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職業オウサマやってます

作者: 在人

数年前に書いたものを供養に出します

アエラス王国の先王は在位三年にして狂い死んだ


王を選ぶ神の遺産エルピーダ

民は新たな王を待ち望んだが、神の遺したそれは沈黙を保つ


その間、国王不在のまま国は荒れた。


王が死して十年後、とうとうエルピーダは動き出す

アエラス王国の最北端、ティヒという地域

そこから新たな王が選び出された







 と、語られると何だかえらい話になるんだけど。


「実際そういうわけでもないんだよねぇ」

「は? 何、唐突に」

「いやさ、荒れた国を治める王様って言ったら、凄い人だと思うじゃない?」


 呟くあたしに、傍にいたリベルトは書類に目を落としたまま、ああ、と呟いた。


「アエラスも厄介なものを後生大事に守ってるよね。政のまの字も知らない山娘を王に選定するようなポンコツ、そろそろ宝物庫にでもぶちこんだら。そのまま二度と日の目に当たらないようにすればいい」

「あのねリベルト、それあたしも思ってるけど、他の人に知られたら不敬罪で連れていかれるよ。宝物庫にぶち込まれる前に、リベルトが牢屋にぶちこまれるからね」

「僕がそんな馬鹿な真似するわけないだろ。言うなら君だ。君の言葉なら罪には問われない…多分」

「自信がないなら人に押し付けるのやめよーよ。あたしだって命は惜しい」


 昼下がりの執務室、あたしは眠気と戦うためにもリベルトに適当に話を振る。リベルトは全然眠くないらしく仕事に励んでいる。おかげでこちらを一切見ないけれど、ちゃんと相手をしてくれるあたりいい奴である。

 本当はこの執務室には普段、あと数人いるはずだけどたまたま会議や視察でいない。いたらこんな話題を持ち出さないだけの分別くらい、あたしにだってある。

 アエラスの人にとって、神がこの国にいたという唯一の証であるエルピーダを蔑ろにすることはご法度だ。どういう仕組みだか全くわからないが、神の意志を反映すると言われているそれの意向に背くことなど絶対にしない。特に王都やその周辺の人々の崇拝っぷりといったらもう凄い。正直こっちが引いてしまうくらい。


「少なくとも他国の人間である僕に同意するほど、信仰心の薄い君を王にする時点で怪しい代物だけどね」

「まぁそれはあたしも不思議に思うけどね。どういう基準でオウサマ決めてるんだが、あたしだって知りたいくらい」

「案外中身はただのポンコツかもよ」

「酷いこと言うねぇ。干からびてるくらいだよ、きっと」

「君も大概だと思うけど」


 飛び合う会話の間もリベルトは手を止めない。すごいなぁと感心するあたしは、さっきからペンをくるくると回して落としてばかり。集中力が完全に切れてる。こういった机での仕事は本当に不慣れだ。

 そして慣れる気配も一向にしない。これはちょっといかがなものかと自分自身にため息が出る。


「なに、悩みごと?」

「いや、大したことじゃないよ」

「そう」

「それより、遺物っていうくらいだから売ったら結構するんじゃないかな」

「その前に売り手が断罪されるよ。死刑確定だね。やってみる?」

「イエ、オコトワリシマス」

「信心深い歴代アエラス王が今までなし得なかったことだよ。光栄じゃない?」

「わかってていうリベルトは意地悪いよね」


 それ以上は何も言わずただ笑うリベルトは完全に悪い顔をしていた。悪い顔をして笑っているだけなのに、それさえも様になるのは彫刻のように美しいからだろうか。芸術や美醜にほとんど興味のないあたしでさえ、リベルトは整った容姿と顔立ちだということくらいわかる。

 そう、リベルトは飛びぬけた美人である。一体何がどうなったらそんな綺麗なお顔になるのか知りたいくらいだ。彼のようになれる方法があるのなら、世の中のお嬢様方はこぞって知りたがるに違いない。


「そもそも厳重に守られるから持ち出し難しいだろうなぁ」

「…一応忠告しておくけど、やらない方が身のためだよ」

「やらないよ!」

「よかった。現アエラス国王はそこまで馬鹿じゃないみたいだ」

「心配されるほど馬鹿かもしれないって思われてたんだ」

「日頃の行いを見ていればね」

「つまり日頃からあたしのことを馬鹿にしてた、と」


 こやつめ、と書き損じて丸めた紙くずを投げる。コントロールはかなりいい方だと自負している。狙い通り、トスっと軽い音を立てて彼のペンに命中した。


「…君、怒られたいの」

「人を馬鹿にする方が悪い」

「なら言わせてもらうけど」


 ようやくこちらを見たリベルトは、冷たい目線で睨みつけてくる。

 最初の内はその美貌も相まって迫力に気圧されていたが、今ではすっかり慣れた。慣れる程、怒らせたとも言う。


「今のこの時間も口だけ動かしてサボってるのは誰かな」

「サボってるんじゃなくて休憩中なだけですー」

「長すぎ。これじゃ遊びの休憩に執務をしているようなものだ」

「ちゃんと仕事してるよ。ほら、今日の分はここに」

「今日だけで君のところに上がった最終報告はそれだけど?」

「…オオイデスネ」

「仕事量と効率を上げないと、書類に埋もれるよ」


 世知辛い世の中だ。

 優秀な臣下が人外の速さで仕事を終わらせていくから、いくら最終報告の印だけとは言ってもあたしの力量を超える速度で溜まっていく。

 そもそも最終報告だからあたしが口を挟む余地はなく、ただオウサマの許可が欲しいだけなんだけど、一応知っておくために、目を通しておかないといけない気がする。頭に入れるのは潔く諦めたけど、それくらいはしなきゃいけない気がするんだ。

 臣下を信頼していないわけじゃなくて、何か失敗してしまった時にちゃんと責任をとれるように。きっと、それが一番上にいるオウサマの役割だと思う。


「そうは言ってもねぇ」

「何を気にしてるのかは知らないけど、こっちとしてはどんどん捌いてもらわないと案件が滞るんだよ、わかってる?」

「わかってるわかってる」

「…本当に、わかってんの?」


 訝しむような目で見られるのはちょっと心外だけど、この件に関してあたしは耳がタコになる程説教を受けたことがあるので理解度は高いはずだ。

 

 まだオウサマを始めてからすぐの時は今よりももっと効率も悪くてほとんど仕事が進まなかった。それでも必死に書類を読もうとするべそかいていたあたしに一番の臣下が首根っこ掴んで、そんなことはしなくていい、と言い聞かせてきた。

(でも、あたし、オウサマ、だから)

(いいか。やりたいことと、できることを混同するな。お前さんに求められてるのは、できる範囲のことだ)

 そう言われて最後の砦でも決壊し、みっともなく泣き喚いたあたしの頭を無遠慮にがしがしと撫でまわしてくれたのも良い思い出だったりする。


 その頃に比べると随分手際が良くなった。毎日小難しい文字に触れているおかげで読む速さが格段に上がったし、文章を何度も読まなくても理解できるようになった。何より、手の抜き方を覚えたのが一番大きい。

 …まぁ、やること自体に慣れたかどうかと言えば答えは否なんだけど。


「リベルトにこれ以上怒られる前に、ちゃっちゃと終わらせるかなぁ」

「怒られる前に終わらせる努力をしようよ」

「そうは言ってもねぇ」


 やっぱり、知っておきたいと思ってしまうあたしは我儘なんだろう。

 日々国のために頑張っている臣下の想いに報いたいと、何もできないあたしを一生懸命支えてくれる彼等の後ろ盾になりたいと思うのは、欲張りなことだ。一人前でもないあたしにそんなこと言われたって困るだけ。

 それでも、そのための努力は惜しみたくない。


「さーて、ガンガンやろうか」

「最初からそうしてよ」


 はぁ、と疲れたため息が聞こえた。その悩ましい姿も絵になる。






 あたしが王としてできる仕事は最終決定の許可を下すことだけ。

 これが生まれた頃から帝王学を始めとする英才教育を施された超エリートならともかく、あたしは胡散臭い遺物の戯言があるまで、本当にただの山娘だった。

 

 知っていることと言えば、狩りの仕方と強敵からの逃げ方と、喧嘩くらい。

 

 王に選ばれた意味をほとんど理解しないまま生まれた場所を出て。あたしの素性を知って尚、王としてこの国を治めて欲しいと真剣に頼み込んできた臣下にびっくりして。

 もう一生分の驚きを詰め込んだんじゃないかってくらい、あたしはただただ驚いていた。

 そんな間抜け面を晒してたにも関わらず、新たな王の誕生だと煌びやかな王宮は歓声に満ち溢れていた。それが余計、現実じゃないみたいに思った。


 あたしが国王って、何の冗談?


