Your Highness〈上〉
教皇国の大聖堂とは政治や信仰、行政の中枢を司る施設群の総称である。
一番の公的重要施設は中央の簡素な祭壇を拵えた「聖堂」であり、大聖堂の中心に位置する。大ホールは質素ながらも質実剛健の雰囲気を重視したものとなっている。隅に置かれた「聖遺物」群や均等に配置された小綺麗な長椅子、祭壇の奥に座する聖者様の彫像は、紛うことなく第一義的には巡礼者のためである。
こうした配置物や空間のデザインからは初めて、いや何度訪れても、実体なき聖性を自ずから感じ取れるだろう。
そして聖堂を六角形状に囲うようにして、三層構造から成る「小堂」と呼ばれる塔が六棟並んでいる。そのどの小堂も聖堂方向への長い回廊が通されており、別の小堂に行く際はどれも聖堂を経由する必要がある。
一見すると非合理的な造りをしている。
だが日中通して慌ただしく出入りする多くの純白の衣は、聖堂内の者たちに「勤勉な神官」像をよく刷り込むことが出来る。ある意味で合理的だ。
そして小堂は外観内観共に、無駄な装飾を省いた機能的側面が窺える作りとなっている。それでいて聖堂との調和を乱さない、清貧を感じ取れるかのようなものとなっている。
そして大聖堂には、ある異質な一棟が存在する。
聖堂の裏手にある、他と比べると見窄らしい見た目をした、ログハウスのような木造建築物。
そこからは聖堂で感じた厳かな雰囲気も、小堂から発せられる素朴さも感じ取れない。寧ろフェーデ市内のどんな建物よりも見窄らしく、貧相極まりない様式である。
だが此処こそがかの教皇の居住空間なのである。
陽も落ちた頃、そんな寂れた空気を匂わせた場所にコツンコツン、と足音が響き渡る。その足音は規則正しく音を鳴らしているが、鳴る間隔の狭さには駆け足気味であることが窺える。
足音の主は1人の少女であった。短いとも長いとも言えない、右横に垂らした色素の薄い長い髪を弄くり回して緊張を紛らわす。もう片方の手には大量の紙の束を大切そうに抱えている。
戸の前に着いた。本来ならば教皇以外は立ち入れない不可侵の空間。大聖堂に勤めるものならば、一見して辺鄙な小屋のような此処が、大聖堂の中でも特に重要な「聖域」であることは周知の事実であった。
加えて少女は初めて訪れたのである。本来ならば連絡係を勤める者がいるのだが、その人が体調不良につき代理として来たという経緯があった。
普通ならば戸をノックしてから入室の許可をとるべきだろう。
だが此処は「聖域」、戸に触れる事さえ教皇猊下への無礼となるのではないか?
入り口までたどり着いたのにも関わらず、緊張の余りに少女は次の行動を躊躇って逡巡してしまう。
「…メルセですね?何の用でしょうか?」
中から突然聞こえた声。
はいメルセです、と少女は自身の名前を知っている事に若干の驚きを含んだ返事を反射的に返す。続けて担当の連絡係の代理であることを伝えると、入室を許可される。
先程までのは要らぬ心配であった、と肩を窄めながら、戸に手をかけた。
少女は思わず目を見開く。中は「聖域」というにはあまりに庶民的、生活感のある空間であった。
まず入り口目前にある椅子が十数脚と縦に長い机が目に入る。その奥にはたった今作業していたであろう、大量の「魔石」と書類が置いてある書物机と、物入れ棚が一つずつ鎮座している。
そして部屋の左奥には藁の「固まり」と上に乗った布袋が存在する。あまりに粗雑な材質と思われるが寝床だろうか?
