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【完結】終末の花と猫と百合  作者: くもくも
10章 悪意と怪物
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10-1

 三日が過ぎた。


 僕たちはすぐに遥を病院に搬送し、遥はそれ以来、かつて僕たちが過ごしていたのと同じような個室で、静かに眠り続けている。


 医師が言うには、かつて猫人間になったばかりの僕と似たような状態であり、外傷もなくなっているから、いずれきっと目を覚ますだろう、とのことだ。


 三毛猫のミケから命を分けてもらった影響で、僕と同じようにその頭にはピクピク動く猫耳がついており、体にも三色に分けられた体毛が広がっていた。

 


 奏は、もう絶対に彼女から離れないと言い張り、ずっとその遥のそばにいる。


 僕と凛も気持ちは同じではあるけれど、玄関を壊してしまった遥の家に大事そうなものは置いておけないと、改めて彼女の家をおとずれた。


 でも大量の原稿で散らかった遥の部屋を改めて見ると何も言えなくなり、わずかな衣服とスマホ、彼女が配信に使っていたパソコン、関連機材やバッテリーなどを病院へ持ち出すことしかできなかった。


 遥にその命を捧げたミケの遺骨は、遥の家の庭に埋めた。

 その白い骨の小さな欠片を一つだけ、今も僕が預かっている。

 だけどミケの魂はきっと、僕にとってのハチと同じように、遥の中で生き続けるのだろう。




 今日も縄張りの猫たちに、餌と水を配りに戻ってから、僕たちはのんびりと散歩するように病院へ向かった。

 奏がテコでも病院を離れようとしないから、免許を持っていない僕たちでは、車を使うことができないのだ。


 辺りのバケモノの気配にはいまだにびくびくしてしまうし、咲き乱れたフラウアの花には嫌な気分にさせられるけれど、もうすっかり外は春の陽気で暖かい。


 凛と二人で手を繋いで歩いていると、深刻な世界の状態なんて、すっかり忘れてしまいそうになるくらいだ。



 いくらかの食料を病院に持ち込み、自衛隊にもその一部を提供してから、また今日も病室へ通う。


 無機質な階段を登り、廊下を静かに進み、奏が待つ病室の飾り気のないドアを開けた。



 ふわりと、幸せな感情の匂いがした。


 病室で僕たちを迎えてくれたのは、泣きはらした目で満面の笑みを浮かべた奏と、ようやく目覚め、まだ少しぽやぽやした表情の僕たちの恋人、猫耳の遥の姿だった。



「みんな……ごめんなさい。騙して、心配かけて、迷惑かけて、本当にごめんなさい」


 彼女の声は、全くこれまでとは変わっていた。


 だけど初めて聞く、さほど特徴もないその声、話し方は、不思議と本来の遥のものだと納得できるように感じた。



「遥ちゃん、謝らないで。わたしたちも、一緒にいてあげられなくて、本当にごめんね。……もう絶対、これからは一生ずっと、そばにいるからね」


「やっと起きたか。おはよう、遥。……守ってやれなくて、すまなかったな。まだどこか痛いところはないか?」


 奏と凛の、なんでもないことみたいな言葉に、遥の目には涙が浮かんだ。

 今までとは全く違うけれど、感情が自然と現れたその表情が、きっと本来の遥の顔だったのだろう。



 僕も遥が目覚めて嬉しいのに、また涙が溢れてしまう。


「遥、ごめんよ。ずっと、ずっと、遥のことをきちんと分かってあげられなくて。本当にごめんよ」


 僕の涙声に、遥はようやく少し笑って、同じように涙声で答える。


「ありがとう、みんな。……私、私ね。こんな私だけど、みんなとこれからも、一緒に居させて欲しいんだ。……大好きなの、みんなが。ごめんね、本当にごめん。だけど、大好き」


 そんなの、わざわざ言う必要ないのに。


 僕たちはみんな、少し泣いて、そして笑って、順番に遥へキスをした。



 そのあと僕たちは、点滴を受けたままの遥にそれぞれぴったりと寄り添い、少しずつ、彼女の話を聞いていった。


 彼女が兎原ピョンとなった理由。

 これまでの想いを。




 最初の地震の日、遥は奇跡的に、傷一つ負わずに生き残っていた。


 その日はまだ、かつてのVtuberの仲間たちもいくらか生き残っていたらしい。

 引退した遥もまだメンバーに残っていた、メッセージアプリのグループ内で、それぞれが生存を報告していた。


 二日たち、もう誰からのメッセージも届かなくなった。

 その間、兎原ピョンからの、生存を知らせるメッセージは無かった。



「兎原ピョンは、私の憧れだった。出来損ないVtuberの私とは、何もかも違う。声も、言葉も、振る舞いも。……全部、全部が大好きだった」


 ネットが復旧してすぐ、遥は期待した。


 もしあの兎原ピョンがまだ生きているなら。


 きっと彼女は、何らかの手段で、世界中のファンたちに、自分の無事を知らせてくれるはずだと思っていた。

 いつもの動画サイトが使えなくても、必ず彼女は何か、何か自分たちに希望を届けてくれると信じていた。


 だけど、兎原ピョンは、何もしなかった。


 当たり前だ。

 もうそのとき彼女は、この世を去っていたのだから。



「……あの兎原ピョンが、こんな世界にいて何もしない。誰に聞かなくてもそれだけで、ピョンちゃんは死んだんだって、理解できたの。……絶望したよ、私。家族も死んで、ミケもいなくなって、あの子だけがこの終末の世界で、私の唯一の希望だったから」