 エルピーダ、神の遺した遺産、王の選定…入ってくる単語は一度なら聞いたことがあるものだけど、一生関わりのないと決めつけていた。それがあたしを大いに振り回す。

 でも、そんなにも縋りたくなるのは、王都が酷い荒れ方をしていたから。

 エルピーダが選んだ王しか認めない。そう信じたせいで、この国は王が長く不在だった。そのせいで苦しんでも、神の意志に従うというのだから余程深く信じているのだろう。でなければ耐えられない。耐えきれずに暴徒と化している人もいるというが、それを鎮圧する人達だって苦しいのに神の選択を待っていたということだ。

 これはちょっと、やばいかもしれないと引き気味になった。ここまで妄信的に信じる人達の王として、あたしじゃ役不足だ。なんかこう、すんごい力とかないと絶対収まり切らない。っていうか絶対勘違いしてる。あたしはただの山娘だというのに。

 だからみんなの前でオウサマの仕事なんて無理だと正直に伝えた。王宮で使う高等な知識どころか、庶民も知っているようなことさえ知らないあたしには無理だって。

 そしたらわかってましたとばかりに次々に人を呼び集めた。名を呼ばれた人間は緊張しつつも期待と希望に満ち溢れた顔であたしの前にやってきて、最上級の礼節を以て挨拶してくれた。

 何だこれ、とあたしが硬直する間もなく、彼等が補佐するから何の心配もないと言う。もう本当にもったいないくらい立派で頭の冴えた臣下が揃えられていた。いつか訪れる王のために努力を惜しまなかった優秀な人材だ、と教えてくれた。

 それに、たじたじしていたあたしは純粋に湧き上がった疑問を投げかけた。


(そんな来るか来ないかわからない時なんて待たないで、この優秀な人の中から王を選べばよかったんじゃないの。っていうか、あたしが王になるより絶対いいでしょ)

(な…神の導きが選んだ結果ですよ!?)

(え? …え!! そんな殺生な)

(っ! お願いですから、どうか王になり我らを導いてください…!!)


 これまた皆揃って顔を青くした。泣きだしそうな人までいた。

 何でここまで動揺するのかエルピーダを信用していないあたしにはさっぱりわからなかったが、どうやらあたしが王を辞退する気みたいだと気づいたらしい。びっくりするほど慌てふためいた。

 彼等は努力し優秀な人間になる強い意志はあるのに、国を束ねる王になる意志は全くないようだった。そこは共感できる。うん、あたしだってなるつもりはない。


(お前ら、そう狼狽えるな、落ち着けって。…で、お嬢ちゃん)

(なに?)

(お嬢ちゃんには悪いが、アエラスの多くはエルピーダを神の遺したものだとして崇めてる。その判断を覆されたら、また王のいない暗闇に逆戻りだ)

(…あたしが王になったら、どうにかなるの?)

(なる。俺達が全力で守り支えるからな。お嬢ちゃんは王座に座ってくれているだけで良いんだ。それだけでアエラスの希望になる)


 あんまりにも真剣に言われたものだから、思わずその場の勢いで意図せず頷いてしまった。あの場で「やっぱり無理です帰ります」なんて言えない。幾ら頭に中身が詰まってないあたしでも、肌で感じるものがある。ここで拒否したら阿鼻叫喚になる。どうにか統率を保っていられるその均衡を崩しかねない。

 これが王になった経緯という、何とも情けなく締まりのないものだ。でも世の中大体そんなもんだと父さんが言っていたのを唐突に思い出して納得した。

 そう思うと、きっと神様が降り立ったのも、もしかしたら何かの間違いで空から落っこちちゃって人に見つかって、でも情けなくて締まりがなかったから挽回しようとし大げさにてエルピーダなんて厄介な代物を譲り渡して天に戻ったのかもしれないな、なんて一人で想像して神様をこけにしてみる。不敬だろうけど、あたしは巻き込まれたんだからちょっとくらいの悪口は許してほしい。

 そんなバカげた妄想くらいにしか頭を使えないので、国の方針とかその他諸々、頭の痛い問題の大部分は臣下が確認したり案を練ったり修正したりしてくれる。人脈に関しては別の人間がちゃんとフォローしてくれていて、正直あたしはただのお飾りだ。黙って微笑んでいれば大体終わる。それもできない時があって、不甲斐ないことこの上ないけど。


 今でも時折首を傾げる。

 あたし、要らなくない?


 でもそれを口にすれば笑えるくらい同じ答えが返ってくる。

(いいえ、我々には貴女が必要なのです)

 どこがどう必要なのか、今尚さっぱり、全くさっぱりわからない。臣下はちょっと色々大丈夫だろうか。とてつもなく優秀なのに、肝心なところが抜けているのではなかろうか。

 それでも、アエラスの威信をかけた神の遺物エルピーダが選んだあたしを手放すわけにはいかないらしい。とりあえずあたしがオウサマである限りアエラスはある程度安定している、みたい。よくわからないが、王都はあたしが来た時よりもずっと盛り上がっているのは確かだ。

 だからまぁ、あたしは今日もオウサマとして大人しく名前を書き続ける。

 そうして空が橙色に輝き始めた頃、最後の一つを書き終えた。






「…っ、終わりー!」

「…あの量をよく終わらせられるね。逆に感心するよ」

「申し訳ないけど、あたしは最後の署名をするだけだからね」

「それで構わないでしょ。それまで僕達臣下が何度も精査して確認したんだから」

「うん、だからそれをちゃんと知っておきたいなって」

「君は身の程を知った方がいいよ。自分の能力の限界がわかってない」

「リベルトは言い回しを柔らかくした方がいいね」


 苦笑して、最後の書類を纏める。口が悪い臣下はその辛辣な物の言い様から嫌厭されることも少なくない。ただでさえ元はあまり関係の良くない隣国の貴族の三男坊だったりするから、時々妬みに近い因縁をふっかけられる。これまたよせばいいのに、ちゃんと仕返しするから尚のこと関係修復が難しくなる。


「別に困ってないからいいよ」

「困ってるのはあたしの方なんだけど」

「そんな風には見えないけど」

「主に傷ついてる。この柔な心が」

「嘘をつかないでよ、毛むくじゃらな心のくせに」

「なにおう。見たことあるの、あたしの純情な心」

「純情かどうかは知らないけど、とりあえず鋼よりも強いことは知ってる」

「なにその可愛くない心、萎える」

「君以上に肝の据わった、度胸のある奴は早々いないってこと」

「それ、褒め言葉じゃないよね」

「心外だな。最上級の誉め言葉だよ」


 そんなこと言われて嬉しいわけがない。それを知っていてからかうリベルトはやっぱり意地悪だ。だから敵を作りやすい。本人も自覚があるはずなのに、どうしてそのまま貫くんだろうか。敵を増やしていいことなんて一つもない。

 とあるきっかけがあって、このアエラス王国に身を寄せることになったリベルトにとって、ここで生きていけるかどうかは死活問題のはずなんだけど。


「それにしても、やっぱり時間がかかるなぁ」

「だから印だけ押せばいいって言っているだろう。少しは反省したら」

「二度と同じことをしないとは誓えないから無駄かな」

「あのね…いいかい、反省ってそれだけじゃないよ」

「へえ?」

「向上や改善に繋がるんだ。君の場合、あんなに仕事が溜まる前に切り上げるように心がけるとか、そういう気の回し方もできるでしょ」

「でもあたし、熱中して周りが見えなくなるタイプだからなぁ」

「僕に散々話し振っといて、周りが見えなくなるって何様なの」

「オウサマなの」

「……君ね」


 あたしの仕事は終わったけどリベルトはまだ忙しそうだ。手伝おうか、とは絶対に言えないため手持ち無沙汰で、立派な机に頬杖をつく。

 本当、山娘には勿体ないくらい滑らかで温かみのある執務机は歴代の王がずっと使い続けたらしい。きっと今までの王はここで沢山、色々なことに悩まされて、決めてきたんだろうな。あたしだったら目を回すような仕事を捌いて、国と民の為に身も心も捧げて。

 エルピーダに、神の遺物に選ばれた人間として、責任を果たしたと言う。

 そう聞かされても奮起しなかったあたしはやっぱり王としての才覚は全くないと自信を持って言える。


「そういえば」

「なに」

「リベルト、この間のはどうなったの」

「この間って、なに」

「婚約のはなし」


 リベルトはこの国に家族はいない。当たり前だ、信頼する僅かな部下と共に亡命に近い形で転がり込んだから。

 あたしとしては、家族のいない彼が少々気がかりで、臣下にもそれとなく彼の花嫁を探すように頼んでいたりする。田舎から来たあたしよりも、ずっと王都にいる臣下の方がそういうことには詳しいだろうと思って頼んだ。

