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コインランドリーから真っすぐ戻り、途中でコンビニに寄ってから家に帰った。
「ただいまー」
さて、ミケはどうしているかな。
けれども、鳴き声が返ってこない。
「ん?」
いつもなら、すぐに迎えに来るはずだ。
家を出た時にはケージの鍵を開けたと思うが。
「おかしいな」
なんとも言えない違和感がした。
「ミケ?」
寝ているのか?
違和感を抱きつつも、とりあえず靴を脱いで家に入った。
部屋は暗い。
「······っ!」
部屋のドアを開け、一歩部屋に入った途端に自分の後ろに気配を感じた。
しかも、人間の大人の威圧感。
振り向こうとした時には、もう遅かった。
「そのまま真っすぐ歩け」
反応が遅れ、すぐに何かを首筋に当てられた。
脳内に声が響き、体中に鳥肌が立つ。
「な、なんだ」
「喋るな、余計なことをしたらただで済むと思うなよ」
なんだ? 強盗?
それとも殺し屋か?
いや、誰が俺を殺す必要がある?
強盗は逃げればいい話だし、殺し屋なんて存在するかも怪しい。
今日轢いた子供の親が手配した?
いや、今はそれどころではないだろう。
瞬時に判断し、導き出した結論は『強い殺意を抱いた何者か』が自分にいるという事だけだ。
急に自らの命を狙われている。
「歩け!」
殺される、と感じて体が固まった。
なぜ突然こんなことに?
「さっきは危なかったな、若者よ」
「あっ!」
やはり、何者かが侵入していたのだ。
あそこで気がついていればこうはならなかった。
考えが甘かったか。
首元に当てられているのはナイフか?
刃渡りざっと数センチだが、下手に動けば刺される。
それこそ、大動脈でもやられれば死ぬだろう。
「歩け」
言われるがまま、数歩歩いて部屋に入った。
このまま殺されるか、いや、まさか監禁ではあるまい。
相手の目的はなんだ?
「よーしいい子だ」
やけに下に見られている気がして苛立ちを覚えた。
暗闇から襲われて殺されようとしている? 馬鹿な。
俺は格闘技ならそこそこ得意な方だ。
ナイフであろうとすぐに刺されはしない。
絶対にこいつをブッ倒してサツに突き出してやる!
「そのまま手を上げろ」
感覚的に、手の高さと声のする場所からして相手は自分より背が低い。
口はマスクか何かで覆われていそうだが、声は高いな。
つまり、相手は自分より場合によっては不利。
反撃はナイフが離れた瞬間を狙うか?
いや、危険すぎる。
「手を上げろと言っているだろう!」
言われるがまま、袋を放して手をゆっくりと上げた。
縛られる前に抜け出さなければいけないか。
だとすると、縛るときに背伸びをするはず。
そこでナイフを下ろすか?
だが、そういう訳にもいかない。
「手を動かしたら刺すぞ」
脅されて体を動かせなくなった。
拘束バンドを取り出しているのか?
「よし、そのままだぞ」
チャンスはすぐに来た。
相手が隙を見せ、ナイフを下ろしたらしい。
仕掛けるなら、今!
「チェストォォォォォォォォォォォォォォォ!」
上に伸びきる前の腕を思いっきり後方へ突き出し、振り下ろすように肘を下げる。
鈍い音がしたが、すぐに感じたのは柔らかい感触だった。
「きゃっ!?」
頭にしては柔らかいし、この声は?
まさか女か?
そして、今触ったのは······。
「お、おっぱい触った! 変態! スケベ!」
女!?
「はぁ!?」
相手は離れているが、それよりも女だったという衝撃の方が大きく、体勢を整えるために動くのが遅れた。
一瞬離れた手が、また伸びてきた。
それをしゃがんでかわす。
「誰だお前は!」
束縛から解放され、瞬時に戦闘態勢に入る。
さて、どこから来る?
「言うまでもない! 死ね!」
前方から何かが間合いを詰めてきた。
敵はナイフ持ち、このまま野暮に突っ込むのはかえって刺される。
「チッ!」
ファイティングポーズを保ったまま咄嗟に右に避けてすぐに後ろに体を動かす。
横を人間が通った。
すぐに体を反対側に向け、後退して離れる。
相手が女だったとしても敵はナイフ持ち。
接近戦は危険すぎる。
「どこだ! どこにいる!」
部屋が広くてよかったかもしれないが、ここで物音をたてて気づかれたら逃げ場はない。
部屋の隅、両脇は本棚と食器棚。
かえって自分を不利に追い込んでしまったか。
「逃げようとしても無駄だ!」
奴は大声を上げて威嚇するが、こちらは音を出さないように警戒しながらなんとかここから出る術を探していた。
と、すぐそこに置いていた漫画本が手に当たり、これを利用する事にする。
わざと手元にあった漫画本を投げて注意を逸らせたならば、相手の後ろにつけるだろう。
分厚い総集編、落ちれば大きな音がする。
それで相手の気を惹ければ後ろに回り込めるな。
「隠れても無駄だ! お前はここで殺す!」
さっきから大声を張り上げても俺は屈しない。
むしろ、お前はもう不利な状況だ!
ガサッ!
