11-2
巨大なバケモノは、この終末の世界の悪意を煮詰めたような、邪悪な姿をしていた。
遠目に見ているとそいつは、人間と同じ二足歩行で、そこらの建物と同じくらい巨大な、フラウア人間の親玉みたいなものかと思っていた。
だけど近づくにつれ、そいつのことをようやく理解できた。
それは、生き物ですらない。
フラウアに寄生された人間の死体。その集合体だ。
足も、腕も、体も頭も、フラウアに寄生された人間の死体が、何人分も無数に集まって、木の幹のように太くなったフラウアで縛りまとめあげられ、巨大なバケモノの姿を形作っている。
吐き気がするくらい醜悪で、悲しいバケモノ。
この世界で命を落とした人間が、その死体をパーツのように、フラウアに、人の悪意に利用されて、巨大なバケモノの体を構成しているのだった。
近づいたことで、はっきりわかる。
ちょっとあなどっていたが、これはやばい。
とんでもない相手だ。
家より大きいサイズだというのに、ゆっくりとはいえ一歩、また一歩と動いている。
歩くたびに、足を構成している人間の死体の体がはじけ、赤黒い液体が地面に広がる。
近づくだけで、とんでもない恐怖に襲われた。
駆け寄りつつも心底びびっていると、僕の横を大きな肉片がすれ違うように飛ばされていった。
「……ぅらあ! ははっ! なかなかしぶといな!」
耳に届いた凛の声。
彼女のたくましい声に、萎縮しかけていた僕の心に少し力が戻る。
「ユウ、遅かったな! ちょうどいい、手伝ってくれ! こいつ、フラウア人間が次から次に集まっているみたいでな、きりがない!」
先におっぱじめていた凛は、すでに全身が返り血で赤黒く染まっていた。
両手にそれぞれ握られているのは、懐かしの金属バット。今回は驚きの二刀流。
どうやら先に出発して、この新しい武器を調達してきていたらしい。
彼女がバットをひと振りするたびに、バケモノの足、いや足を構成している人間の死体が、一つ、また一つと弾けるように吹き飛んでいく。
さすがは凛。とんでもないパワフルさだ。
しかし確かに凛が言うとおり、そのバケモノの移動ルートに集まってきたフラウア人間が、次々と太いフラウアの茎に絡みとられ、バケモノの体は欠けたパーツを埋めるように再生していた。
バケモノは足も自重で損傷し、凛にも相当めった打ちにされていたようだが、それを補うように新しいフラウア人間が集められてしまっているようだ。
フラウア人間がこちらに集まっていたのは、こういうことだったのか。
こいつと合体して、悪意を束ねていくように、フラウア人間たちが辺りから次々に集まっている。
『人間! 周りから集まっている死体どもを切り刻め! このバケモノに近づけるな!』
バケモノの足のパーツになっているフラウア人間の死体と目が合い、衝撃的すぎる光景にまた固まってしまっていた僕に、凛と逆の方の足を狙って駆け回っていたクロから指示が飛んだ。
クロがそのしなやかな前足を鋭く動かすたび、バケモノの片足を構成しているフラウア人間の死体から、気色の悪い血しぶきと肉片が飛ぶ。
駆け回るクロのその姿は、猫にしては圧倒的に巨大なはずなのに、このバケモノと比べればあまりにも小さい。
ちぎり飛ばした分以上にフラウア人間がまた集まってきてしまっており、バケモノの足を崩しきれないでいるようだ。
僕はクロに言われるがまま、身を低くかがめ、ほとんど猫の四足歩行のような姿勢で、付近に群がるフラウア人間への攻撃を開始した。
巨大なバケモノからびびって逃げているわけではない。
あくまでも適材適所。
バケモノを攻撃するのは凛とクロに任せ、僕はそのバケモノの再生を封じる役割というわけだ。
断じてびびってはいない。
「は、遥もリスナーさんたちも、見てるかな!? ねえ聞こえてる? 僕頑張ってるよ! 頑張ってるから!」
『分かったから周りを良く見なさい! なんかあんたが一番心配なんだけど!』
必死にフラウア人間を撃退しつつ、恐怖心を紛らわすために声を出すと、配信中の遥にすぐに注意された。
くそう、怖い!