 だというのに、何度婚約話が挙がっても、まだ良い報告がない。


「ちょっと話しただけで泣かれた」

「その毒舌に晒されたら大抵のお嬢様方は泣くよ、自覚しなよ」

「面倒だな」

「反省してないね、その態度」

「僕が反省する余地はない」

「女の子泣かせてるくせに」

「泣く方が悪い」


 本当、変なところで意固地だ。

 もったいないな、と本気で思う。リベルトは、確かに血筋はちょっと問題があるし性格もかなりひねくれているけれど、何だかんだ誠実だし面倒見も良い。顔立ちで言ったら最高ランクだし、さぞ可愛い娘が生まれるに違いないと密かに太鼓判を押しているのに。


「家庭を持つって結構いいと思うんだ。一人身は気楽だけど寂しいよ」

「君に言われたくない」

「あたしにだって候補がいるよ?」

「…そういえばそうだったね。こんな山娘に」

「体裁の関係で生贄になってくれた臣下だけどね。感謝してる」

「感謝してるならもう少しお淑やかに振る舞ったら」

「それができたら苦労しない」


 リベルトの口の悪さと一緒で、あたしも態度を易々に直すことはできない。上っ面を被るのは短時間ならできるけど、本当に短時間で我慢できなくなる。何というか、お尻とか頭とかが無性に痒くなって、終いにはドレスを引き千切って山を駆けずり回りたくなる。そのまま木にでも登って大声を上げてしまいたいくらいだ。

 それでも他国との会合といった重要な場ではアエラスの恥とならないように髪の毛から足の指の爪まで気を配って、王として振る舞う。

 短時間限定だけど。


「王配にするつもりはないでしょ」

「うん、そうだね」

「だけどそろそろ周りがうるさいんじゃないの」

「でもさ、山娘と結婚までしたら可哀想じゃない?」

「ああ、なるほど」

「嘘でもいいから否定して欲しかった」

「嘘は言わない主義でね」

「嫌味は散々言うのに」

「僕は素直だから思ったことを口にするだけだよ」


 確かにここまで口が悪いんだから、並大抵のお嬢様じゃ太刀打ちできないな。これはもう、嫌味を介さない天然くらいじゃないとだめかもしれない。よし、今度臣下に天然なお嬢様を探すように頼んでおこう。


「そういうことだからさ、エルピーダには早く次の王を選んでもらいたいかな」

「早く王座から降りたいのは結婚を急かされるのも理由の一つ?」

「そんなところかな」

「結婚すれば悩みの一つは解決するんじゃないの」

「どうだろうね」

「もっと真剣に考えなよ。王都には色々な人間がいるんだ」

「でもさ、王都の人ってあたしと感性が絶望的に合わないと思うんだよね」

「…故郷の男なら合うってこと?」

「さぁ?」

「はっきりしないね」

「あんまり深く考えたことないからなぁ…。本当、よくわかんない」

「あのね…まさか本能とか感覚で決めるつもり?」

「あ、それいいかも」


 頭がいい方じゃないから、そっちの方が気は楽かもしれない。

 良い案だね、と賛辞を贈ろうとしてリベルトの方を見たら、信じられないと言わんばかりに目を見開いていた。どうやら冗談で言ったつもりだったらしい。


「………本気?」

「名案だと思うよ」

「君、一応ここの国王だって、自覚ある?」

「一応ね。それにオウサマから降りた後のことだよ」

「それでも、一時は国の王だった人間が、本能で、感覚で…夫君を選ぶ?」

「そういう人がいてもいいよね」

「馬鹿じゃないのか」

「嫌味じゃなくて直球で馬鹿にされた!」

「するよ! 何で君はそんな軽いんだ、女性の結婚事といったらもっと夢を見るものだろ! 相手は高給取りとか、美形だとか、地位とか!!」


 必死な言葉に、そういう選び方もあるらしいね、とあたしは他人事のように聞いていた。

 直属の臣下は地位や年齢も相まって既婚者が多いが、その下についている臣下の中に未婚の男性もそれなりにいる。彼等は近い将来、王宮勤めの中でも国王直属の臣下になる。

 顔立ちに関しては人それぞれの好みがあるから何とも言えないけど、リベルトを筆頭に一般的に顔立ちの整った人は少なくない。ここには美形は揃っている。


「うーん、そういうのはいいかなぁ。それにほら、ここにいればそんな人ばっかりだから目の保養は十分足りてるし」

「っ、でも、そいつらは、君のことを王としてしか見てない」

「そうだねぇ」

「君は王から降りることばかり考えているけど、その後のことはどうするつもり?」

「あー…うん、まぁどうにかなるんじゃない?」

「ならないでしょ。どれだけお気楽な頭しているの君」

「え、また馬鹿にされてる?」

「十分な生活ができるくらい財力のある人間と一緒になろうとか、考えないわけ」

「そういう暮らしがしたい人にはいいよね。でもあたしは特に気にしないかな」

「君は…」


 がくりと、肩を落とした。随分力んでいた理由は残念だけどわからないので、とりあえず黙っておいた。

 しかしどうやらリベルトは女性が結婚事に夢を抱いている、と思っているらしい。どうしてそうなったのかやっぱりわからないけど、何か思わせるだけのことがあるのだろう。


 もしかして、リベルトは結婚に夢を抱いてたり?


 それだったら先程の怒りもわからなくはない。結婚を軽く見ているあたしに噛み付いたのは、それでいいのかという叱咤激励だったのかもしれない。


「あのさ」

「…なに」

「リベルトは結婚したいと思わないの?」

「は?……その聞き方は知性を感じないからやめた方が良いよ」

「リベルトみたいに嫌味で言うだけの頭がないから仕方ない」

「僕の言葉全て嫌味みたいに言うのやめてくれない?」


 凄く嫌そうな顔をされた。


「嫌味を含めているだけで、全部じゃない」

「違いがわからないんだけど、どうすればいい」

「考える力をつければいいよ。それから一般常識と教養」

「それ、あたしに欠けてるってこと?」

「それくらい身に付ければ、伴侶を本能で選ばなくなるよ」

「やっぱりそこに繋がった…。その話は置いといて、どうなの」

「何が」

「リベルトは結婚したいの?」

「…今の話でしたくなくなった」

「え!!」


 今の話はあたしのことだとね、何でリベルトが影響されてるの。

 目をまん丸にしたあたしは口をぱくぱくさせる。やっぱりリベルトには結婚願望があって、夢見る乙女並みに理想を持ってて、それなのにあたしが適当なこと言ったから夢が壊れちゃった、とか?

 そんなこと言われてもあたし責任とれないよ、どうしよう。


「あ、あたしのせい…かな」

「そんなことないよ。十割、君のせいだけど。そんなことないよ」

「それ絶対あたしのせいじゃんか!」

「誰が山娘なんかの言葉に翻弄されるか。いや、最早山娘じゃなくて山猿でいいよね」

「せめて人間扱いしてよ」

「人間らしい思考ができるならね」


 とりあえず、凄い馬鹿にされたのはわかった。


「大体本能とか感覚で決めるって、何だよ。そんな適当な決め方しないでよ。君はまだ国王だ」

「いやだからオウサマやってる間は結婚しないって」

「エルピーダがいつ動き出すかわからないのに?」

「それを言われると辛い」

「あのポンコツは気まぐれだよ。君の時に壊れたかもね。こんな山猿を王にするくらいだし」

「わー、リベルトの辛辣さであたしの心が壊れそう」

「話を逸らすな、事実でしょ」

「頭の痛い問題だよねぇ」

「それで、次の国王が来る前に結婚しなきゃいけなくなったら、どうするの」


 痛いところを突いてきた。

 思わず呻き声を挙げるのは、現在目を反らしている事実だからだ。

 みんなは気にしなくていいと言ってくれる。アエラスの国王は世襲制じゃないから、血を繋げるために子供を儲ける必要はないから、と。

 でも本当は不安に思っているらしいこともわかっていた。誰も口にしないけど、あたしがオウサマをやっている間は当然、伴侶は王配になる。否が応でもアエラスに大きな影響を齎すその存在は、まだ空席だ。そこに良くない考えの人が座るのを恐れている。

