6-4
それから一時間くらい、遥と二人、のんびりおしゃべりをして過ごした。
しばらく警戒を続けていた猫たちも、ちょくちょく遥にまとわりついては、頭を撫でられて満足そうに離れていった。
「今日は誘ってくれてありがとね。すっかり癒されたぴょん」
遥はウサ耳をピンと伸ばして、優しい表情で空を眺めていた。
車の走る音がだんだん近づいてくるのが聞こえた。
聞き覚えのあるエンジン音。凛と奏がようやく帰ってきたみたいだ。
遥はウサギらしくぴょんと跳ねるように立ち上がり、自分の分のキャベツが入った袋を抱える。
「アンタのお仲間、やっと帰ってきたみたいだね。あんまり見られてもあれだし、あたしはもう行くから」
庭先へ出た遥は、可愛らしく僕に手を振る。
その表情はアイドルらしく、とても美しいけれど、何故か彼女の匂いからは、あまりうまく感情を読みとることができない。
「え、別にまだゆっくりしていってくれても……」
僕が言いかけたとき、彼女の周りから、久しぶりのフラウアの匂いがした気がした。
次の瞬間急に、家の外から車のブレーキ音が聞こえた。
庭を囲む塀の外から、フラウアの赤黒い花びらが、風に舞い上がるところが目にうつる。
しっぽの毛が逆立つような、嫌な感覚があった。
「そのフラウア、すぐ枯らすから心配はいらないからね……って、やば。……アンタの仲間、すごいやつが混じってるみたいだね」
遥の言葉は何が何やら理解できなかったが、彼女に指をさされた方向、道路の方へ駆けよる。
そこには奏の車が不自然に急繁殖したフラウアに囲まれて、でもその進路だけは避けるように花が道を作っていた。
車の中で、奏と凛もキョロキョロとあたりを見回しているのが目に入る。
おかしい。
ほんのさっきまで、家の前の通りまでは、フラウアはほとんどなくなっていたはずなのに。
これは、何が起こっているんだ?
何か理解していそうな口振りだった遥の方を振り返ると、何故か隣の家の方から、塀を乗り越えるようにして伸びてきたフラウアの茎が見えた。
彼女はその茎を当たり前のことみたいに掴むと、ニヤリと笑ってこちらに手を振る。
まるで遥のために伸びてきたようなそのフラウアは、まるで遥のためみたいにまた形を変え、彼女を塀の上まで持ち上げた。
全く理解できない光景だった。
いや、似た状況は見たことがある。
あの地震の日、自分の願いでフラウアが僕に道を開けてくれたあのとき。
だけどこれは、そんなレベルじゃない。
車が庭に入ってくる音。
「おいユウ、無事か!? なんだか外のフラウアがおかしい!」
車から顔を出して叫ぶ凛の声に重なって、塀の上から遥は、何か小さな声で口を動かした。
次の瞬間には、塀を飛び降りて向かいの家に姿を消したけど、僕のハチ譲りの聴覚は、彼女が置いていった言葉をしっかりと捉えていた。
フラウアは、人の意思でどんなふうにもかわるから。
だからアンタたちは、この世界に絶望しちゃだめだよ。
「……なあユウ、正直に言え。さっきからぼーっとしてばかりで、おかしいぞ。お前、私が気づいていないとでも思っているのか? ……誰と一緒にいた? まさか、いきなり浮気じゃないだろうな」
回収してきた化粧品なんかの物資を畳の上に並べながら、凛は難しい表情をしている。
奏は何やら道路の方を見て変な動きを続けており、クロが心配してかウロウロとその周りを動き回っていた。
さっき遥がしていたことが、頭の中でぐるぐる回っている。
まさか、遥はフラウアを操っていた?
意思の力で、魔法みたいにフラウアを意のままに操ることができるのか?
