10-2
翌朝目覚めると、横には僕の寝顔を見つめて微笑む、猫耳姿の遥の顔があった。
寝ぼけたまま、ほとんど無意識に唇をあわせると、遥も優しく笑ってくれる。
「おはよう、猫女……じゃなくて、ユウ。ふふ、今は私も猫女か。おそろいだね」
彼女が目覚めたことに気づいたように、奏と凛も、病室の床に敷いた布団の中でもぞもぞと動きだした。
「……そっか。隠さないで、教えてくれてありがとうね」
例の動画サイトの復活、兎原時代のネット掲示板の件、そしてあのミケの最期。
全てを伝えると、遥は少し寂しそう表情になった。
悲しいような、でももうすっきりしたような、そんな複雑な感情の匂いがする。
「まあ掲示板の方だけは、そのうち考えるね。……今はさ、みんなともっとイチャイチャしていたいし」
遥はそう言うと、僕から渡されたミケの遺骨の一部を指先でなぞり、大事に懐にしまってから、ちょうど横にいた奏の金髪を撫でて、潤んだような瞳で唇をあわせた。
遥はお昼に診察を受けて、何も問題が無ければ家に戻れるらしい。
地震の影響で怪我人も多いらしく、早く病室をあけたいのだと思われる。
自衛隊との話はまたいずれ。とりあえずそういうことになった。
何せ、本来自衛隊が探していた兎耳姿のアイドルは、もうどこにもいないのだから。
せっかくなので午前中はみんなで、過去に遥が配信していた動画サイトのアーカイブを見ようとしたのだが、そうした過去の動画データは全て消失してしまっているようだった。
代わりにアップされはじめている最近の動画は、粗い画質でバケモノを映した動画だとか、モラルの無い、明らかに18禁と分かる動画だとか。
その中ではやはり、例の宗教団体の動画配信が、ひときわ目を引く状態になっていた。
ちょうどライブ配信中の動画は、同時視聴者数3万人を越えているようだ。
人口が大きく目減りしたこの世界の、しかも日本の動画としては、たぶん驚異的な数字だろう。
「ちょっとこれ……ねえ遥ちゃん、遥ちゃんならもっと面白い動画作れるでしょ? こんな動画サイト、嫌すぎるよ……」
奏が眉をひそめながら言うと、凛とお布団のなかでイチャイチャ中だった遥は、困ったように笑って手を振った。
「みんなで順番にチューしていくとか、百合な感じの動画でも撮影してみる? 凛とユウがノートパソコンとかそういう機材は持ってきてくれてるし」
遥のとんでもない提案に僕たちは、ないない、と笑うけれど、撮影は無しで、順番にキスすることだけは大歓迎でやりはじめた。
とはいえ病室では、あまり激しいイチャイチャはできないので、暇をもてあます。
大きな声も出せないから、エッチすぎることをするのも論外。
だんだん発情しかけてきている僕の気を紛らすのと、怖いもの見たさもあって、僕たちは動画サイトの、例の宗教団体のライブ配信を見てみることにした。
『……そう、これがフラウアの引き起こす奇跡。神のご意志です』
ちょうど配信では、怪しいおじさんが、奏や遥のようにフラウアを動かし、操る姿を見せていたようだ。
クオリティの低いマジックショーみたいに。
やはり奏たちだけが特別というわけではなく、意思の強い人間、あるいはフラウアとの相性がいい人間は、こうしてフラウアを魔法のように動かすことができるのか。
だけどそれを人の意思ではなく、神様の奇跡だと偽るのは、卑怯なやり方だと思う。
『先日、一部地域で起こすことができた地震も、まさにこれと同じことです。我々の願いを受けたフラウアが黒く染まり、神のご意思で世界が満たされる。その結果として、大地に根付いたフラウアの力で、先日の地震が発生したのです』
ぞくりとした。
こいつら、どこまでいっても腐ってる。
前に見た、怪しい薬物や儀式くらいなら、まだ許せる範囲だと思っていたのに。
まさか、よりにもよって、地震をわざと引き起こしたとでもいうのか。
人の命を、生活を、何だと思っているんだ。
異常としか思えない言葉に、僕のとなりで、奏が胸元の十字架を強く握りしめたのが見えた。
凛は大した興味もなさそうに、あぐらを組んだままあくびをしている。
遥は、画面を見つめたまま、何も言わない。
だけどその新しい尻尾は、どこか悲しそうに垂れ下がっている。
『先日のラジオでの皆様のご協力、本当にうまくいきました。この場を借りてお礼を申し上げたい。……皆様の願い、神のご意志により、ようやく、神の敵の居場所がわかりました』
あまり感情が感じられないその表情と言葉に、体毛が逆立つような、寒気がした。
こんな世界なのにやけに身なりのいい、画面の中のその男は、匂いなんて嗅がなくても、イカれたやつだとはっきりわかる。
『今回の地震は、非常に限られた地域でしか発生しませんでした。そう、そこに神の敵がいるということです。そのように、我らが願いを束ねた通りに。……各地に信者の皆様がいらっしゃることで、ようやく情報も出揃いました。妙な噂が多かったのですよ、その地域では』
