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「くっ、殺せ!」
「殺さねぇよ」
そのまま女の子に覆いかぶさる形で着地し、すぐに手を掴んで拘束した。
キッチンに置いていたタオルでしっかりと手と足を縛り、さてこれからどうしてやろうか。
と、言う所。
色々聞きたいことがある。
「まさか、俺と対等に戦っていたのが女とはな······」
「女で悪かったな」
もっと戦い慣れた戦闘員みたいな女かと思ったが、その正体は全身を黒い服包んでいるだけのいたって普通な高校生くらいの子供だった。
ぱっちりとした目と、ピンク色の唇。
自分を睨んでいるオッドアイの瞳はコンタクトではなく、本当にオッドアイ。
女にさほど興味のない俺でさえかわいいと思う女の子を俺は何も知らずボコボコにしていたのか。
そう考えると少し申し訳なくなった。
まぁ、命を狙っていた点に関してはおかしいが。
「共和国の男はやっぱり普通の奴ではなかったか……」
そんな美人な女の子だが、話すことは訳が分からない。
やれ共和国だ、国を亡ぼすだのさっきから寝ぼけているような事しか繰り返さない。
共和国ってそもそもなんだ?
俺を何かと間違えてないか?
「お前、さっきまで本当に俺と戦ってたのか?」
女の子は、自分よりも背丈が小さくて筋肉質な体をしていない。
この子がさっきまで自分と対等に戦っていたとはとても考えられない。
この子、一体何者だ?
「フン、私が弱くて愉快だろう。でも侮るな、絶対にお前を殺してやる!」
「はぁ?」
首の後ろを掻きながらずっとその話を聞いている。
さっきからこんな調子だが、もう口にすること全て頭がおかしいのかと疑うほどだ。
燃えるような目を自分に向け、親を殺されたかのように恨む憎悪とまぎれもない恐怖がミックスされている表情。
俺がこいつに何かしたか?
まったく思い当たる節がない。
「いいからさ、俺の質問に答えてくれよ」
俺が聞きたいのは一つだけ。
「なんで、お前俺を殺そうとしてんだ?」
なぜ俺を殺そうとしたか、それだけだ。
こいつが何故突然俺を殺そうとし、どうやってこの家に侵入したか。
さっきから頭が混乱してまともに考えられない。
「どうせ聞いたらすぐに殺すんだろう! 私は喋らない!」
「だから殺さないって」
もう夜の十二時を過ぎ、もう二十四時間は寝ていないことになる。
いい加減とっとと警察に突き出して寝たい。
睡魔が段々と身体を襲い、今にも眠ってしまいそうだ。
さっきからこいつ、何を言っているんだ?
「話通じないなら殴るぞ?」
いい加減対等に話すのも面倒になり、拳を握って女の子の顔面の目の前で握りしめてやった。
暴力で解決するつもりは無い。
あくまで『脅し』だ。
すると、瞬く間にさっきまでの鋭い目が何かを悟ってしまったかのように見開かれ、恐怖が顔に浮かび上がる。
「や、やめて······」
さすがに効いたか。
そりゃそうだ、あれだけ一方的な暴力を受けた後なのだから。
怯えたところで拳を開き、すぐに顎を支えて俺から視線が離れないようにした。
これではっきりと顔が見れる。
「綺麗な顔だな」
整った顔に、俺より小さな頭。
彼女の顔には所々に痣があるが、こっちも頬を切られて血が止まらない。
満身創痍の二人、外であれば何も知らない人間が見ればすぐに警察を呼ぶだろう。
「お前、何で俺を殺そうとするんだ? これまでに俺が殺した奴のツレか? それとも雇われたか?」
ナイフを何本も持っているのだから、どう考えても自分に対して強い殺意を持っているだろう。
なぜここまでして俺を殺そうとしたか、それが気になって仕方がない。
「どうなんだ?」
だがしかし。
彼女の返してきた自分の問いへの答えは自分の予想をはるかに外れていた。
「お前、共和国の手下だろ?なんでこの世界からバケモノを王帝に送るんだ」
共和国の手下?
だから共和国って何だ?
「王帝ってなんだよ、お前どっかの工作員か?」
「とぼけるな、じゃあ、なんで異なる世界から死人を連れてこれるんだ!」
「さっきから何言ってっかわかんねぇんだけど」
うーむ、どういう事だ?
さっきから王帝王帝と繰り返し叫ぶが、王帝?
なんとなく推測して、どうやら俺は『共和国』の手下で『王帝』に対して何かをやっているらしい。
しかも、異なる世界?
「俺、どっか国に属した記憶ないんだけど」
俺は生まれてからずっと日本国民だ。
この国以外の人間と関わった記憶も意識もない。
それに強い殺意を抱かれる事もして······って、俺は何度も交通事故で人を殺してるか。
うーん、やっぱり謎だ。
「だが、抵抗も無駄だ。自分はお前を共和国の人間だと証明することができる」
「ほほう?」
どうもその『共和国』の人間だと証明できるらしい。
これでこの女の子が何を目的にしてきたかわかるか?