右奥は木製の床から一段下げた、石造りの厨房であった。そしてその側の外壁は小さく穴が空いている。煙の充満を防ぐ為だろうが、煙突が付いてないのは意外であった。
確かに煙突はどの家屋に於いても、選択式で設置する。家主が風属性魔法に長けたものの場合は、煙が逆流するといった事態に陥らないからだ。
教皇猊下のお部屋にしては余りにも機能性が無く、貧相が過ぎるのではないか。
メルセは失礼極まる感想を心中で呟くが、どちらかと言えば驚きのあまりに抱いたという側面が大きかった。
「…驚いているようですね?」
「いえ、そのようなことは!此はその――」
「構いません。誰しも此処に来たものはそういった感想を抱きますからね」
メルセは書物机から身を起こした教皇が見透かしたかのような口ぶりで問うて来たことに慌てる。
だがよくよく顔を見れば、何か楽しげな、愉快な感情を持って話しているという感じだ。
「先ずは適当なところに掛けなさい。今日は長くなりそうですし、紅茶でも淹れましょうか」
そして教皇は手慣れた所作で手を翳して火をつけると、やかんを上に乗せる。
余りにも自然な動きで完結していたが為に、メルセはその異様さに気づくのには幾許かの時間を要した。
「げ、猊下!?多忙でありながら小間使いのような作業、命じていただければ私がやりますので!」
「感謝します。けれども休憩がてらに別の作業をするというのは良いものですよ?」
まさか教皇猊下がこんな事をやるなんて、とメルセは狼狽えるが、そのお心遣いを無碍にするわけにもいかない。作業を見守りながらも、黙って座る事にした。
「…さて、先ずはこれを」
「拝借いたします」
教皇猊下が紅茶を啜るのを横目に、メルセは「魔石」の個数や書類に不備がないかを一つ一つ必死に確認していく。ミスは許されない。目は見開き、手は震えを抑えようと必死であった。
「…確認を終えました。不備はないかと」
「気持ちは分かるけども、心を落ち着かせなさい。一つ二つのミスでは怒りません」
そう言って教皇はメルセの膝に視線をやる。震えていたのがバレていたようだ。
「は、はい。では私からは此を…」
メルセはおどおどしながら、持っていた書類の山を手渡す。教皇は其れ等をパラパラと枚数を確認するかのような動作で内容を詳らかにしていく。
「成程、凡そは把握しました。…冷めますわよ?それともお嫌いでしたか?」
「し失礼しました!有り難く飲ませて頂戴します!」
紅茶を未だ一口も口に含んでいない事を指摘される。メルセは慌てて、言葉の使い方にも余り注意を払わずにティーカップを口元に運ぶ。
最初ほど湯気は出ていないが香りは十分。暖かくて芳しい。茶葉の良し悪しは殆ど分からないが、そこそこ良いものであるように感じる。
そして香りを軽く堪能して口に含む。一瞬の苦味を舌が感覚するが不快なものではない。寧ろ喉を通り過ぎる頃に口内を包み込んだ、独特な甘みへのアクセントとして役割を果たしていた。
…間違いなく美味であった。メルセは何度か紅茶を飲んできたが、これが最も美味しいと思えた。それは「教皇猊下自ら淹れた」という価値を抜いた上での評価だった。そしてそれは、教皇猊下の紅茶を入れる技術も非常に高いということでもあった。
「…美味しいです」
「そう言ってもらえて何よりです。淹れた者として冥利に尽きる思いです」
教皇はメルセの率直な感想を受け取ると微笑みを以て返す。そして今一度姿勢を正すと、一変して真面目な表情を浮かべる。
「では長くなりますけど、報告書の中で確認したい事が少々ありますので答えるように。良いですね?」
はい、とメルセも合わせて態度を少し強張らせる。
「魔法具、特に武具の類の納品が遅れているようですが?」
「はい。3月ほど前から全工房が武具の生産に注力していますが、矢張り限界はあるようです」
「今市場に出ているものを全て買い取るよう伝えなさい。それでも足りないでしょうけど、独立祭までには可能な限り取り揃えなさい」
「了解しました」
教皇も、メルセも、苦い顔をしながら決定していく。残念ながら、ここ教皇国は大国の一つであるものの人口は非常に少ない。リストリーネ王国の王家直轄領単体と比較して、僅かに上回る程度である。
「次に。半年前に発生したヴィブレ近郊での魔素の大規模変動に関しては何も分からなかったのですか?」
「はい。間諜の報告には不明であるとのことです」
「…次。各地で活動を行う神官達への帰還命令はどうなりましたか?」
「隣国のリストリーネ王国を初めとして、レーベ帝国、ムジーネ都市連合、その他小国に派遣した者達にも行き届いたようです。彼等はトラブルがなければ独立祭までには此処フェーデに到着する見込みです」
「宜しい、では次に――」




