教皇国〈3〉
ああ、とふと去り際に思い出したかのようにルーシアは付け加える。
「…障りなければお尋ねしたのですが」
「何だい?重大な話かい?」
「いえ、つまらない話です。貴方は自身の今置かれた状況をどう思っていますか?」
「状況…?話が見えねえな?」
すみません、と一言軽く頭を下げて謝罪を述べる。そして、頭を勢いよく上げると話を続け始める。
「こうして工房で働くのでは無く、何か別にやりたかったとか…そういった話です」
「そういった不満はねぇな。自分の力を思う存分振れるように『聖別』してくださったんだ。…お前さん、何か思うところがあるのか?」
「いえいえ。…すみません、去り際に変な話をしてしまって」
こんな見ず知らずの人に変な話を振ってしまった―いや、ならばこそか?
そんな事を考えながらも、蜥蜴人の言う通り、出国する前に『聖別』を見て行こうかと足早に広場へと向かった。
広場へは迷わずに辿り着けた。
此処フェーデは、国の中枢を司る聖堂とその正面に座する広場を中心として、同心円上に広がって区画的に整備された都市である。
勿論ヴィブレを始めとした、様々な都市もある程度区画的に分けられているが、フェーデのその都市構造は徹底している。
見れば既に『聖別』は始まっていた。広場には既に多くの人々が集まっている。大半は神官服を着ているが、凡そが着慣れている様子が見られない。
恐らく巡礼者だろう。そして彼らは息を殺すようにして静かに見守っている。
広場の中央では、一人の女性を中心に、装飾華美な鎧を着た者たちが左右に並んでいる。
そしてその女性、教皇は何かを誦んじている。距離は遠く離れているが、微かに聞き取れるそれからは教典の内容であるようにルーシアは記憶している。
その女性は聖者が着ていたとされる、ボロボロで擦り切れた黒いローブを纏っていた。聖遺物の中でも教皇のみ着用を許される、唯一の品だ。
ローブの丈はルーシアより小さいが、女性には少し大きいようで、不恰好にも思える。
だがフードを外しているので顔はよく見える。其れを見れば、誰もがローブから感じられる違和感は消し飛ぶだろう。
その顔立ちは凛々しいようで、蠱惑的な雰囲気を醸し出している。
他方、流れるような腰まで伸びた長い金髪と淡い光を佇ませた紫色の瞳からは、「教皇」の名に相応しい清廉さを感じる。
だが此処までの女性の魅力よりも、視覚的情報としてより強調されるものがある。
それは頭頂部から生えた一本の角と、ローブでは隠しきれない程に大きい羽である。
角は魔族由来の禍々しさを、羽は鳥人由来の荘厳さといった、相反するかのような二種の雰囲気を周囲に発している。
然し誰もがその様相を気にする様子はない。
正確には気にしていても、其れを発せないような厳かな雰囲気に包まれている、と言った方が正確だろうか。
そして教皇が暗誦を終えると、群衆の中から子供の集団が前にぎこちなく進みだす。その数4人。1人の少年が更に前進して教皇の前に歩み出ると、膝を折って首を垂れる。
続いて教皇は静かに頭に右掌を乗せると、目を瞑る。
――そして空間は支配される。
「〈ご機嫌麗しゅう。私は教皇のアリアンディーゼと申します。本日の『聖別式』も大勢の方々にお集まりいただいた事、感謝の念に耐えません。これも聖者様の御導きに拠るものでしょう〉」
言葉が頭の中に濁流の如く雪崩れ込む。
見ていた群衆たちは突然の怪現象に慌てる。
ルーシアも例外ではない。慌てて教皇を見る。
口元は動き一つない。
腹話術の類だろうか?いや違う。
それを疑って注視するが、唇は全くといっていいほどに動いていない。
別の者によるものか?それも違う。
群衆の小さな響めきこそあるものの、声を大にして喋るものはこの場にはいなかった。
だが頭の中に入り込んでくる声は間違いなく、先ほど小さくも美しい声で教義を誦んじていた教皇であった。
