10-3
移動する奏の車の助手席でスマホを開くと、すぐに巨大な怪物とやらの正体は分かった。
どこかの悪趣味な奴が、わざわざそいつの姿を撮影し、動画サイトにアップしているようなのだ。
画質が悪いが、ぼんやりした映像でもそのサイズ感はわかる。
二階建ての家より少し大きいくらいの、生き物とは思えないほど、尋常ではなく巨大なバケモノ。
灰色や肌色の巨大すぎる体を、フラウアと同じ赤と黒の筋が、まとわりつくように彩っている。
ぼんやりと映されたその姿は、おそらく人間に似た二足歩行。
ずるり、ずるりと歩き続けるその怪物の足元では、割れたアスファルトや土ぼこり、そしてフラウアの赤黒い花びらが、激しく舞っているようだった。
「……うん、こりゃでかいね。踏まれたらぺちゃんこになりそうだ。先に行った自衛隊の人たち、大丈夫かな?」
動画を再生しながら後部座席の凛にスマホを見せると、彼女はそれを食い入るように見つめたあと、小さく笑った。
「はは、これはさすがにやばい……かと思ったが、案外そうでもないのかもな? ほらこの足のあたり、崩れてきているぞ」
凛に言われてよく見ると、フラウアの花びらで分かりにくいけれど、巨大なバケモノは歩くたびにその足元から、地面に赤黒いシミ、血液のような液体を撒き散らしているようだった。
もしかしたら、その足が巨大すぎる体を支えきれず、自重で崩壊しているのかも。
もう少し動画の解像度が高ければ、状況がわかりそうな感じはするのだが。
そしてもう一つ、バケモノはどうもめちゃくちゃな歩き方をしているようで、前がよく見えていないのか、周りの建物に激しくぶつかって、周囲を破壊しながら進んでいる。
付近に誰かいるのなら、その避難が完了していることを祈るばかり。
ただ、とんでもない状況ではあるのだが、ぶつかった方のバケモノの方も、ぶつかった箇所から体液を撒き散らしており、なんならこのまま勝手に負傷して弱っていきそうな印象すらある。
ちょっとこれは、サイズの割には、なんだか弱そうな気がしてきた。
凛もこちらと目を合わせ、ニヤリと笑う。
「ユウ、それの頭をぶっ飛ばす見せ場は私に譲ってくれ。こういう大きなイベントだと、私はあまり活躍できていないことが多かったからな」
家にたどりつき、僕が最初に車を降りると、すぐにクロがその大きな体で駆け寄ってきた。
『ようやく戻ったか人間。お前も感じているだろう? 何か、面倒なものが来ているぞ』
クロの鋭い視線は、遠く、駅前の方角に向けられている。
僕もまた同じ方向から、気味の悪い雰囲気を感じとっていた。
クロに続き、小さな体のシロが駆け寄ってきて、足元でにゃあにゃあと騒ぎだす。
『ハチ様! もう猫の点呼は完了しています! ……あれ? そいつは……ミケ? あれ? でもあの兎人間の匂いも……』
シロの目線の先に目をやると、それまですっかり黙っていた遥が、尻尾をピンと立てたまま、唖然とした表情で固まっていた。
「う、嘘……。これ、猫ちゃんたちがお話してるの? 私も、言葉がわかっちゃってる……ねえ白い猫ちゃん、私のことわかるかな?」
遥が固まったまま言うと、シロは遥の足元に顔を寄せて、クンクンと匂いを嗅いだ。
『なるほど、ハチ様と同じ感じですか。ちょうど猫と、この間までいた兎人間の中間の匂いがしますね。……よし、新入りとしてこのシロが認めます! まずはリーダーのクロ様に挨拶しなさい!』
なぜか最初に会ったときから遥には妙に強気のシロが、偉そうに体を伸ばし、そのアゴでクロの方を指し示す。
クロはちょっと困ったような微妙な匂いをさせながら、小さくうなり声をあげた。
『……まあ、お前の言葉はわかるぞ、新入り。兎だったころから、お前はとっくにこの俺の縄張りの一員だと思っている。今は妙なバケモノが来ているようだから、弱そうなお前はここでおとなしくしているといい』
ボス猫として、圧倒的な存在感と、安心感を与えてくれるクロに、遥も目をパチパチさせて驚いている。
とはいえ、そうした猫たちの言葉が理解できているのは、猫人間である僕と遥だけ。
後ろに来ていた凛は、その黒髪をがしがしと掻きながら、首を横に振った。
「……相変わらずわからん。ユウたちばかり猫とおしゃべりしても、私にはクロさんたちが何を言ってるのか全然わからん。……もう待ちきれん、私は先に行くからな!」
ちょっと蚊帳の外になっていた短気な凛は、そわそわしながら庭に止めていたママチャリの方へ走っていく。
「……だめ。もういいよ凛。みんなが危ないことをする必要なんてない。私がここから離れれば、バケモノはそっちに来るはずだから」
遥は下を向きながら、凛を止めようとする。
だけどそれは、当然僕たちからすると、聞けない話だ。
「はは、それは遥にしてはつまらん冗談だな。……ユウ、私はちょっと拾っていきたいものがあるから、自転車で先に行くぞ。自衛隊にいいところをもっていかれたらかなわんからな!」
