幼馴染は間に合わない
「…見ましたか?」
「…何を?」
「見ましたね???」
「だから、何のことですか???」
渡り廊下の一階、薄暗い影の落ちる場所で、僕は暁月さんに尋問されている。
暁月さんと向かい合う側には、幸いにも自販機が設置されている。
人気のない所を選んだにしては人通りの避けられない隠れ家に思えるが、それ程までに暁月さんは視野狭窄に陥っているらしい。
未だ手首をがっちり両手で掴まれたまま、僕はスマホを握っている。
「だから、私の…」
暁月さんが視線を逸らして言い淀む。
僕を捕まえる力が緩んだせいか、彼女の腕が下がる分僕の腕も落ちる。
その拍子に、感度良好新品同様のスマートフォンが、呼ばれたように起動した。
誓って言うが、僕はここに至るまで個人情報らしきものには一切触れていない。
女子の携帯を覗き見るだけでも、僕のような小心者には酷なのだ。
だから、暁月さんのスマホに映し出された、巷で売れっ娘の若手アイドル〝光条テル〟がマイクを握ってウインクしている待ち受け画像なんて、この瞬間初めて目にしたもので。
ボーイッシュなショートの金髪や、スリットの入った際どい衣装。それにも関わらず人なつっこさを感じさせる弾けるような笑みに、魅了された老若男女は数知れず。
僕は熱心なファンではないつもりだけれど、彼女の新曲は発表される度毎回引き寄せられるように聴いていた。
そんなノリにノっている芸能界の旋風、光条テルについて暁月さんが関心を持っていてもおかしくないのに、彼女は暗く俯いていた。
「…見ましたね」
トーンの落ちた声が怖い。
心なしか僕の手首に指が食い込んでいる。普通に痛い。
「…見ました。お好きなんですか? 光条テル」
暁月さんがガバリと顔を上げる。
「好きです! 大好きです! 個握も全駆けしてます! だから知られたくなかったんです…」
それは言わなくても良かったのでは?
何故秘密にしたいのかはさておき、入学早々から学園の高嶺の花と名高い彼女が、俗と言うかアイドルに傾倒しているのは奇妙なギャップがあった。似合わない、と言うよりは、親しみ的な良い意味でだ。
「茅野君。今、意外だと思われましたね?」
耳元の髪を掻き撫でながら彼女が言う。自覚のある恥じらいからくる表情は美人をして役得だ。
だけど一方の手では僕の手首を掴んだままだ。スマホを取り戻せば万事解決になるのではなかろうか?
そこも含めて、疑問は沸々と湧いた。
「…まぁ、イメージにそぐわなかったので。というか、何故僕の名前を知っているんでしょう? クラスも違う筈だけど…」
「? 学園の生徒や先生の名前なら全部覚えてますよ?」
マジか。
なんて暇な人なんだ…。
祈のおかげで人間関係を絶たれた僕はクラスの顔も名前も覚束ないと言うのに、尊敬を通り越して唖然とする。
それが何か? という顔で首を傾げる暁月さんは、取り直すように拳を口に添えてコホンと咳払いした。
「続けます。仰る通り、皆様が抱く私の絵とはズレている自覚はあります。なので今まで親友以外には隠し通してきましたが…知ってしまった以上、貴方を離す訳にはいきません」
「暁月さんの評判を損ねるような真似はしません。そもそも、僕には言い触らす手段がありません」
「何故言い切れるんです?」
「友達がいないからです」
「お労しい…」
僕の説得力に暁月さんが涙した。
幼馴染の祈も勿論、僕以外友達が居ない。
拡散力のない僕らでは暁月さんを陥れることは出来ない。
完璧なロジック。
考えてていっぱい哀しい。
「…まだ、保証が足りません」
嘘だろ。
これ以上の言い訳なんて僕には思い付かないぞ。
暁月さんは胸元に手を当て、呼吸を整えると、意を決したように口を開く。
「茅野君。貴方がこの事実を掴んでいる限り、私は夜も眠れません。
貴方が口を割らない人間かどうか、一つ、見極めさせてください?」
「…その心は?」
ぐっと生唾を飲み込む。
きりっとした眼差しが、僕を突き刺す。
薄暗い校舎の一角で見つめ合う僕達のひりひりとした閑静を、気だるげな女子の声が破る。
「ヒぃロぉ~~~。おちおちお使いも出来ないの~? ほんっとあたしいないと何も、」
マジか。
よりにもよってのタイミングで現れた祈の姿を、暁月さんの後方に認める。
嘆息混じりにチュッパチャップスを加えて歩く祈と目が合って、僕と彼女は静止する。
第三者の登場に、暁月さんは気付いていない。
彼女は頬を紅潮させながら、僕以外視界に入っていないかのように、真っ直ぐ告げた。
「…明日、私とお付き合い願えませんか?」
脳がショートする僕と同様、祈の口から食べかけのチュッパチャップスが落ちた。
「…こちらこそ、宜しく、お願いします…」
スマホを拾っただけなのに、僕の人生は加速する。