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「そういや、やっぱあの高校生も死んだか」


 ペットボトルのお茶を一口飲み、ハンドルに腕をかけてその様子を見守った。

もうお茶は生ぬるくなっている。


 今回轢いたのは、事故現場近くにある大学付属高校の生徒。

一年生らしいが小柄な体で、しかもやせ細っている姿は『もやし』のよう。

事故の瞬間を覚えているが、あれはやっぱり故意だろう。


 路肩から急に飛び出してきたのでブレーキのタイミングは遅れ、しかも青信号だった。

飛びこみに警戒していても、あれは防ぎようがない。


 轢いた瞬間は嫌な音がした。


「内臓やられて失血死か。呪われちまうかな」


 通報したときには、もう息をしておらず大量に出血していたのを鮮明に記憶している。

なかなか見たこともないパターンだな。


「あれぇ、飯田さんはどこに?」


「ん、あそこですよ」


 桜木が車体の検査を済ませ、後方からやってきた。


 飯田を探しているようだが、救急車の脇で何か話しているのを見つけると苦い顔をしてこちらに向き直った。


「参ったなぁ、あれ親御さんですよ」


「やっぱりですか」


 自分の轢いてしまった子供の親がもう現場に到着していたのだ。

遺族と顔を合わせることは滅多にないが、数回なら経験したことがある。


 どれも社会人だったが、今回は学生。

子供がトラックに轢かれ、死んだともなればあの女は怒り狂うだろう。


「河野さん、もう逃げたほうがいいですよ」


「え?」


 聞き返した自分に対し、桜木はこっちをちらりと見て答えた。


「あの親御さん、相当動揺しているみたいですねぇ」


 そう言われて飯田が向かった方に目をやると、本当に怒りに蒼ざめた表情を浮かべて大声で怒鳴り散らしている母親の姿があった。


 目からは涙と鼻水を垂れ流し、飯田がなんとか説得している様子だが逆にヒートアップしている。


「やばいな、あれ」


 あの様子を見るとやはり死んでしまったか。


 仕方ない、としても自分が轢かなければよかった話だ。

どうしようもなかった、では済まされない。


「飯田さん、口下手ですからこっちに来てしまうかもしれないです。さ、早く」


 飯田は口下手なのか。

確かに説得などが難しいような人柄だが、それは警察官として大丈夫か?


「誘導お願いしまーす」


「了解しました、じゃあ車止めますねぇ」


 あの様子だと、そろそろこっちに来るだろう。

ここで突っかかられても無駄に時間を使うだけだ。

葬儀で社長に説得してもらうしかない。


 バックミラーで一般車が来ないのを確認してブレーキから足を離し、発進しようとしたその時。


「危ない! ストップストップ!」


 ギアを入れて発進していたが、すぐに桜木が慌てて車体を叩いた。

反射的にブレーキを踏み、少し車線側に出たところでトラックは止まる。


「ど、どうしたんですか?」


 窓を開けて確認したが、そこに桜木の姿はない。

その代わりに、後方から気配がした。


 まさか······。


「逃げるな! この人殺し!」


 身を乗り出して後方に顔を向けると、トラックの奥からさっきの女が走ってきた。

やっぱり来たか。


「おいおい、マジかよ」


 さっきの場所から相当距離は開いている。

ここまで走ってくるのか?