 遥は兎原ピョンを、心から尊敬し、愛していた。

 向こうは遥のことをどう思っていたのかは知らない。


 だけど遥にとって彼女は、彼女だけが、世界の希望そのものだった。



「向こうからしたら、本当にうっとおしい奴なんだろうね、私。……でも、だから私が、自分自身の願いで兎原ピョンになったの。あの子がまだ生きている世界を、私自身が作ろうとした。……もし生きていたなら、あの子はどんなことをしたかな。そう考えて、私はピョンちゃんであり続けた」


 兎原ピョンなら、世界を絶望から救ってくれたはず。


 理性的に考えれば、無理のある話かもしれないが、遥はそう盲目的に信じた。

 そして同時に、本当の兎原ピョンの命を奪ったフラウアを憎み、地震を引き起こした人間の心の弱さを憎んだ。


 狂気じみた考えだけど、それこそが遥の、人間の弱さなのかもしれない。



 でも遥には、そのままこの世界で生き続けていける自信はなかった。


 僕たちからすれば最高のラジオ放送も、もし兎原ピョン本人であったなら、この程度のクオリティだったわけがないと、遥は独り苦しみ続けた。


 生きていくには食事も必要だけど、一人で外を歩き回るのが危険だということは理解していた。

 ミケに自分が陰で守られていたなんて、遥自身は知りもしなかったのだから。



 不安と自分の弱さに押し潰されそうな、一人ぼっちの暮らし。


 そんなときに、遥は僕たちに出会った。



「私はすぐに、みんなに惹かれていった。みんなと一緒にいる時間だけは、私の心は兎原ピョンじゃなく、ほとんど吉岡遥として生きていられた。……みんなと抱きしめあって、体温を感じたとき、こんな終末の世界で、心から幸せを感じたの」


 だけど、だからこそ、遥は自分の現実に耐えられなくなった。


 自分が兎原ピョンであるならば、このまま世界を救わなければならない。

 だけど吉岡遥としての自分は、もう全てを捨てて、僕たちと一緒にいたいと願うようになってしまった。



 だから遥は、全部やめることにした。


 フラウアをとにかく自分だけの周りからは消して、もうそれで全部忘れて、僕たちと生きていこうとした。



 だけどその甘えた願いは届かなかった。


 フラウアは残り、地震が起き、遥は兎原ピョンの姿を失った。



「だからようやく、これで終わりなんだ。兎原ピョンは、もう世界から消えてしまった。でも、もういいんだ。私はただ、みんなと一緒に居られるなら、もうそれだけでいい」


 遥は最後にそう言うと、怪我と体の変異の影響か、また静かに眠りについた。

 彼女の新しい猫耳を撫でながら、凛と奏は優しく笑った。



 病室のドアがノックされる。

 返事をすると、そのドアが開かれた。


「失礼します。……みなさん、先日ぶりです」


 例の自衛隊の青年が、遠慮がちに部屋を覗き見ている。


 すぐに僕が先日の非礼を詫びると、青年もまた同じように、僕たちに頭を下げてきた。

 今冷静になって思えば、本来何の罪もないはずの彼に、僕たちはあまりにもひどい扱いをしてしまっていた。


 だけど彼はそんなことをおくびにも出さず、いつもの明るい表情でこちらに接してくれる。


「その人が、吉岡遥さんですか。……目が覚めたと伺ったんですが、また眠っちゃったみたいっすね」



「……重ね重ねすまないが、もう遥を放っておいてやってくれないか。私たちはもう、これ以上遥を苦しめたくない」


 凛が代表して、遥から聞いたこれまでの経緯を自衛隊の青年に伝える。

 彼はしんみりした匂いをさせて、軽くうなずいた。


「そうだったんすね。……ネットの掲示板は今、ピョンちゃんのことを心配した人たちの声で溢れてます。どう伝えるべきなんでしょうね。吉岡遥は生きているんだから、安心していいわけですけど、本当の兎原ピョンちゃんは、とっくの昔に亡くなっていて、放送ももう無いわけですから」


 青年の言葉に、凛はため息をついて彼に背を向けた。


「何も伝える必要などないさ。ネットの奴らのことなんて放っておいて、何の問題がある? 今は遥を休ませてやりたい。何もさせるつもりはないぞ」



 凛の意見はとてもシビアだが、僕たちからすれば当然の考えだ。


 他の顔も知らない誰かより、目の前の遥のことを大事にする。当たり前のことだろう。


 凛はもう青年からは興味を無くしたように、遥のそばに戻り、その寝顔の頬を優しく撫でた。

 自衛隊に対しては、最低限の義理は果たした、といわんばかりに。



「まあ、それでいいのかもしれないっすけど、ちょっとだけ不安なことがありましてね。……動画サイトが、今日復活したんです。そこの吉岡遥さんや兎原ピョンがかつて活動していた動画サイトです」


 青年の言葉に僕たちは、また彼の方を振り返っていた。


「もちろん、ほとんど誰もまだ投稿なんてしてないわけですけど。でも日本でも唯一、まともなクオリティの動画で、投稿を始めた集団がいるんすよ」


 それはもう、青年の苦々しい顔を見れば、詳しく聞かなくてもわかる気がした。

 スマホを操作してその動画サイトにアクセスする。



 やはり予感の通りだった。


 今の日本で一番再生数を集めている動画は、一部の信者が兎原ピョン、つまり以前の遥へ殺害予告を出していた、例の宗教団体のものだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ミケ…。人間て、ホント醜くて、美しいナ。 [気になる点] 閑話でもいいので、ミケと遥のエピソードが、見たいです。 [一言] カルトってホント害悪。大嫌いなんだ。
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