9-2
いや、つらい。やっぱり無理。
もう発情期やだ。
あれから数日経過したが、四六時中ムラムラする。
あの奏ですら、僕の相手に今日はちょっと疲れた匂いをさせていた。
自分の嗅覚が憎い。さすがにこれ以上奏に無理はさせられないのがわかってしまう。
かといって、奏の股関のマジカルパワーを強化させてしまうと、僕の命が危ない。
しかし凛に昼間から相手を頼むと、今度は物資の調達が滞る。奏一人で外に出るのは危険だから。
遥は不在のときが多いし、そもそもなんだかまだ気恥ずかしくて、僕からはそういうアプローチができていない。
一瞬、クロの体を舐め回すように見ている自分がいたことにも気づいた。
でもダメ。それは絶対、人としてNG。
『もうさっさと妊娠すればいいじゃないですか。ハチ様は頭が悪いですねえ』
気を紛らせるためにシロとかけっこをしているが、向こうも発情期で言い方にトゲがあるし、しょせんは庭のスペースで走りまわっているだけなので、大した運動にもならない。
やっぱり凛にお願いして、小一時間ほどイチャイチャさせてもらおうか……。
いや、一緒に物資調達に行けば、緊張感で気が紛れるはず。よし、それでいこう。
「いやいや……。それ一昨日も同じことを言っておいて、外のコンビニで私を押し倒しただろうが。却下だ」
ドラム缶風呂の改良作業を進め、ちょうど休憩中だった凛に声をかけてみたが、軽くあしらわれる。
そうだった。
一昨日はそれでバケモノに食べられかけたんだったね。
本当に、本当に申し訳ありません。
でもノリノリだった凛にも非はあるよね。
なんかこう、気が紛れるような新しいイベントがないとだめだな。
じゃないと、僕はもう、性欲に負けて本当のバケモノになってしまうぞ。
いやその前にもう、妊娠しちゃおう。
悪くないよ、うん、もう仕方ない。子作り万歳だ。
僕はメス猫。人間の男だった過去は、もう捨てました。
「あ、そうだユウ。なんかスマホに着信が来てたぞ」
凛に言われ、縁側で充電中だったスマホを見ると、珍しい人からメッセージが届いていた。
最初にいた避難所の病院で仲良くなった、あの自衛隊の青年からだ。
一緒に病院で戦ったときに背中を負傷していたが、もうどうやら復活したらしい。
『猫のおねーさん、久しぶりっす! 皆さん無事にお過ごしでしょうか? 急で大変申し訳ないんですが、明日、自衛隊がおたくに伺います! お昼ごろだと思いますんで、ほんとすいません! 許してください!』
ああ、そういえばこんな感じのしゃべり方の人だったなあ。
ネットを見る限り、自衛隊も色々頑張っているみたいで、本当にかっこいいと思う。僕なら絶対逃げ出しちゃうと思うな。
とりあえず、何の用かは気になるけれど、オッケーの返事だけは送っておく。
彼のことだから、きっと悪いようにはならないだろう。
怪我の具合は奏も心配していたし。
きっと自衛隊って、いい体してるんだろうな。
鍛えてるだろうしね。たくましい人ってかっこいいよね。
何人くらい来るのかな? 全員男だよねたぶん。
明日はちょっと、お茶くらい出してあげなきゃいけないよね。そのときちょっと、体も見せてもらったりとか。触るくらいならいいかな?なんならこの前の怪しいお香を使ってみるか?いやあれは捨てたんだっけ。でも自衛隊の人たちだって、たまには女の子の体に触りたいだろうし……。
「おい、どうした! おいユウ!? ……あー、なるほど、自衛隊からだったか。話には聞いていたが、そいつ、男なんだよな?」
凛に声をかけられ、ハッと意識を取り戻す。
あれ、僕、今何を考えて……。
「……なあ、一応、一応だぞ? 気を悪くするなよ? 一応言っておくが……男と浮気だけはダメだからな? 他の男の子供なんて身ごもったら、間違いなく奏に殺される」
ああああ……。僕はついに、ここまで堕ちかけてきているのか。
元は男だぞ。正気に戻れ僕。
奏の苦手なものベストスリーは、カルト宗教、男、そして寝取られの三本柱だ。もう奏を悲しませるな。
もちろん凛と遥に対してもだ。
ていうか、男だぞ相手は、男! ダメ、ゼッタイ!
