稀人
「………ん」
目を見開くと見知った天井、自室の天井であった。体を起こして状況を把握していく。些細なことまで思い出していく過程で、ふと長い夢を見ていたことにも気づくが、何も思い出せないために思考から外す。夢を思い出せないのはしっかりと眠れた証だ。
感覚的にもう熱は治ったが、取り敢えず早急に何か食べる必要がある。寝てから既に半日近くも経っている。流石に作る気にはなれない。何か買おう。
草臥れた高校ジャージのポケットにゴミの散乱する部屋から見つけたスマホと財布を入れてドアノブに手をかける――
「――――――っっ!」
突然身体の異変を感じる。目は立ち眩み、平衡感覚を保てないままその場に倒れる。まだ残っている意識が頭の痛みによって齎された異常であると伝えてくる。
――痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い
焼け付くような痛み、張り裂けそうになる痛み
必死で意識を保とうとはするが、病み上がりの体調で抗えるはずもなかった。
身体はまだ異常を残していた、まだ安静に寝ておくべきだった――
そんなことを考えながら、最後に彼、平良祐治は身体が落下する感覚を最後に意識を手放す寸前に――
何処か、何処とも知れない遠くで怨嗟に満ちた声を聞いた――
〈私はこの物語を認めない――〉
※※※※※※
「…何処だここは」
覚醒した時、そこは倒れた玄関では無かった。ジャージを着ていて、ポケットには財布とスマホだけ。身の回りは倒れた直後の状況そのままであった。
地表は殆ど整備されていない雑草塗れ、周辺は木々が生い茂っていて薄暗い、木々の間から僅かに射し込む日差しが辛うじて祐治に時間が日中であり、ここが林中であることを知覚させる。
然し同時に当たり一面の樹木が見たことも無いような歪曲した奇形であること、雑草も青色赤色と色彩に富んだ異常であることに気味悪さを感じる。
一先ず状況を整理する。恐らく半日以上意識を失っていた。場所は不明だが、移動している。ここから考えられるのは夢であるか、何かしらの事件に巻き込まれたか――
「――――っ」
背後で何かが唸っているのを聞いて即座に振り返る。振り返ると一匹の狼が立っていた。ドキュメンタリー番組で度々見かけるようなニホンオオカミのようなサイズ感ではない。尻尾だけで平均的にはある祐治の身長に匹敵する、全身を見ると自動車と同じぐらいあるのではないか。眼光は此方を獲物と決めているかのように鋭く、口元からは涎が一筋垂れている。
先程まで思考する事に夢中だったために気づかなかったが、もう狼は走り出して目前にまで迫っていた。
不味い、不味い、不味い、不味い――
先程の状況把握は全て外れ。夢の中で見るような植生も、迫り来る巨大な狼も、全てが現実とは思えない。多分――
だが今は目前に迫る巨大狼への注力するのが先だ。しかし狼の口は目前、喉奥からは血生臭い匂いが漂っている。視界の大部分は鋭利な牙とその奥の暗闇で占められ、もう出来る事はないと悟る。ただ怯え、竦み、食べられるのを待つだけだろう。
祐治は帰りを待つような家族・知人は居ない、そういった心配をする必要はないという安心が咄嗟に脳裏を駆け巡るが、同時に死ぬということへの恐怖も感じていた。
もうダメか。
死ぬしかないと分かってうずくまった刹那、一振りの
光――
いや剣が牙に当たり、甲高い音を響かせる。
「良かった…危ないところでしたが間に合いました。」
