3-5
帰り道は、なかなかの重労働だった。
ぎちぎちに荷物が詰まったバックパックは、重いだけじゃなく、肩に食い込んですごく痛いし、両手も大きな袋を持ってふさがっている。
大した距離ではないとはいえ、ハチの身体能力がなかったら、絶対ギブアップしているレベルのつらさだった。
幸いバケモノには出くわさずにすんだが、一度また足を滑らせて盛大に道路にずっこけた。
両手がふさがっていたので、思い切り顔面からアスファルトに突っ込んで、情けないけれど少し涙が出た。
やっぱりこうやって荷物を回収するのも、今後は何か道具がないと厳しいかも。というか、一人はやっぱり心細すぎる。
病院に着くと、奏が敷地の入口まで出てきて僕を待ってくれていた。
長い金髪が揺れるのが見えたときから、自分の心が落ち着きだしたのをはっきり感じられる。
奏のその気遣いと優しい表情に、じんとしてまた少し涙が出そうになった。
「ユウ、お帰りなさい! うわあ、転んだの? せっかくのかわいいお顔が汚れてるよう」
自分の服の袖でぐいぐいと顔をぬぐってくれて、もう僕は感極まって、にじんでくる涙を隠しきれなかった。
「奏……。僕、すごく怖かったよ。やっぱり凛と奏がいないとダメだ。一人で外は怖すぎだ」
べそをかいた僕を見て、奏はからかうような笑みをうかべ、スマホの画面を見せてきた。
映っていたのは、どっさりと自転車に物資を積んで、僕の家にたどり着いた凛の、いかにも充実した感じの爽やかな笑顔の写真。
完全敗北だ。肉体的にも精神的にも、凛には到底勝てる気がしない。
入口で警備をしていた自衛隊は、一人で外出した僕に、今さらながら小言を言ってきた。
もしかしたら、かわいい奏の前でカッコつけたかったのではなかろうか。
しかしあらかじめ提供しようと準備していた、食料の詰め合わせを渡すと態度は変わり、さらに死体から回収しておいたタバコも渡すとより一層ニコニコ顔になり、荷物を一緒に運んであげましょう、と若い隊員の方を手伝いにあててくれた。
「じゃあ、荷物はここに置いときますね! 物資の提供、ほんとありがとうございました! なかなかタバコなんて探しにいけないし、喫煙者の先輩がピリピリしててつらかったんすよ。助かりました!」
手伝ってくれた自衛隊の人は、いかにも気の良さそうな若い男性隊員だ。悪意を感じる匂いも全くない。
男性嫌いの奏は微妙な表情だが、自衛隊とは仲良くなっておいて損はないだろう。
僕は自分たち用に残しておいたチョコレートを取り出し、その手にこっそり握らせた。
「お忙しいのに、荷物の手伝いありがとうございました。これ、良かったら他の方には内緒でどうぞ」
その若い自衛隊員は、こりゃラッキー、と言わんばかりの溢れる笑顔を見せてくれた。
「そういえば猫耳のお姉さん、変なこと聞きますけど、お姉さん以外にこの辺で、動物の耳のついた子を見かけませんでしたかね? その、ウサギみたいな耳の子なんすけど」
若い自衛隊さんは、受け取ったチョコレートを早速その場でかじりつつ、妙なことを聞いてくる。
「いや……すいません、見てないですね。でもそのウサギ耳って、確かネットで出てた、元Vtuberの?」
確かそんなことを昨日奏が言っていた気がする。
僕の返事に、自衛隊さんはニコニコと笑った。
「そう、その人っす! 兎原ピョンちゃんです! 実は自分、その人の大大大ファンなんすけど、実は昨日その人がアップしてた写真に、この病院が写りこんでたんすよ! だけどこのへんの避難所には、ウサギ耳の子の情報なんて出てなくて。私欲もありますけど、自分たち自衛隊で助けてあげたくて」
この病院は看板のところに巨大で特徴的なモニュメントが付いている。
すごい偶然ではあるけれど、確かに他の建物とは間違いようがないかも。
でもその人も、ウサ耳姿なんて状態では、避難所に集まらないという考えになるのはなんとなく理解できる。
僕の猫耳よりも隠しにくそうだし、間違いなく居心地は悪いだろう。
自衛隊の人とはいえ、ファンの人に住所を特定されるなんて考えると、危険な匂いはプンプンする。
だけど世界がこんな状況では、結果的に自衛隊の人に気にかけてもらえるというのは、その子にとってはラッキーなことのかもしれない。