 それもあって早くから王配候補を決めて周囲を固めた。でも、決定的な一手にはならない。


「直感で、この人がいいですって言ったら不味いかなぁ」

「当たり前。黒だったらどうするの」

「そういう人は選ばないようにしないとね」

「できると思ってるわけ」

「あとはみんなの声に耳を傾けるよ。そうだね、この人がいいなって思って、みんなが納得する人と結婚するよ」

「そんな人間が来るまで待つのは愚策だ」

「今からちょっとずつ探せばどうにかなるって」

「どうして君はそう楽観的なんだ。少なくとも君が国王になって今日に至るまで、そういう男はいたのか」


 視線を逸らす。


「………い、た…かな、いや、いなかった、わけでもない、かもしれない…」

「いなかったんだね」

「先のことは誰にもわかんないよ、もしかしたら明日にでも奇跡が起きるかもしれない」

「奇跡が二度も三度も起きたら奇跡じゃない」

「そうだけど……うん?」

「何」

「一度目の奇跡はあったの?」

「君が国王になったことでしょ」


 何の躊躇いも揶揄いもなく言われるものだから、問いかけたあたしの方がぽかんと止まってしまった。


「それは奇跡じゃなくて、奇想天外じゃないかな」

「…………僕達からすれば奇跡だよ」

「え、今なんて言ったの?」

「何でもない」


 聞き逃した言葉をもう一度言い直すつもりはないようだ。

 とにかく、決めた。

 少しずつあたしにも国にも良い縁を探そう。このまま何もしなかったら、王配候補の中から選ぶことになる。それは哀れだ、相手が。何が悲しくてこんな山娘を嫁にしなきゃいけないのか。あたしが相手の立場なら確実に嘆く。しかもいつか王から降りるような山娘に。


「とりあえず、結婚は前向きに考えてみるよ。ありがとリベルト」

「何でお礼なんか言われるわけ」

「リベルトのおかげで直感と臣下に頼ろうと思えたからね」

「ねえ僕の話聞いてた?」

「聞いてた聞いてた。もうばっちりだよ」

「…君には脱帽するよ。理解も共感もできないし真似たくないけど」

「脱帽した意味なくない?」

「はぁ?」

「あ、もしかして嫌味か」

「今更気づいたの…」


 嫌味な脱帽じゃなくて本気で脱力させてしまったようだ。


「そういうわけで、あたしは決めたけど。リベルトはどうするの」

「聞いてなかった? 結婚したくなくなったんだ」

「家族がいるのはいいことだよ」

「いらない」

「リベルトの娘とか凄く可愛いと思うんだけど」

「僕は無性生殖できない」

「知ってるよ。だから相手がいるんでしょ?」

「その相手を、不要だって言ってるの。聞こえなかった? それとも理解できない?」

「聞こえてるし理解してるって。実は案外、結婚してみたら気が合うかもしれないよ」

「煩いな、僕に構ってないで自分のこと心配しなよ」


 突っぱねる横顔は、何だか子供が拗ねたみたいで可愛かったりする。

 でもそれを言ったら最後、子供の顔が般若に変わる。折角なので可愛い顔を眺めておきたいので言わない。


「でもさ、リベルトだって周りから結婚勧められてるでしょ」

「本当、いいお節介だよね」

「こっちに家族がいないから気にしてるんだよ」

「そんなの知ってる。君より、よーく、わかってるよ、あいつ等」

「含みのある言い方だねぇ」

「それは気づくんだ…」

「え、また馬鹿にされてるの、これ」


 リベルトがあたしのこと馬鹿にするのはいつのどおりだけど、今日はいつにも増して回数が多い。この部屋に他の人がいないから多いのか。

 だったらいつもリベルトは心の中でこれくらいあたしのこと馬鹿にしてるってことか。驚愕の事実に動揺が隠せない。


「そ、そういえば最近みんなと仲良くなったよね、リベルト」

「あれを仲が良いと言う君に驚きだよ」

「絡まれてるのは親しみを持たれてるからじゃないの」

「その絡み方が面倒だ」

「それがみんなの愛情表現だって」

「その言い方はよしてくれ、吐き気がする」

「ひねくれてるなぁ」

「割と本気で気持ち悪い」

「人の好意くらい素直に受け取ればいいのに」

「あれを好意と思ってるのは君くらいだよ」


 頭をがしがしとかいて、リベルトはあからさまに話題を変えた。


「それより、そろそろ夜会でしょ。どうするの、ドレス」

「あー、うん、もう仕立てたよ」

「気の進まない顔だね」

「あんなヒラヒラして薄い服、破かないか冷や汗ものだから」

「ああ、最初の頃は裾を踏んでスッ転んだんだっけ。何回も。懲りずに。人前で」

「だ、誰からそれ聞いたのかな?!」

「最早語り草だよ。聞かなくても教えてくれた」

「くっ、でもあたしだって最善は尽くした」

「それが上等じゃなかったってだけなんだね、納得した」

「努力は認めてもらいたい」

「認めた上であえて言おう、『もう少し頑張りましょう』」

「頑張ったよ! あの時はあれが限界だったの」

「要領が悪いからね、君」


 そんなこと知ってるよ! と肩を怒らせれば、リベルトはやれやれと鼻息をつく、腹立つ。

 身体能力ならそれなりにあることを自負するあたしだけど、あれは頂けない。足を広げることは愚か、通常の歩幅での移動は制限される。それに無駄に踵が高くて余計な筋肉を使う。その割には首回りとか背中がスースーするデザインが多いし、かと思ったら長い手袋をはめなきゃいけなくてムズムズした。いや、手袋ならいいんだけど、あたしが慣れているのは分厚い皮に覆われた茶色の手袋であって、あんな薄い滑らかなものなんて爪で破いでしまいそうで気を付けないといけなかった。

 何より身体を締め付ける種々の下着類位のせいでものすごく苦しい。臓物が悲鳴を挙げて、血の巡りが止まりそうになったのは一度や二度ではない。

 つまり、絶望的にあの手の服は合わない。


「女性の服装に手の込んだギミックが多いのは認めるよ」

「ギミック言うな」

「とにかく、そういったものだと割り切って乗り越えるしかないだろうね」

「はぁ、男の人だったら楽だったのに」

「男は男で面倒だよ。君にエスコートができるとは思えない」

「確かに。相手にエスコートされてそう」

「細やかな配慮もだけど、それ以上に華を立てる必要もある」

「花はその辺に飾られてるよね。何でわざわざ立てるの」

「…君には無駄な言葉だから忘れて」


 呆れられたのはわかったので口を噤む。

 しかし、『はなをたてる』とは一体何のことだろう。

 もしかして男性はその辺の花を手折って、どこかに一本立てなければならないのだろうか。だとしたらそれは難しい。茎を通して根に繋がっている時は真っ直ぐな花も、花自体の重みで曲がりやすくなる。

 昔、母に花を贈ろうとして幾つか花を集めたが、丁度良い花瓶がなくて苦労した。コップなどでは収まらなくて短く茎を切り落とそうとしたが花弁とのバランスで断念した。さんざん悩んだ結果、狩りの

 矢筒に花を挿したら当の母にしこたま怒られた。今ではいい思い出だ。


「考え中に悪いけど」

「考えてないよ、思い出してるだけ」

「どうでもいいけど、もう帰ったら」

「やっぱりあたし、邪魔?」

「否定しない」

「言葉にされるとグサっとくる」

「仕事ないならここにいる意味ないでしょ」

「確かにそうだけど」

「酔狂な輩は君に一目会うだけで元気になるらしいから、わけてくれば。その無駄な元気」

「一言余計だよ!」


 お邪魔扱いされた以上、出て行くしかない。どうせまた明日に顔を突き合わせるし、一人で集中した方が早く終わるだろう。

 でも邪魔と言われてちょっとばかりへこみながら退出するあたしに、ぽつりと声をかけられる。


「お疲れ様、安息の一時があらんことを」

「うん、先に上がるよ。リベルトも休める時にしっかり休んでね」

「ん」


 こういうところは律儀なんだよなぁ。


 執務室から出たあたしは自室に向かうには少し早かったので少々道草をくうことにした。

 みんな昼夜問わず忙しく働いているから仕事の邪魔をしてはいけない。リベルトのようにあたしに邪魔とはっきり言える人間の方が少ないのはよくわかっている。

 だから通りかかっても挨拶程度に済ませて、ふらふらと王宮内を探索する。行く当てはない。寝る前のちょっとした運動だ。

 その途中、たった一言二言交わすだけでも随分気合の入る人もいるから、リベルトの言っていることはあながち間違いではない。オウサマ、という付加価値は絶大だ。中身はただの山娘だとしても。

 オウサマに就くか就かないかの中で、既にあたしの本性は知られていたから無理に取り繕わなかった。付け焼刃でどうにかなるものじゃない。仕事における努力や無理はしたけど、日常的な生活はかなり緩い。それでも苦言を呈さないのは先王の例があるからだ。



 先王は、とても素朴で真面目な人だったらしい。みんなの期待に応えようと必死になって、短期間で心も身体も壊した。そしてついに、精神が異常をきたして狂って亡くなった。

 あの時、王宮は半狂乱になったそうだ。その時に外から攻め込まれたら呆気なく落ちたとさえ言われている。王の無残な死に方に影を落としている者は多い。特に王宮には先王を支えていた臣下がいる。