「〈静粛に。これは私の魔法によるものです。慌てる必要はありません〉」
その一声で以て、一先ず群衆のざわめきは落ち着き始める。
広場に静寂が戻ったことを確認すると、再び教皇は言葉を紡ぐ。
「〈ではこれより聖別を初めます。何があっても騒がぬように〉」
そして言葉と共に流れ込むのは首を垂れた少年のステータス表示。教皇は一瞬にして周囲の人間全てに自身の思念を投影させていく。
スキル〈魔剣錬成〉に筋力と腕力がB。恐らくは…
「之は聖者様に拠る沙汰である。汝、軍人となって平和のために仕える意思はあるか?」
「はい。聖者様、その恩寵を預かりし教皇猊下に誓って、私は平和のためにこの命を以て仕えます」
「宜しい!儀を執り行え!」
先程とは打って変わって、教皇は声を荒げ、威厳ある口調で、スキルと適性に見合った職能への勤めを果たすか否か。少年に直接問いかける。
そして少年のはっきりとした返事に応えるようにして
、左右に列を成して並ぶ騎士たちが抜剣する。
抜剣された剣を反対側の騎士に向けて、互いに交差するような形で強く叩きつける。
強く鈍い音が広場全体に鳴り響く。
二度、三度、と打ちつけ合うと、剣は鞘に仕舞い込まれた。
「聖者様の恩寵に与り、『聖別』がたった今為されました。皆様、どうかこの少年に門出の拍手を!聖者様の恩寵に拍手を!」
教皇の号令が発せられると共に、広場は手を打ちつける音で一杯になる。
中心の騎士たちだけではない。
群衆の中の都市民や巡礼者、その誰もが素直に称えようとする感情で拍手を送っている。
「〈静粛に!では続いて…〉」
教皇は拍手を止めると、次の子供に前方へ出るように、脳内で慈しみを感じるような美しい声色で促す。
どうせこれ以上居てもまた同じ光景が繰り返されるだけだろう。ルーシアはそう考えると、踵を返す。
広場で再び鳴り響く拍手の音を背景にしながらその場を後にした。
※※※※※※
「おや、こんなに早く出国だなんて珍しいですね?」
「商談も巡礼も、スムーズに済みましたもので」
「衛兵の私が言うのもなんですが、この国をもう少し楽しんだらどうですか?例えば食事とか」
「ええっと…米食に大豆食品が有名でしたか?」
「そうですね。値は張りますが、他所では流通しない上に美味しいですよ。私も祝い事の時は奮発して食べますし」
去り際、ルーシアは衛兵に呼び止められる。
数ヶ月後にはまた来ることになるだろうが、幾ら滞在期間が短くとも、多少は哀愁を感じる。
特段急ぐ用も無い。少しぐらいは雑談しても良いかと考えて、衛兵と会話を興じることに決めた。
「うーん、そこまで食事に頓着が無くてですね。確かそれらの食事は神聖なものなんでしたっけ?」
「聖者様が好まれていた食事だそうですよ。味が独特で普段食べようとまでは思いませんが」
「成程、次訪れた時はぜひ食べてみたいものです」
食事、と聞いてルーシアはレッツェを思い出す。彼女の悪癖は大丈夫だろうか。
恐らくルベンらが居るから平気だとは思うが心配で堪らない。
「そうそう、商人さん。あなたのスキル〈収納〉でしたっけ?羨ましい限りです」
「羨ましい?何がだ?」
「実は私はスキルも適性もあまりパッとしなくて…。だから衛兵になっちゃったんですよ。戦時も予備軍扱いですしね」
「…そうか、適性と職が合うことが羨ましいと思うのか。あと今の発言は大丈夫なのか?」
「ええとても。今のは自分に対する嘆きなんで平気ですよ!では商人さん、道中はお気をつけて!」
ああ、と一言だけ返す。
ルーシアは振り返ることは無かった。
「…俺だって本当は商いをしたかったわけじゃ無い。ただ自分の才能に合っていただけの話だ」
本心でやりたかったのは――
衛兵の姿が地平線に消えてからボソッと一言、愚痴を吐くようにして呟いた。




