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【完結】終末の花と猫と百合  作者: くもくも
1章 終末の始まり
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1-2

 脇腹に、激痛が走った。


 凄まじい地震の揺れに、耐震機能なんて何一つない古びた僕の家の天井は崩れ、瓦礫が僕たちに襲いかかった。


 揺れが収まるまで、脇腹の焼けるような痛みのこと以外、何も考えられなかった。



 長い長い揺れが止まり、辺りを見回す。


 フラウアの変異した赤黒い花びらが、崩壊した瓦礫の上に広がっている。

 その中で、奏のそばに真っ赤な液体が広がっていた。



 嘘だ、嘘だろう? こんなの。


 僕は奏の方に駆け寄ろうとして、自分の脇腹に走る激痛でそのまま瓦礫の中に倒れこんだ。


 口の中に血の味が溢れる。

 そのまま、大量の血を瓦礫の中に吐いた。

 

 激しい目眩がしたが、止まるわけにはいかなかった。


 目の前に、金髪の頭と細い足から血を流す、奏の姿があったから。



 顔を寄せると、まだ息をしているのが分かった。


 ……だけど、意識がない。


 僕は自分の着ていたシャツを脱ぎ、比較的出血のひどい奏の太ももに巻き付け、強く縛った。

 シャツは奏に触れる前から、僕の血で真っ赤に染まっていたようだった。


 おしゃれな奏が、首にストールを巻いていたのは幸運だった。

 僕はそれを外し、出血している奏の頭に巻き付けた。


 きちんとした止血のやり方なんて知らない。

 ただ、強く縛るしかない。



 そこでようやく、救急車を呼ぶべきだと気づいた。


 ポケットからスマホを取り出す。

 自分の体からたくさんの血が流れているのが見えた。奏の出血量よりも、それは明らかに多かった。


 また、吐血した。体から力が抜けていくのがはっきりわかる。


 時間がない。

 たぶん、僕はかなりまずい状態だ。だけど。



〈耐えろ。まだ、倒れるな。〉


 

 震える手で、119を押した。


 電話は、繋がらなかった。


 たぶん、たくさんの人が、同じように119をコールしているのだ。


 もう一度かけても、もう一度かけても、繋がらなかった。


 

