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「ねえ、一応もうちょっとだけ頑張ってみない? 遥の話はもう聞けたわけだけど、ラッキーすぎて逆に怪しいっていうかさ」
凛のため息がかわいそうになり、少しでもワクワクイベントを増やしてあげられないか、という考えで一応提案してみると、遥が後ろでパンと手を叩いた。
「猫女! アンタかしこい! 確かにちょっと怪しい気もするぴょん! こっちの潜入に気づかれてるとか? 一応もうちょっと他の人と話したりして、リアクション確認して欲しいぴょん!」
このウサギ、ノリノリだな。
そして声が大きい。
周りにバケモノの気配はまだ感じないが、さすがにちょっとビビってしまう。
『……なるほど、この私を欺こうとしている可能性が……! 盛り上がってきたな、ちょっと偉い雰囲気のおっさんでも捕まえてみるか。この私の溢れ出る色気があれば、イチコロだろう』
インカム越しの凛の発言に力がみなぎってきた。よしよし。
でも無茶はしないでね。誰かと適当にお話するだけだよ。たぶん、ほぼ間違いなく無意味だろうけど。
凛がトイレから出る音が聞こえ、しばらくは周りのガヤガヤが聞こえた。
三分ほどそのまま、次の展開をワクワクしてこちらも待っているのだが、特に何も近くでは会話が聞こえてこない。
奏はハッとしたような顔になると、金色の髪をかきあげる。
「……もしかして凛、ちょっとコミュ障が出ちゃってるんじゃない? ねえ凛、頑張って? 誰でもいいから、一回声かけてみよ?」
『……っん! んん!』
咳払いで返事が帰ってきた。
いかん、緊張してやがるなこれは。知らない人に話しかける難しさ、よくわかる……。
「ち、ちょっとアンタ! さっきのやる気はどこに消えたぴょん!?」
コミュニケーション能力マックスと思われるウサギさんは、もどかしそうに膝をパンパン叩きながら叫んでいる。
彼女にはコミュ障の僕たちの気持ちはわからないのだろう。
でもちょっと、それはともかくとして、声が大きいってば……。
『おや、探しましたよ。あなたは、今日初めて来て下さった方ですよね?』
急に凛のインカムから、おじさんっぽい声が聞こえてきた。
『ふふ、よろしければ、ぜひ奥の部屋にいらっしゃいませんか? 今ちょうど、若い信者の方を集め、勉強会のようなものを始めているところなのですよ』
あ、怪しい!
洗脳とかエッチな儀式とかだろ絶対!
『は、はい……。私でよろしければ、ぜひ……』
か、かわいい!
普段の凛のしゃべり方とのギャップがすごい!!
「きたきたあ! 向こうから来たね! 気をつけなさいよアンタ! もし気づかれてたら、いきなり監禁とかやられるかも知れないぴょん!」
心配しているのやら、ワクワクしているのやら、なんだかウサ耳をピンと立てて楽しそうな表情の遥に、またインカムを爪で弾くような音で凛からの返事が帰ってきた。
ちょっとこれは、あまり良くない状況になってきているのでは……。
しばらく、おじさんのなんだか胡散臭いけど優しい雰囲気の言葉がポツポツと聞こえるなか、足音が続き、扉を開け閉めする音も何度か続いた。
『さて、喉は乾いていませんか? こちらのお茶をお飲み下さい。本部から頂いたものです。神の奇跡の片鱗を味わうことができる、貴重なものですよ』
「凛! 絶対やばいやつだそれ! 飲むフリ飲むフリ! 絶対飲んだらダメだよ!」
ノータイムでヤバさに気付く、あまりにも怪しいおじさんの言葉。
危ないお薬か、睡眠薬か。間違いなく何か混ぜられている。
『ふふ、お綺麗な方ですね。神もきっと、お喜びになるでしょう。むふふふ』
あーこのおじさんの言葉。完全にアウトでしょ。
スパイ疑惑どころか、狙われてるじゃんか性的に。笑い方もなんとなく気持ち悪いし。
もう遥のラジオのことは間違いなく関係ない。
凛の見た目をかわいくしすぎたせいで、別の危ないことに巻き込まれているだけだ。
椅子に座るような音がしてしばらくたつ。
凛がお茶を飲み終わるのを待っているのだろうか?
