出逢い
晴れた昼下がり、最近続いた雨のせいでたまりにたまった衣服を洗うべくクロウは川へと向かった。山ほどある洗濯物の半分ほどを片付け、一旦休憩しようとクロウは持参していた獣肉を燻製にしたものを荷物入れから取り出し頬張っていた。
その時、川の上流のほうから遠くからどんぶらこどんぶらこ、と黒っぽい何かが流れてくるのが見えた。始めはどうすることもなく、のんびりとその漂流物を眺めているだけだったが、いよいよ近くまで流れてくるとその正体が判明した。結論から言うと、それは人だった。クロウは迷わず、川へ飛び込みその少女を肩に抱え、川から出た。その少女は小柄な漆黒の髪のきれいな少女だった。幸い息はあるようだと、クロウが一安心していると、彼女はパチッとその大きい翠色の瞳を開け、こちらを見た。
「君は誰だ?」
その少女は唐突にそう言ってきた。クロウは、ふぅと息を吐き、落ち着いて務めて冷静にこう言った。
「それはこっちのセリフだ」
クロウは洗濯前の半乾きのタオルを彼女に渡すと、彼女は礼を言いながら受け取り、ここに至った経緯を語り始めた。
「いやね、ぷっくりと丸々太った美味そうな魚が泳いでいたものでね。ついふらふらと川に近づいたら、濡れていた石に滑って、頭を打って気絶してしまったのだよ。後は君も知っての通り、川をゆらりゆらりと流されていたというわけさ。……それよりこのタオルなんか臭くないかい?」
見た目はどう見ても15歳前後程度なのに、やけに尊大な話し方をする。また、頭を打ったにしては、怪我をしているようには見えない。
「気のせいだろ。それより下手をしたら死んでたかもしれないんだ、気を付けろよ。腹減ってるなら、これでも食えよ」
クロウはそう言い持ってきていた昼飯を彼女に渡すと、持ってきていた洗濯物をつかみ家に向かってすたすたと歩き始めた。下手に自分と関わっても彼女には何もいいことはないだろう。誰とも関わらないほうが良い、それが最も冴えたやり方で、誰も傷つかない方法なんだ、そう自分に言い聞かせ足早に家に向かった。胸にとげが刺さったような痛みに気が付かないふりをして。
家の戸を開け、部屋の隅に立てかけてあった物干し竿を取り、再び外へ出ようとした時、家の戸の前に先ほどの少女が立っていた。
「驚くほど何もない部屋だね。部屋も一部屋で、装飾品の類もない、家具も最低限……というか窓を除けば、ベッドと小さいクローゼット、おんぼろな机と椅子しかないじゃないか」
「別にいいだろ、飯食って、寝る場所があればことたりるだろ……ってなんでお前がここにいるんだよ!?」
「なんでって、君のあとをついてきたに決まってるじゃないか」
当然だろう、という顔でこちらを見返してくる。だが、クロウも腐っても元勇者だ、いくらなまっているからといって、素人につけられて気が付かないわけがない。しかし、そんなことよりもだ。
「死にたくなかったら、とっととこの家から出ていけ」
「おや、いきなりどうしたんだい、そんな怖い顔をして」
正直に呪いのせいだと言うわけでもないので、クロウは適当な嘘でごまかそうとした。
「俺は今、流行り病にかかっているんだ、俺みたいな大人ならともかくお前みたいなガキにうつったら死ぬかもしれないんだよ」
「嘘だね。っというか私はガキじゃない、レディーだ」
クロウの陳腐なウソは1秒で見破られた。
「君の歩き方を後ろから見ていたが、体の軸のブレが一切なく顔色もすこぶるいい。君の様な健康そのものの病人がどこにいるっていうんだい。それにもう一つ、あの壁に立てかけられた異国風の剣……いやあれは刀というのかな。私にはあの刀の持ち主に心当たりがあるんだけれどね。後、繰り返して言うが私はれっきとしたレディーだ、ガキじゃない」
そう言い、翠色の瞳でまっすぐにこちらを見てきた。直感としか言いようがないのだが、彼女がブラフでそれを言っているのではなく確信をもってそういったのがクロウには分かった。彼が一瞬動揺した様子を見て満足そうにニヤッと笑った。
「ふふん、その様子を見るに私の予想は正しかったようだね。さて、では本当のことを聞かせてもらおうじゃないか」
「……本当に何もないさ、さぁこの話は終わりだ。出ていけ」
クロウは強引に彼女を家の外に追い出そうとした。
「ごまかそうって言ったってそうは……はッくしょん!」
彼女は盛大にくしゃみをした。よく見ると、その華奢な姿が震えているのが分かる。クロウは、はぁとため息を吐くと、椅子に掛けられていた服を彼女へ差し出した。