そのまま鎧姿のシルエットが割り込み、あっという間に喉奥に剣を突き刺す。
狼は食事の邪魔をされた上、あまつさえ新たな乱入者の攻撃を受ける。しかしそれを歯牙にもかけず、割り込んだ騎士を剣と共に砕こうと、再度噛みつこうとするが、それは叶わなかった。
「〈遍く脅威を払え〉」
騎士が御伽噺のような文言を発すると、喉奥に突き刺した剣が赫赫と光輝いて口から漏れ出す。そのまま喉笛からは無数の光線が飛び出ると共に鮮血が噴き出し、地表を赤く濡らす。そのまま狼は地べたに倒れ伏せた。騎士は剣を拭いて鞘に収めると、此方に駆け寄ってくる。
「…そこの方、怪我はありませんか?」
「…大丈夫です。…危ないところを助けていただきありがとうございました」
騎士の心配に対して、祐治は辿々しく当たり障りのない返事をする。危機を脱してやっと落ち着いてきたので乱入した騎士を観察するように見る。その鎧は騎士のボディーラインを全く出さずに、全身を覆って純白に輝いている。鞘に仕舞われた剣からはただならぬ雰囲気を周囲に発している。左手の重厚で精巧な紋様の施された盾は、祐治が使えばその重量に振り回されてしまうだろう。そんな騎士は祐治より数センチ小さい、声も中性的で同年代のような若さを感じる、だがそれでもこれら武具を自在に扱ってみせた。まさに御伽噺に出てくる騎士の佇まいであった。
そんな騎士は兜を脱いで、再び目線を合わせる。
透き通るような長い金髪、優しげだが確かに強い意志を感じさせるアイビーブルーの眼、高貴さと妖艶さを兼ね備えた顔立ち、上部が鋭く尖った長い耳――
既知の言語で表すなら騎士はエルフであろう。体のパーツが諸々中性的ではあるが、意識と感覚はその騎士が男性であると告げている。
「私はオリヴィエ・パペーネ、冒険者をやっているしがない者です。…あなたは?」
そんな西洋的な外見をしたエルフが発した挨拶は日本語であったし、口の形もはっきりと日本語。本来ならば、祐治はそれに疑問を覚えるべきだろうが、安心感から、そうした疑問に気づくのは先の話となる。
しかし、此処は何処なのか、という一番の疑問だけは直感的に解消する。自動車にも匹敵する丈を持つ巨大狼、先程の剣先から迸って喉元を切り裂いた光、目前のエルフ、間違いなく異世界だろう。
祐治は少し逡巡してから名を伝える。
「僕の名前はユージン・フラットです。…街に向かおうとした途中、迷ってこんなところまで来てしまいました」
名前はネットゲームで使っていた、本名を捩った西洋風のものに、襲われた経緯も当たり障りのない無難な回答になるよう努めた。
あまりに目的が不明瞭すぎる。勿論、このエルフが御伽噺に出る騎士のように高潔な性格で、その性根から、咄嗟に見知らぬ人であるはずの祐治を助け出したということは考えられる。だが何か邪な打算や目的があるという可能性も拭い切れない。そもそも人となりを何一つ把握できていないのだ。
そうしたことを踏まえると、ユージンは異世界から来た事や自身の情報は出来る限り隠すべきだと判断した。
「フフッ…」
「……!?えっと騎士…様?」
「ああ失礼…珍しい名前だなと思いまして。それと私のことはオリヴィエと呼んでください。」
オリヴィエのふと浮かべた微笑はユージンに並々ならぬ不安を植え付けた。珍しい名前だからと聞いて安堵したものの、その不安からは微かに違和感を覚えた。
「それとその衣服、あまり見かけないものですね。もしかしてユージンは異世界から来た者ではないでしょうか?」
――……!!
