1.引退、そしてクビの危機
俺が信奉する女神は言った。
「好まれる男性のタイプ⋯⋯やっぱり第一条件になるのは、安定した仕事に就いている、ということになるのでは?」
女神は続けた。
「冒険者⋯⋯ですか? 詳しくは存じ上げませんが⋯⋯不安定そうなイメージが先行しますね。女の人はやっぱり、しっかりした仕事をしている人と結婚したいんじゃないかな、って思いますけど」
女神から託宣が下された、その日。
剣一筋に生きてきた俺──アッシュ=バランタインは、冒険者引退を決意した。
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「アッシュ君」
「⋯⋯は、はい」
「今、君が着ているそのスーツ、原資はなんだね?」
「こ、これは⋯⋯」
国内最大手である『ガルシアン武器商人ギルド』の支部長室で、部屋の主であるカイラークさんから発せられた質問。
俺は反射的に『冒険者時代の貯蓄です』と答えそうになるが、思いとどまる。
それは支部長の望む答えでは無いだろう。
ここに就職し、ギルドの営業職として過ごすこと一年。
生来、人との意志疎通が苦手な俺でも、少しは相手が何を伝えたくて話をするのか、という事がわかり始めていた。
おそらく支部長が望む答えは──。
「給料です、支部長」
「そうだ。良くわかってるじゃないか」
「は、はい」
どうやら正解だったようだ。
相手が望む答えを用意できたことに安心する暇もなく、カイラークさんは言葉を続けた。
「ではアッシュ君。給料は何から支払われるか、は、理解しているか?」
「⋯⋯ギルドの売上から、です」
「ほう。わかってるじゃないか、素晴らしい!」
「ありがとうございま⋯⋯」
「これは皮肉だよ、アッシュ君!」
「す、すみません!」
支部長の叱責に、反射的に謝罪を述べる。
うーむ、ここで言うべきはお礼じゃなかったか。
ヤッパリ難しいな、人と会話するの⋯⋯。
支部長の言葉は、剣に例えるならうまく間を外した、奇襲攻撃のようだ。
そのまま、支部長の言葉は続いた。
「君がここに就職してから、受け取った給料はいくらだ!」
「に、二百四十レーシアです!」
「君がこれまで売った武器の売上は!?」
「ぜ、ゼロです!」
「ゼロから二百四十を引くと!?」
「マ、マイナス二百四十です!」
「そうだ! つまり君は、ギルドに二百四十レーシアの損害を与えた! こうやって、私が君に使う時間を含めれば、さらに損害は加算される!」
「⋯⋯はい」
支部長の給料には、俺のような出来損ないを指導する、教育コストも当然含まれているだろうから、それを俺のせいみたいに言われるのも困るが⋯⋯。
「なんだ? 納得いってない感じだな?」
「い、いえ! 支部長の仰る通りです!」
これだ。
今は現場の営業から一線こそ退いたとはいえ、支部長の『相手の様子から、内心を察する能力』はずば抜けている。
俺も剣の修行時代、相手の表面に現れる僅かな変化から心理状態を察し、そこから相手を斬るための最善手を選択する事を心掛けていた。
一流の商人が持つ洞察力は、剣の達人に通ずるものがあるのだろう。
まあ俺の場合、それが発揮されるのは戦いの場だけだが。
俺が支部長の人間観察力に、改めて感心していると⋯⋯。
「この場に関係ない事を考えるとは、ずいぶんと余裕だなアッシュ君?」
いや、この人凄すぎんだろ。
俺の思考が脱線したのを見逃さず、支部長は釘を刺してきた。
「も、申し訳ございません⋯⋯」
「いいかね? 私はこの一年、自分でいうのもなんだが、とても忍耐強く、君に接して来たつもりだ」
「⋯⋯はい」
そうかなぁ、結構怒鳴られてるけど。
俺が頭の中に反論を浮かべると、支部長の目つきが鋭くなった。
「文句でもあるのかね?」
「い、いえ、ありません!」
怖えぇ。
俺の心がすぐに見透かされてしまう!
まるで、防御不能の攻撃だ!
支部長は気を取り直したように「こほん」と咳払いすると、さらに言葉を続けた。
「だが、私の忍耐にも限界がある」
「⋯⋯はい」
「もし今月、君が売り上げゼロを更新するようなら⋯⋯クビだ」
「⋯⋯え?」
「聞こえなかったか? このままだと君はお払い箱だ」
く、クビ?
