幼馴染はやわらかい
祈を見ないよう背を向けた、シャワーの音が響くバスルーム。
水音が途切れている間、彼女が裸身を洗っている絵を想像しないように、僕は湯舟にブクブク沈み込む。もう、実家の安心感じゃない。
遠ざけようとしていた幼馴染を異性だと認識したその瞬間から、僕は理性と戦っていた。
「…ねぇ、何時まで入ってんの? のぼせるわよ」
「…お構いなく」
僕らの間にあるのは一方的なコミュニケーションばかりだけど、この時ばかりは祈の声にも普段の過激さがなかった。
まるでしおらしい女の子そのものな声音は、少しでも平静を努めているものと聴こえる。
僕が振り向かないことを確信しているのか。それとも、試しているのか。
今日はとことん、彼女の真意が掴めない。
「…昔はよく、髪洗いあったりしたわよね」
「…小さい頃はね」
その話題に懐かしさなんて感じる状況じゃないけれど、ほんの少し、緊張が緩んだ。
遠い昔のこと。祈がまだ、口調も人使いも荒くない頃。僕らが生まれて十五年で見れば一瞬の期間だけど、本当に、長い付き合いだと思う。
昔話に花が咲いて、祈の声が穏やかに続く。
「いつからしなくなったか、憶えてる?」
「…さぁ」
「…ヒロが怪我してからだよ。あたしは、ずっと憶えてる」
シャワーの水音が生まれて、祈の言葉だけが余韻に残る。
僕が、怪我してから。
小学校、低学年くらいのことだ。
祈と僕はどこに行くのも一緒で、男子としか遊ばない祈のことを、奇異に見ていた人間は多かった。
あの頃はまだ、祈は女の子らしい女の子だった。
隣同士の家に生まれた僕らはお互いが視界に入っていれば充分で、小学校という狭い箱庭の中でも、祈は僕の側を寄る辺にしていた。手を引いて彼女を連れ出すことが、あの頃の僕の日常だったと思う。
悪目立ちする僕らを快く思わない人間が、一斉に無視という断絶を選んだのは、性質の悪い遊びの延長だったのだろう。もしくは、ただの流行りか。彼や彼女は、僕らを徹底的にないものと扱った。
祈はそれを気にしなかった。尚更、僕への依存を募らせるだけだった。
そんな祈でも、唯一、僕から離れて一人で行かざるを得ない場所がある。
女子トイレからの帰り、まるでバケツの水を浴びたかのようにびしょ濡れになった祈を見ては、クラスの連中が薄く笑っていた。無視では堪えない祈に対する、古典的な苛めだった。
そのすぐ後には僕もセルフでバケツの水を被って、祈を引っ張って学校から帰った。
やべぇ奴認定されたのか、次の日には苛めは止んだ。
怪我については、びしょ濡れのせいで階段を滑って頭を打ったオチがつく。
…思い出した。そのせいで、髪のあらいっこなんて習慣も、その日は上手く行かなかったのだ。
祈がしみじみと語るような、ドラマチックな話ではないのだ。寧ろ若気の至りである。
「…まだ、痕とか残ってんの?」
「…出来て精々たんこぶだから。もう治ってるよ。流石に」
「…ほんとかしら」
疑り深い祈の細い指先が、背後から僕の髪を撫でた。
心拍停止。本日二度目。
祈の視線がつむじを刺している。
雫を含んだ祈の柔らかな両の掌が僕の耳元をまさぐる。
どこからか落ちた水滴が、僕の頬を伝った。
「あたしは、ずっと覚えてるから。あの時から……ううん、出会った時から、ヒロはあたしのヒーロー」
「…ヒーローなら、どうして僕をパシるんですか」
「苛められる前に苛めた方が、悪い虫もつかないじゃん」
「歪んでる…」
喜々とした台詞に思いやられていると、祈の手が僕の頬から顎を覆った。動悸がビートを刻んでいたけど、首を捩じってその手を振り払うのが精一杯だった。祈が手を引っ込める。
代わりに、浴槽に足を差し込む分、水かさが増した。
心臓の早鐘がうるさい。顔を向けた方角の裏側で、祈の身体が浸かっていく気配がありありと分かる。
たぶん、拳一個分も離れていない肩の距離に彼女が居ることを感じながら、僕は再び背を向けるように逃げた。
「あたしは、努力してきたから。あの日から誰にも舐められないようにしてきた。ヒロを苛めるような奴らも、皆あたしが黙らせた」
僕に絡んでくる男子の多くは、成長していくほど魅力的な容姿になっていく祈とセットになった僕への、腹いせ的なところもあったと思う。
祈がやさぐれた外見を選んだ、決め手でもある。
いつのまにか、手を引く立場は逆転していた。
「…僕は、守ってなんて頼んでないよ」
本音をぶちまけたのは、初めてだった。
裸の付き合いという奴で、ようやく腹を括れた。
僕は、祈から解放されたい。
それは、祈を開放したいことと同義だ。
僕はもう、祈のヒーローでもなんでもないのだから。
「…ねぇ、ほんとに、あの子のとこ行っちゃうの?」
縋り付くような祈の声がすると、僕の脇腹に彼女の細腕が回り込む。
縋り付くような抱き締め方で、祈が顔を僕の肩に乗せている。
まるで僕が世界の全部みたいに、祈は子供の殻に留まったままだ。
…身体は全然、子供じゃないけど。
「…当たってるんですけど」
何がとは言うまい。
背中にぴったりと貼り付くそれは、肌に吸い付くように、やわらかかった。
「…当ててるんスけど」
強がるみたいに、祈が耳元で囁いた。
子供にも大人にもなりきれない僕達は、それから押し黙ったまま、のぼせるまで意地を張り合った。
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