「あのさ、凛。もし僕が自衛隊の前でおかしくなっちゃったら、そのときはもう、手加減しないで僕を叩いてね……」
凛の優しい目が逆につらい。もう妊娠したい。妊娠させてくれ。抱いてくれ。
自衛隊の件は遥にも伝えたところ、やはり会いたくないの一点張りだった。
念のため今日から、自分の家のほうに引きこもるとのこと。
以前から自衛隊には、兎原ピョンがこのあたりに住んでいることはバレているのだが、一切世話になるつもりはないのだという。
その意見は尊重するし、自分のウサギ化した姿を見られたくないとか、アイドルとして家を知られたくないとかの気持ちはわかるが、いつか助けてもらう日も来るかも知れないのに。
その後僕らは、余っている物資をまとめ、明日自衛隊に提供できるように準備をしたり、軽く居間を掃除したりと、明日のお客様を迎える体制を整えていった。
凛を中心にちょくちょく物資の回収は続けているので、生活はむしろかつての平和だったころより潤いつつある。
なぜかこのあたりの近場では、他の生存者たちと物資の奪いあいになることがまるでない。
最初のころにスーパーが占拠されていたのを見たくらい。
田舎だからか。
優しくかわいい恋人たちと、猫たちに囲まれた豊かな生活。
ここに飼い猫だったハチもいれば、何も言うことはなかったのだけれど。
「でも、なんで自衛隊が来るのかなあ? しかもなんでうちの場所を知ってるの?」
奏が庭を軽く掃き掃除しつつ、不思議そうに首をかしげる。
「ああ、この住所ならたぶん、避難所で書いたからじゃない? 普通の男ならストーカーみたいなもんだけど、自衛隊だし。やっぱり物資を分けてほしいとか、こちらの生存確認とかが目的じゃないかなあ」
僕も庭に隠されている猫のフンを片付けながら答えるが、ちょっと自信はない。
「なあ、このドラム缶風呂は隠したほうがいいか? 一応私たち女の浴室だし、見られるのは……いや、どうでもいいか」
凛は自衛隊の事情など気にもしていないようだが。
「いやあ、お久しぶりっす! 皆さん元気そうで、何よりでした!」
翌日。
自衛隊のいかつい迷彩柄の車で現れたのは、二名の自衛隊員だった。
結局彼らが現れたのは夕方。
やはり近隣住民の生存確認を行っているらしく、思ったより時間がかかってしまったらしい。
一名は車の見張りに待機するとのことで、結局例の青年とだけお話をする形になったが、もちろんもう一名にも凛がお茶は出してくれている。
「あまりいい話じゃないんですが、避難所を出た生存者が、大型のバケモノや人間同士の争いか何かでけっこう行方不明になってるみたいなんすよ。……まあでも、おねーさんたちならそりゃ無事っすよね」
青年は僕たちの顔を確認しながら、微妙な表情でそう言った。
僕が感じている最近の状況とは大違いの話に、いかに自分が恵まれた環境で暮らしているかがわかる。
「物資もわざわざすいません。ほんと助かります。今はもう、あの病院は避難所としては使ってないんすけどね、それでも怪我人はよく来るし。物資はいくらあっても困りません」
彼ももう怪我は全く問題なしとのこと。
怪我の治りが早い人は最近多いらしく、やはりフラウアの影響だと考えられているみたいだ。
怪我を早く治したい、そう願うことで本当に早く治るなら、人の願いを叶えるフラウアは本当に、開発された当初に言われていた、人類の希望のような側面もあるのだろう。
遥の言うような、フラウアなんて無くなってしまえ、という考え方は、人によってはもしかして反感を覚えてしまうのかもしれない。
