえませんか?」


 え?

 教皇の唐突な提案に、思考が吹っ飛んだメルセは疑問符を含めた単純かつ明快な返答をするしか無かった。






 簡単なモノで申し訳ありません、と言いながら教皇が調理した食事はスライスされたトマトが鮮やかなサラダにパン、それと色々な野菜や豚肉が煮込まれたシチューであった。確かにこの国では比較的安価な食材で、庶民的な料理ではある。

 だがメルセにとっては「簡単」で済む問題ではなかった。教皇猊下の御手を煩わせるわけにはいかないと、初めに調理の交代を申した。

 だがあっさりと断られてしまう。

 そして継ぎ足された紅茶とカステラを持ってくると、食べながら待ってください、と告げられてしまった。夕食に差し支えると良くないので、カステラは少ししか切り分けていない。


 「教皇猊下は料理がお好きなのでしょうか?…あぁ不敬でした申し訳ありません!」

 シチューを口に運びながら、開幕メルセは考えなしの疑問とそれの代償を口にする。 

 これ迄出てきた紅茶や茶菓子に夕食と、何れも味が良すぎるのだ。このシチューも食材は市場で見かけるもので、調理時間もお世辞にも長いとは言えない。

 だが限られた食材と調理時間で可能な、最高の味を出している。間違いなく。

「いえいえ不敬などではありません。寧ろ誰もいないのですから、この際軽い感じで結構です。…食事は昔からの趣味、というより習慣ですね」

「というと、夜は料理人の仕事がないというのも…」

 そういう事ですね、と教皇は口にする。

 まさかやんごとなき御方にこんな側面があったなんて。メルセは驚きを隠せなかった。



「大戦争」に於いて、一度目(・・・)の世界の危機を救った聖者様。聖者様に直接に付き従った存在。其れが教皇猊下の正体なのだ。

 フェーデ教は不定の神から遣わされた、世界の救世主たる聖者様を頂点としている。

 その聖者様の正当な後継者として、残った「仕事」を完遂するための唯一の代理人として、教皇猊下は君臨しているのだ。

 現にフェーデ教で用いられる経典とは、聖者様の御言葉を教皇猊下が纏めたものであるとされる。

 実際の所、経典とは『王国文書』のような、百科全書に近い内容である。勿論、他宗教のような、基本的な心得は冒頭に書かれている。

 だが「普通教育」に公衆「衛生」といった、『王国文書』にも書かれた、他国では軽視されがちな概念をより正確に詳らかに。

 凡ゆる生活様式の変革を促すよう、広範に記してあるというのが経典の実態だ。

 




 「報告の後こうして夕食にお誘いしてるんですが、いつも断られてしまいましてね。…もう少し良い食材を使うべきでしょうか?」

 絶対そういう問題ではない。

 否定するように首を何度も横に振る。

 直属の上司たちは勿論のこと、同僚までもがみな融通の利かない性格をしているのだ。恐れ多くて断っているだけだろう。彼らは悪い人たちではないのだが、メルセ自身、少々気疲れが重なる思いをしていた。

「いえ、それは頭の堅い彼ら自身の問題かと思われます。決して教皇猊下の御食事に不満があるわけではないでしょう」

 空の木製コップに魔法で水を注ぐと、クイっと傾けた。

「ならば良かったです…でもメルセが陰口を吐く方が私にとっては驚きですよ」

「教皇猊下の前では考えの全てを曝け出す所存です…で、ですがこの事は黙ってもらえたらなぁ…とは思います」

 ここだけの秘密ですね、と教皇は笑みを浮かべる。

「ですが教皇猊下、慎しんで申し上げます。高き身分の者ならばそれ相応の品を使うべきかと思います。ですので安物ではなく高級な物を使うべきではないでしょうか?」

 メルセはシチューから掬い上げた豚肉を見せるようにして発言する。豚肉は比較的安価で購入可能だ。もし教皇猊下ならば牛肉や羊肉、いや馬肉さえシチューに使うことができるだろう。


「ありきたりな食材の方が調理しやすくてですね。つい使ってしまうのですよ」

 教皇は苦笑いを浮かべると、シチューに漬けたパンを頬張る。

「まあ考えておきましょうか。水ではなくビールを出す…とかですかね?」

 それもありきたりな夕食の一形式ですよ、とメルセは思わず口を緩める。魔法の利用が一般的ではなかった大昔よりかは水分補給の手段としての酒の価値は低下した。だがそれでもビールが未だ安価であることに変わりはない。


 

 「そういえばメルセ。正式に配属されてから丁度一年と二ヶ月ですが、お仕事の調子はどうですか?」

 「ええと…まずまずって所です。至らぬ点も多いですが、しっかりと勤めは果たせているとは思ってます」

 メルセは当たり障りのない返しをする。

 しかしそれは、一体全体どうして私の配属期間を知っているのだろうか、と首を傾げながらの疑念を孕んだ返事であった。

「…メルセ、今私が何故把握しているのかと思ったでしょう?」

「え!?何故わかったのですか!?」

「顔に出ていますよ。それとその疑問への答えはこうです。私はこの国の民の事は全て(・・)把握しているからです」

「すべて…??」

 全てとはどういう事だろうか。頭の中で整理が出来ず、メルセは傾げた首が戻らずにいた。

「この国の民の全て…とは言い過ぎですかね。ですが少なくとも此処フェーデの民のことは顔・名前・経歴・構成魔素、その全てを把握していますよ」

「はぁ…」

 目をぱちぱちと何度も瞬きさせる。疑いたくはないが、フェーデ市民全てとなると話は別だ。ここ大聖堂に勤める者だけでも四桁に届きうる数だ。流石に無理があるのではないか、というメルセの抱いた考えは当然のものだった。

「メルセ・エレイパ、17歳。出身はフェーデ近郊に位置するフェデーヌ村。陶芸を営む上の兄が1人いますね。そして貴方は第一魔法兵団の見習いとして抜擢され、たった今ここでお勤めを果たしてもらっています。えっと…配属直後の自己紹介では、誰もが笑う世界を目標としている、と宣言。好物は近所の川で獲れるザザムシと述べた事でその場の顰蹙を買う。勤務態度は少々抜けている所があるものの、突出して積極的。…ああ確か1月前に白湯と間違えて、来賓用の高級葡萄酒を上司に提供したと報告が――」

 「止まって、止まってください!分かりましたから!教皇猊下は素晴らしい御方です!」

 止めなければ、もっと色々な失敗事が掘り返されるかもしれない。

 そうしてメルセは声を張り上げて静止の声を上げた。

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