「やべっ、これ開けられるな」


 瞬時に判断して鍵を閉めた。

これでドアは開けられない。


「おい、やめろ!」


 女がトラックの中間あたり、運転席から数メートル走ってきたところで、自分の下を飯田が潜り抜けていった。


 後方からも桜木がえっちらおっちら走ってくる。


「人様の子供を殺して謝りもしないか、このクソ野郎!」


 女はやけに高級なスーツを着て、過剰なほどの化粧をしている。

だが、その高級感溢れる容姿とは逆に、言葉は汚い。


 ハイヒールで度々転びそうになりながら走ってくる姿がやけに滑稽に見える。


「止まれ!」


 飯田が女の正面からタックルを仕掛けた。

正面から衝撃を受けた女は後ろに倒れ、自分の視界から消える。


「うちの子を返して! 啓ちゃんを返せ!」


 まだ倒れても喚き散らしているようで、飯田の大きな体から手足がバタバタと抵抗するように動いているのを確認した。


「先輩、公務執行妨害でパクっても大丈夫ですかぁ!」


「いや、いい! とにかくトラックを戻せ!」


 道路の真ん中で騒ぐ女とそれを止めようとする飯田をずっと見ていたが、ふと顔を上げると道路が詰まっていることに気がついた。


「河野さん! バックバック!」


 腕をグルグル回し、後ろに下がるように指示している桜木の指示に従って後退した。

まだ女は抵抗を続けている。


「長丁場になりそうだなぁ」


 甲高い警告音を鳴らし、後ろに下がるトラック。

歩道からはさっきからフラッシュが焚かれている。


「ヤダ、やだぁぁぁあぁぁ!」


 大声を上げて抵抗する女とそれを押さえつける警察官。

現場は異様な緊張感に包まれた。


 反対車線を走る車も速度を落とし、二人を見て通り去っていく。


 もちろん、両脇の歩道からには騒ぎを聞きつけた野次馬が殺到していた。


「桜木! 手伝え!」


「あ、はい!」


 車線を開けるため、二人がかりで女を持ち上げた。

それでも女は抵抗を繰り返す。


「なに、傷害事件?」


「もうちょっと警察を呼んだ方がいいんじゃないか?」


 まだ応援のパトカーは到着しておらず、飯田と桜木の二人だけで女を移動させようとしていた。

手錠をかければいいだろうに。


「これ、どうすっかなぁ」


 女が塞いでいた道路はもう通行できるようになり、車が脇を通り抜けていく。


 二車線道路の一車線が使えないのだから、ここまで相当渋滞しているだろう。


「河野さん、じゃあパトカー移動させますからそのまま後ろに下がって、逗子方面から出てください! 後でいろいろやりますんで!」


 トラックの前方ではまだ抵抗する女が暴れている。

このまま後方に下がれば別のルートから横浜に帰れるだろうが、問題は女だ。


「待て待て待て! 落ち着け!」


「放してって言ってるでしょ! 痛い痛い痛い!」


 さっきから取っ組み合いも激しくなり、相当な力でなんとか逃げ出そうとする女。


 その間に、被害者の高校生を載せた救急車はサイレンを鳴らして現場から去っていった。


「待ってぇ! 啓ちゃん、啓ちゃん!」


 女がしきりに叫ぶ『啓ちゃん』とは、多分あの高校生の事だろう。

やはり母親が子供を失った悲しみは大きく、相当な怒りを抱いている。


 うん? 相当な怒り?


「あっ、待て!」


「どけ!」


 と、叫び声と共に鈍い音が響く。

同時に飯田の怒鳴り声が聞こえた。

「飯田さん!」


 飯田と桜木のいた方向を見た。


 と、次の瞬間。


「トラックから降りろよ、おい!」


 ドアを激しく叩いている音がしてそっと覗くと、そこにはさっきの女が今にもとびかかってきそうな形相でこちらを見ていた。


「うわっ!」


 飯田が頭を殴られたのか、道路の真ん中で伸びている。

この程度で気絶して本当に警察官なのか?


 バックミラーを確認したが、桜木はもうパトカーに乗っている。


 つまり、ここから逃げ出す方法はそうそうない。


「これ、離れて貰わないと後ろに下がれないな」


 このまま女が離れない場合、こちらに過失ができてしまう。

つまり、訴訟ができる条件ができてしまうのだ。


 会社のためにも訴訟だけはなんとしてでも起こしてはいけない。


「応援の警察はまだか?」


 どこかで足止めされているのか、一向に応援の警察官はやってこない。

それとも、まだ要請していないのか?


「犯罪者! 人殺し! 未来のある子供を殺しといて逃げるなんて許さないわよ!」


 鬼のような顔をされても困る。

おたくの子供は自分から飛び込んできたんだぞ。

俺が悪いわけじゃなくて、あんたが自殺の原因を作ったからじゃないのか。


 頭に血が上りかけた。


「離れろ!」


 と、ずっとドアを叩いていた女が視界から消えた。

それと同時に声にならない大声を上げ、女が喚き散らすのも聞こえてくる。


「田浦3、現場到着。被害者親族を確保」


「暴れるな、公務執行妨害でムショに入れられてぇか!」


 またもや聞きなれた声がしたので顔を出すと、女に手錠をかける二人の警察官の姿が目に入った。

増援だ!


「河野さんよォ、なんで逃げなかったかなぁ」


 女の手足を縛っていた警察官の一人が顔を上げ、こっちを見上げた。


 警察官の正体は、田浦警察署の尾西啓二と相棒の小松だった。


 この二人にも何度か世話になっている。


「尾西さん!」


「こんなの巻き込まれるだけ損だぞ」


 小松も女の首を抑えながら、こちらを見ずに答えた。

さすがベテラン。桜木と飯田に出来ない技を易々とやっている。


「とっととズラかれ! あんたがいるといつまでもこいつが抵抗しやがるんだからよ」


 日に焼けた肌を見せ、がっちりとした体格の尾西はそう言うと目配せをした。

とっとと帰れと言っている。


「じ、じゃあ、どうも」


「数十メートル先の交差点にはもう警察官が待機してっから、そのまま本社に戻っちまえ」


 黙ってうなずき、二人を轢かないようにタイヤを調節した。


「逃げるな! 話をしろよ!」


 トラックが動き出したのを察知したか、女がまた抵抗を始めた。


「無駄だよあんた!」


 トラックが現場から離れるにつれ、女の声も大きくなる。

泣きわめく女を見るのがつらくなってきていた。


「私の一人だけの息子なの! 私の宝物なの! 返してよ、返して!」


 悲鳴にも近い声が段々と遠くなっていく。


 最後に女は、今までにない罵声を飛ばしてきた。



「謝りなさいよ! 人を殺してるのよぉぉぉ!」



 やけにその言葉が耳に残った。

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