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【完結】終末の花と猫と百合  作者: くもくも
9章 偽りの姿
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9-5

〈……みんな……れて……かくれて……地震おさま……かくれて……ごめん、み……〉


 軋む柱。さらに崩れる天井。

 自衛隊の青年が僕を、凛が奏を守るようにして、ただ揺れが収まるのを待った。


 ラジオから、遥の声が聞こえる。

 ガラリ、ゴトリ、声だけでなく、何か大きなものが崩れるような音も。

 ガラスが割れ、散らばる音も。



 こんなときにただ一人、リスナーに身を隠せと、必死に伝えようとする遥の声。


 僕たちは大馬鹿だ。


 姿や存在を偽っていたとしても、遥のこの振る舞い、この終末の世界で彼女が何を成してきたのか、その事実だけで、何の疑う余地もなかったはずなんだ。


 ただ、無事を祈り、自衛隊の青年に覆い被されたまま、揺れが収まるまで耐えた。



〈……あぐっ!……あ……ごめん……凛、奏〉


 はっきり、ラジオからそう聞こえた。

 彼女の声は、何か、普段とは違う。


 弱々しく、そして、何かで負傷したような。


 遥は、まさか。



〈う……ユウ、助けて……私を、助けて……〉


 ラジオの音声が耳に届いた瞬間には、体の痛みは全く感じなくなっていた。


 願いも、想いも、頭の中で言葉に変わるまえに、すでに強い力に変わっていた。



 自分の体の内側から、骨や肉が蠢く感覚がある。体が気持ち悪いほど急激に再生しているのだろう。


 そうでなければならない。



 もう立ち上がれる。痛みはなく、走ることも、戦うこともできる。


 そうでなければならない。

 そう願う通りに。



 僕たちは飛び出すように庭に出た。


 言葉を交わさなくても、凛も奏も、遥の元に向かいたいと、ただ彼女の無事だけを願っていることは、わかりきっている。



「俺たちの車両を使いましょう! 吉岡遥は直接病院に運搬します!」


 自衛隊に後ろからそう声をかけられ、もう躊躇はしていられなかった。

 会わせたくないだとか、そんなことより、ただ遥を助けることだけ、それだけを優先して動くべきときだ。


 凛が迷彩柄の車両の後部座席に飛び乗る。

 自衛隊の青年は助手席に。



 エンジンがかかり、続けて奏を後部座席に押し込もうとした瞬間、背筋にぞくりとした感覚があった。


 車に上がりかけていた奏を引き戻し、そのままかばうように押したおす。

 研ぎ澄まされた猫の第六感が、急におとずれた危険を察知していた。



 何かの大きな生き物が、視界に入った。

 庭の外から塀を飛び越え、赤黒いフラウアの花びらを散らして、何かが迫ってくる。

 ちりちりとひりつくような感覚が肌に走る。


 次の瞬間には、激しい衝撃と共に、自衛隊の車両が横転していた。



 舞い上がるフラウアの影に、大きなバケモノの姿が見える。

 そしてそのバケモノからは、どこかで嗅いだことがあるような匂いがした。


 四足歩行。

 クロと同じように巨大化した、いや、クロの二倍以上に肥大化した、猫のバケモノが、激しくうなり声を上げて威嚇しながら、こちらをにらみつけていた。



「な、なにあれ……猫なの……?」


 僕に守られたまま、奏がそのバケモノを見つめ、震えたような声を出す。


 車の中の凛と自衛隊は無事だろうか?

