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「ちょっとユウ、凛、本当に外に行く気なの? 危ないよ……それに、わたしだけ留守番なんて、寂しいじゃん!」
怪我の影響か、病室で昼近くまで眠っていた奏は、配給された少量の乾パンを僕たちと並んで齧りながら騒いでいた。
包帯が巻かれた頭の怪我は痛々しいけれど、まずは元気そうな姿が見れて、本当に安心した。
足の怪我の影響で、まだ歩き回ることは難しいようだけど、それほどひどい痛みはないらしい。
「そういえばあの日は、本当は奏が作るお好み焼きを食べる予定だったか。それが今は、こんなわずかな乾パン。さすがに堪えるな」
はぐらかすように笑う凛を、奏が不満そうに叩いている。
「お好み焼きの材料なんて、もう腐ってるよたぶん。だから外行くのはやめときなよ。危ないって」
かわいらしく頬をふくらませた奏の説得に、凛は少し眉間にしわを寄せ、首を横に振った。
「ロビーで誰かが話していたんだがな。この少ない乾パンの配給ですら、もうじき尽きるらしい。なにせあの地震からもう一週間以上も、大勢が非常食を食べ続けているんだからな。他の避難所も、かなり厳しい状況みたいだ」
凛はいかにも不味そうに乾パンを齧り、ため息をつく。
「ユウの家まで行けば、とりあえず物資を揃えられる。必要なものは食糧だけじゃないしな。確かに危険はあるが、外に出なきゃならないのは、遅かれ早かれ、というやつだろう」
僕も乾パンをなるべく多く咀嚼して、少しでもお腹を満たすようにしてみるが、まるで空腹は収まらない。
凛が言うように、これが続くか、まだひどくなるというなら、確かにまだ元気のある今のうちに外に出る方が正解のようにも思える。
「奏にももちろん、お土産は持って帰るよ。一人にさせて申し訳ないけど、必ず無事に帰るから。凛も来てくれるんだから、大丈夫だよきっと」
僕の言葉に奏はため息をつく。
「……凛を信じるものは救われる。ふふ、まあ、凛がいればそりゃなんとかなるだろうけどさ」
凛が一緒にいるなら大丈夫。これは凡人である僕と奏には共通認識である。
「もうスマホも電波繋がってないんだし、何かあっても連絡もとれないんだからね。せめて、早く帰ってくるように」
奏はあきらめたようにベッドに横になると、凛の腰に抱きつくようにして、お母さんみたいなことを言う。
貧相な食事のあと、出発に備え、僕と奏はまず、猫化した僕の体のチェックを始めていた。
周囲にバレないように病院を抜け出すため、移動は人が少ない時間帯に行うことに決めたから、それまでの時間は自分の体の変化を理解するために使うことにしたのだ。
凛は、腹が減らないように、と早々お昼寝を決め込んでいるが、とんでもない図太さだと思う。
これからバケモノが巣くう外に出るという緊張感もあり、僕はとてもじゃないがまだ寝れそうになかった。
「じゃあユウ、ばんざーいして! ……うーん、やっぱり手足が少し長くなってるっぽいね、たぶん。よくわかんないけど。あー、お手々の白い毛、ハチちゃんみたいでほんとかわいい。……あと、ふふふ、残念だけど、背は少し低くなってるかも」
背が低くなったのは、言われるまでもなく気づいていた。だって、目線が明らかに前より低くなっている。
元々凛より小さいくらいだったのに、今では奏にも身長は負けているかも知れない。いや、もしかしたら自然と猫背気味になってしまっているせいもあるのかな。
奏は僕の体をしげしげと眺めながら、いやらしくニヤニヤ笑いを浮かべていた。
この百合っ子が内心喜んでいる理由もさすがにわかる。
だって僕のこの体も、かなり豊満な胸も、明らかに女性のものに変異しているのだから。
ほとんど変わらないのは、元々女の子みたいだったこの顔くらいだ。いや、顔もいくらか猫っぽさが現れてはいるか。
「いやあ、ユウはいい体になったねえ。おっぱいもプリプリじゃん。ハチちゃんはメスだったから、その影響なのかな? かわいい。かわいいよユウ。エロい。かわいい」
ハチの影響だと考えれば、この体に何の文句もない……のだが、この奏のエロ目線は正直つらい。
薄っぺらな入院着一枚着ているだけでは、このおじさんみたいなエロい視線をかわせそうにない。
ニヤニヤと笑いながら軽口を叩く奏だが、しかしさっきから何か、僕に隠し事をしているような匂いがした。
僕をエロい目で見るたびに、その匂いは強くなっている。
この体になってから、何か匂いで、いろんなことを感じられるようになっている……気がした。
いや、いやいや、隠し事の匂いってどういうこと?