解決の糸口が見えてきそうだ。
「じゃあ、証明してみろよ」
「今に見てろ、すぐに独裁国家の犬だと証明してやる!」
これで聞き出せればどうにか······と、思ったがそう簡単ではないらしい。
ガサゴソと縄を解こうとするので、とりあえず拘束から解放してやった。
縄を解くと負傷した足の痛みに耐えながら彼女は立ち上がり、あるものを取り出したかと思えば床に叩きつけた。
「さぁ、これを踏め!」
彼女が胸ポケットから取り出したのは、一枚の紙。
古ぼけた紙のようだが、その真ん中には紋章のような印が描かれている。
見た事の無い紋章だな、どこの国だ?
海外からの工作員だとしても、これがどの国か全くわからないのだからどう答えようにもない。
「さぁ、それを踏んでみろ。共和国のお前ならできない筈だ」
「え」
これを踏めと?
簡単じゃないか。
「なんだこれ」
踏めと言われて踏んだ。
江戸時代の踏み絵みたいだが、これに意味があるのか?
多分、あれだけ自信があるのだからこれに何か意味があるのだろうが。
「踏んだけど、これが何だ?」
紙を踏んでから女の子の方に目を向けてみると、これを自信満々に出した当人は明らかに動揺していた。
さっきまで自信満々の笑みを浮かべていたのだが、俺が紙を踏んだ途端にその笑顔が歪む。
俺、なんかまずいことした?
「そ、そんなバカな······エレメンス章を踏んだ?」
やっぱり何かまずいことをしたようで、まるで殴られたかのように硬直してしまった。
そもそも、エレメンス章ってなんだ?
「おーい、踏んだけど」
そんな顔をされても逆に困るのはこっちだ。
これを踏んだら殺されるのか? それとも祟り?
おーい、教えてくれよ。
「あ、え、そんな」
呆然と立ち尽くす彼女の足元で、ミケがしわくちゃになった紙を転がして遊んでいる。
そういや無事だったのか。
「そんなも何も、俺その『共和国』って連中じゃないんだけど」
困惑しつつそう言うと、彼女は膝から崩れ落ちるかのようにへたり込んでしまった。
相当なショックのようだった。
「そんな······嘘だろ」
「いや嘘じゃないんだって」
そろそろ警察に行くべきか?
俺がその共和国の人間じゃないってことも証明されたのだから妥当じゃないか?
さて、どうしてやろうか。
「つまり、私は何も関係ない者を殺そうとしてたって事なのか······」
「そうですとも」
そろそろ対等に話ができそうだ。
とりあえず、名前だけは聞いておくか。
「いい加減名前を教えてくれよ。あと家はどこだ?」
そう問い詰めると、彼女はどう答えていいかわからないように目を伏せた。
それもそうか、まだ学生の身で警察に差し出されそうになっているのだから。
多分高校生だが、その割にはこの服は何だ?
全身を黒い服で覆い隠し、黒いニット帽。
確実に殺すための服。
計画もあったはずだ。
「あのさぁ······」
また殴ってやろうかと拳に力を入れたが、すぐに彼女が口を開いたので力を緩めた。
まぁ、返答も訳の分からない事だったが。
「私はレオン・ナスタリシア。ヘート・ヘーズ皇国王族省の『国防』魔導士だ」
「ヘート・ヘーズ?」
なんだそれ?
ヘート・ヘーズ皇国なんてそんな国あったか?
「架空の国を出されてもなぁ」
「存在しているからこうしてここに来ているんだろう」
「嘘つけ」
中二病を疑うが、そうでもないらしい。
真面目にそんな事言ってるのか?
「そんな国、どこにもないぞ」
返事はなかった。
だんまりか。
「中東? アフリカ? ヨーロッパ? お前本当にその国があるとでも?」
「我々の国はこの地球上には無い。国土も存在しない」
どういう事だ?
仮想国家? それとも戯言か?
そろそろ本格的に問い詰める必要があるな。
「その皇国ってのが存在しないなら、もう話は終わりだな。お前キチガイ装って逃げようとしてんだな?」
そう考えるしかないが、果たしてこの問いにどう答える?
頭がおかしいからと逃れようとしても無駄だ。
「私が理由もなく人間を襲う訳がない。理由はある」
「その理由ってのはなんだ?」
どんな理由があって自分を殺そうとした?
それさえわかればもういい。
「お前がこの異なる世界から、私たちの世界にバケモノを転生させているんじゃないのか」
「バケモノを転生? どういう事だ」
異なる世界から、バケモノを転生させている?