パソコンの画面上では、感情が読めない表情のまま何か言いながら、その気持ちの悪い男が、アップで自分の顔を映させ、うっすらと微笑んでいる。
そして続けて画面には、地図が写し出された。
見覚えがありすぎる地図。
『ネットでも少し騒がれていたようですね。……金髪の救世主、黒髪の救世主、そして猫耳の救世主、などと。仲間には恵まれたようですが、結果的に奴は少々目立ちすぎたようです。愚かにも』
画面の地図に表示された地名に、赤くマークがつけられる。
そこには、あまりにも正確に、僕たちの暮らすこの地域が表示されていた。
まさか。
まさか、まさか。
『神の敵、ウサギハラ。奴の居場所はわかりました。……あとは祈るばかりです。直接的に手を下す必要などありません。我々はただ祈りましょう。……神の奇跡、フラウアを消そうなどと、愚かな罪人め。神の敵、ウサギハラに、絶望と死を』
どこかで、誰かの悪意が、束ねられていく。
『さあ皆様、今一度このとき、神の審判のときです。……ともに祈りましょう。ウサギハラは、神を、そして我ら信徒をことごとく侮辱し続けました。神の奇跡フラウアを否定する、重罪人です。……祈りましょう。ウサギハラに死を。ウサギハラに絶望を』
ウサギハラに死を。絶望を。
死を。
絶望を。
パソコンから繰り返される言葉に、僕はしばらく何も言えずにいた。
だけど、どこか、頭は冷静だった。
同じような何も言わないみんなの顔を、ゆっくりと順番に見つめていく。
それだけで、全身に力がみなぎるような気がした。
たまたま、この配信を見ていて良かった。
今はもう、遥の件で凛と大喧嘩したときみたいに、自分がすべきことを迷う必要もない。
次の瞬間、体にぞくりとするような感覚が走った。
地震が引き起こされるときに感じていたような感覚。
悪意と、人の弱さと、絶望が入り交じった、実に気に食わない感覚だ。
ミケの身体を受け継いだ遥も、同じ感覚を感じとったのか、立ち上がってキョロキョロとあたりを見回している。
一分ほど過ぎたとき、病室のドアが激しく音を立てて開かれた。
慌てた表情で入ってきたのは、いつもの自衛隊の青年だった。
「みなさん! ……見てましたか、その配信」
彼は大きな銃を肩にかけた姿で、なぜか凛々しい表情で続ける。
「残念ですが、この近隣で、とんでもなく巨大なバケモノの姿が確認されたそうです。……そいつの目的地はわかりますよね? この病院の方に、向かってきてるらしいっすよ」
巨大なバケモノ。
それが、今の僕たちの敵というわけか。
深刻な状況に、でもそれを知らせてくれた自衛隊の青年は、僕たちを心配させまいとしてくれているのか、どこか明るい雰囲気の表情だった。
一方でその体からは、強い不安と、そして同じくらい強く固められた覚悟の匂いがする。
「自分たちはこれからすぐに、動ける人員で迎撃に向かいます。……この病院のためでもありますが。吉岡遥さん、自分たち自衛隊は、全力であなたを守るつもりです」
彼は左の手のひらをぴしっと伸ばし、額に当て、直立して敬礼の姿勢をとった。
本来僕たち民間人へ向けられるはずのない、その彼の精一杯の敬意は、まだ立ったまま不安そうな表情の遥に、まっすぐに向けられている。
「……自分は、あなたのラジオが大好きでした! 本物じゃなくたってあなたは、あなたはこの世界で、自分たちに生きる希望をくれました! 今日、その恩をお返しします!」
カッコいい、としか言いようのない言葉の後、颯爽と飛び出して行った自衛隊の後ろ姿が見えなくなると、まだお布団に座りこんでいたままだった奏が、背伸びをしながら立ち上がった。
「……うーん、やっぱり男の人って苦手だなぁ。死亡フラグっていうのかな? ヤバすぎてちょっと笑いそうになっちゃったよ。絶対あれ、遥ちゃんにイイとこ見せようとしてたよね」
緊張感の無い表情のまま奏は、遥の猫耳頭を軽く撫でて、ふわりと笑う。
続くように凛も立ち上がり、さっきまでみんなでくるまっていたお布団を、雑に簡易ベッドへ放り投げた。
「ま、宗教なんぞに逃げるクズどもが祈ってできたバケモノなんだろう? この私なら一捻りだ。少しはいい運動になればいいんだがな」
どこか楽しそうにすら感じる表情で、凛はぱしりと遥の背中を叩く。
二人とも、どこか今の状況に対して、本当は緊張したような匂いをさせているくせに、遥の前ではカッコつけたいみたいだな。
言うまでもなく、僕たちのやることは決まっている。
相手がなんだろうと、どれだけたくさんの悪意を向けられようと、徹底抗戦だ。
僕も最後に立ち上がり、奏と凛に続けとばかりに遥の横へ並び立つ。
「さあ、病院じゃイチャイチャしづらいし、一旦僕たちのおうちに帰ろう。クロたちにも報告してから……」
僕もちょっとばかし強気なことを言いながら、横目で遥と視線をあわせる。
そのときようやく気づいたが、遥の目の高さは、僕よりほんの少しだけ上にあった。
「んん? あれ、遥って猫になったときにちょっと背が伸びた? もしかしたら僕より……いや、なんでもない。……笑うな! 比べないで!」