「……なんで! 私なんかのために、ばかじゃないの!? みんな、緊張感がなさすぎるんだよ! あんな大きなバケモノ、勝てっこない!」
なんでもなさそうに笑う凛を見て、遥はなぜか横にいた僕の肩を掴み揺らす。
だけど凛はもちろん、そんな遥の言葉で揺らぐほど、意志の弱い人間ではない。
こうと決めたら全力を尽くす。
強い決意。
「私は今度こそお前を守る。この私がそう言っているんだ。あの程度のバケモノに、負けるはずがない。……そうだろう?」
端正な顔を優しく緩めてそう言うと、凛の乗った自転車は、ためらいなく、すごい速さで庭を出ていった。
『あー……やはりお前は、ミケと似てやかましいやつだな。いや、兎の姿のときも充分やかましかったか』
クロがなかなか厳しい言葉で続く。
彼は気遣いとは無縁な猫だが、でもどこか遥へ話しかけるとき、暖かくて優しい匂いがした。
大きな体で背伸びをするクロの姿は、たくましく、そしてかわいらしい。
『ここは俺の縄張りだ。でかかろうが、危険だろうが、向かってくる外敵は絶対に殺す。……ちょうどメスたちにも、子を孕んだやつらがふえてきているからな』
クロの視線の先には、まだ庭に集合している、仲間の猫たちの姿があった。
どんな相手でも、縄張りの仲間たちを守るためなら命をかけて戦う。
それがクロ、猫の親分というものだ。
強い覚悟。
『シロ、俺に何かあれば、駅前のNNNの連中を頼れ。話はつけてある。……じゃあ、俺も先に行っておくぞ。遅れるなよ……相棒』
クロは最初、子猫のシロを、そして最後にちらっと僕の方を見てそう言うと、軽やかな足取りで駆け出し、バケモノのきている方向へ消えていった。
相棒、か。
うれしい言葉だな。僕の体の中に眠る猫、ハチが、喜んでいるのがよくわかるくらい、胸が熱くなった。
「……なんで、なんでよ……」
遥は、凛とクロが去って行った方向を見つめながら、立ち尽くしている。
猫耳がふにゃりと垂れ下がっているのを見て、奏がそこに自分の美しい金髪の頭をぐりぐりと押し付けた。
「ふふん、遥ちゃんはちょっと、わたしたちの気持ちってものを甘く見すぎじゃん?」
奏は遥の正面に回り込み、その頬を両手で覆って目を合わせ、柔らかく微笑んだ。
「言ったよね、もう絶対、ずっと一緒にいるって」
奏の胸元で、大切にされている十字架のネックレスが揺れる。
奏は、神様なんてどこにもいないと知っている。
それでも大切な人のためならば、たとえ自らが十字架に張り付けにされようとも、ためらいなく行動する優しさがある。
強い愛情。
「遥ちゃんは、わたしたちと離れて平気なの? これ以上つまんないこと言ってたら、今晩はお布団の中でおしおきしちゃうよ?」
その暖かい瞳は、遥の視線を少しだって離そうとしない。
「……ふふ、もう、私だけピリピリしちゃって、バカみたいだね」
遥が、ようやく笑った。
ずっとこわばっていた顔が少しずつ緩み、そして今にも泣き出しそうな瞳を、僕に向ける。
「私、みんなと一緒にいたいよ。離れたくない。……ねえユウ、私を助けてくれる?」
「みんな、遥のことが大好きだからね」
もちろん僕だってそうだ。
そしてそれだけが、今大切なこと。
「改めて、これからは四人で、猫たちにも囲まれて、いっぱい幸せに暮らそうね」
「……ユウ」
遥の瞳が、ちょっと涙でうるんでいく。
たまには、僕にもカッコいいことを言う大チャンスが来たってことかな?
「僕は、凛やクロより弱いし、夜はいっつも奏に鳴かされちゃうし、遥よりも背が低くなっちゃったし、自慢できるとこなんてもう……おっぱいが大きいくらいしかありません!」
が、急にいいことを言おうとしても、案外まともなセリフが思い付かないものだ。
普段から、ふわふわした生活で堕落しているから、こんないい場面ですら、ろくなことが言えないんだろう。
体は女なのに、心は男。
猫でもなければ、人間でもない。
何から何まで中途半端な僕だけれど、もうそれでいい。
遥が自分のことを、僕たちにさらけだしてくれたように、僕もまた自分のありのままの姿で、みんなのためにできることをやりきるんだ。
ありったけの、決意と、覚悟と、愛情をもって。
「あの、なんて言うか、なんて言うかさ……」
すっかりまごまごしてしまい、なんだか遥からの視線も生暖かくなってきたので、もう僕はいつも通り、しまりのない雰囲気でギブアップする。
「……あの、ほら、僕も頑張ってくるから。……だから、なんて言うか……たまには僕も、カッコいいとこ見せてあげるからね!」
10章は以上です。次が最終章となります。
ここまで書き続けることができたのも、皆様から頂いてきた沢山のご感想と、ブクマ、ご評価のおかげです。
精一杯の感謝を込めて、フィナーレまで全力で書き上げてみせますので、どうか最後まで応援をよろしくお願いします!