6-3
「す、ストップ! 争うつもりはないぴょん!」
こちらの臨戦態勢を見てのことか、電柱に隠れたままの気配から声がした。
シロと警戒を続けたまま目を合わせる。
「その畑の野菜、あたしが先に見つけたんだぴょん! だからお願い! 荒らさないで! 一個でいいから残しておいて!」
なんだか聞いたことがあるようなしゃべり方。可愛らしいけれど、クセの強い声質。
少なくとも敵意は感じられない反応に、僕は一旦爪を収め、威嚇の姿勢を崩さないシロの頭を撫でてあげた。
「話が分かりそうなやつで良かったぴょん。提案だけど、その畑の野菜、あたしと半分こでどう? 同じバケモノ人間のよしみってことでさ。道路側の半分はアンタに譲るぴょん」
電柱から顔を覗かせたその頭には、白く長い耳がついていた。
ウサ耳。間違いない、兎人間だ。
しかもその可愛すぎる顔。見覚えがありすぎる。
以前に仲良くなった自衛隊員がスマホで見せてくれたあの人。
この近所に住んでいると噂のあった、あのウサギハラなんとかちゃんに違いない。
「へー。じゃあアンタ、そのお友達と女の子三人で暮らしてるってわけぴょんか。ふーん、まあ、アンタもその猫耳……っていうか全体的に猫っぽさあるし、避難所じゃ苦労しそうだもんねえ」
こちらに敵意がないと見るなり、堂々と近づいてきたそのアイドル様。
どうやら言葉が通じていないらしいシロにちょこちょこ威嚇されつつ、キャベツを1玉回収している。
こちらも挨拶して色々話していくが、うまく話を逸らして自分の名前、正体を明かしてこない。
この感じ、間違いなくアイドルだ。
やはりこの人が、あの夜のネットラジオをやっている、元Vtuberさん。
この終末の世界ではあまりにも場違いな可愛らしすぎるスカート姿で、農作業は似合わないにもほどがあるが、周りの派手なフラウアの赤色を背景にして見ると、やはりちょっと一般人とはかけはなれた美しさがある。
見た感じ、僕らとそう年齢は変わらなそうな感じだけど、背は僕よりさらに低いわりに、なかなか風格がある人だな。
『なるほど。ハチ様、こいつおそらく草食動物ですね。コソコソするのは得意みたいですが、実に貧弱な匂いがします。食べてやりましょうか? クロ様へのお土産にいかがです?』
僕の足元に隠れて内弁慶気味にシャーシャー言っているシロをなだめるため、この人は食べちゃだめだよ、と言いつつ頭をがしかしと撫でておく。
僕もそうだけど、奏はこの人のことをすごく気に入っていたようだし、ぜひ会わせてあげたいものだ。
少なくとも食べてはいけない。
「あのさ、良かったらこの後うちに遊びに来ない? 仲間もいるから結構安全だよ? あ、いやもちろん無理にとは言わないけど、ご近所付き合いっていうか。……いや違うよ? ナンパとかじゃないよ?」
僕の怪しい言葉にウサギハラさんは一瞬眉をひそめたが、しかし急に、ハッとしたように身をかがめると、キョロキョロと周りを見回し始めた。
長い耳がくりくりとレーダーのように動いている。
数秒遅れて、僕も体毛が逆立つような感覚で気づく。
ほとんど同時にシロがあわてて、大きなキャベツの影に飛び込んでいった。
ぶわり、ぶわりと、空から聞こえる羽の音。
鳥のバケモノの影が、こちらに近づいてきていた。
「……ごめん、もしグロい感じのが苦手だったら、少し目を閉じておいて」
僕はさっき一度はしまっておいた、ハチ譲りの自慢の爪を再度伸ばして身構える。
ウサギハラさんは僕の背に隠れるようにして、空を睨み付けていた。
鳥のバケモノはどうやら一匹。
気配、サイズからしても、充分なんとかなりそうな相手だ。
「なんだ、アンタこの猫屋敷の人だったんだ! 前から知ってたよこの家。この辺じゃ有名だもんねえ。うひゃひゃ、それで他の猫とも協力してサバイバルかあ、すげえぴょん! あんなデカくなった黒猫も手懐けてるんだ。さっきもめちゃくちゃ強かったけど、やるじゃんアンタ!」
実際は手懐けているというわけでもないけれど、男としてはこんな可愛い人に褒められて嬉しくないはずはない。
鳥のバケモノも見事に一撃で仕留めることに成功したし、実際かなり鼻高々である。
一方でその手懐けられているっぽいクロや他の猫たちは、縁側に来てくれたウサギハラさんのことを、遠目に警戒心剥き出しでにらんでいる。
シロも帰り道ではだいぶ慣れてきた感じだったくせに、みんなのリアクションを見るなり、すっかりあちらサイドに加わってしまった。
見た目のちんまりとした愛らしさに反して、性格はなかなかかわいくないやつだ。
「ねえみんな。急にお客さんを連れてきちゃってごめん。でもこの人は敵じゃないからね。非常食でもないよ!」
思わず口から出た非常食という言葉に、ウサギハラさんの長いウサ耳がピクリと反応したが、とりあえず気づかなかったことにして、カセットコンロで淹れたお茶を出してあげる。
僕の言葉にしぶしぶ解散しはじめた猫たちを見て、ウサギハラさんもほうっと息を吐いた。
「あー、いいねえこの家。すっごい落ち着くぴょん。……猫も可愛いしさあ。ウチも猫飼ってたんだよね。今は、行方不明なんだけどさ」
ウサギハラさんは湯飲みを手にとりながら、少し寂しそうな目で言う。