 それを確認するにも、急いで遥の元に向かうにも、とにかくこのバケモノを速やかに排除しなければならない。



 僕が立ち上がり、爪を伸ばしたとき。


 僕の横に並び立つようにして、黒くしなやかな体のボス猫、クロが、鋭く空気を切り裂くような威嚇音を発した。



『やはり、ミケなのか。……ふん、図体ばかりでかくなったと噂で聞いていたが、この地震の隙をついて俺の縄張りを奪いにくるとは。相変わらず性格が悪い』


 クロの冷たい言葉に、巨体のバケモノが低くうなり声を上げる。

 ようやくそこで、そのバケモノの毛色が、三色に分かれていることに気づいた。


 匂いが、はっきりと教えてくれる。

 これはいつか聞いていた噂の通り、かつてこの家によく遊びに来ていた三毛猫、ミケの成れの果て。



『いいや?』


 ミケはあざけるように笑うと、3メートルはありそうな巨大な体を低くかがめ、こちらへいつでも飛びかかれる、猫のファイティングポーズをとった。


『てめえらの縄張りなんぞに興味はねえ。遥はオレの下僕だからな。……ここは通さねえよ。車の中のオスの人間たちを、あいつに会わせるわけにはいかねえ』


 言葉とともに、ミケの質量が、激しく地面を蹴りつけながらこちらへ向かってくる。


 僕とクロは、分かれるように素早くそれをかわし、低くかがんで、ミケの巨体を挟み身構える。



「ミケ……どうして、遥の名前を!」


 さっきの攻撃をかわした瞬間、そのまま反撃ができる自信はあった。

 凛を相手にするのと比べれば、いかに巨体とはいえ、ミケの動きはスローモーションかと感じるほどに遅い。


 だけど反撃をためらったのは、ミケの口から急に、僕たちのよく知る名前が出てきたからだ。



『地震の前、オレは遥に飼われていたからな。……オレは、遥を愛している。心の底からだ。……ハチ、飼い猫のお前なら理解できるよなあ?』


 ミケの大きな瞳が、僕に向けられる。


 この家の近所から、よく遊びに来ていた三毛猫。

 遥の家から、いつの間にか逃げ出していたという飼い猫。


 つまりそれが、ミケだったということだ。


 ミケからは、ためらいのない、強い決意の匂いがした。



『オレはあいつを守る。今日までもずっとそうしてきた。弱いあいつが……一人ぼっちのあいつが、バケモノに狩られないように。悪い人間たちに狩られないように』


 ミケは、姿を隠して、ずっと遥のそばにいた。


 家から出て、遥の周りからバケモノを遠ざけるため、体をここまで大きくしてまで、彼女のために戦い続けていた。


 遥はこの終末の世界でも、一人で平然と外を歩きまわっていた。

 僕ですら、一人では死にかけたこともあるくらいの世界なのに、なぜ今日まで彼女は無事でいられたのか。


 ミケの存在が、その答えだった。



『ハチ……あの畑で遥に会わせる前に、お前も殺しておくべきだったのかもな。他の人間たちと同じように。いつもオレにも優しかったお前なら、遥を守れると期待してしまった。……なのにそのお前が、どうして今、遥のそばにいないんだ』


 ミケは遥の周辺から、バケモノを倒し、減らし続けた。


 そして同じように、人間を減らし続けた。


 自衛隊が言っていたように、行方不明者が多発していたことの理由。

 僕たちがあまり、バケモノや他の生存者に出会わなかった理由。


 それがはっきりと分かるくらいに、ミケの瞳は暗い悲しみに染まり、そして強い決意に固められている。



『オレはこんなに醜い姿になっちまった。遥にどうしてもこの姿を見られたくなくてな。こうして影から守ってやるのが精一杯さ。……もう遥は、こんなオレを、愛してくれはしないだろうしよ』


 悲しみと、強い決意の匂い。

 


 だけど、僕たちも今、引くわけにはいかない理由がある。

 ためらいながらも身構えた僕に、ミケは一度下を向き、そして再びうなり声をあげた。


『そこのオスの人間どもからは、遥を敵視している匂いがするんだよ。……絶対に、あいつには会わせねえ。ここで殺す。この命にかえてもな。……邪魔をするなら、クロ、ハチ、お前たちもだ!』



 飛びかかってくるミケの脇を、黒い影が通り抜けた。


『俺の縄張りで、いつまで能書きを垂れている? ……悪いがミケ、貴様の想いなどに興味はない』


 ミケの前足から、赤い鮮血が吹き出す。

 黒い獣が、ミケの血に染まった自分の爪を、磨くように舐めた。


『あのウサギは、もうこの縄張りの仲間だ。今すぐこいつと人間どもが助けに行くだろう。……貴様はもう、ここで死ね。邪魔で、面倒で、やかましい。まして俺の縄張りで暴れた以上、生かしておく理由がない』



 体の大きさは、ミケに劣っているはずなのに。

 縄張りを守るため、世界が変わる前から、ずっと戦いを重ねてきたクロ。


 そのクロが目まぐるしく、飛びかかり、身を引き、また飛びかかるたびに、ミケの巨体から赤い血が吹き出していく。


 圧倒的な戦いだった。

 


 ミケは元々、喧嘩なんてあまりしたこともない、ただの飼い猫だったはずだ。


 それでもただ、遥への想いだけを胸に、慣れない争いに体をはりつづけてきた。


 そして今、自分よりずっと戦い慣れていて、そして自分より明らかに強いクロに対しても、いくら体を傷つけられようとも、ひたすらに、かすりもしない爪を降り回し続けている。


 ただ、飼い主の遥を守るために。

 


「待って! 話を聞いて! 二人ともやめるんだ! 遥を助けたいのはミケも僕たちも同じなんだろ!? だったら……」


 飼い猫だったハチの想いを受け継いだ僕には、ミケの気持ちも痛いほどに伝わってくる。


 僕の言葉に、クロが、そしてハチが、血まみれの姿で動きを止めた。



 だけどその瞬間、甲高い銃声が二度続いた。

 

 ミケの胸から、二筋の血が吹き出した。



 赤いしぶきの中でスローモーションのように、ミケが地面にゆっくりと、体を横たえていく。


 振り返ると、横倒しにされたままの車両からいつの間にか脱出していた凛の横で、自衛隊の青年が、拳銃を握りしめていた。



『く……人間、が、……オレは……』


 ミケの体が、みるみるまに縮んでいく。


 風船の空気が抜けるように、命が、想いが抜けていく。



『……遥……すまねえな……もう俺は、お前を……守れない……』


 ほとんど普通の猫のように縮んだミケの体は、自分の血液で赤黒く染まり、美しい三毛猫だったことも、もうわからないくらいの姿だ。


 血と、命の終わりの匂いがした。



「なんで……! なんで撃ったんだよ! まだ、ミケは……!」


 自衛隊の青年は、当たり前のことをしたのだろう。


 猫の声は、僕にしか理解はできない。

 彼は目の前の邪悪なバケモノを、いつも通りに、当然のこととして始末しただけだ。


 だけど、仕方ないで済ませるには、あまりにも悲しすぎる結末だ。



『ハチ……悪いがよ、頼みがある』


 血に染まり、体も縮んでしまったただの三毛猫が、目を瞑ったまま、ほとんど聞こえないくらい小さな鳴き声をあげた。


『あいつのところに、行くんだろ?……だったらオレも、連れていってくれよ。……寝るときはやっぱり、あいつのそばがいいんだ……』


 鳴き声が聞こえているはずのクロは、まるで興味も無さそうに、身を翻して庭の奥へ去っていく。


 猫の言葉が聞こえていないみんなは、ただ僕が血まみれの三毛猫を抱えて立ち上がるのを、何も言わず見ていた。



 フラウアの赤黒い花びらと、ミケの体から滴る血液の赤色。


「……約束する。一緒に行こう、遥のところへ」

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[一言] ミケ… 殺されそうになったし青年くんは悪くないけど、 う~む…
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