だから同じ轍は踏まない。次の王には決してそんな死に方はさせない、と。

 そんなことを言っていたのはあたしをここに連れてきた一番の臣下で、先王の時代に直属の臣下だった人間だ。その人は今、別件で動いていて王都にいない。それが少しだけ心細いなんて口にしないけど、何となく皆には悟られている気がする。

 格好悪いなぁ。

 ちょっと情けないなと思いつつ、あたしはようやく自分の部屋に戻る。意味不明なほど大きな部屋に、これまたよくわからない美術品がぽつぽつと並ぶ、オウサマの部屋。歴代の王が使っていたというこの部屋のことは全て他人任せで、あたしはただそれに従っているだけだった。

 あたしは山で育った、何の変哲もない村人だったのに。

 世の中、何が起こるかわかったもんじゃない。


 

 とりあえずエルピーダを渡した神様とやらに文句は言いたい。そこに微塵の揺るぎもない。









 月も太陽もあたしの恨み言など気にせずに登って、落ちて行く。

 次の日、いつも通り起こされてのそのそと準備を始める。これがいつもと少しでも違うと過剰に心配し始めるのだ。果てはお医者さんを呼んでくるものだから、たまったものではない。

 しかし人間いつだって、いつも以上にだらけたい時だってある。

 しかしあたしの場合これ以上だらけるのはよろしくない。それはわかっている。

 だから毎朝、どうにかして温いベッドから這い出る。


「おはようございます、陛下」

「おはよーう」


 締まりのない顔を晒している自覚はある。見目も能力も性格も選りすぐりの侍女達の前でしていい顔じゃない。わかっているが、寝起きなので是非とも勘弁してほしい。


「顔を洗う盥はこちらです」

「ふぁーい、ありがと」

「いいえ」


 いつも通りのやり取りだけど、お礼を言うとどの侍女も嬉しそうに目を細める。


「朝食は部屋にお持ちしましょうか?」

「そうだねぇ、それがいいかな」

「かしこまりました」


 そういって彼女は礼をとる。一度下がるようだ。オウサマになったはいえ、元は山育ちなので着替えとかそういった身の回りのことを他人に任せるのは、やっぱり慣れない。それを知っているからあえて放置してくれる。ありがたいことにあたしの感性に合わせてもらっている。

 本当は自分の部屋でご飯をとるのは違和感だらけだけど、食堂で食べるとだだっ広い空間で一人ご飯を食べることになる。いや、一人じゃない。傍には侍女や執事、護衛もいる。しかしその中でご飯を食べるのはあたしだけ。圧倒的ぼっち感に折れた。せめて誰か一緒に食べて欲しいと懇願するが、誰一人として首を縦に振らなかった。そこはきっちり線引きされている。

 寂しい、というのもそうだけど、気まずい。あたしが食べ終わらないと皆動けない。皆の時間を奪っているのをひしひしと感じる。誰もそんな顔はしていないが、あたしがそっちの立場だったら早く食べてくれと切に願うだろう。あたしと違って、皆忙しいのだから。

 だから食堂は好まないけど、時々使う時もある。客人がいる時や、一番の臣下が食事する時間を確保できた時だ。それ以外はほとんど使われない、勿体ない空間である。


「さて、と」


 顔を洗い、寝間着から仕事着に着替える。髪は手櫛で整える。どこか跳ねているようだが気になる程ではない。


「陛下、朝食をお持ちしました」

「うん、入って」

「失礼いたします」


 そうして侍女二人と執事がカートと共に入ってくる。


「今日も美味しそうだねぇ」

「本日は蜂蜜をふんだんに使ったハニートーストがメインです」


 カリカリに焼いたベーコン、その横にある白と黄色の目玉焼き、さっと野菜を炒めたソテー、じっくり煮込んだオニオンスープ、木苺のジャムで色づいたヨーグルト、そしてメインのハニートースト。


「いつも思うけど、豪華すぎじゃない?」

「これでも陛下のご要望どおり簡素な朝食ですよ」

「確かに客人がいる時よりもそうだけど…」


 朝からこれだけ手間暇をかけていいものだろうか。それなりにここにいるが、未だ感覚が掴めない。朝はエネルギーさえ取れればいい。肝心なのは昼まで持たせることだ。


「…故郷は昨日のパンと牛乳と果物だったんだけどなぁ」

「それにするとシェフが泣きますよ」


 しれっと執事に言われて大人しく引き下がる。この素晴らしいご飯を作ってくれる人を泣かせるのはよくない。とても良くない。あたしの三食を作ってくれるのだから大事にせねばならない。


「陛下、本日の予定を確認してもよろしいでしょうか」

「うん、お願い」


 こうして朝食を食べながら予定を確認する。と言っても、そんなに詰まった予定はない。いや本当にない。これでいいのか一国のオウサマ、と思う程少ない。だから今、執事に口頭で言われてもあたしの頭の中に留めていられる。これが三件、四件といつもと異なる予定が入ったらパンクする。


「そうしたら、今日は午後に面会が一件あるだけかな」

「はい。東の領地を治める者です」

「ふぅん…」

「ハニートーストに使われている蜂蜜は、そこで採れた最上級の蜜だそうです」

「どうりで美味しいわけだ」


 どうやら東の方はわかっているらしい。オウサマに献上するのは食べられるものが一番、と。

 以前は美しい織物や輝かしい鉱物がメインだった物品が、時を経るごとに美味しいものに変わっていった。それはオウサマとしてどうなのかと思ったけれど、織物も宝石も価値がわからないから早々に白旗をあげた。

 後々聞いたけど、高価なものに関しては国に献上している。そうしたら優秀な臣下達がちゃんとうまく処理してくれているから安心だ。だからこういった食料品は純粋にオウサマへの貢ぎ物ということになる。


「それじゃあ、午前中は執務室で書類を捌けばいいね」

「はい」

「急ぎの書類はある?」

「赤の箱に分けてありますので、優先的に目を通していただければと思います」

「わかった。期日が近いものは?」

「それは黄の箱に。期日が本日のものは緊急のものと同様、赤の箱にあります」

「助かるよ、ありがと」

「いいえ」


 本当に助かるから礼を述べれば、やっぱり彼も嬉しそうに目を細める。アエラスの侍女や執事はこんな些細なことでも喜んでくれるらしい。世話になりっぱなしなのはこっちだというのに。


「そしたら赤の箱から手をつけるよ。どれくらいで終わるかな」

「赤は午前中で確実に終わります。黄は今日中に終わらない可能性もあります」

「とりあえず赤を終わらすことに専念した方が良さそうだね」

「はい」


 あたしがオウサマでも、国が正常に回っているのは周りの人がとても優秀だからである。…本当にあたしの存在価値はなんだろうか。

 整理整頓が根っから苦手なあたしは、自分の矢でさえとっちらかす癖があった。その度に両親や兄弟、友人に怒られていたのだが直らなかった。

 そのあたしに、書類の整理なんて到底無理だ。というか、今でも期日ってどこに書いてあるんだろうと首を捻っている。文字はどうにか読める。読めるだけは読める。遅くてもよければ音に出すことはできる。

 …難しい言葉は、字どころか意味さえ知らないけど。

 その意味を飛ばして、どうにか意味をとって、何を求めているのかわかればなんとかなる。細かいことは臣下がチェックしている。大丈夫、彼等への信頼は厚い。むしろ彼等がいなかったら何もできない。

 職業オウサマ、しかしその内実はお飾りであることは明白だ。







 朝からしっかり食べたあたしは、執務室に向かう。その途中、昨日の夜の話を思い出す。

 結婚に憧れていたはずのリベルトのことだ。

 何か申し訳ないことをした。非常に申し訳ないことをしたからこそ、そろそろ本腰を入れて彼の家族を探さねばなるまい。

 あたしの第六感が継げている。リベルトが独身のままではいけない気がするのだ。

 勿論、家族を持つだけが幸せではない。それくらいわかっている。人によっては仕事に生涯を尽くすこと、人々の幸せを築き守ることを幸せだという人だっている。そういう考えを否定するつもりは毛頭なく、むしろ敬意を払う。

 でも、多分、リベルトはそういう人じゃない。今はどうってことないって顔しているけど、このアエラス王国に身を寄せ始めた頃の頼りなさそうな顔は、その雰囲気は忘れられない。当たり前だ。彼は生家に、母国に裏切られた。任務を達成できぬのならば死ねと、刺客を向けられたのだ。あろうことか、己の家族に。

 そういう意味ではもう家族なんてこりごり、作りたくないと思っているかもしれない。だがあたしは知っている。彼が時折、家庭を持つ同僚の、幸せそうな顔を羨ましそうに見ていることを。言葉ではからかったり馬鹿にしていたけれど、その瞳は雄弁に物語っていた。羨ましい、と。