 口の中には、また血の味が溢れていた。


 振り返ると、ハチが弱々しい瞳でこちらを見つめていた。


 しなやかで美しかったはずの後ろ足が、両足とも潰れている。

 血はでていないけれど、明らかに他にもどこか痛めているようだった。

 こちらを見つめて、口を少し動かしているけれど、鳴き声すら出ていない。


 ハチ。

 呼ぼうとしたけれど、僕もほとんど声がでなかった。


 もう一度119をコールする。繋がらなかった。

 もう、自分の体の痛みはほとんど感じなくなっていた。



 スマホから、メッセージが届く音がした。


『二人とも無事か? 私は大丈夫だ』


 どこかの運動場からの、凛のメッセージだった。


 良かった。

 メッセージは届くんだ。


『奏が怪我 意識ない 119ダメ 市立病院向かう』


 文字をうつたび、スマホの画面が自分の血に染まっていく。

 送信できたはずだが、既読になったかは確認している暇はなかった。


 あえて、自分の怪我のことには触れなかった。

 だけどこれできっと、凛は理解してくれるはずだ。

 きっと凛なら、119をコールしながら、近所の市立病院から僕の家までの間を全力で探してくれるはず。



 僕は、感覚が薄れた自分の体を無理やり動かし、まだ意識のない奏の腕を掴むと、背中にその力のない体を背負った。

 奏の十字架のネックレスが僕の肩に当たる。


 また、口の中に血が溢れたけれど、不思議と脇腹の傷は痛まなくなっていた。


 畳に散らばっている、変質したフラウアの花びらの朱色が、僕の血で鮮やかな赤に塗りつぶされていく。

 僕は奏を背負ったまま左手で、ぐったり横たわるハチを拾いあげた。



 せめて、庭まで出なければ。

 この古い家は、地震の影響でいつ崩壊してもおかしくない。



〈なんとしても、奏とハチを運び出すんだ。〉



 普段自分のことを、女の子みたいに非力だと嘆いていたが、踏ん張ると意外とそのまま歩くことができた。


 縁側から庭を見て、がく然とした。


 庭には、撤去したはずのフラウアがまた異様な速度で繁殖し、変異した赤黒い花びらで、地面を埋め尽くしていた。

 そのフラウアはこれまでより明らかに背が高く、ここで倒れたら、凛か救急車が助けにきてくれたとき、奏とハチを見落とす恐れすらあった。


 視界が歪んだ。

 血を失い過ぎたからかもしれないし、フラウアの強烈な臭気にやられたからかもしれない。



『友達は大事にすること。だって大好きな友達だから』


 さっきの奏の言葉が頭に浮かんだ。


 背中の奏からは、まだ息をする音がする。

 左手で抱き抱えたハチの体は、まだ暖かかった。


 黒猫のクロの姿は見えない。

 無事でいることを、信じるしかなかった。



〈奏とハチは、絶対に助けてみせる。〉


〈歩け。歩け。〉



 病院まで進むんだ。少しでも開けた場所へ進むんだ。


 自分でも驚くほど、体が言うことを聞いてくれる。

 一歩ずつ、ずん、ずんと前に進む。


 憎らしいフラウアの花を踏みつけ、一歩ずつ、前に進む。


 

 家の前の道路も、フラウアの醜悪な赤色だらけだった。

 腰より高いくらいに伸びたフラウアからは、甘いような腐ったような、気持ちの悪い匂いがする。

 一瞬ふらりと意識が遠退いたけれど、まだ、まだ倒れるわけにはいかない。



 家の前の道は、左に進めば市立病院が近い。


 ハチを治療するための動物病院は逆方向だったし、そもそも距離がありすぎる。

 大地震の直後で、営業しているとも到底思えない。


 市立病院で何かしら手当てしてくれると信じて、ハチも一緒に連れていくしかなかった。


 一歩ずつ、前に進む。



 ごめん、ごめんなハチ。

 きちんと守ってあげられなくて、怪我させてごめん。

 すぐ、動物病院に連れていけなくてごめん。


 一歩ずつ、前に進む。



 せめて、なんとしても市立病院までたどり着かなければ。


 道路がフラウアに埋めつくされて、ほとんど前が見えなかった。

 フラウアの茎が邪魔で、歩くたびに抵抗を受け、赤黒い花びらが舞う。



〈邪魔だ、どけ。このクソ花、どけ!〉



 一歩ずつ、前に進む。


 急に、視界が開けた。

 獣道みたいに、なぜかフラウアがさらに赤黒さを増して左右に分かれており、僕の進む道が開けている。



 生物の願いを叶える花、フラウア。


 

 最初、ニュースで見たアメリカの発表は、手品としか思えなかった。


 餌とネズミを、大量のフラウアで遮り、ネズミは餌を取れない状態にする。

 1日たち、ネズミが餓えると、急にフラウアが赤黒く染まって左右に別れるように広がり、道ができる。


 ネズミが餌に貪りつく姿を見せ、アメリカの研究者は、このフラウアを世界の希望だと言った。



 今、僕の前の道は開けた。

 僕が強く願う通りに。

 餌を目指す飢えたネズミが願ったように。


 脇腹から大量に血を流しながらも、どういうわけか、僕は奏とハチを抱えたまま、歩き続けることができていた。

 だけど本来なら、人間にこんなことができるとは思えない。何かが僕に、ありえないはずの力を与えている。



 生物の願いを叶える花、フラウア。



 ふざけるな。


 だったら、だったらはじめから、地震がおきないようにしてくれよ。


 こうなってから、今さら願いを叶えられたって、遅いんだよ。



 意識したとたん、体から急に力が抜けた。


 前のめりに倒れながら、小さなハチの体を潰さないようにするので精一杯だった。


 道路に強く体を打ち付けてしまった。

 衝撃でフラウアの赤黒い花びらが舞う。

 

 奏の長い金髪がふわりと僕の顔に乗った。ハチの赤い首輪が、僕の血で湿っていた。


 もう、指一本として、動かない。



 フラウア、僕はお前らの匂いが大嫌いだ。

 この花びらの色合いも最悪だ。

 地震が起きたのも、よくわからないけど絶対お前らのせいだ。



 だけど、今だけ、心の底から願う。



〈僕はどうなってもいい。だからどうか、奏とハチを、病院まで連れていかせてくれ。〉



 視界がフラウアの花びらで埋まった。

 意識は薄れ、もう抵抗もできなかった。

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