元は人間だという、フラウアに寄生された人間の死体のビジュアルが、こうも集まられると不気味すぎる。
腐ったような血の匂いで鼻が曲がりそうだし、土埃で目は痛いし、たまに凛たちのほうから吹き飛んでくる肉片がめちゃくちゃ気持ち悪いし。
最悪だ。早く帰りたい。
こんなことはさっさと終わらせて、今日は苦手なお風呂にでも入りたい。
「ははあ、なるほど考えたな。動画でこの戦いを放送しているわけか。ユウ、それちょっと貸してくれ!」
ちょうど凛の近くに移動したとき、僕のインカムは一瞬で凛に取り上げられた。
僕はあわてて、凛にも渡すつもりで持ってきていた、もう一つのインカムを改めて自分に装着した。
凛はそのインカムのマイクを、返り血に濡れた口元に当て、片手で金属バットを大きく振りかぶる。
「見ていろ!」
凛は急に叫ぶなり、金属バットを思い切りバケモノへ叩きつけた。
ほとんど爆発したみたいな音をたて、バケモノの足を構成していたフラウア人間の死体が複数弾けとび、その巨体がぐらりと揺らぐ。
「な?」
凛は根元からへし折れた金属バットを投げ捨てると、血濡れで猟奇的な笑顔になった。
『凛? ちょっと何? 今は何も映ってないよ!?』
無情にもかえってきた遥からの返事に、今度は凛がぽかんとした表情になる。
遠くに目をやると、自衛隊と一緒にいる奏が、何やらあたふたと慌てながら、使っていたライブカメラをフラウアの茎に取り付け直しているようだった。
きっと何かミスがあったのだろう。
僕らは素人だから……これは仕方ないね。
僕まで呆然としていたせいで、またフラウア人間が集まってしまい、欠けたバケモノの足は蠢くように再生していく。
「あー面倒くさい! いいか! 動画を見てるやつらはよく聞いていろ! こんなバケモノなんぞ、私からすればザコだ!」
凛はプンプンしながらあたりを見回すと、よいものを見つけた、とばかりに急に走りだした。
手にとったのは、道に乗り捨てられていた、大型のバイク。
嫌な予感に、僕は慌ててバケモノから距離をとる。
「人の悪意や、弱さが、こんなバケモノを作ったんだろう!? だがな、弱い人間の祈りがいくら集まろうが、しょせんはこんなものだ!」
おそらく凛の細身な体よりずっと重いはずの大型バイクを、両腕にたやすく抱えあげると、信じられないほどの早さでバケモノに再び向かっていく。
叩きつけられるバイク。
真っ二つになったバケモノの足。
空に激しく舞う、赤黒い血しぶき。
『ひゃあ! すごい、今度は映ってたよ! みんなも見たよね!? あれが私の仲間の一人、凛ちゃんです。誰より強くて、誰よりカッコいい女の子なんだ!』
遥の配信は盛り上がっているに違いないが、間近にいた僕はたまったものではない。
幸いバイクは爆発はしなかったようだが、その金属の破片が僕の顔スレスレを尋常ではない速度で飛んでいき、ぶわっと冷や汗が出た。
「私は仲間を守る! 遥を、自分が愛する者を守ってみせる! 聞いているやつらにも大切な相手がいるだろう? 一人ぼっちだとしても、生きていたいだろう? なら、戦え! 自分の弱さに、世界の絶望に屈するな! 祈るのではなく、戦え!」
置き去りにしていたもう一本の金属バットを手に取り、凛は強い眼差しで、またバケモノに向かい合う。
一撃で足を失った巨大なバケモノは、ついにその体を支えきれず、前のめりに倒れていった。