やばい、せっかく就職してここにも慣れてきた⋯⋯まぁ、全然売れてないんだけど。
クビは困る。
俺はここで一流の営業マンになって、しっかりしたキャリアを積み重ね、安定した職責に付き、俺の『女神』にプロポーズしたいのだ。
「そ、そんな、どうすれば?」
思わず漏れた俺の言葉に、支部長はピクリと不機嫌そうに眉を歪めた。
「どうすれば? 私ならどうするか⋯⋯ということでいいかね?」
「はい、是非⋯⋯」
俺が支部長に聞くと、彼は再び「こほん」と咳払いしたあとで、叫んだ。
「『失礼します!』と挨拶して、さっさと商品を売りにいけぇ!」
「は、はいっ! 失礼します!」
支部長の言葉を参考にして。
俺は挨拶するやいなや、まわれ右して駆け出した。
「おっ、アッシュ君いらっしゃい」
馴染みの武器屋に入ると、店主が挨拶してくれた。
「お、おじゃま、します」
「で、また、『例の職人』の武器持ってきたの?」
「は、はい」
店主は俺の返事に、苦笑いを浮かべた。
俺が所属する『ガルシアン武器商人ギルド』は、店と武器職人のマッチングが主な仕事だ。
今やってるのは一方の取引先である、武器屋への挨拶回り。
俺が担当するのは『受注』と『集金』。
自分が推薦する武器を取り扱って貰うよう店に交渉し、売れたらその代金を集金する。
まあ、まだ売れたことがないので、集金したこともないが⋯⋯。
その最初のステップとして、武器職人が用意したサンプルを店に持ち込み、商品の売り込みをかける。
武器職人の多くは口下手で⋯⋯って、俺も人の事は言えないが、とにかく売り込みが下手だ。
それに、武器の作成はとにかく時間がかかる。
だから手間を省くために、俺たちが彼らに代わって商品のプレゼンを行うのだ。
最終的に、店に武器が納入できれば、手数料を引いて武器職人へと集金した売上を渡す、という流れになる。
定期的な納入実績ができれば、定期的な手数料収入になるので、トップセールスマンになると一流冒険者ほどではないが、多額の歩合給を貰っているらしい⋯⋯俺はもちろん、今のところゼロだが。
俺がサンプルのロングソードをカウンターに置くと、店主は呆れたように言った。
「こりないねぇ、アッシュ君も」
「はい、でも、良い武器なので⋯⋯この剣⋯⋯刀身に二種類の⋯⋯」
「わかってるわかってる。何度も説明受けたからね。いつも来てくれるし、買って上げたい気持ちはあるんだけどさ」
「な、なら!」
「でもやっぱり、新人冒険者向けの、ウチに置くには高いよ」
「そうですか⋯⋯」
途中、悪い雰囲気ではなかったが、結局やんわりと断られて肩を落とす。
俺が持ってきたのは、武器職人であるベルンさんが作った剣。
何を隠そう、俺が現役時代に使っていた剣こそ、このベルンさんが作ったものと同型だ。
見た目こそ無骨で、飾り気がない、どこにでもあるロングソードに見えるが、しっかりとした重心、切れ味、長く使える耐久性など、優れた剣士ならその良さに気付ける逸品だ。
俺からすれば『むしろこの値段で買えるのは破格』とも言える代物。
現役時代、俺はベルンさんの剣に何度も命を助けられた、まさに苦楽を共にした相棒。
だから、俺は自分が最初に売る武器は、ベルンさんの物と決めているのだ。
「それにねぇ、今は『腰元のオシャレ』なんて言われてて、腰に差した時の、見栄え重視の冒険者も増えてるからね。これなんて見てみてよ。新人冒険者に飛ぶように売れてるんだよ」
そういってオヤジさんが渡して来たのは、最近流行だという剣だ。
「新進気鋭の武器職人、シャルネスの新作さ。このデザイン性で、君が持ってくる武器の半額で買えるんだ」
オヤジさんから受け取った武器を、剣士としての視点で見定める。
⋯⋯握っただけでわかるが、コレはダメだ。
鍔に施された過剰な装飾のせいでバランスは崩れ、刀身の研ぎも甘い。
刀身を軽く叩くと、返ってきた手応えから、それほど質の良くない鉄だとすぐにわかった。
ベルンさんの剣は、硬い鉄と柔らかい鉄を組み合わせ、切れ味と靭性を兼ね備える工夫をしているが、この剣は使い手の事をまるで考えていない。
皮膚を斬る程度なら良いが、骨に当たれば刃こぼれするか、下手したら折れてしまう強度だ。
