5-1
『で、お前が戻ってきたのは助かるが、結局その人間のメス達は、どちらがお前のつがいなんだ?』
再会するなり、猫たちのリーダーであるクロから厳しいお言葉を受ける。
凛と合流してからは、実にスムーズに家まで戻ることができた。
荷物の一部は、凛がどこからか盗んでいた……いや、お借りしている自転車に積むことができたし、道中で出くわしたネズミか何かの小さめなバケモノは、瞬時に凛が叩き潰して地面の染みに変えた。
案の定、道中の戦い程度で僕が出る幕などない。
改めて驚いたのは凛の凄まじいパワー。
バケモノをぶっ叩くだけでなく、その金属バットの強烈な打撃は、道路のアスファルトさえがっつりと砕いており、なんと金属バットが手元から少し曲がってしまっていた。
しかも片手で叩いただけなのにこれだ。
バケモノは小さく動きも早く、とらえづらかったはずなのに、いとも簡単に一撃。
実は凛だけ、ゲームみたいなレベルアップでもしてるんじゃないのかと疑ってしまう。
『俺は知っているぞ。人間はオスとメス、生涯一匹ずつでつがいになるのだろう? なにやら一匹、オスみたいな匂いも感じるが……。それで、なんだお前の今のその状況は。新しい人間の習性ならぜひ教えてくれ。興味深い』
クロは僕にその巨大化した体をこすりつけながら、イヤミなのか本気なのか分かりにくいことを言う。
僕は小さく、その話はまた今度ね、とだけ伝えておいた。
だけどクロにこう言われるのもごもっともだ。
凛と奏が先に家の中に戻り、これまでに集めた物資を、半分天井が無い居間で確認しあっているのを見つつ、ため息が出た。
二人とも、なんかちょっと様子がおかしいのだ。
奏は凛と合流してからも、僕と繋いだ手を断固として離そうとはしなかった。
それどころか、半ば凛に見せびらかすみたいにアピールするから、たぶん凛も面白くなかったのだろう。
凛は凛でそれを見るなり、対抗するみたいに僕の顔をおさえ、頬にキスまでしてくる始末。
奏は奏でそれに反抗し、昨晩のあの口にしづらいアレのことまで暴露しそうになっていた。
しかしまあ、僕は鈍感系男子というわけではない。
ハチ譲りの特殊な嗅覚により、こちらに向けられた二人の気持ちは、だいたい理解できてしまう。
僕、たぶんこれ、モテてますよね?
『ハチ様! お帰りなさいませ! ハチ様のおかげで、このシロはもう元気いっぱいです!』
庭でゴロゴロしていた猫たちの中から、先日僕とクロが救助した、白い子猫のシロがこちらに向かってきた。
まだかなり痩せている印象だが、動きは充分に力強い。クロがうまく食事を与えてくれているのだろう。
「ただいま、シロ。だいぶ元気になってくれたみたいで嬉しいよ」
僕の言葉に、シロは嬉しそうに足元をぐるぐる回ってくれる。
そのあまりの愛らしさに、思わず小さなその体を抱えあげると、シロは激しくバタついて抵抗し、僕の左手には彼女の爪で軽く傷がついた。
『も、申し訳ありませんハチ様! でも、ハチ様が急に人間みたいに嫌なことをなさったもので……失礼いたしました!』
……やっぱり、猫って抱っこされるのは嫌いなんだね。ていうかキミ、僕のことを完全にハチだと思ってるでしょ。まあいいけどさ。
『しかしあの人間のメスたち、今日も仲睦まじいですね。メス同士のつがいは猫では見たことがないので、いつも新鮮な気持ちで見ていられますよ』
そうなんだよねえ。
シロの言葉に、またため息が出る。
僕が二人にかなりの好意を向けられているのは、匂いからしても間違いはない。
僕としても両手に花で本当に嬉しい限りだけど、少し引っ掛かるのが、二人のあの仲良しっぷりなのだ。
さっきは僕を取り合うみたいに対抗しあっていたくせに、こうして二人にしていると、めちゃくちゃに仲が良いようにしか見えない。
凛にむやみやたらと引っ付いている奏からは、凛を溺愛している強い恋愛感情が匂いから伝わってくるし、凛のほうも満更ではなさそう、というかほぼ受け入れきっているような匂いしかしない。
これって、僕がモテているというより、恋人同士の二人がいて、そのペットみたいに、僕が愛玩動物的にかわいがられている、という感じなのでは?
しかも、もし本当に二人がズルズルと恋人になってしまったら、僕はかなりここに居づらくなってしまうのでは?