適当に念じてみても、さっき遥が掴んでいた、塀のところのフラウアの茎はやはりピクリとも動かない。
フラウアを動かすほどの願いとは、あの地震のときに僕が願ったように、命を振り絞るような強い願いでなければならない。
勝手に僕はそう思っていたのだが。
「おい、ユウ! なんとか言え! あのフラウアの妙な動きも、何か関係があるのか!?」
凛は少し声を荒げて僕の肩を掴む。
その痛みに僕が顔をしかめると、彼女はハッとしたように手をはなした。
「す、すまない。暴力を振るうつもりでは……違うんだ。すまない。かわいい彼女に暴力なんて……」
急に焦りだした凛の慌てように、ようやく僕も頭がきちんと働きだした。
「いや、大丈夫大丈夫。こんなことで暴力なんて思ってないよ。ていうか、かわいい彼女って……。僕、一応元男なんだけど」
僕の言葉に凛はほっとしたような表情になると、すぐ優しい表情になって、僕にキスをしてきた。
その柔らかい感触に夢中になっていると、ふいに彼女から、とても性的な感じの匂いがした。
しかしどこか、少し時間がたったような、しばらく前に何かそういうことをしていたような匂い。
「凛、けっこう帰り遅かったけど、そういうことか……。奏と二人だけで、色々、その、してたんでしょ……」
キスで火照った体は、一瞬ですっかり冷めてしまった。
もやもやする。すごくもやもや。
凛と奏が仲良しなのはいい。何にも悪くない。でも、なんか寂しい。もやもやする。
「え!? いやそれは……。ユウだって私がいないとき病院で、奏と色々やってたじゃないか。ほら、二人きりならキスくらいするだろ? 今だって私たちもしてたじゃないか」
それはそうだけど、なんかもやもやが止まらないんだけど。
わかるけど、悔しいっていうか。
自分のことを棚に上げるのはよくないけど、でも納得がいかないというか。
プリプリしてそっぽを向き、ちゃぶ台にキャベツを並べて置いた僕に、しかし凛はなぜか嬉しそうに笑いながらまとわりつき、僕のしっぽをにぎにぎと触ってきた。
「ふふ。ユウ、自分じゃわかってないかも知れないが、今のお前めちゃくちゃかわいいぞ。嫉妬したのか? ん? ……あー、かわいい。なあ、ちょっとこっち向いてくれ。なあユウ」
う、うざい!
かわいいとか、言われなくないし!?
絶対振り向かないぞ、と固く誓ったけれど、すっと前に回り込まれ、また唇を奪われた。
やめて。今そういう気分じゃないから。
そう思えたのは最初の三秒くらいで、すぐにその凛の唇の魅力に頭を溶かされてしまう。
「あー! また二人だけイチャイチャしてる! ずるいずるーい!」
いつの間にか戻ってきた奏は、何故か手にフラウアの花を引っこ抜いて持ち帰ってきていた。
可愛らしい金髪の美少女が赤い花を抱える姿はとても絵になるが、根っこごと持ち帰ってきたようで、なんだかそのフラウアの根っこの赤黒い色合いが際立って気持ち悪い。
フラウアの根も、今初めて見た。なんか思ったより普通の花っぽい根っこ。
「それより二人とも見て見て! わたし、すごい発見しちゃったよ! ちょっと来てよほら!」
奏はそう楽しそうに言いながら、僕らを連れてまた庭に戻っていく。
奏はいそいそと素手のまま庭の土を掘り、そこに持っていたフラウアの根を埋め戻すと、優しく土を被せた。
「急にどうしたの奏。手が土だらけだよ。ほら、先に手を洗っておいで?」
縁側に腰掛けながら僕が言うと、奏は庭にかがんだ姿勢のままこちらを振り返り、頬を膨らませた。
「もう……これからだから。見てよちゃんと。びっくりさせてあげるからさ!」
奏は立ち上がって僕の手をとり、無理やり引っ張って、植えたフラウアの花のそばへ連れていく。
なんだなんだと、凛も後ろからついてきている。
「ユウ、わたしたちがいないときに、誰かこの家に連れ込んだよね? さすがにわかります。浮気じゃないって信じてるけど、でもやっぱりわたしは不安です」
奏は鮮やかな金髪を夕方の日差しで輝かせながら、こちらにニヤリと笑いかけた。
「そのくせわたしたちには嫉妬したりして、ちょっと、自分がわたしたちにいかに愛されてるか、まだ理解できてないみたいじゃん?」
いたずらっぽく笑う奏の声に合わせて、何かまた少しだけ、フラウアの花びらの匂いがした気がした。
植えられたフラウアに目をやる。一本だけ植えたはずなのに、何故か、三本、いや四本、とんでもない速度で繁殖してきている。
ぞっとして奏を見ると、いかにも嬉しそうに、その瞳が輝いていた。
「へへ、気づいた? これからユウのこと、この力でわからせてあげるからね。……やっちゃえ! わたしのフラウアちゃん!」
ふざけたような奏の声に、赤黒い花びらが舞う。
急激に伸びたフラウアが視界を遮り、僕の体に絡み付いた。
6章は以上です。
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