3.女神
「えっ!?」
「良い物を作れば売れる、そう思って続けて来ましたが⋯⋯私の作る剣なんて、誰も望んでない。それがわかりましたから」
「そんな事⋯⋯」
無いです、とハッキリ言えなかった。
彼の言葉を、俺自身がこの一年で『証明』してしまっていたからだ。
「本当は、もっと早く辞めようと思ってたんです。でも、アッシュさんが一年前『あなたの剣を売りたいです!』って来てくれた時、本当に嬉しかったです。それまで、武器商人ギルドの方は誰も、そんな事言ってくれなかったから」
「⋯⋯」
「あと、アッシュさんには言って無かったですが⋯⋯」
「⋯⋯はい、なんでしょう」
「実は『工房支援制度』で、匿名で出資して下さった方がいらっしゃるんです。その方に配当も出せず、支援金がただただ減っていく状況が申し訳なくて⋯⋯」
⋯⋯知ってます。
それ、俺です。
冒険者時代の貯蓄から出資してます。
ベルンさんの技術を廃れさせるのは、大きな損失だと信じてるから⋯⋯。
「それで、せめて恩返ししたい、配当を出したい、と、その気持ちでこの一年やってみましたが⋯⋯やっぱり私の武器は古い、それがわかりました。他の職人みたいなデザインセンスもありませんし」
「そんな事ありません! 俺は、ベルンさんの剣が持つ、美しさを知ってます!」
「美しさ?」
「はい、それは機能美です。無駄を削ぎ落とした、斬る事、長く使うことに特化した剣。それがベルンさんの作る剣の魅力です!」
俺が言うと、ベルンさんは驚いたように目を見開いていたが、やがてクスッと笑った。
「本当に⋯⋯アッシュさんは変わらないですね。剣の事を語る時だけ、一年前と同じで饒舌になる」
「なら⋯⋯」
もう少し待って欲しい、そんな我がままを俺が口にしかけた時、ベルンさんが言った。
「ひと月待ちます。それまでに一本でも売れれば⋯⋯考えてみます」
ひと月。
それは奇しくも、俺がクビになるまでの期間。
「⋯⋯わかりました」
「あ、でも、アッシュさん、無理はしないでくださいね? 他に優先する事があれば、そちらをやって貰えれば結構ですよ。私なりに、気持ちの整理はついてますから」
「⋯⋯はい」
「結果として、出資者の方を裏切るのは心苦しいのですが⋯⋯これ以上ご迷惑をかけるわけにもいけませんし⋯⋯」
「わかり、ました」
頭を下げ、工房を後にする。
このひと月で、ベルンさんの武器を売りたい。
初めての成果を、彼の武器で達成したい。
その気持ちは強い。
──でも。
それをやっていると⋯⋯結局剣は一本も売れず、俺はクビになるかも知れない。
どうするべきなのか。
ベルンさんはそもそも、もう少し早く辞める予定だった、と言っていた。
じゃあ仮に、今さら剣を一本売った所で、彼にへんな未練を植え付ける事にならないだろうか?
ベルンさんは、もう気持ちの整理がついている、とも言っていた。
ならば、いまさら剣が一本二本売れたところで、ついた気持ちの整理を、乱す事にならないだろうか?
ならば俺は、やっぱり他の剣で営業する事に、自分のクビを賭けるべきなのでは?
そんな事を考えていると、俺は自分の失態に気が付いた。
「あ、手ぶら⋯⋯」
ベルンさんの工房に、営業資料などを入れた鞄を忘れてしまっていた。
慌てて来た道を引き返し、工房を覗くと、まだベルンさんはそこにいた。
声を掛けようとしたのだが⋯⋯。
ベルンさんは俺に気付く事なく、ただ、じっと自分が作った剣を見ていた。
その雰囲気に、俺が話しかけるのを躊躇っていると、ベルンさんがしみじみとした様子で呟いた。
「⋯⋯続けてぇなあ」
「⋯⋯」
気付かれないように足音を消し、そっとその場を離れる。
歩きながら、自分の不明を呪った。
俺はとんでもない馬鹿野郎だ。
気持ちの整理がついてるなんて言葉を鵜呑みにして、それを言い訳にしてしまうところだった。
ベルンさんは単に、俺に気を使っただけだ。
仮に売れなかったとしても、俺が変に悪気を覚えないために。
俺が──頼りにならないから!