「……お力になれるかはわかりませんが、今その辺をうろついてる仲間がいるので、見てないか後で一応聞いておきます。今後も見つけたら報告します。……まあ、たまたま見かけたら、って感じですけど」
自衛隊の若い隊員さんはまた人の良さそうな笑顔になって、うんうんと頷いた。
「ありがとうございます! じゃ、自分そろそろ怒られそうなんで任務に戻りますね。あ、その兎原ピョンちゃんなんですけど、なんと今日の夜ネットラジオで生放送するらしいっすよ! こんな世界なのに、すごいっすよね。ほんと楽しみで楽しみで。良かったらお姉さんたちも聞いてもらえたら嬉しいっす!」
その人は早速と部屋から出ていき……そうになって、また何か思い出したみたいに、ドアのところで立ち止まった。
「あ、そういえばお二人のさっきの百合なイチャイチャ、最高に尊かったっすよ。ご馳走様でした!」
いや、百合って。僕は男ですけど。
あ、いや、今は百合なのか。百合ってことになっちゃうのか、この体では。
今度こそ自衛隊の人がいなくなると、奏は急に気が抜けたようにベッドに座り込んだ。
男性がベッドのある狭い部屋に一緒にいるなんて、男嫌いの奏には少しつらい状況だったか。
何も言わず僕が近づいて腕を広げると、奏も何も言わずに僕の胸に、顔をずぼりとうずめてきた。
僕のちょっと大きすぎる胸を、奏はたいそう気にいってくれているようで、それはまあ、いいのだけど、奏からは甘えるような匂いの他に、やっぱりどうしてか、少し男性的な匂いがする。
いや、部屋から匂いがするのかな? 妙な感覚だ。
でもここで見ていない人間の匂いはしないし、先ほどの自衛隊員の匂いでもない。
さすがに、不審者が勝手に部屋に入っていた、とかいうわけでもないと思うのだが。
何か変な匂いだ。
昨日僕たちが帰ってきたときにした匂いもそう。別に嫌な匂いじゃないけれど、でもなんで奏から、男の気配を感じるような匂いがする?
「ちょ……ちょっとユウ? わたしの頭クンクンするのやめてよお。お風呂入ってないんだから、臭いのは仕方ないでしょ?」
奏は恥ずかしそうな表情であわてて僕から離れたが、そういうことじゃなくて……。
まあいい。ちょうど今日は凛もいないことだし、意を決して確認してみよう。
「……あのさ奏。変なこと聞くけど、もしかしたらその、男の人と……その、引っ付いたりとか、なんかほら、そういう感じの……その、あれだ、なんか、そんな感じの何かがあったりとか、なかったりとか、しなかったかな?」
なんか変な言い方になってしまったので、奏もいぶかしげな表情になっている。
「……ごめん、何? どういうこと?」
まあそうなるよね。
何とも言いづらいが、もうずばっと聞くべきか。
僕はベッドに腰を下ろして、大きく息を吸った。
「あ、あの、違ったら悪いんだけど、あの、僕がいないとき、この部屋で男の人となんかエッチなこととかしなかった?」
僕のどストレートな質問に、奏は不快感と照れが混じったような、いかにも微妙な表情になって、あわてたようにまた立ち上がった。
「は、はあ!? やめてよユウ、それはないよ。わたしが男となんでそんなこと……って! もしかしたら、何かそういう匂いがしたってこと!? いや、違うの違うの! それはなんていうか、わたしじゃなくはないっていうか……いや、ほら気のせい的な? 気のせいじゃない? ユウの気のせいだようん、そう!」
いや、それ明らかに何かあるでしょ……。
微妙な言い方ではあるけれど、男嫌いだった奏にそういう相手ができるのは、まあ、悪いことではないのかもなあ。
どうしても、寂しくて、何か嫌な気分っていうか、もやもやはしちゃうけどさ。
いや正直かなり嫌だ。つらい。だけど。
「奏、大丈夫だよ。僕はちゃんと、いつでも奏の味方だからね。何か言いづらいことがあるんだと思うけど、きちんと奏が考えてやってることなら、何も反対しないからね」
精一杯気を使ったつもりの僕の言葉に、奏はまたさらに苦々しい感じの表情になっていた。
3章は以上です。
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