 だからあたしは決めていた。あたしの目の黒いうちに、この天涯孤独になったリベルトを、ちゃんと幸せにしてその幸福を見届けなくては、と。

 何より、あたしのどうしようもない話にも誠実に付き合ってくれるリベルトは根っからのお人好し以外の何物でもない。普段は冷たい雰囲気で人を近づけないが、本当は面倒見が良いちょっと損をしがちな好青年だと思ってる。

 だからこそ余計に、幸せになってもらいたいと強く願うばかりだ。


「…そのはずなんだけど、上手くいかないよねぇ」

「また独り言なの。少しは静かにしてくれないかな、気が散る」


 時計はそろそろ昼をさそうとしている時だ。午前中は集中力も十分あるからばりばり(当王比)仕事が進む。そしてあたし以上にガツガツ仕事をする臣下のおかげで、あたしの書類の山は高みを目指すばかりだ。終わらない仕事に絶望を覚えることなど最早ない。無の境地だ。例えどれほど高き頂きに達そうとも、天変地異が起きて崩れることもある。それを知っているから動ずることなかれ。書類に埋もれてもきっとどうにかしてくれる。臣下達が。


「それはごめん、でも、どうしてかなーって」

「何が」

「何であたしの仕事、終わらないんだろう」

「それを僕に聞くのか」

「え、駄目だった?」

「構わないけど。…いいの」

「な、何が…?」


 こうしていつもあたしのペースに巻き込まれるリベルトは結局良い人で、多分損をする。

 今日は執務室に何人か人がいるのに、あたしのぼやきに付き合うつもりはないようだ。この薄情者め! とかは思わない。だって彼等の方があたしよりずっと大変な仕事を沢山抱えているから。

 かくいうこの付き合いのリベルトも、結構な量の仕事を任されているはずなんだけどいいのかな、と思ったり。

 でもリベルトなら、本当に大変な時はあたしなど相手にしないはずだから、今は大丈夫なんだろうと勝手に納得する。今は大変忙しくはないようだけど、やっぱり顔は下の書類に向けられたままだった。視線で入ってくる情報と、耳が捉える情報を分けて考えられるってどういう頭の構造しているんだろうといつも不思議になる。あたしの臣下の大半は、そういう人種だったりする。

 とにかく、何となく不安なものを感じ取って後ずさりしかけたあたしにとどめを刺すように、リベルトはそこだけ視線を上げて意地の悪い笑みを浮かべた。


「真面目に仕事してないってことでしょ」

「が、がーん! これでも一生懸命やってるんだけどなぁ!」

「ハイハイ、黙って作業できるの、午前の数時間だけだね」

「うぅ…だって息がつまりそうで」

「君がこういう机仕事を好まないのは知っているけど、それだけじゃないでしょ」

「え」

「最近城外に出られていないみたいだからね」

「ぎくっ………ばれてますか」

「どうしてばれてないと思っていたのか聞きたいくらいだよ」

「でも、誰も指摘しなかったよ」

「誰が王の行動を咎められるんだ。それも、目を爛々と輝かせて外へ出かける山娘を、ね」

「そこまで見られてた」


 野山を自由奔放に駆けずり回るのが当たり前の生活だったから、いくら大きいとは言え駆けまわれない王宮の中にいるのは気が可笑しくなる。

 時々抜け出して、せせこましい城下に潜り込んだり、近場の森を走り回ったりした。そうするとモヤモヤしていたものが一気に晴れて、また頑張ろうという気持ちになれる。そうしてあたしは再び、オウサマの仕事に就く。


「危ないことをしているようではないし、城下の人間も温かく見守ってくれているようだから大丈夫だとは思うけどね。ああでも、歩き食いはよしなよ」

「行動もばれてるの?!」

「護衛から報告は受けてる」

「全然わからなかった…」

「本当、君ってひとは…」


 呆れたリベルトも絵になる。あたしは驚きで口をあんぐり開けたあほ面のまま固まる。これは絵にならない。

 オウサマにだって休みはある。というか、休むようにきつく言われている。その休みの時間を、部屋でのんびりしてくると伝えてその実、外へ抜け出していた。それがばれていた。結構上手く護衛の目をかいくぐって抜け出せたと自負していたのに…。

 無念、と結論付けて顔を上げれば、会話が途切れてしまったことでリベルトは再び仕事に集中し始めてしまった。ちょっと寂しいな、なんて思うのは子供が親に構ってもらいたがる心情と似ているかもしれない。


「そういえばさぁ、リベルト」

「何、今度は何思いついたの。厄介事は勘弁だからね」

「疑ってかかるのはよくないと思いまーす」

「胸に手を充ててよく考えてみなよ」

「何も思いつかない。即ち潔白」

「思いつき過ぎてわからない、の間違いでしょ」


 本当に人付き合いのいいことだ。文官としての能力も高いが、武官としても結構強いみたい。まさに文武両道。

 性格も、まぁ難はあるけど悪い人じゃない。損をしやすい人だけど、だからこその努力家でもある。始めの内は疑いの眼差しを向けられていて辛かっただろうに、それを乗り越えられる強さもある。今では信頼だってある。決して条件の悪くない婿だし、何より美人だ。花婿にしたい女性がいたっておかしくない。

 しかし、彼は結婚への希望や夢を失ってしまった。主にあたしのせいで。


「リベルトは恋愛結婚がいい派なの?」


 ぶふっ、と誰かが噴出した。

 あたしでもリベルトでもない。ちなみにリベルトはぴしりと固まった。

 え、とあたしは今日一緒に働く超優秀な臣下に視線を動かしたが、何でもない顔をして黙々と仕事を進めていた。その隣の人はすました顔をしているが肩が僅かに震えている。その真向かいは手がぷるぷるしている。

 どうしたんだ皆。常に隙を見せない優秀すぎる臣下達の僅かな動揺にあたしが狼狽える。

 その間にリベルトが復活した。


「…突然何なのさ」

「いや、昨日の話。結婚に夢や希望を失ったみたいだけど、もしかして恋愛結婚を希望していたのかなって」

「別にこだわりはないよ」

「へぇ」

「望む人と結ばれれば些細な問題でしょ」

「…ん?」


 昨日は結婚したくなくなった、と言った。でも今日は希望の人と結婚できればどんな形でもいいらしい。

 つまりリベルトさん、どういうことでしょうか?


「ええっと」

「好いた人間ならどんな形でもいいってこと。わかった? わかったらもうこの話題は…」

「つまりリベルトは、好きな人がいるの?」

「………話を振ったのは、君だからね」

「うん?…うん、そうだね」

「はぁ……………………………………いるよ」


 言葉が出ないとはこのことだ。全然気づかなかったあたしの鈍感さはこの際気にしないで貰いたい。気にしたら負けである。へこむだけだ、あたしが。


 とにかく、そんなことよりも!

 リベルトに、この皮肉屋だけど幸薄な彼に、好きなひとが、いる!!


 任務『リベルトに幸せな結婚を届けよう』の発案者としては何にも耐え難い希望の光だ、吉報だ。とりあえずリベルトに結婚の意志と誰かを好きになる心があったのだから、それだけでも良かった。

 しかし念のため、これは確認しておかなければならない。


「ちなみに、束の間のことを聞くけれど、気分を悪くしないでね」

「うん」

「相手は異性? いやそもそもにんげ…アイタッ!!」

「僕にその気はない」


 冷気を宿したペンがあたしの額にクリーンヒットした。痛い。尖っていない方だったけど痛い。涙がにじみ出る。

 しかし良かった。まず人間の範疇だ。そしてアエラスでは同性結婚は認められにくい問題でもある。もっと自由に恋愛すべしと掲げる人と、子孫繁栄という観点から反対する人と様々だ。今後どうするか、それは今も議論している。臣下が。

 それはともかく、リベルトの好いた相手が異性ならばかなりハードルは下がった。リベルトに求婚されて断る女性は…いない、とは言えない。リベルト、口が悪いからなぁ。

 それ以外にも彼には性格以外の不安要素はあるが、オウサマの信頼も厚い点でひっくり返せるかもしれない。初めてリベルトの役に立てると思うと俄然、やる気に溢れてくる。何よりその要素を補っても尚輝くものが彼にはある。美貌然り、才能然り。

 …いや、もしかしてそのオウサマからの信頼がまずいのかもしれない。オウサマがあたしだから、きっと大きなマイナスポイントにされてるのかもしれない。山娘がくっつけたのは太鼓判じゃなくてタンコブだったのか。あたしはなんてことをしてしまったんだ。