部屋に飾るなら、これもアリだろう。
だが、剣は冒険者にとって相棒であり、命を守る最後の砦。
俺ならこんなゴミ同然の、鉄の棒切れに、自分の命は預けられない。
「どうだい?」
一言でゴミ、というのは簡単だが、流石に言葉を選ぶことにした。
「⋯⋯まあ、美術品、ですかね?」
「そう。見栄え重視なんて、バカバカしい風潮さ。こんな物を持って冒険者が現場に行けば、下手すれば死ぬかも知れない」
「だ、だったら⋯⋯」
「でもね──」
「でも?」
それまでにこやかに話していたオヤジさんが、真剣な表情になった。
俺に何かを伝えようとしてくれている、と言うのが分かる。
「需要がある。そして、商人の仕事ってのは──客の需要に応える事だ。自分のこだわりを相手に伝えるのは良いけど、それが客への押し付けになっちゃダメだ。選ぶのは最終的には客、だよ」
「⋯⋯」
「アッシュ君も、もうこの仕事を始めて一年だ。その辺を少しだけ、考えてみるのも良いんじゃないかな?」
「⋯⋯はい」
まだ、俺は商人としての心構えができていない。
そう店主に釘を刺された気がした。
──結局、その日一日中駆けずり回ったが、俺の勧める、ベルンさんの武器を買ってくれるお店は無かった。
────────
今日の成果を報告する為、武器商人ギルドに戻ると、ちょうどトップセールスマンであるゲーツが帰ってくる時間と重なった。
ゲーツは俺をみると、開口一番イヤミを言ってきた。
「よお、アッシュ。今日は何本売れたんだ?」
「⋯⋯ぜ、ゼロ、です」
「はーっ! またゼロ! お前この仕事向いてないんじゃねぇか? 俺なんて今日だけで三百本の納品決めてきたぜ!」
イヤミを言ってきたゲーツの眼窩に、指を突き込む⋯⋯妄想をする。
俺は無手の武術にも自信がある。
お前なんて、いつでも殺せるからな? と、頭の中で妄想するのが、ヤツのイヤミに耐える方法だ。
「さ、流石、ですね」
妄想の中では殺してしまったとはいえ、流石という言葉は本音だ。
冒険者時代には、こう思っていた。
いや、ギルドなんか通さず、武器屋が職人から直接仕入れれば良くないか? その方が手数料とか払わなくていいから、安く済むんじゃないか? と。
しかしここで働くようになって、その疑問は氷解した。
俺たち武器商人ギルドでは、複数の店からの注文を一括で受け、武器職人へは総数を計上して発注を飛ばす。
武器職人たちは、発注数に応じた納入をギルドに行うだけで良いため、個別に店舗の注文を管理したり、納入したり、集金したりといった手間が省ける。
これにより人件費を圧縮でき、武器を安くできる。
また、まとまった注文により、生産効率が高まることによるコストダウン、不良在庫の圧縮に繋がるため、武器屋も個々に鍛冶職人に発注するより、ほとんどの場合、ギルドに手数料を払っても割安に仕入れが可能なのだ。
つまり発注数が多いほど、ギルド、店、職人、それぞれにメリットがあるのだ。
だからこそ、多くの人間に利益をもたらす、ゲーツのようなトップセールスマンは重宝されるのだ。
俺も、彼の仕事に関しては尊敬している。
「全く、誰かさんの分まで稼がないといけないからなぁ! 売れなくても給料だけはしっかり貰う奴がいるしよー!」
⋯⋯まあ、尊敬してても、腹が立つものは立つ。
隙だらけの首に手刀を叩き込み、首の骨を折る⋯⋯妄想をして耐える。
俺の脳内で殺されてるとも知らず──まあ、当たり前だが──ゲーツは嬉しそうに言った。
「いやー、シャルネスさん様々だぜ! 俺が提案した通りの剣を作ってくれたからな! あの剣が売れてくれるおかげで、今月の歩合も楽しみだ!」
シャルネス?
確か、武器屋で見た粗悪品だ。
ゲーツの担当だったのか、しかもこいつが職人に提案した、だと?
あんなものを流行らせやがって⋯⋯。
「な、なんであんな武器を⋯⋯」
あ、しまった。
思わず口に出してしまった。
己の失態に気付き、すぐに言葉を止めたが、ゲーツは聞き逃さなかった。
「ん? 何だよ」
「⋯⋯」
「いや、黙ってねぇで言えよ、なんだ?」
仕方ない。
言わないと収まりそうもないし、正直に言おう。
「あの武器は⋯⋯粗悪品、です」