待て、どっかで聞いたような話だな。
「まさか、トラック事故が関係するのか?」
「それ以外に理由があるとでも? 私の監視と行動調査でお前が何者かと接触している形跡も無かった」
前から監視されていた?
と、なると事故の事も知っているのか。
「まさか、お前俺の事ずっと監視してたのか?」
「ああ。身長、体重、好きな物に人物相関図に思考もだ。全て調べ上げた」
「何故そんなことを?」
「国の意向だ。そうでもしないと誤認で殺してしまうからな」
何かが見えてきた。
こいつはこの世界の住民ではない。
「もう一度、聞かせてくれ。お前の国はどこにある?」
俺の質問への答えは、やはり決まっていた。
その真実に気がついた途端、何かが自分の中で音を立てて崩れ落ちる。
「我々の国はこの『世界』には存在しない。私はこの世界の人間ではない」
「は?」
今、なんて言った?
この世界の人間ではない?
「どうやらその様子だと私が何を言ってるかわからないようだな」
「そりゃ、え? お前日本人だろ?」
「白人ではあるが、日本人ではない。黄色人種と一緒にするな」
一口に白人と言っても、顔つきは日系人の血が通じているようだ。
しかし、どの地方の白人だ?
北欧? 米国? 英国?
「お前の言う別の世界って何なんだ?」
「この世界とは別の平行世界だ」
「平行世界?」
「それも知らんのかお前?」
馬鹿馬鹿しくなってきたが、さっきこいつ魔導士だが何だかと言ったか。
魔導士って事は、なんか魔法でも使えるのか?
それを証明できるなら話は別だ。
「さっき、魔導士とか言ったか?」
「ああ、言ったが?」
「じゃあ、魔導士らしい事してくれよ」
そういうと、彼女······いや、レオンは困った顔をして言葉に詰まった。
「いや、見せろと言われてもな」
やっぱり嘘か?
散々俺をコケにしてくれたな。
この代償はタダじゃ済まない。
「おい、まだ何もできないとは言ってないぞ」
「は?」
しかめっ面をして、レオンは不服そうにつぶやいた。
本気で言っているのか?
いや、本気でできるとはそもそも思っていなかったが。
ハンドパワーとか言ってスプーンでも折るつもりか?
「本当にできるのか?」
「今から見せてやる。まばたき禁止だからな」
そういうと、レオンはまた胸ポケットから何かを取り出した。
これはなんだ?
「少し離れていろ」
できる筈もないと思ったが少し興味があり、その様子を観察する事にした。
本当にできるのか?
「······レッド・モーン」
レオンが何かを唱えた。
雰囲気が変わり、一瞬にして切り詰めたような空気が部屋を包み込む。
すると唐突に部屋の電気が消え、その代わりに目の前に謎の円が現れた。
赤い光と丸い電飾のような物。
「な、なんだ⁉」
それは、よく見ると魔法陣だった。
映画や漫画では見た事があるが、まさか本当に見ることになるとは。
これは真実か? 幻か?
そう疑ったが、どこをどう見ても魔法陣だ。
どこにも仕掛けはない。
「召喚」
そして、レオンがまた何かを呟いたと思った瞬間に魔法陣が光り輝き、目の前に何かが出てきた。
「これは?」
魔法陣の下から何かが現れ、そのまま部屋の天井付近まで伸びていく。
あっけに取られてその様子を凝視していたが、すぐにそれが何かが分かった。
太い木材だ。
「木材?」
魔法陣から物が出てきた時点で、もうこいつは普通じゃないと分かったが、それよりもこの木材は何なのかが気になる。
これ、どっかで見たな?
「試しにお前の実家から柱を一本頂戴してみたぞ」
「ええええっ⁉」
確かによく見ると、実家にあった太い木の柱だった。
昔、親につけてもらった自分の身長を記した線もちゃんと書き込まれている。
確かに、これは俺の家の······って柱⁉
「まさか、これ実物じゃ」
「そうだぞ」
それを聞いた途端、レオンに向かって俺は素っ頓狂な声を発していた。
「バカヤロウ、これ大切な柱じゃねーか! すぐ戻せ!」
実家は昔の家屋で、しかも所々が痛んでいる。
この前でさえ台風で崩壊しそうだったのに、レオンが柱を召喚したとしたら家の柱が一本消えていることになる。
そんなことしたら家が崩れるじゃないか!
「なんだ、召喚してやるのもタダじゃないのだぞ」
俺が慌てるのを見て、レオンはため息交じりに召喚した柱をフッと消してみせた。
「えぇ······いや、マジでお前魔法使いかよ」
「魔法使いじゃない、魔導士だ! 次に間違えたらお前の首吹っ飛ばしてやるからな!」
魔法陣がある時点で度肝を抜かれたが、実際に何も仕掛けがない中で柱を召喚したレオンは、本当にこの世界の人間じゃないのだ。
そう考えたらゾッとした。