「さっきから手、動いてないんだけど」

「……あの、さ、リベルト」

「は? 何、どうしたの。凄い顔色悪いんだけど。拾い食いでもした?」

「したのは一昨日、もう出てるだろうから問題ないよ」

「…ごめん、そこまで報告しないで。僕が悪かったから」

「それよりも」


 あたしの要らぬお節介のせいで、この臣下の恋路がうまく行ってなかった、なんて何というあたしの馬鹿。こういう所の配慮が足らない人間だっていうのは知っていたけど、知っていたけど落ち込む。

 あたしのお墨付きはただの巨大タンコブである。リベルトから時間も奪っているのだ。

 オウサマを支える直属の臣下である以上、彼女のために時間を割けない状況のはずだ。何もできないあたしを支える臣下にかかる負担は計り知れない。その内の一人に数えられるようになったリベルトは、確かに皆に認められるようになったけど、好きな人へ会いに行く時間もないんじゃなかろうか。

 主にあたしのせいで。


「その、来月…は難しいかもしれないけど」

「うん」

「将来を見据えて、ね」

「うん?」

「仕事、別の所に移らない?」

「…………………それ、本気で、言ってんの」


 あれ、いきなり部屋の温度が下がった。寒い、何でだろう。

 いいことを言ったつもりだったんだけど。だって他の所だったらここよりか幾分、休みがとれる。少なくとも『あ、休日は再来週になっちゃった』とか、『お日様が逆戻りしてる、おかしい、さっきは夕方だったのに眩しい…!』とかいう悲惨な生活からは逃れるはずだ。繁忙期だけだから大丈夫、とか言っているけど本当にちょっとやばいと思うよ、直属の臣下の皆さま。そろそろ幻覚を見そうだよ。

 

 …国も落ち着いたし、労働体制をしっかり見直すべきだと思うんだ、オウサマは。

 遠い目になりかけたが、今はそれよりもリベルトだ。

 

 どうして嫌そうな顔をしているんだろう。すごくいい提案なのに。まぁ確かにこの部屋じゃ同僚もいるし、素直に喜べないのかな。どういうことだか、こんな悲惨な生活になるのにオウサマ直属の臣下というのは最高の栄誉らしい。激務なのに。何が栄誉なのかオウサマたるあたしにはさっぱり理解できないが、とにかくここに勤める人達はその地位を狙って切磋琢磨していると聞いている。激務で休みが滅茶苦茶少ないのに。

 皆、色々大丈夫かな。主に頭。優秀すぎると思考回路もおかしくなるのかな。

 あたしが言えることじゃないけど、もうちょっとどうにかした方がいいと思う。

 再び遠い目になりかけて、でもさっきから凄い形相でこちらを睨んでくる! リベルトにあたしは慌ててつけ加える。


「あのさ、別にリベルトのこと疑ったり、用無しとかじゃないからね」

「そうだったら挽回するまでだ」

「す、凄い自信だね」

「それだけの力が僕にはあるからね」

「まぁ確かに」

「それで、なんでそんな突拍子もないこと言い出したのさ。いつもだけど」

「言い方に若干の棘があるのは気のせいだと思っておく」


 応えの代わりに鼻で笑うリベルトは腹が立つほど通常運転だ。

 しかし、何故嫌がるのだろうか。やはり、ある程度こちらに気遣っているのだろうか。

 気遣いなのか本心なのか、見破れないのはあたしの頭が弱いからか。

 故郷にいた時は気にしたこともなかった。基本的に皆、正直に自分の感情や考えを伝えていたから。でもここではそうもいかない。本音と建て前という、ややこしい言葉を知った。


「気を遣ってるならいらないよ。ここの仕事、結構大変でしょ」

「大変だね。それは否定しないよ」

「休みを十分にとることだってできないなら、可哀想じゃない?」

「何言ってるの」

「いや、だから仕事沢山あって休みとれないのは可哀想だなって」

「僕を憐れんでる…わけではなさそうだね」

「リベルトも可哀想だけど、相手がもっと可哀想」

「何それ誰」

「だから、その…そういう人だよ」

「意味わかんない。もっとはっきり言ってよ」


 普段は頭がよくてあたしの言いたいこと先回りしていっちゃうくせに、こういう時に発揮されないのは何でだろう。

 あたしは基本的に正直に物事を伝えたいけど、多分リベルトはあんまり好きじゃない。特に、この話題は更に。だからリベルトにとって都合の良い条件だけ提示したっていうのに、あたしの苦労を水の泡にするつもりか。

 全く、あたしは努力したからね、とじろりと睨めば、更に強い眼光が返ってくる。美人だからド迫力だ、いつもの三倍は怖い目つきだ。すみません、睨んですみません。


「で、何? 何が言いたいの」

「…いいのね、言うからね!!」

「どうぞどうぞ、ちゃんとはっきり言ってください」



「ここにいたらリベルト、好きな人口説く時間もないじゃん。だからその人との時間作るために休みがちゃんととれる他の仕事に移ったら、って言ったの!」



 その言葉に反応したのはあたしでもリベルトでもなくて、執務室で今まで黙って仕事していた面々だった。


「ちょ、陛下?! あ、あんたって人は今まで何見てたんですか!」

「うわぁ、これは流石にリベルトに同情ね…」

「素直になれない男と、男心を全く解さない女。合掌」

「煩い外野は黙れ!」


 口々に好き勝手言う三人に、反応の遅れたリベルトが勢いよく噛み付いた。心なしか顔が赤いのは、話題のせいかな。

 後ろの三人はまだ何か言いたげだったけど、やれやれと肩を竦めて仕事に向かった。

 仕事は優秀だしこの国のことを本気で考えてくれてる頼りになる臣下なんだけど、時々あたしのことをあたしの理解を超えた会話をするのが解せない。


「どうして君は、ああもう、だけど、そんな君だから…くそっ!」

「あ、ごめん。職場でこういう話すると気まずいよね。配慮が足らなかった」

「そういう配慮はいらないから」

「配慮し間違えた?」

「ああそうだね、大間違いだ」


 なんてこったと悩むあたしの傍に、いつのまにかリベルトはやってきた。何かの決意を滲ませて、あたしに跪く。


「…アエラス国王陛下」

「ん? なに」

「私はこの国に拾われました」

「そうだね。うん、大変だったよね」

「命を救ってくれた陛下に、心を捧げました」

「それはありがとう。おかげで随分仕事がはかどってる」

「この身が少しでもお役に立てたというのなら、至上の喜びです」

「凄い役に立ってるよ。正直、驚くくらいね」

「でしたらその褒美を、願っても宜しいでしょうか」


 きっと頭の固いお偉方とか、リベルトのことあんまり好きじゃない人がいたら凄い怒られるんだろうな。オウサマに直接褒美を強請るなんて、多分よくないことだ。

 でも幸い、ここにいるのは随分緩めで、リベルトとそれなりに良好な関係を築いている臣下だった。リベルトが怒られる心配はとりあえずない、と判断してから、あたしはこくりと頷いた。


「でしたら、権利をください」

「何の?」

「このリベルトに、陛下の伴侶候補として名乗りを挙げる権利です」



へー、伴侶候補の権利なんかでいいの?

というかそれは褒美になんかならなくない?



うん?……褒美?





「ん˝ん゛ん˝!?」






 白目をむきそうになった。ついでに鼻水も出そうになった。

 予想外のパンチに、あたしは目の前が真っ白になりかける。

 これは新手の嫌がらせなのだろうかとか考えるけど、この美人さんの眼に楽しんでいる様子はない。真剣そのもの、つまり本気だ。


「待って、リベルト、好きな人、いたよね?」

「…それは今言わないといけませんか」

「駄目って言うか、ほら、好きな人に誤解されるよ!」

「陛下です」

「はい、あたしはオウサマですが……………はい?」

「陛下です、好いた相手」



 梳いた、空いた、酸いた、透いた、…………。

 すいた、好いた。つまり、…スキ、好き。

 ……………………………………まじですか。



「お、おおぅ………コレハ予想外デシタ」

「陛下の立場上、そのような感情はその御心を惑わせるだけでしょう」

「いや、え、そうなの、ミココロ惑わされたの?」


 つまり、あたしはあたしへの恋心を応援しようとしていて、そのためにリベルトを執務室から追い出そうとしていた、とか。

 馬鹿だ。あたしは馬鹿だ。

 そりゃリベルトもびっくりする。ついでも臣下もびっくりする。というか全く気付かなかったのはあたしが鈍いせいなのか、リベルトが隠すの上手いせいなのか。

 気が遠くなりかけるが、あたしのずれた考えのせいでリベルトが早まった行動に出たと言うわけだ。しかしリベルトもリベルトである。フライングどころかまずルートを間違えてるよ。何でより取り見取りの可愛い子達をほったらかしにして、山娘ルートに入るのさ!!