長いウサ耳が片方垂れ下がって、可愛らしいけれど、いかにも同情を誘うような雰囲気だ。
「もし良かったら、そのいなくなっちゃった猫のこと、ここの猫たちに頼んでみようか? このあたりの猫同士でいろいろ情報交換してるみたいだから、きっと探してくれると思うよ」
お客様用のお菓子もお皿に出しつつ、チラチラと顔色を伺ってみるが、ウサギハラさんの表情は変わらない。
「ううん、いい。あいつさ、地震のあった日に、自分でうちを出ていったみたいなの。ガラスの割れた方向で分かったよ。ていうかガラス割って出ていくなんて、たぶんバケモノになっちゃったんだと思う。……だから、もういいの」
語尾の「ぴょん」が無くなっている。
この人の本当の話し方がこれなんだろう。
彼女の抱える寂しさが、匂いで悲しいくらい伝わってきて、なんだか僕は涙が滲んできてしまった。
猫の悲しいお話は僕の弱点なのだ。
「わ、なにアンタ!? 泣いてんの!? ……ふふ、だっさ。今日初めて会ったってのに、涙腺弱すぎじゃない? ……でも、ありがとね。……ぴょん」
後から無理やり付け加えた語尾に、二人で目があって、僕も涙目のまま笑ってしまった。
それから僕らはしばらく、お互いのことを探り探りおしゃべりした。
彼女は、決して自分が元Vtuberで、今もネットラジオの放送を行っているアイドルであることを明かそうとはしない。
だけど、それに気づいているくせに、当たり障りのないことばかり話す自分が嫌になる。
話を続けるほど、ウサギハラさんがとても良い人で、隠し事をしているのが耐えられなくなってくるけれど、しかしこの人が、僕にそうした自分のことを知られたいなんて、望んでいるとは思えなかった。
「あのさ……自衛隊の人が言ってたんだ。このへんにウサ耳の女の子がいるって。たぶんキミのことだよね」
僕の言葉にウサギハラさんは、やっと言ったか、とばかりにニンマリと笑った。
「やっぱ知ってたんだ。アンタ、こんなウサ耳見ても全然驚いてなかったしね。はじめからあたしのこと、知ってたんじゃないかとは思ってたよ。もちろんあたしのこと他にも……」
ウサギハラさんは言葉を止めて、お茶を一口すすった。
きっと彼女は気づいている。僕が自分のことを知っていることに。
「……いや、なんでもないぴょん。で、自衛隊がなんであたしを?」
だけど彼女は、片方のウサ耳を曲げたり伸ばしたりしながら、アイドルではない自分、その演技を続ける。
「……もしキミを見つけたら、教えて欲しいって言われてる。こんな危ない世界だからね、自分たち自衛隊で助けてあげたいって、そう言ってたよ」
彼女からは、あまり動揺した匂いは感じない。
表情を変えずにお茶を飲みながら、僕が知らないフリを続けていることに、むしろどこか嬉しそうな匂いすらさせている。
「ありがたい話だけどね。でも避難所には行けないよ。……あたし、こう見えて結構忙しいんだ」
彼女はこんな終末の世界で、たった一人で暮らしているらしい。
だけどそれはどんなに心細いことだろう。
あまりにも寂しい孤独な暮らしの中で、彼女はたった一人、みんなのためにラジオ放送を続けているのか。
「なら、自衛隊には言わないでおくよ。……ねえ、良かったら僕らと一緒にここで暮らしてみない? 食べ物だって、安全の確保だって、その方が……」
僕の言葉を遮るように、ウサギハラさんは首を横に振り、少し笑った。
悲しいような、でもどこか喜んでいるような、不思議な匂いだ。
「アンタちょっと優しすぎなんじゃない? 大丈夫だよ気にしなくて。迷惑、かけたくないし。あんたの仲間のこともよく知らないし」
お菓子を一つ手にとり、くるくるともてあそぶウサギハラさん。
「……そうだ、連絡先だけ交換しようよ。あたしがバケモノに襲われたら、アンタが助けにきてね。アンタめちゃくちゃ強いんだし」
絶対行くよ。呼んでくれたら全力で走っていく。
強いなんて自惚れているわけじゃないけど、少なくともこうやって知り合った人を見捨てたりはしないよ。
そう思ってはいるけれど、きっとこの人はバケモノに囲まれていたって、僕に助けを求めたりはしないんだろう。
そんな気がした。
「え!? なにこの名前! ごっついぴょん! タニザキダイジロウ!? やっば! うひゃひゃ!」
メッセージアプリで連絡先を交換するとき、初めて自分のスマホの元の持ち主の名前を知った。
「ごめん、このスマホ拾ったやつなんだ。自分のはこの体になったときに無くしちゃってさ。……僕の名前はユウ。林田ユウだよ。よろしくね」
ウサギハラさんは、まだ可笑しそうに明るく笑っている。
「うひゃひゃ! よろしくねダイジロウちゃん。あたしはウサギハラ……」
言いかけて止めた彼女からは、僕を試すような、いや、感情がうまく読み取れない、底知れない何かの想い、願いの匂いがする。
「いや、吉岡遥。遥でいいよ」
少なくとも、今僕の中でこのウサ耳の女の子は、遥さんという名前になった。
それは彼女の本名なのかもしれないし、今適当につけた嘘の名前なのかもしれない。
だけど名前なんてなんだっていい。
今日からこの人は、新しい僕の友達だ。