『……よし、今は私一人だ。……おっさんが入っていったもう一つ奥の部屋から、明らかに怪しい……っていうか、たぶんあれだ、あの、エッチな声が聞こえる。あいつ、明らかに私を狙ってるな。目がもう、完全にエロおやじだった。……突撃するぞ? いいな?』
「まじかぴょん! ははっ! やばい! 行け行け! 本当に面白くなってきたぴょん!」
妙に気が合ってしまった二人に、僕と奏は顔を見合せた。
「待って待って凛! 危ないからもう逃げちゃおう? 明らかにもうスパイとは思われてないでしょこれ!」
僕は言うなり、隠れていた居酒屋入口の階段からパッと飛びだす。
奏が立ち上がると、凛のいる建物までに咲いている大量のフラウアが赤黒く変色し、細い一本の獣道が出来上がり、視界が開けた。
やるなあ奏!
舞い上がる赤い花びらが、強く吹いた風で高く飛んでいく。
こうなれば僕が突入して、なんとか凛を捕まえて帰るしかない。
やめろやめろとインカム越しに言い続けてはいるが、もう完全に凛はその僕の言葉を無視しはじめている。
面白半分で凛がエッチな何かに巻き混まれるのは絶対にNGだし、一番ありえるパターンとして、凛がエロおやじを殴ったりして、悪くすればコロッと死人が出てしまうことも非常に良くない。
なんとか凛を止めなければ。
『ようし、突入だ』
ガチャガチャと扉が開けられる音を聞きながら、僕は建物へ向けて全力ダッシュを開始した。
カルトの奴らが相手だとしても、人殺しはさすがによくないぞ!
残した奏と遥の方が不安だが、奏もこちらに走りながら、手を振ってくれているのが見える。
遥もなんだか嬉しそうな表情で飛びだして、作業着のフードをしっかりかぶってウサ耳を隠しつつ、行け行けとこちらに手を振ってきた。
まあたぶん、遥がいればなんとかなるか。今のところバケモノの気配はないし。
『おやあなた。むふ、ふふ、待ちきれませんでしたかな? どうです、あなたも神の奇跡を体で感じてきましたか? いやしかし、本当にお美しい方だ。どうぞ、どうぞどうぞこちらへ』
インカムから、いかがわしいにもほどがあるおじさんの声が。
そしてその後ろからは、明らかに、真っ最中、といった感じ女の声が、何人分も聞こえてくる。
アウト! 完全にアウト!
僕はほとんど四足歩行気味の全力疾走で駆けぬける。
辺りの景色がぐんぐん後ろに去っていき、こちらに気付いた建物入口の見張りの人の、ぎょっとした表情が目に入った。
『……イカれた連中め。やはり飲み物に何か仕込んでいたな? おいそこのお前ら! 今すぐその、その、なんだ、プレイを! プレイをやめろ! アホか!』
ついに凛の化けの皮がはがれた!
インカムからの声に続いて、何か爆発したかと思うような大きさで、椅子か何かが吹きとばされる音が響く。
やりやがった。なぜ、なぜわざわざ暴力的なやり方を選ぶんだ……。
悲鳴のようなものが辺りから聞こえ、そしてほとんど同時に建物の窓ガラスが激しく割れ、椅子か何かが外へ飛びだしてきた。
古いアニメみたいな驚きの光景。凛の馬鹿力で投げとばしたにちがいない。
『な、なんですかあなたは! やめなさい! 誰か! その女を抑えて! ひぃっ!!』
おじさんの悲鳴と、また何かを殴りつけるような轟音。
『やめなさい! そのお香も貴重な……! ああっ! だめぇ! 早く取り押さえて! このお薬を注射すれば大人しく……ああっ! だ、だめぇ!!』
聞きたくもないおじさんの気色の悪い悲鳴が続く。
内容は明らかにアウトだが、状況的にはむしろこちらが同情してしまうようなレベルだ。
僕は椅子が吹きとんできた窓から侵入すべく、窓の下へ駆けていく。
フラウアの花びらが舞う中で、両足にぐっと力を込めた。
『おらっ! 私に触るなゲスども! 命が惜しくないのか!? ああん!?』
凛の急変した、いやようやく本調子となった悪役チックな発言と、部屋の中で鳴り続く暴力的な轟音。
もうどっちが悪役なのか、めちゃくちゃな状況だ。
『そんな薬やエロい儀式なんぞで、人の心が芯から救われるものか! お前ら全員、私がぶんなぐって矯正してやろうか!!』