「本気、なのかな?」

「ええ」

「気が狂った、わけでもないよね」

「はい」

「偽物とか…?」

「陛下の知る亡命者リベルト・バルファンですが」

「わかった、これはリベルトの考えた新手のドッキリだ!」

「陛下じゃあるまし、そんな悪質なことはしません」

「あたしのは悪質だと思われてたんだってことにガックリ」

「冷静に先程の言動を鑑みてください」

「スミマセンしか言えません」


 いつものペースなのに、話題だけがいつもと違う。

 しかしあたしは困惑するしかなかった。だってリベルトだよ。捻くれているけど優秀で、絵になる美しさを持つリベルトが? あたしに好意を寄せてるって、それ何て言う面白話?

 そう、好意、つまり恋心を抱いている、と告げられた。はっきりと言われた以上、さすがのあたしの頭も理解できた。ということは、次の可能性はその恋心が、何か違う方向に進んだ結果ともいるかもしれない。考えろあたし、リベルトが何故あたしに恋心を抱くようになったのか、その根本にきっと原因と間違いとルートの脱線がある。

 考えろあたし、考えるより聞いた方が早いかもしれないけど!


「陛下、絶対余計なこと考えてるよな。足りない頭で」

「足りないとか言わないの。残念なだけで、ちょっとはあるはずよ」

「それはつまり、ほとんど足りてないということか」

「真実って残酷よね」

「本当にな」


 臣下が辛辣、オウサマ心が折れそう。

 そんな折れそうな心を叱咤激励してリベルトのルート脱線の原因をまとめる。

 例えば、そう。この国に馴染もうとするあまり、その象徴とも言える王という存在を慕うようになった、とか。それは王があたしじゃなくても起こりうる執着だから、今のオウサマであるあたしへの感情となっているのかもしれない。

 

 え、これ限りなく正解に近くない?!

 

 あたしもやる時はやるんだぞ、と臣下を見返したくなる。既に黙々と仕事に没頭し始めたので何も言えなかった。世知辛い。もうちょっと見守ってくれててもいいんじゃないかな、オウサマ泣くよ? でも仕事してくれてありがとう。その決算書、先月分はさっきサインしたよごめんね。


「あのね、リベルト」

「はい」

「知ってのとおり、アエラスではオウサマは一代限りのものだから、王の伴侶になっても王族にはなれないんだよ」

「知っています」

「それに、いつかオウサマじゃなくなったらあたしは、ただの山娘になるんだよ?」

「それも知っています」

「えっと、つまりあたしを好きになっても、あたしはいつかオウサマじゃなくなって…」

「そんなこと、最初からわかっていますよ」

「え、ええ…」


 どういうことだ、びくともしない。何で。

 だって、正直あたしを好きになるメリットとか考え付かない。アエラスは王をエルピーダによって選ぶ。だから、例え伴侶となっても永久的に王族にはなれない。アエラスにおいて王族とはその時代に選ばれた王だ。次の王を選ばれたら、前の王はオウサマという職業が終わる。二度とオウサマになることはない。それは伴侶にも言えること。

 だから、あたしは次の王が選ばれるまではオウサマで、選ばれてしまったら何もなくなる。

 だけどリベルトは違う。リベルトは自分の力でのし上がってきた。チャンスを掴んで、着実にものにしてきた。そのために努力だって惜しまなかった。いきなりオウサマになって適当に祀り上げられているあたしとは全然違う。

 そのリベルトが、何でまた伴侶なんて望むんだろう。そんなの、将来にはただ厄介な荷物になる。今は黄金でも、いつか必ず石ころに変わる。いや、今も泥と言ってもいいかもしれない。

 王宮に生きるリベルトにとって、ただの山娘は何の利用価値もないどころか、脚を引っ張る可能性だってある。

 なのに、なんで?


「と、とりあえず立とうか」

「いえ、このままで。どうか返事をください」

「い、今じゃなきゃダメかな」

「駄目です」

「即答なんだね!」

「そして王配候補にしてください」

「要求上がってない?!」

「ええ、その返事を頂くまで、このままです」


 うぐぐ、と悩むあたしを、リベルトはじっと感情の読めない瞳で待っている。


 現在、あたしの伴侶候補は四人いる。皆、王都生まれの生粋のこの国の貴族で、王宮のことを良く知っている。そして性格も才能もこちらが申し訳ないくらいに、文句のつけようのない人達だった。

 でも結局のところ、ただの候補だ。結婚に至る気は、あたしも向こうもない。

 あくまでオウサマという職業上、一人身なのはそれなりに宜しくない、らしい。だからとりあえず仮の伴侶だ。大の苦手な夜会とか貴族同士の付き合いとか、そういう場でエスコートしてくれる存在、という認識が正しい。それにもしも何かあって、何かの間違いで、何か予測不能の大嵐があって、結婚することになっても、相手は貴族だからさして痛くないだろう。

 オウサマやっていた嫁を貰いました、というタイトルが一つ付くくらい。

 だけどそんなことを心配する必要は万に一つもない。第一、この候補を出す時に随分揉めたのだ。主に、誰にその役割を押し付けるか、というへこむ話題を堂々あたしの目の前で繰り広げてくれた。あれはオウサマし始めてからすぐのことだったから、まだ誰がどういう人かわからなくて、結構精神的にガリガリ削られた。今となっては良い思い出だけど。

 だからそう言う意味で、あたしは何の誤解もしていない。彼等はただ、オウサマという体裁を守るためだけの生贄であって、あたし個人にはこれっぽちも、欠片も女としての興味はないのだ。

 

 そういうわけで、割り切った伴侶候補として付き合っているのが現状だ。しかしリベルトの場合はどうだろうか。あたしは自分が山娘であることは十分に認識している。そして王配になるメリットはほとんどない。

 その上で、あたしに好意があるという。意味がわからない。


「あの、ね。リベルト」

「はい」

「一応聞いておくけど、候補で留まってくれる、よね?」

「は?」

「あ、今のなしごめん忘れて自分のことよく知ってるから!」

「…何を馬鹿なことを仰っているんですか」

「わかった馬鹿なことだよね候補より先に進むとか本当にありえないよね!」

「夫になりますよ」

「自惚れなんかじゃなかったー!?」


 目を向いてリベルトを見れば、にやり、と笑うその顔も美形だと様になるから罪な人だ。

 そのリベルトはすくりと立ち上がり、あっという間に形勢逆転、見下ろされる。その威圧感に、あたしは身を竦めるばかりだ。これではまるで、捕食者に睨まれた兎である。

 それに嗜虐心を煽られたのか、ずいっと美貌を近づける。やめろ、それ以上近づいたらあたしの目が輝きによって潰れる。眩しすぎるんだって、その御顔は。


「それで、どっちなの」

「ち、近い、近いよリベルト!」

「わざと近づけているに決まってるだろ。返事、くれるよね? 勿論良い方の」

「何か口調戻った、いつもの調子に戻ってる!!」

「これ以上丁寧に丁寧に接しても煮え切らないだけでしょ。だったら後押ししてあげるよ」

「後押しじゃなくてそれ脅しだよね!?」

「その辺は些細なことだよ。王である君が許可を出せばいいんだから」

「ぎゃああ、目的のためなら手段を選ばなくなってる!」

「形振り何て構ってられないからね。それじゃあ君に気づいてもらえない。…それで、僕がまず候補になること、君自身は不満なの?」

「ち、近い…! 離れてってリベルト、不満だなんて思わないから」

「本当に?」

「というか、ただでさえ候補出してもらうのも大変だったんだから、別に大丈夫じゃないかな!? それより近いから…!」

「ふぅん? そうなんだ。だったら僕が」


 

 候補に挙がっても、構わないよね?












 リベルトの爆弾発言から一か月、結局迫力に負けたあたしが頷いて、今日と言う日にリベルトは正式にアエラス国王の王配候補に名を連ねた。

 

 一体何の利益があるんだろうと最後までわからずじまいだったけど、頷いた当初、リベルトの機嫌は本当に良かった。

 しかし彼は本気であたしの夫君になるつもりだろうか。


(まぁいずれほとぼり冷めて気持ちも落ち着くだろうし、それまで待ってあげますか)


 そうしてそっと候補から降りてもらおう。時の王の婚約者としての箔を付けて、心から好いた相手の下へ行けるよう背中を押してあげよう。

 そう思うと気持ちも楽になる。リベルトはきっと、恋を知らないのだ。だからあたしに抱く感情がそれだと思ってしまっているに過ぎない。そうに決まっている。


(そうすると今度は水面下で令嬢見つけないとなぁ。意外と町娘でもよいのかもしれない。もうちょっと範囲を広げるかなぁ)






 気楽なことを思っていたあたしの頭はやっぱり足りなかった。

 リベルトがこの恋から醒めることはなかったのである。





 そう。

 ずっと、だ。


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