「とりあえず、そんな濡れた服着てちゃあ風邪ひくぞ」
「なんだね、これは?」
彼女は怪訝な顔で問いかけてきた。
「なにって服だよ、とりあえずお前の服干しといてやるからそれまでこれでも着とけ。幸い今日は気温が高いし、明日の朝までには確実に乾くだろうよ」
クロウがそう返答をすると、彼女はものすごく不服そうに差し出された服を見る。
「もう少しましな服はないのかい……。シャツもズボンもしわくちゃだし、ところどころ虫が食ってるじゃないか」
「もともと服をほとんど持っていないうえ、さっき洗濯しちまったせいでもうそれしかないんだよ。まぁ、いいからとっとと着替えな、俺は外で待ってるから終わったら声かけてくれ」
眉を引きつらせていたが、他に選択肢がないことを悟ったのか、あきらめて着替え始めた。10分ほどすると、扉がゆっくりと開いた。
「遅かったな、とりあえず服を外に干して晩飯……ぶふっ」
着替えた彼女の姿を見て思わず笑ってしまった。考えてみれば身長が彼より30㎝以上低い少女がクロウのサイズの服を着たらどうなるかは自明であった。ゆるゆるのシャツの襟首からは肩がのぞき、ズボンやシャツの丈が長すぎて顔や首、肩以外がまるで見えていない。小さい子供が父親の服を着てみたようにしか見えない。クロウは下を向きながら下唇を噛み懸命に笑いをこらえた。
「……おい、今笑ったな?」
「わ……笑ってないさ、当然だろ」
クロウは震える声でそう返した。
「だいたい、この服は君が渡してきたんだろう。それで——」
そう言いながら彼女はこちらへ歩こうとしたのだろう。しかし、一歩目で引きずっていたズボンのすそを踏み、勢いよく床に倒れた。静寂な部屋に、ゴンッという音が響いた。もうそれでクロウの我慢は限界だった。堰を切ったように彼は笑い始めた。こんなに笑ったのは何年ぶりだろうか、しまいには笑いすぎて息をするのも苦しくなってきた。彼女はというと額を押さえながらのたうち回った後、顔を真っ赤にしてこちらを親の仇を見るような形相で睨んでくる。
「だ、大丈夫か?」
「……これがだいじょうぶに見えるなら、すぐにでも医者に目を見てもらうんだね」
目に見えて機嫌が悪くなってゆく。これ以上何を言っても火に油を注ぐ未来しか見えない。とりあえず話題を変えなくては……、何かいい話題はないかとクロウは思考を駆け巡らせる。そのとき彼女のおなかがぐぅ~と鳴った。
「とっ、とりあえず飯にでもするか?」
彼はおずおずとそう提案した。
「……食べる」
彼女はまだほんのりと赤い頬を見られないよう、クロウとは目を合わせずそう言った。
竈に火をつけ、調理を始める。さて献立は何にするか……とクロウは腕組みをして考える。まぁ体が冷えていそうだしスープ系がベストだろうと結論を下し、クロウは獣肉を燻製にしたものをまず軽く鍋で炙り始めた。
「後30分くらいしたら、飯できるからもうちょい待ってろよー」
クロウは彼がベッド代わりに使っている藁の上に腰かけた少女にそう声をかけた。
「まぁ、着替えにあんなものをよこしたぐらいだからね、期待せずに待っているさ」
かわいくない返事が返ってきた。
「うますぎてほっぺが落ちても知らねーからな」
それは楽しみだーというやる気のない返事が聞こえてきた。彼女のほうを向くと、藁のベッドに横になっていた。見ると彼女の翠色の瞳はどこか焦点があっておらず、瞼は今にも閉じそうになっていた。クロウは彼女のもとへ歩いていき、上から布団をかぶせた。まぁ、いろいろ疲れたのだろう、飯ができるまでは寝かせてやろうかなと考え、彼は再び調理に戻った。食材の下処理とスープのだしを取り終え、あとは煮込むだけというところになって、背後からどこか不安げな、そして悲し気な声が聞こえてきた。
「いやだ、いやだ……にはならない、私には無理だ。私は…はやく……たいんだ」
振り返って彼女を見ると、どうやらクロウに話しかけてきたのではなく寝言のようだ。彼女の眉間にはその幼い顔つきには似つかわしくない深いしわができており、彼女の見ている夢が決して良い夢ではないことが見て取れた。クロウは何となくいたたまれない気持ちになり、調理ももうすぐ終わるので彼女を起こすことにした。
「おい、起きろ、晩飯だぞ」
明るい声でそう言って、彼女の肩をゆする。彼女はうっすらと目を開けると、バッと飛び起きた。そしてきょろきょろとおびえた表情であたりを見まわし最後にこちらを見た。次第に目の焦点があってゆき、次第におびえた目ではなくなり先ほどまでの不遜ともとれる顔つきに戻った。そしてこちらを見るなり