「で、実はここにきた本題は、もう一つあるんすよ。……猫のおねーさん、今回は正直に答えてください。兎原ピョンちゃんと、交流してますよね?」
僕はどきりとして、そのまま口をつぐんだが、当然それは肯定として捉えられたようだった。
「俺もファンですから。毎日ピョンちゃんの放送は聞いてます。……ピョンちゃん、三人の女の子と仲間になったって、言ってましたよね。おねーさんたち以外で、そんな集団はこの辺にいませんよ」
自衛隊の青年は、自分のスマホを操作してこちらに見せてくる。
その画面には、遥のラジオ関係でリスナーが交流に使っている掲示板が映っていた。
「これもおねーさんたちでしょ? ピョンちゃんがネットで受けてた殺害予告。最近は収まりましたけど、たぶんこれ、おねーさんたちが宗教団体のところに乗り込んで、何かやったんでしょ?」
「すまないが、だったらどうだと言うんだ。あいつのことをネチネチ聞かれても、私たちは答えないし、気分も良くはないぞ」
凛が少し、トゲのある言い方で牽制してくれる。
殺害予告の件が収まったのは、僕らが何かをしたから、というわけではないのだが。
ネット上で僕たちによる宗教施設への襲撃の件、そして僕と凛が十字架みたいに吊るされた画像がネットに出回ってしまっているようで、もう隠しようもないレベルだ。
僕と凛は、実際には遥と奏がやっていた、フラウアを操る力を持っていると勘違いされているみたいで、凛の美貌も相まってか、ネット上では、神の使い、救世主、などともてはやされているらしい。
もう絶対あいつらには関わりたくない。
「……もちろん、自分も好きでこんなこと確認してるわけじゃないっす。ピョンちゃんのこと、大ファンだから、自分だって信じたくないんすよ。でも……これ、見てください」
次に自衛隊の青年は、ファイルからA4の紙を僕たち三人分取り出し、それぞれにわたしてくれた。
「東京の方で、ピョンちゃんの所属してた事務所の人が生存してたのがわかったんです。自衛隊も例のラジオはさすがに把握してますし、当然自衛隊の中でも、ピョンちゃんのことは何なりコントロールできなければ危険だと、そういう意見も出てます」
「もったいぶるな。どういうことなんだ」
凛は明らかにイライラ顔だ。
遥のことをあれこれ言われて、僕だってだんだん腹は立ってきている。
申し訳ないがこちらはバリバリの発情期。今の僕をあまり怒らせないほうがいいぞ。
「これ、その事務所の人に無理やり提供させた、かつての所属者の芸名、本名、住所、本籍地のリストっす。……バツ印が付いている人は、残念ながら、すでに死亡が確認されています」
知らない人たちの名前が、たくさん並んでいるリスト。
かなりの数に赤いバツ印がつけられている。
だけど、だから何だというのか。
不憫ではあるが、別に僕たちは遥以外のVtuberに興味なんてない。
そう思ったとき、ようやくリストの下のほうで、見覚えのある名前を見つけた。
いや、その名前の半分は、なぜか見覚えがなかった。
兎原ピョン。
本名、田中美琴。はじめて聞く名前。
赤く、バツ印。
「兎原ピョンちゃんの中の人、田中美琴さんは、すでに死亡しています。早期に遺体が確認されていて、間違いはなさそうっす。……このあたりに住んでいる可能性がある人物は、唯一この人、吉岡遥。数ヶ月前に体を壊して引退したはずの、全く別のVtuberだった人です」
青年が指差したリストの最下部には、知らないVtuberの名前の横に、どうしてか僕たちの愛する遥の名前が並んでいた。