臭いの? 何なの? 自分でも全く理解不能ではあるのだが。自分自身の体や感覚の変化に、まだ頭が全くついていけていない。
少なくとも嗅覚によって、雰囲気や気分、感情みたいなものを、かぎ分けられているような気がしなくもない、という感じだ。まだ本当に自分自身、よくわからないけど。
そういえばさっきトイレに行った際、サイズに自信は無かったとはいえ、大切にしていた股間の相棒、いや愛棒を失ったことにも気づいてしまった。
これがかなり僕の中で精神的な混乱を生んでいるのかも知れない。トイレのやり方にも少々違和感があったし。
これはちょっと、また追々、二人に相談していくことにしよう、うん。
「じゃあ次。軽くそこでジャンプしてみてよ。大丈夫、エッチな目では見ないからさ。大丈夫大丈夫」
いかにも怪しい表情と匂い。
奏のやつめ、絶対僕の胸が揺れるのを見て楽しむつもりだ……。
とはいえ一応言われるがまま、ぴょんと軽く跳ねておく。
一週間も寝ていたこの体がどの程度動いてくれるのか、今のうちに確かめておく必要があったから。
が、跳ねた次の瞬間、視界が凄まじい勢いで動き、僕の眼前には病室の天井が迫っていた。
急激に強烈な重力を感じる。
あわてて手を天井につく。踏ん張るとギリギリのところで、顔面を天井に強打することは避けられた。
次の瞬間にはその天井の高さから、今度は強い重力で急激に床に引き戻される。
一瞬、骨折くらいは覚悟したが、なぜか着地したとき、足には全く痛みもなかった。ほとんど音もなく、僕は床にすらりと戻っていた。
床に両手両足をついた姿勢になると、どっと冷や汗が出た。
「……す、すごい、信じられない……。なにこれ、ユウ、本当に猫みたいだったよ!」
奏はベッドの上で唖然としている。
だけど、こっちのほうがビックリした。心臓が飛び出るかと思った。
一瞬反応が遅れていたら天井に顔面から激突し、出発前から大怪我しているところだったのだから……。
猫よりもはるかに大きなこの体で、猫並みの身体能力。
軽くジャンプしただけでも、簡単に天井に届いてしまうというわけだ。
でも、これなら外の世界でも凛の足手まといにならなくてすむ……という単純な話ではない。
元々運動神経が壊滅的だった僕に、こんな力が使いこなせるわけがない。
きっと、自分の体に振り回されて大怪我するのがオチだ。
もう、わざわざ狭い部屋のなかで余計なことをしない方がいい。
今こんなところで怪我をしたらシャレにならない。
「奏、僕はもうおとなしくお昼寝するよ……ちょっと、今のジャンプが衝撃的すぎて、自分が怖い……」
僕は意気消沈しベッドを見たが、そこにはすでに凛が大の字で眠っていて、スペースはなかった。
自分のしっぽが、しなしなと垂れ下がるのを感じる。
奏の方を見ると、彼女はニヤニヤと笑いながら、自分は簡易ベッドの隅に寄って、僕をシーツの中に誘いこもうとしていた。
捕食者の笑顔。
さすがにこれは、猫の感覚に頼らなくても、危険であると察知できる。
お前の本命は凛じゃないのか。いくらなんでも節操がなさすぎるだろう。
「あ、僕は猫だからなあ、床で寝るよ。丸くなればすぐ寝れるでしょ、猫だし。いけるいける。全然オッケー」
僕はそのまま床に横たわり、奏の方を決して見ないようにして目を閉じる。
奏はずっとブーブー騒いでいたが、さすがは猫の体。すぐに眠気はやってきた。
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第1章は以上で完結です。
2章からは本格的にサバイバルと百合な展開がはじまります。
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