投げた漫画本が落ち、紙の擦れる音がした。
「そこか!」
その物音のする方に奴はナイフを投げたのか、壁に何かが突き刺さる音がした。
「······チッ!」
だが、そこに自分がいないと分かって混乱している。
これで場所はわかった。
自分に逃げる時間を与えたとも理解しているだろう。
「かかったな馬鹿め!」
夜目がきき、かすかに人の身体が見えた。
肋骨のあたりを狙って拳を打ち込む。
肉体に拳が押しつけられ、肋骨があるのを確認した。
胸のあたりに衝撃を与えればかすり傷では済まない。
「あっ!」
敵は体勢を崩した。
胸を押さえて悶えているのか、低く呻く声がする。
奴は今、感覚が狂っている筈だ。
そこに回し蹴りで挑めば、確実に当たる。
「考えが甘い!」
右足を高く上げたままそのまま体を回転させ、そこにいるであろう目標に脚を叩きつける。
ゴキッ!
鈍い音がして、足に何かが当たった感触がした。
「がはっ!」
奴が呻き、暗闇のどこかに倒れた。
フローリングはまだ柔らかいが、頭をぶつけて負傷したらこの格闘も終わりだ。
が、相手もそれでくたばる体ではなかった。
「この程度で負けはしない!」
すぐに反撃され、頬のあたりに刺すような痛みを感じた。
耳元を何かが通った、やはりこれもナイフか?
「バカヤロウ、何本持ってやがる!」
ナイフを複数所持しているか。
上等だ、もう手加減はしない。
「串刺しにしてやろうか!」
「お前にそんなことができるか、小娘!」
このまますぐ電気をつけるべきか? いや、いい。
このまま暗闇で戦った方がいい。
「俺を殺そうとするなんて百年早い!」
学生時代は柔道やボクシングをやっていた。
学生生活を喧嘩に費やした人間に勝てるとでも思っていたのか。
相手はすぐ目の前、もう見えている。
自分がしゃがみながら詰め寄り、すぐに胸ぐらを掴んで投げ飛ばしてやればその意思も消えるだろう。
「暗闇でコソコソとしやがって! 正々堂々戦え!」
どの口が言うか。
さっきまで後ろで俺を脅しておいて今更何を言う?
相手は興奮状態、感情的になって電気を点けるかもしれない。
スイッチだけは死守だ。
それはなんとしてでも防ぐ。
奴が俺を探しており、警戒していることが伝わってきてはいる。
ここも音をたてればすぐに刺すだろう。
感覚を頼りに、相手が前を向いた途端に襲って投げ飛ばしてやる。
「そこかっ!」
「バーカ! 後ろだ!」
あろうことか奴は目の前にナイフを投げた。
手元には何も握っていない、この瞬間を俺は見逃さなかった。
腰に手を回し、そのまま海老反りの要領で後ろに投げ飛ばした。
食器と食器が激しく音をたてて落ちる音が聞こえた。
あーあ、食器がやられた······って、まずいなこれ。
この暗闇のどこかに、忍者の使うまきびしのように食器の破片が落ちている。
それが足に刺されば、ただでさえトラックを夜通し走られて疲れ果てているこの体が限界を迎える。
さて、これはキッチンに倒れているか下か?
いや、これは?
「フンッ!」
野生の勘が当たることを祈り、あえて奴が床に倒れていることを信じて蹴りを入れた。
だが、そこに人間はいなかった。
「がぁぁああぁぁあ······」
足を壁に思いっきりぶつけて悶絶する。
足を負傷してしまった。
この隙に後ろから襲われるかもしれない。
せめてもの抵抗のつもりで体を丸める。
「よくもやってくれたわね!」
響く声。
部屋の奥か?
いや、これは後ろだっ!
「うおっ!」
後ろから何かが飛んでくる気配がして、咄嗟に体を前に倒して避けた。
すぐに頭上に何かが刺さる音し、体が震えた。
数センチ上だったら頭をやられていた。
「へっ、かかったな!」
だが、これで場所はわかった。
やはり後ろに回っていたか!
「大人の男舐めてんじゃねーぞ、おい!」
壁に手を突くと、そのまま足を上げて垂直飛び蹴りのような蹴りを入れる。
これが決まれば大逆転。
当たれ!
「んにゃっ!」
顔面にヒットしたのか、頭のようなものを蹴った感触を足裏に感じる。
すぐに壁に何かがぶつかる音がすると、小さく呻く声がした。
蹴られた衝撃は相当の筈だ。
ここでもう最後の仕上げだ。
「観念しろ!」
久々の喧嘩。
学生以来か。
久々に殴り合いをしてヒートした自分を抑えきれずにまた蹴りを入れようとした。
いや、待てよ?
このタイミングで電気を点ければ捕らえられるか?
一か八か、賭けに出てみようか。
「あ、足が······」
声の方向からしてキッチンの奥。
そこに『奴』はいる筈だ。
敵は一人、しかも負傷中。
今ならやれる。
仕掛けるのは、次に物音がした時。
心臓が急に鼓動を強くし、心を苦しくさせてくる。
いつ音がするかもわからない。
相手も状況を理解し、息を潜めているだろう。
絶対に音を立ててはいけない。
いつ、奴は動く?
「······くっ」
「そこか!」
電気を点け、そのまま壁を蹴ってキッチンに飛んだ。
身体に伝わる浮遊感と風、そして落ちていく体。
暗闇から明るい場所に変わり、目が眩んだ。
だが、はっきりと奴の正体が判明した。
それと同時に俺は衝撃を受けた。
俺と戦っていたのは、まだ高校生くらいの女の子だ!