暁月紫織は落ち着かない
スマホを拾った。
自販機に向かう途中、階段の踊り場でポツンと放置されていたそれは、ピンク色のカバーで保護された、明らかに女子の私物と見えた。
いつから無視されていたのか、それとも僕が第一発見者か、慈善事業の精神はないけれど、僕はそれを紛失物として職員室に届けることにした。
理由は簡単、教室に戻りたくなかったからである。一分一秒でも、祈から長く離れていたい。
僕らが思春期と定義される年頃になってからは、気難しくなる祈に比例するように、この感情は日々強くなっていく。
取り留めも無いことを考えながら職員室に着くも、僕は引き戸の間近で足を止めた。
職員室の前で、おろおろと立っている女生徒がいたからだ。
それも、ただの女生徒ではない。
この学校の理事長の娘、暁月紫織、その人である。
さっきから肩肘張って歩き回ってるだけなのに、流れるように腰元まで伸びた黒髪が、整髪料のCMみたいに舞っている。
桜の髪留めと愛らしい寝惚け眼、生まれたままのその髪は、何もかもが祈とは正反対だ。
祈に花は似合わないし銀髪だし身なりはギャルどころか時代錯誤のヤンキーだ。暁月さんの爪の垢でも煎じて飲んで欲しい。
いっそ今日の飲み物に混ぜようか…。
閑話休題。
最たる疑問は、あの新入生代表として答辞の場に立った学年はおろかこの黎明学園でも抜きん出た傑物である暁月さんが何を懸念してあそこで彷徨ってるのか、その一点に尽きる。
僕如きモブが彼女を横切るなんて恐れ多い。
拾ったスマホに視線を落として、もう一度暁月さん観察する。
目が合った。
暁月さんの大きな瞳が、更に大きく丸くなっている。
勘違いでなければ、その瞳は、僕の手元に釘付け。
つまりは、スマホを注視している。
右手を上に動かす。
暁月さんの視線が上昇した。
「…これ、」
暁月さんの? と言いかけた、その時、
3mはあった互いの距離を、瞬きの合間に詰められた。
食い気味に僕の顔に顔を近づける暁月さんは、近くで見れば見る程美人だと分かる。
勢いに翻った黒髪が舞い落ち、スマホを握った手首を掴まれていることに気付き、全日本大和撫子選手権があるならランキング1から10までは総舐めしているであろう雅な暁月さんの、マッチを擦った様な赤面を真向かいにする僕の心境を述べよ。
答え、心臓が止まっていた。
「…か、や、の、君…っ‼︎」
「ファ…?」
固有名詞を出されて息を返す。
僕如きの名を覚えられてるなんて恐れ「少し、人気のない場所で…!」おお…?
なす術もなく暁月さんに引っ張られる。
密談なら少なくとも、引き回しの刑はなさそうだと安心して、僕は流れに身を任せ、
自分で選んだ顛末の癖に、この後に及んでも、待ち惚けの祈の怒った顔が、鮮明に脳裏を掠めるのだった。