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《今日午後十二時ごろ、神奈川県横浜市の金沢八景駅付近で近くの高校に通っていた高校生が······》
あれっ、もうニュースになったのか?
「うわぁ、マジかよ」
あの後、結局数時間遅れで会社に戻った。
点検してもらうために整備に確認してもらうと、ドアの下側にへこみと塗装が落ちている個所、さらには衝突時にできたバンパーのへこみが見つかった。
事故から戻って最初に社長が口にした言葉は『相手の親は金持ちか』だった。
よくここまで軽い被害でも修繕費を取りに行こうとするのかと尋ねると『自殺させちまったんだから、親にも何かしらの欠点があるだろ? そんなら、ちっとばかしお灸を添えてやらんと気が済まないんだな』としか言わなかった。
まぁ、確かに自殺させてしまった裏には何かしらの事件か事情があったのだろう。
あの高校生の様子を見るあたり、どうも受験勉強や塾に毎日通わされているような様子だった。
自殺の原因は『母親から逃げたかった』か、そのスジだと予測する。
最近の子供はろくに親から愛情を貰っていない子供が多いらしいが、果たしてそこまでして勉強をさせたところで人生がうまく行くのかは全く理解ができない。
会話ができない、他人と常識が違う。
そんな後輩がいるなら、自分だってそいつを避ける。
日常生活の大半を勉強が占め、親からは成果が無いと殴られる。
「本当にトチ狂った世の中だな」
子供のころくらい、遊ばせてやってもいいだろうに。
あの高校生はそれの果てに死んだのだ。
気持ちも分からなくもない。
「子供に対するストレス、か」
白米を口に入れ、よく味わって食う。
今日のおかずは近くのスーパーで安売りしていたコロッケと漬物。
最近はこんな質素な食事が続いている。
その代わり、趣味の本に使っているのだ。
食費を節約すればそれだけ裕福には暮らせる。
「ミケ、旨いか」
猫の食事代もある。貯金もある。
それなら豪華な物を多少食べてもいいだろう、とは思うがそもそも食欲がない。
一杯の茶と大福さえあれば生きていけるかもしれない。
「って、そんなにおっさんになっちまったかな」
まだ三十代後半だぞ。
今からこの調子でどうする。
「ごちそうさまでした」
食器を軽く洗い、食洗器に入れてシャワーでも浴びようか。
今日はとにかく眠い。
「まだ八時前だけど寝るか」
と、脱衣所のドアを開けたらそれよりも先にやることを思い出した。
「あっ、そうだ」
今日は外で洗濯物を乾かせなかったからコインランドリーに行く予定だった。
洗濯機脇のカゴに洗濯物が溜まっている。
「あーあ、それなら着替えるんじゃなかったな」
いそいそと袋に洗濯物を詰め、数百メートル離れたコインランドリーに行くだけなのにしっかりと服装を整えて出かける。
「ニャー」
鍵を手にしていざ行くぞと思った矢先、ミケが鳴いた。
「ん、どうした」
やけにしつこく構ってくるので、抱き上げてケージに入れようと部屋に戻った。
が、そこで何かの気配を感じた。
「······誰だ?」
部屋の奥に誰かいる気がする。
何かが、そこにいる。
「待て待て、落ち着いてみろ自分。帰ってきてからもう数時間過ぎてるんだぞ」
寝室とリビングだけのアパート。
強盗が居たとしても、ここは三階。
非常階段も無いのだから、そこにいるとは考えにくい。
だが、やはり何かがいる気がするのだ。
「いや、まさかな」
しかし、どう考えても自分以外の人間がこの部屋にいるとは思えない。
強盗なんてありえない。
「そりゃそうか。ミケ、大人しくしてろよ」
ケージに入れたが、ミケはニャンニャンとずっと鳴いていた。
いつもとは違うとは思っていたが、まぁ放っておけば大人しくなるだろう。
玄関に戻って扉を開けた。
「暑いな、やっぱり」
外は蒸し暑く、肌に当たる風が湿っている。
台風の接近も近い。
「明日は雨かな」
天気予報は確認していないが、そろそろ降りそうだ。
階段を下りて道に出た。
根岸の工業地帯は青い光と白い光でライトアップされたように夜空に浮かび上がっている。
造船所や製油所、工場の立ち並ぶ根岸は工場関係者が多く住む街だ。
工場の配管や窮屈なほど空に向かって伸びる煙突、その間から見える海の風景が気に入っている。
「そういや、あの女どうなったんだろうな」
道を歩いていると、ふと今日の事故を思い出した。
あの後その場から去り、逗子方面から戻ったのだが、それからどうなったのかは知らない。
「訴訟しようとしてくるかな」
ちゃんと警察は捜査しているし、しかもドライブレコーダーを確認しなくともあっちから飛び込んできたのだ。
法定速度オーバーでもなし、しかも見通しのいい道路。
あの道は歩道も整備されているし、しかも歩道と道路の間はガードレールもある。
······ん? ガードレール?
「そういや、あの子供の身長でガードレールを飛び越えることができたのか?」
死んだ高校生は、確か相当背が小さかった。
151センチくらいか、いやそれ以下か。
「でも、ガードレールってなかなかあるよな」
事故の瞬間、飛び出してきたようにも思えた。
が、その前には大手運送会社のトラックが走っていたはずだ。
車間距離は十分だし、あの一瞬で自分のトラックに轢かれるものだろうか?
「くぐるタイミングがあったわけでもない、しかもガードレールは普通の物じゃない。そう簡単に超えられるものではなかったぞ?」
あの道路のガードレールは、見栄えを考慮したアーチ型の物だ。
都内によくあるような形のガードレールだが、あの下を人がくぐれるとも思わない。
大人ならまだしも、あの背の小さな子供が越えることができる高さではないはずだ。
「おかしいな」
飛び込みまでの経緯はどうでもいい。
問題は、なぜまた轢いたかだ。
「車間距離は十分、速度は六十キロ。そう簡単にタイミングが合うものでもないはずだ」
車間距離もちゃんとある。
それに、あの場所から走ってくる大型トラックの後方なんて見えない。
あの小さな背で分かるものだろうか?
「おかしい、やっぱりおかしい」
別に前にいたトラックでもよかっただろう。
何だ? 何故俺のトラックなんだ?
「色は赤、でもそこまで刺激的でもない。それに場所は交差点から離れた場所。それでもあそこで飛び込む理由なんてあるか?」
事故を起こす時、同じ車に乗っているわけでもない。
メーカーも、車種も違うのに自分のトラックに自らやってくる。
今回の事故も、本当に自殺だったのか?
まさかいじめか?
「でも、あそこに同じ高校の生徒はいなかったよな」
事故を起こしてから、すぐに車を降りて確認したときには誰もいなかった。
逃げたとも考えにくいし、隠れているとも思えない場所だ。
「呪いか?」
まさか、本当に俺は呪われているのか?
呪われている訳······ないとも言えないが。
「呪われているも何も、もう結果は見えているか」
お守りも効かない、悪魔祓いも効かない。
そうともなれば話は簡単。
「本当に何かに憑かれているんだな」
運がないわけじゃない。
簡単に結論を出すとしたら『呪い』だろう。
呪いなんて本当にある訳でもないとは思うが、ここまでくるとやはり何者かがそうさせているに違いないと思ってしまう。
いや、本当にそうだと思ってるわけじゃないが。
「散々だな、本当に」
そろそろこの生活をやめたい。
もう人が死ぬのは御免だ。
「······ビールでも買っていくか」