「レディーの寝顔をじろじろ見るなんて礼儀知らずじゃないかな」
少女は憎まれ口をたたいてきた。
「そういうことはよだれを拭いてから言うんだな」
彼女は慌てた様子で袖で口元をぬぐい始めた。その時、鍋のふたがカタカタと揺れ始め、水蒸気が上がり始めた。
「おっ、ちょうどできたみたいだな。ちょっと待ってな、ついでやるから」
鍋の蓋を取ると、ぶわっと蒸気が上がるとともに、干し肉のうま味、野菜の甘みを凝縮した匂いが部屋中に広がった。それに呼応するように再び彼女の腹の虫が元気よく鳴いた。クロウは彼女をからかうようににやりと笑った。
「今、注いでるからもうちょい待てよ」
彼女は大変不本意そうな顔で言った。
「……何も言ってないだろう」
クロウは器に熱々のスープを注ぎ、スプーンを添えて若干恥ずかしそうにしている彼女に渡した。彼女はそれを受け取ると、警戒するようにクンクンと匂いを嗅ぎ少しだけスープをすすった。彼女はハッとした顔をして、うま味のしみ込んだ野菜を口へと放り込んだ。そしてがつがつとスープを食べ始め一分足らずで完食した。そして器をこちらへ向け
「お代わり!」
元気よくお代わりを催促してきた。
「はいはい、ちょっと待っとけ」
クロウはそう言い、再び器になみなみとスープを注いで戻ってきて彼女に渡した。彼女はご苦労と偉そうに言い再び食べ始めた。半分ほど食べたところで彼女は食べるのをやめ、クロウを見ていった。
「そういえば、今更だが君の名前はなんていうんだ?」
「ほんとに、今更だなぁ。……俺の名前はクロウだ、そっちは?」
クロウは自分の分のスープをすすりながらそう言った。
「あぁ、私の名前はアリスだよ、よろしく魔王を討伐した英雄さん」
一瞬の空白、クロウは始め何を言われたか分からなかった。
「そんなに驚かないでくれよ。10年前のことだし、君がしたのは討伐というより暗殺だから君の顔を知っているものは極めて少ないだろうが、ゼロではないんだよ」
まぁ、私たちの国はごたごたしてて勇者どころじゃなかったってのもあるがね、と彼女は独り言ちる。クロウはそんな彼女を鋭い目つきで睨んだ。
「……それで俺の身分を知ってて、魔人さんが何のようだ?」
彼女は敵意を向けられて、慌てたように
「おいおい、魔人だからってそんなに邪険にしないでくれよ。人と魔人の違いなんてほとんどないんだしさ。私はねクロウ、君にお礼を言いに来たんだよ」
お礼? とクロウは眉をひそめた。自国の王を殺されたのだ、恨みこそすれ感謝されるいわれはないだろう。
「私はね、魔王、あいつのことが大嫌いだったのさ。私の大切な人があいつにひどい目にあわされたからね、それこそ殺したいくらい憎かった。だけど、私はどうしようもなく無力だったからね、どうすることもできなかった」
彼女はふぅと一息はくと、続けた。
「そんな時に、魔王を討ちとってくれたものが現れた——それが君だよ、クロウ。一言君に礼が言いたかったんだが、君は人で私は魔人だ。まさか国に帰ってしまった君を訪ねていくわけにもいかないだろう?最近は落ち着いているとはいえ、人と魔人は敵対しているのだからね」
そう言って、アリスは少し悲しそうな翳りのある顔をした。しかし次の瞬間には笑顔に戻った。
「しかし、最近“迷いの森”付近で危険な魔獣を人里に下りないよう森へ帰している男がいると聞いてね。詳しく話を聞いてみると、特徴が驚くほど一致しているときた。そこで私は君だと確信して、訪ねてきたわけさ」
なるほど、と納得しかけてクロウは
「いや、待てよ。お前川で最初に会ったとき『君は誰だ?』って言ってたじゃないか?」
あぁ、あれねと彼女は何でもないように言った。
「あれは魔人ジョークだ」
とてつもなく嘘くさい気がしたが、追及したところでのらりくらりとかわされる予感がしたのでクロウは別の質問をした。
「それで、用事は礼だけか?それだったら、明日には出て行ってくれよ。俺は忙しいんだ」
クロウはできるだけ淡白に、冷たく言い放った。万が一にでも呪いが発動してほしくなかった。彼女が、人ではなく魔人だとしても——。
「まぁまぁ、そう冷たくしないでくれよ。本題は別にあるんだ」
そう言って彼女は先ほどまでの明るい表情からうって変わって、真剣な表情で端的に言い放った。
「君にかけられた呪いに関してだよ」
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