咄嗟に後方へと飛び退いて、いつでも逃げれるように姿勢を取る。オリヴィエへ微かに寄せていた信頼は一気に不信へと傾く。勿論まともに戦えば寸刻で決着はつくだろう。もし襲ってくるのであれば、この場から逃亡するしかない。全く右も左も分からない森の中、病み上がりの身で逃げ切れる気はしないが。
「そんなに警戒しないでください。私自身まだ確証が持てないのです。…ただあなたの風変わりな服装、この僻地に偶然迷い込んだというのはおかしな話です。それを踏まえて、勇者降臨の伝承をたった今私は目撃したと判断したまでです。」
「勇者降臨…?」
「今この世界は魔王の侵略に遭っています。そして魔王が現れる時は、決まって異世界から勇者が現れるという話です。」
出来すぎた話だ、とは思う。まるで初めから狙っていたかのようなタイミングで現れて狼を切り伏せたことといい、僅かな情報で異世界人と看破した事といい、胡散臭い伝承といい――
「……僕は本当に勇者なんですか?」
「少なくとも私はそう考えていますよ?もし本当に勇者ならあなたと共に冒険し、魔王を討伐したいとも考えています」
「…分かりました。オリヴィエ、今は貴方しか頼れる人がいません。煮るなり焼くなり好きにしてください。」
「煮るも焼くもしませんよ…まずはこの森を抜けましょうか、ほら立って。」
逃げてもそれが成功する確率が限りなくゼロならば話に乗るべきだ。ユージンはそう判断してオリヴィエが差し出した手を取った後、宜しく頼む、と軽く握手を交わした。
※※※※※※
その後オリヴィエは荷物をユージンに任せると、巨大狼を小さいが切れ味は良さそうなナイフで丁寧に解体していく。荷物を任されたのは、持って行かれても直ぐに取り返せる判断してのことだろうか。それとも何かしら信頼でも寄せられているのだろうか。ユージンは不可解に思いながらも側で見守る。
その最中、ユージンは解体の邪魔にならないように先程の戦闘――魔法について気を配りながら、手の動きが緩やかになったところで聞いていく。
それに対してオリヴィエは悠々と、作業なんて片手間とばかりに、魔法とは、と答えていく。
「魔法というのは体内・大気といった、周囲の魔素を掻き集めることで引き起こす行為のことです。世界にイメージを願い、魔素を操作して構築するのです」
「イメージ…?なんというか抽象的なものですね…?」
「近隣諸国の学術機関では学問として体系化していると聞きますが…私はそういったことにはサッパリでして。ただイメージというのは間違ってはいませんよ。詠唱に各々の願いを込めて発動する、それが魔法です」
願い?イメージ?あまりにも大雑把すぎるとユージンは頭を抱える。確かにこの騎士がそういった『学問』としての魔法を学んでいないだけかもしれない。だが騎士の身につけた鎧や剣は素人目で見ても高価そうな、業物のような印象を受ける。そうした身分の者が学問に通じていないというのはよく分からない話だとユージンは思う。
一応魔法にそれぞれ固有名称や詠唱があるかどうかという、魔法に対して偏見として持っていたイメージも聞いておく。
このイメージは現代のRPGゲームから由来するものだ。大抵のゲームは名称のついた魔法を、自身の身に宿した魔力――此処では『魔素』か、それを消費する事で比較的安定した効果を生むという認識がこの先入観を形成していた。
「学問としてだとそういったものを教えていると聞いてます。同じ文言・同じ名称を用いる事で、誰でもある程度取り回しの利く魔法を習得することが期待できるそうです。更に最近だと詠唱も無く発動できる魔法も導入されていると聞いています」
「そんな便利なものがあるならオリヴィエは何で使わないんですか?」
俗に言う「無詠唱」魔法のことだろう。単純に口で喋りながら魔法を発動するよりも、何も発せずに発動した方が圧倒的に便利だろう。疑問に思って聞くと、
「私は教わってないですし、そもそも形式化されることで願いが弱まってしまい魔法の効果は弱くなります。各人の適性や練度も関係はしますが、最も大切なのはどれだけ「願い」を強められるかという事です。与えられた借り物の言葉ではその人が真に願ったとは言えないので。……っと、待たせて申し訳ありません。解体が終わったので森を抜けましょうか。」
他にも聞きたいことは山ほどあったが一先ず打ち切る。オリヴィエの言う通り危険な森を抜けて身の安全を確保するのが第一だ。
※※※※※※
オリヴィエは恐らく相当な実力者だろう。道中は先の巨大狼よりかは一回り小さい、それでも人の高さに匹敵するほどの狼や蜘蛛などが襲ってきたものの易々と一刀で斬り伏せていた。ユージンがオリヴィエと同じ装備を使ったところで同様の結果を得られるとは思えない。魔物たちもそこそこの速度で駆けていて、的確に剣を当てれるかと聞かれたら難しいと断言できる。寧ろ何もできないままやられてしまう予感すらあった。