僕がいたたまれない気持ちになっているというのに、シロはのんきにあくびをして、縁側の日当たりが良さそうなところに寝転んだ。
「さて二人とも、病院ではかなり危ないところだったようだが、よく無事でいてくれた。毎回ユウには良いところを持っていかれて、私も残念だよ」
我らがリーダーである凛は、奏がざっと片付け直してくれた畳の上にあぐらをかいて座り、こちらへありがたいスピーチを始めた。
「この近所の調査はまだ完璧ではないが、明確に危険そうな人間はいないようだし、クロさんたちと協力できることから考えても、私たちの今後の拠点としてここは最適だと思っている。……聞いたかぎり、もう避難所には戻りづらいみたいだしな」
凛の意見に奏も、異議なし! と元気よく続いた。
奏も元々は拠点を変えることに反対していたわけだが、今となっては他にこれといった選択肢があるわけでもないから、自分の中できちんと飲み込んでくれたようだ。
「……よし! ようやく三人揃ってサバイバル開始というわけだ。楽しくなってきたな! まず何か二人はやりたいことなんかはあるか? 私としては、この部屋を片付けて、抜けた天井にブルーシートでも張って、生活スペースを整えたいんだがな」
妙にイキイキとした凛の言葉に、こちらまで不謹慎にもワクワクしてきてしまう。
元々活発な凛は、アウトドアやらサバイバルには興味津々だったようで、こんな世界になる前もよく動画なんかでそういうジャンルの知識を集めていたのを覚えている。
奏は話に参加しながらも、居間にあった僕のおばあちゃんの仏壇あたりをてきぱき掃除してくれていた。
埃をはたく手を止めてこちらに振り向くと、パンと手を叩いて声を上げる。
「それならわたし、お風呂に入りたい! 水道も通ったんだし、ドラム缶風呂とかなら、わたしたちでも作れるんじゃないかな? わたしの車が動いてくれたら、ドラム缶くらい運べるだろうし」
奏は昨晩のあの性的なあれこれの前後にも、お風呂に入っていないことをひどく気にしていたみたいだし、まあ気持ちはわかる。
清潔にしていないと、こんな世界じゃ病気になるだけでも大事だろうし。
僕は元男だから多少汚くていいとしても、二人はやっぱり女子だから気になるだろう。
「それなら、頑丈なレンガみたいなものがいくつかと、ドラム缶さえ見つけてくればできるだろうな。車は今日のうちに、動くか確認しておいてくれよ? 鍵はどこにあるか知らんが」
凛の言葉に、奏はすでにどこかで見つけていたらしい自分の車のキーを持って、こちらに見せつけてきた。
「あと、動画で見たことがあるんだが、金属製のホースを見つけてくれば、焚き火で炙るようにして暖かいシャワーも作れるんだ。子供用のビニールプールにその湯を張れば、ドラム缶よりだいぶ簡単に風呂にもなるわけだしな」
サバイバル知識をひけらかすことができて、凛はなかなか楽しそうだ。
奏も以前に、凛のこういうたまに子供っぽいところがかわいいと言っていたが、同感だな。イキイキとした表情が、本当に綺麗だ。
「衛生面で言うと、薬局とかで風邪薬なんかも調達したほうがいいだろうね。僕も薬箱は持ってるけど、中身はおばあちゃんが生きてたときから変わってないし。……あとは、野菜もちゃんと食べたほうがいいかな。長期的に考えると、野菜とお肉の確保が一番問題な気がするんだよね」
ビタミン剤や缶詰なんかでしばらくはしのげるだろうけど、今後の食生活を考えると、とにかく野菜の確保が大変な気がする。
フラウアがそこらじゅうに繁殖している以上、畑なんかはめちゃくちゃになっているだろうし。
しかしそれには、すでに畳に横になってくつろぎだした凛から、意外な回答があった。
「ああ野菜か。それならこの家の裏の老夫婦がやっていた小さい畑があっただろう? なぜかわからないがあそこの畑、全然フラウアが咲いていないみたいなんだよ。しばらくはちょっとそこの野菜を頂くとして、はつかだいこんみたいな、簡単な野菜を自給自足するのも良さそうだな」
またフラウアの謎の生態か。
ニュースでも以前に、農業への悪影響なんかは特集されていたのを覚えている。
だけどなぜかこうして無事な畑もあるというのだ。
考えてみれば、地震の日にはフラウアが一気に繁殖していたはずのこの家の庭も、今はなぜかほとんどその赤黒い花びらを見かけない。
思い返せば、避難所の病院の敷地もそうだった。自衛隊が逐一片付けていたという線もあるが、彼らにそんな余裕があったというのはちょっと考えにくい。
建物の中にはどこも繁殖していないようだが、それはたぶん単純に根を張る地面が無いからだ。
フラウアが繁殖しない地面というのは、いったい何の条件があるのだろう。
『どうした人間。難しそうな顔をしているな』
居間に上がり込んできた巨体のクロが、僕の近くでその大きすぎる体を丸め、こちらに声をかけてくる。
『忘れるところだったが、その強い方の人間のメスに礼を伝えて欲しいのだ。昨日そいつが大量に俺たちの食料を運んできてくれてな。最低限は狩りでも手にはいるが、ハチが食べていたような人間が作ったカリカリの食料は、とんでもなくうまいからな。シロたちも喜んでいた』
猫にしては礼儀正しいクロの言葉を凛に伝えると、凛は嬉しそうに立ち上がり、クロの巨体をごしごしと撫でていく。
しかしクロの方はいかにも嫌そうに飛び上がり、庭の方にそそくさと離れていった。
凛の顔はとたんに悲しさに包まれる。
『勘弁してくれ。そいつのような自分より明らかに強い生物に上をとられると、本能的に気分が悪くなる』
クロは身震いしながら急いで離れていく。
クロの言葉がわからない凛は、立ち去る彼を見つめたままずっと微妙な表情になっていて、その頬を奏がツンツンとつついて遊びだした。