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「ね、猫!? バケモノだ! そいつもバケモノじゃないのか!?」
廊下の奥から、知らない男性の声がする。
僕の姿を見て不安と恐怖を感じていることが、はっきりとその匂いでわかる。
「……皆さん、残念ですがあれは、神の恩恵を得た人間の姿ではありません。あの獣のような姿こそ、持ち主の邪な心によってフラウアに汚染された、バケモノの姿です。皆さんは心を強く持ちなさい。あのようにならないために」
続いた声は、嫌にきれいに廊下に響きわたった。
聞き覚えのある、さっきロビーでなにやら宗教の勧誘を行っていた、怪しいおじさんの声だ。
クソかよ。
不快感、嫌悪感、そして恐怖。
廊下の周りの避難者たちから、それらの感情が入り交じった視線と匂いが僕に向けられている。
まあ仕方ないか、くらいの感情しか僕には沸かなかった。
予想していたことだ。
この姿を見られたら、バケモノの仲間だと思われて当然だろう。
さっき僕が犬のバケモノを倒したのを見ていた人だって、感謝なんかよりも、この力が自分たちに向けられるんじゃないかと不安になるほうが、人間らしい当然の感情だと思う。
今さらだがフードをまた深く被り直し、廊下に集まってきた避難者たちから目を背ける。
自衛隊の彼が、担架の上から悔しそうな視線を廊下に向けてくれているということだけで、充分に報われた気持ちだ。
「ふざけないで! あなたたちが……あなたたちみたいな人が、ユウに石を投げるな!」
石?
しんと、廊下中が静まりかえった。
奏が急に発した激しい怒りの声に、辺りの誰もが口をつぐんだ。
奏は僕を守るようにその前に割り込んで、辺りの人達、特にカルト宗教のおじさんのあたりをにらみつけ、深く息を吸い込む。
「あなたたちを守るために、誰が前に出て戦ってくれたと思ってるの!? 廊下には小さい子どもだっていたのに、他に誰かその子たちを守ろうとしてくれた人がいるの!?」
強い怒りの中で、僕に向けられる優しい、暖かい感情の匂いを奏から感じた。
「この中で! 自衛隊の人達や、この子みたいに! 他の人を守るために命をかけて行動した人以外は! この子に石を投げないで!」
一人激しく叫ぶ奏の姿に、誰ももう口を開かなかった。
聖書の中に書かれていたような、聖人の言葉をだいぶ歪めて叫ぶ奏は、そこらの有名な聖人様なんかよりずっと美しく、尊く見えた。
激しい言葉に息を切らせたような奏に向かって、駆け寄ってくる影が二つ。
「おねえちゃん。怒らないで? おねえちゃんは笑ってるほうがかわいいよ?」
奏に守られていた二人の子供たちが、不安そうな、だけど僕たちを気遣うような表情で、こちらに近づいてきてくれたのだった。
「おねえちゃん、助けてくれてありがとう。猫のおねえちゃんも、すっごくかっこよかったよ」
一人の子が背伸びをしながら僕の顔の方に手を伸ばしてくるので、どうしたのかと身をかがめたら、その小さな手で僕の頭を撫でてくれる。
「泣かないで猫のおねえちゃん。大丈夫だよ。おねえちゃんはとってもいい子だよ」
な、泣いてねえし! と言いかけたけれど、いつの間にか流れていた涙に、言い訳もできない。
小さな手が猫耳に触れる感触はくすぐったくて、でも暖かくて確かな幸せを感じるものだった。
奏は優しい表情に戻ると、僕と同じように身をかがめ、子供たちと目線をあわせて、お返しのようにその二人の頭を撫でた。
「いい子いい子。二人は本当に偉いね。他の人みたいに、周りの人の悪い言葉に、惑わされちゃだめだよ? 自分が怖いときやつらいときこそ、お友達や周りの人のことを思いやれる、今の二人みたいな、優しい人になってね」
わかっているのかいないのか、微妙な表情だけれど、少なくともこの子供には厳しすぎる世界の中で、奏の優しい言葉はきっと、この子供たちにも何か伝わるものがあるだろう。
言い終わると奏は、また立ち上がって、今度は僕の頭を同じように軽く撫でながら笑った。
「行こう、ユウ。わたしたち、もうこの避難所にはいない方がいいよ。ごめんね、ユウにばっかり嫌な思いさせちゃって。それから、わたしをいつも守ってくれて、本当にありがとうね」
大きな荷物を背負って病院を出る。
僕と奏を止める人も、蔑む人も、もういなかった。
ただ、さっきの青年以外とは特に仲良くもしていなかったはずの他の自衛隊の人達からは、感謝の言葉で見送ってもらうことができて、それはきっとこれからの僕たちの生活にもプラスになるものだと思えた。
病院の敷地の外では、未だにフラウアのオレンジ色や赤黒い色の花びらが多く目に映る。
周りには軽く五匹以上の犬のバケモノの死体があって、入口を守っていた自衛隊員たちの奮闘に改めて感謝の気持ちが浮かんだ。
「さて奏。世界がこうなってから病院の外に出るのは初めてだろうけど、怖くないかな?」
僕が奏の手を引きながら声をかけると、奏は思ったよりも元気な顔で、嬉しそうに微笑んでくれた。
「全然よゆーだよ! なにせわたしには、かわいい猫のナイト様がついてるんだし? ちなみに今連絡したら、凛も大いそぎでこっちに向かってるってさ」
本命のナイト様が来てくれるとのことで、とりあえずは一安心だ。
さっきはだいぶ激しい銃声が続いていたためか、周囲からはバケモノの気配は全くしないけれど、この二人組みで移動中にバケモノに襲われてしまったら、背中の大荷物を捨てない限りはかなり危険な状態になる。
だけど奏は、周りを全然警戒していないような素振りで軽く鼻歌を歌いながら、繋いだ僕の手を強くしたり弱くしたり、にぎにぎしてお散歩みたいに歩いていた。
僕と目があってニマニマと笑うその崩れた表情には、さっきまでの美しすぎる聖女様の面影すらないけれど、この悲惨な世界において何よりも尊く、美しいもののように思える。
「うへへ、わたしこんなかわいい子とおてて繋いでデートなんて、ほんと久しぶりだよ」
奏の長い金髪が揺れる。首元の十字架のネックレスが、ちょうど真上に来た太陽の日差しをキラキラと反射させている。
「ユウはちょっとショックだったかもしれないけどさ、わたしはさ、ユウが女の子になってくれて、内心めちゃくちゃ嬉しかったんだからね。……ハチちゃんのことは、もちろん残念だったけどね」
さっきからの嬉しそうな表情や軽口はしかし、匂いから感じられる奏の本当の感情とは、ずっと食い違っていることに僕は気づいている。
彼女は病院の中からずっと変わらず、僕のことを思いやり、心配し、気遣うような匂いを、ずっとずっと続けている。
「……ありがとうな、奏。昨日のエッチなことは、仕方ないからこれでチャラにしてあげるよ」
「あれえ? ユウもノリノリだったと思ったんだけどなあ? 後からまた触りたくなって後悔しても知らないよ?」
そっちこそ、また触って欲しくなっても知らないからな。
照れ隠しのようにお互い軽口をたたきあいながら、赤黒い花びらの舞う道路をゆっくりと進む。
遠くから凛のものと思われる自転車が近づいてくるのが見えて、奏は元気よくそちらに手を振った。
だけど僕と繋いだ手は、そのまましっかりと握りしめられている。
4章はここまで。
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