倒した動物の解体作業は同様に手慣れたものであり、部位と体内の宝石を取り出して仕分けた後、大部分の遺骸をそのまま残したまま再び歩み始めた。
「肉体はそのままでいいんですか?埋めたりとかは?」
ユージンは当然のように湧いて出た疑問を口にする。
「魔物の大部分は時間が経てば、凡そは魔素となって自然に無くなりますよ」
勿論人里近ければ腐敗臭が気になるので埋めますが、とオリヴィエは思いついたかのように直後付け加える。
魔物とは動物とは異なり、魔素の濃い地域に偶発的に発生するものだという。彼らは生殖能力を有さず、まるで最初から居たような、存在していることが当然であるかのように出現するという。そしてその魔物の核には大量の魔素を宿した魔石が存在している。魔石―魔物の体内から取れる宝石や角や牙といった部位は街の商店で換金することが出来るとのこと。オリヴィエは大した額にはならないと言っていたが、どう考えてもあの自動車ほどのサイズを持つ狼の魔石が「大した額」と形容できるような代物であるとは思えなかった。
こんな雑談を交える程度には余裕があり、道中大した障害もなかった。こうして陽が落ちる迄には街道まで抜けることができた。
森の中ではファンタジー世界だと実感させられるような、奇怪な色合いや形をした植物や普通とは異なるスケールの動物がいたが、街道に出る頃にはそういった情景は目の前から失せていた。所々に生えた樹木の葉は緑一色であり、枝葉もこれといった目につくような特徴を持っていない。現代でも田舎に行けばこういったものが見られるだろう。
「ここまで来ればもう安全です。偶に野盗が襲ってくることもありますが、王家が直轄しているこの街道ならば基本的にはあり得ない話です」
「街まではあとどのぐらいかかりますか?正直もう疲れて……」
「数刻もあれば着きますよ。もう少し頑張りましょう」
「ああ…街に着いた後はどうしますか?もう分かれても…」
「遠慮する必要はありません。先ほども言いましたが、私と共に冒険者になりましょう。どうせ他に行く当てもないのでしょう?」
ユージンは少し逡巡すると、その通りです、と頷きながら覚束ない足取りでオリヴィエの背を追う。
冒険者、聞くからに不安定そうな職に就くかはともかくこの世界の事を殆ど何も知らない。寧ろ現代に戻れるなら戻りたいところだ。向こうに特別やり残したことがあるわけではないが、だからといって此方の異世界で何かやりたいことがあるわけでもない。魔法や魔物と聞いて胸が躍らないかと聞かれれば嘘にはなるが、此方の勝手も知らないまま過ごそうとは思わない。命の危険すらあるだろう。だが――オリヴィエの方に目をやる。
「どうしましたか?」
「いや何でもないです…」
視線に気づいたオリヴィエが怪訝な目をしてユージンを心配する様子に、ユージンは少しバツの悪そうな顔をして返事する。
ユージンとしてはここまで助けてくれたことに恩を感じているが、更に手助けしてもらえると聞けたのは素直に嬉しい。彼、オリヴィエは何故かは分からないが積極的に助けようとしてくれる、現状唯一頼れる存在だ。続けるかはどうかとして、取り敢えず彼に従って冒険者になるのが良いだろうと判断する。現代に戻るにしても、その手段を探すためには食い扶持を稼ぐ必要はある。だが勝手の分からないここで一人放り出されて、適当な職に就けるとは思えなかった。
僕はオリヴィエにそういえば、と続ける。
「一応、僕は勇者なんだろう?勇者はふつう冒険者になるものなのか?」
「実は最近勇者を騙る者が多く出現しています。そのためこの王国統治下においては、真の勇者は冒険者になって実績を作ることが推奨されています。勇者であるなら実力も相応のものだと判断したのでしょう」
間違ってはいない。名声や巨万の富を求めて名や爵位を僭称する野心家がいるのは向こうの世界の歴史を見ても明らかだ。異世界でも人の発想は変わらないらしい。
「だからまずは冒険者になることです。あなたにとって幸いなことに、これでも私はそこそこ有名な冒険者です。どうですか?今なら目の前の優良物件が進んで協力しますよ?」
そう言ってオリヴィエはウインクする。凡人がやればキザなやつだと笑い飛ばすが、顔が整っているせいで思わず男のユージンでも惚れそうなほどには、ただカッコいいだけになっている。
「…此方から是非お願いしたいです。僕自身この世界を何も知らないし、行くあてもありません。これからよろしくお願いします」