ベルンさんの剣をずっと見てきた俺なら分かるはずだった。
彼が、どれだけ物作りに細心し、心を砕き、情熱を注ぎ、取り組んできたかを。
そうじゃなきゃ、あんな剣は作れない。
そんな職人が、道を諦めるなんて簡単に割り切れるわけがないじゃないか。
──決めた。
これからひと月。
俺とベルンさんは一蓮托生だ。
彼の剣を売るために、俺は全力を尽くす。
背中の傷は剣士にとって恥。
事を成し遂げられず、クビを切られるにしても──それは前を向いて、だ!
「よし⋯⋯やるぞ!」
ひとりで宣言をしたのち、気合いを入れ直そうと考え、俺は『女神』に会いに行く事にした。
────────────
本来女神がおわす場所に、その姿はなかった。
女神のいる場所、俺にとっての神殿──ヘレナさんが経営する花屋だ。
この時間ならいつもまだ開店しているはずだが、今日は閉まっていた。
「定休日じゃないはずだが⋯⋯」
俺が女神不在に立ちすくんでいると、後ろから声を掛けられた。
「あっ! アッシュさんご無沙汰してます!」
振り返ると、そこに女神は降臨していた。
花屋の店主、ヘレナさんだ。
ヘレナさんとの出会いは、およそ一年とちょっと前。
師匠の墓に手向けるための花を買おうとここを訪れ、その時に一目惚れしてしまった。
しかもヘレナさんは美人というだけでなく、人と話すのが苦手な俺の言葉にも真摯に耳を傾けてくれるという、優しさも兼ね備えている。
それまでの俺は部屋に花を飾る習慣など無かったにもかかわらず、それ以来ここで頻繁に花を買うようになった。
ここ最近は仕事で走り回っていたので、あまり来れなかったが⋯⋯。
「あ、へ、ヘレナさん、こににちは」
「ふふふ、アッシュさんったら。こににちはになってますよ」
やんわりと指摘しながら、彼女が笑う。
ああ⋯⋯。
華やいだ彼女の顔を見ていると、気合を入れるために来たはずなのに、心が弛緩しそうだ。
いかんいかん。
とりあえず、ちょっと気になった事でも聞いてみよう。
「ヘレナさん、今日はお休み、ですか?」
「いえ⋯⋯あの、うーん」
「?」
「ちょっと娼館に所用がありまして、その」
「ああ、そうなんですか、娼館に⋯⋯娼館!?」
え? なんで?
なんでヘレナさんが娼館に?
まさか⋯⋯。
実は花屋の経営は上手く行ってなくて、もう閉めるとか!?
で、ヘレナさんは借金を返すために、自身を娼館に差し出すつもりとか!?
ダメダメダメダメダメ、そんなの許さん!
そりゃあ、ヘレナさんが娼婦になれば、人気出ちゃうよ?
俺なんて週に30回は通っちゃうよ?
でも、他の男にヘレナさんが⋯⋯ああああああっ!
想像だけで死ねるッ!
ヨシッ! 決めた!
冒険者時代の貯蓄はそれなりにあるし、そんなことになったら俺が初めての客になって、速攻で彼女を身請けしてやる!
⋯⋯じゃなくて!
そもそも娼婦になんてならなくて済むように、俺が花屋に出資する!
「だ、だめです、ヘレナさん、その、娼館なんて」
ああ。
心の中の言葉が上手く言えない!
俺があわあわと慌てていると、ヘレナさんはきょとんとした表情を浮かべたあと⋯⋯。
「やだアッシュさん、何か誤解してますよ。私は配達と集金に行っただけです」
「配達? 集金?」
「はい。私のお店の花を、娼館に置いてもらってるんです。お客さんから、娼婦へのプレゼント用に。それに、娼婦の方々にはお客さんに花をお強請りして貰って、それで売り上げた分は、彼女たちに謝礼をお支払いしているんです」
「な、なるほど⋯⋯」
確かに花というのは、男が女に贈るものの定番の一つだ。
娼婦から欲しいと強請られれば、買ってしまう男も多いだろう。
娼婦たちからみれば、それでちょっとした小遣い稼ぎにもなる、ということか。
「最近考えたんです。どうですか? 私のアイデア」
褒められるのを待つ子供のように、目をキラキラさせながらヘレナさんが聞いてくる。
「す、凄いと、思います」
お世辞じゃなく、そう思う。
アイデアもそうだが、実際それを行動に移すのも、なかなかできないことだ。
「ただ当たり前にお客様を待って、花を売るだけだと⋯⋯いつまでもお店を大きくできませんから」
「大きく、したいん⋯⋯ですか?」
「はい。私は花が好きですから。そのうち支店とかも出して、みなさんに花の良さを勧めたいんです。それに⋯⋯花を育てるのは、商売に通じてると思うんです」
「商売に?」
「ええ。種を蒔かずに焦って水を注いでも、花は咲かないでしょう?」
「ええ、そうですね」
「だから私たちが日々考えるべきは、どう種を蒔くか、そしてそれをどう育てるか、だと思います」
偉いなぁ、ヘレナさんは。
ただ毎日同じ事をするのではなく、そんな事を考えて、新しい事を⋯⋯。
⋯⋯ん?
それじゃないか? 今の俺に足りないのは。
この一年、武器屋の挨拶回りという、習ったことをそのままやって、何の成果も出せなかった。
他の武器を売るならともかく、俺が売りたいのはあくまでもベルンさんの剣。
その条件に絞れば、ここからひと月同じことを続けて、それで仮に武器が売れたとして、それは恐らく運だろう。
俺がやってるのはまさに、種が無いところに水を撒いてるんじゃないか?
俺はさっきまで、なんとか一本、ベルンさんの剣を売りたいと考えていたが。
仮にそれで一本売れて、俺のクビが繋がって、ベルンさんが引退を撤回したとしても、だ。
遅かれ早かれ、またベルンさんは引退を考えるんじゃないか?
そうだ。
このままじゃあ、ダメだ。
ヘレナさんを見習って⋯⋯ベルンさんの剣が継続的に売れ続けるように、何か新しい事を始めないと!
気が付いた時には⋯⋯。
新しい気付きを与えてくれた感動に、俺は思わずヘレナさんの両手を、胸の前で抱えるように握っていた。
「あ、あの、アッシュさん⋯⋯?」
しまった!
反射的に行動してしまった!
でも⋯⋯興奮が抑えられず、そのままヘレナさんに語りかけてしまう。
「ありがとうございます、ヘレナさん! あなたのおかげで、俺、また次に進めそうです!」
「⋯⋯また?」
「あ、いや、それはこっちの話で⋯⋯」
まだ早い。
この気持ちを伝えるのは。
俺は慌てて手を離すと、ヘレナさんはしばらく考え事をしている様子だったが、やがて微笑みながら言った。
「何かお役に立てた⋯⋯って事で良いですか?」
「は、はい、いつも、お役に立てまくってます!」
「ふふふ、変な言い回し」
「え、あ、へへへ⋯⋯」
「じゃあ⋯⋯お礼をお強請りしても良いですか?」
「は、はい、俺が出来る事ならなんでも⋯⋯」
「ふふ、では⋯⋯」
俺が返事を返すと、ヘレナさんは俺の手を引き、彼女の店の方へと歩きだした。
さっきまで店の主が外出していたため、お店の入り口ではなく、脇の扉から中に入る。
店頭にある来客用の大きな扉は閉まったままなので、花が咲き乱れるスペースで、二人きりになった。
人目が無い空間で、女神とふたり。
ドキドキしてしまう。
「アッシュさん⋯⋯」
「あ、あの、お礼って」
俺が聞くと、彼女は俺から手を離し、そこにある花、その全てを紹介するように手を動かした。
「良かったらこの中から⋯⋯私に似合いそうなお花を選んでください」
「花を?」
「はい、私⋯⋯アッシュさんが、私のために選んでくださったお花を⋯⋯お部屋に飾りたいんです」
そう言って彼女はニッコリと笑った。
ああ。
彼女は⋯⋯やっぱり最高だ。
素晴らしい営業トーク!
ヘレナさんにそんなこと言われたら、花を買わない男なんていないよ。
勉強になるなぁ。
どんな時でも花を売るのを忘れてない、さすがだ。
花の値札を見ながら、合計額をざっくりと計算しつつ、頭の中で、冒険者時代の貯蓄額と照らし合わせる。
うん、余裕でいける。
「じゃあ、全部ください。全部似合うんで⋯⋯」
「そ、そこまでしなくて良いですっ! そもそもお部屋にこれ全部置けないですっ!」
⋯⋯感謝の意を、これでもかと込めようと、俺が店の花を全部買おうとしたら止められた。
(なるほど、客から一気に搾り取るのは避けるべきということか、やっぱり勉強になるなぁ)
などと関心しつつ──赤い薔薇を選び、彼女に贈った。