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翌朝、目を覚ましたのは八時過ぎだった。
ずっと、何かの夢を見ていた。
それが何だったかは覚えていない。
気がついたら汗をびっしょりかいていた······。
ってこれは暑いからだな。
「ミケ、おはよう」
「ウニャッ!」
ぼさぼさの髪で意識がまだ半分夢の中のまま洗面台へと向かったのだが、ふと気がついたら自分の足元に何か転がっているのに気がついた。
「これは?」
古い瓶のような、偏屈な形をした陶器があった。
丸い茶色の陶器だが、装飾も無いただの球体。
はて、こんなものを買った覚えも見た事もないが?
帰り際に何か拾ったか?
「とりあえず、顔を洗ってからにしよう」
結局、その陶器が何だったのかはわからなかった。
朝食を簡単に済ませ、お気に入りのシャツを着て朝ラッシュの終わりごろの京浜東北線に乗った。
青いラインの銀色、ステンレス車両はトラックと似ている。
昔は鉄道員に憧れたものだ。
ガキの頃は、あのしっかりとした制服を着た駅員などになりたいと思っていた。
が、現状はこうだ。
人生は甘くない。
〈つぎは、石川町、石川町。お出口は左側です〉
ここで降りて山下公園に行く気だったが、久々に横浜の方まで行ってみたくなった。
そのまま京浜東北線に乗る。
窓の外に、高い高層ビル群が出現した。
みなとみらいだ。
〈桜木町ー、桜木町ー〉
桜木町の次は横浜。
ここから都市部に入ってゆく。
みなとみらいの日本丸やコスモワールドが夏の陽射しに照らされて光っている。
「横浜も久しぶりだな······」
久々の横浜駅。
工事や改良を重ねますます大きくなっているこの駅周辺はいつ見てもどこかしらが変わっている。
何本もの線路が左側に現れ、ホームに滑り込んだ列車は軋みながら横浜駅に到着した。
《横浜ー、横浜ー、京浜急行線はお乗り換えです》
ドアが開くと、ドッと人が川の流れのように同じ方向へ流れだした。
京浜東北線ホームからコンコースまで行き、人の行きかう横浜駅構内を通過して東口に出る。
「ここからみなとみらい経由だな」
横浜駅と山下公園まで大分距離がある。
でも、ここから歩いても面白い。
みなとみらいや赤レンガ倉庫が途中にあるからだ。
観光がてら、いつもの場所に行く。
「よし、行くか」
ペストリアンデッキで高速をくぐり、そごう脇の階段を下りてみなとみらい方面に歩いていく。
「横浜もやっぱり変わるな」
見上げてみると、背の高いビルがいくつも背比べをしているように伸びている。
その間から見え隠れする青い空。
夏の横浜は東京湾からの風が心地よい。
開港からずっと発展を続けている横浜の変貌ぶりには驚かされる。
富士ゼロックスビルの前に来ると、窮屈な横浜駅近辺路は風景がガラッと変わり、丸の内のオフィス街のような雰囲気になる。
横浜も一応、東京の次に発展している街だ。
「あれっ、こんな所あったっけ」
みなとみらいの周辺まで来ると、風景は一変する。
今まで造船所などがあった場所に、今では大型ホールのパシフィコ横浜や急速に建てられた大型ビルが立ち並んでいた。
2000年代から新たに都市開発が行われ、そうして出来上がったこのみなとみらい地区。
生まれも育ちも横浜の自分には、なじみのある風景が亡くなるのは寂しい気持ちもある。
山下公園や貨物線がいくつも伸びていた工業地帯は消え、汽車道として変わってしまった横浜。
それでも山下公園の大さん橋と氷川丸は、そこにあり続けた。
「悲しいな」
見慣れた光景が、だんだん消えてしまう。
時代の変化の波に流されておらず、まだ取り残されている自分がいる。
パシフィコ横浜を過ぎたあたりで、横浜の観光名所のコスモワールドの大観覧車が見えてくる。
ここも昔は倉庫があった。
「人がとにかく多いな」
休日だからか、普段よりも人が多い。
家族連れやカップルの集う横浜のいつもの風景だ。
人の波をかきわけ、橋を渡ったあたりで長い行列に遭遇した。
「赤レンガ倉庫か?」
この先、まっすぐ行くと赤レンガ倉庫がある。
ここではイベントが度々行われており、それの行列も珍しくはない。
さらに、両脇に商業施設もあり混雑は予想していた。
だが、今回ばかりは列が長い。
「歩道を半分占拠しているのかよ」
三列になって並ぶ人々は、だいたいが若い中高生。
中には大人も交じっている。
「なんだなんだ? アイドルイベントか?」
なかなか見ない行列の長さに驚いた。
狭い歩道を人にぶつからないように進む事、数分。
赤レンガ倉庫が見えてきたところで、そのイベントの正体が分かってきた。
「······げっ、ラノベフェスかよ」
赤レンガ倉庫のイベント会場には、大きく『日本ラノベフェス』と書かれた垂れ幕が下がっていた。
今日、一番目にしたくない単語だ。
「よりによってこれかよ、まったく」
まぁいい。
他人の趣味には口出ししないようにしないと体がもたない。
「こいつら、全員ラノベが大好きなファンか?」
ずらっと一列に並んでいるこの民衆は、大体がラノベのキャラクターらしきストラップなどをつけていた。
こんなに好きな人間がいると知り、たちまち不快な気持ちになる。
「最悪だな、こりゃあ」
しばらく進むと、歩道を列がふさいでいた。
どこにも行けない。
「仕方ねぇ、割り込んでいくしかないな」
強引に反対側に行こうとしたが、すぐに後ろから強く腕を掴まれて引っ張られた。
「あ、すいません。割り込みはご遠慮ください」
このイベントのスタッフが立っていた。
莫迦、俺はそんな『輩』とは違うぞ。
「いや、この先に渡りたくて」
「この先は列があるのでいけません。戻って信号を渡ってください」
「は?」
横断歩道までは、ここから数百メートルはある。
そこまでして戻れとこいつ本気で言っているのか?
「おいおい、そりゃあないでしょう? ここ、歩道ですよ?」
「許可は取っているので問題ありません。戻って渡ってください」
何様のつもりだ?
歩道は公共の場所だぞ。
「この列を切って通してくれないか?」
「無理です」
「なぜ?」
「なぜ列を切らなければならないのですか?」
腹が立つ言い方をする年下のガキ。
俺もこんな奴に舐められる程優しくはない。
「許可は取っていたってここは公共の場だろう! いいから通せ!」
後ろを見ると、小さい子供を連れた家族連れがこの先にいけないと知って引き返している。
さっきまでついてきていた車いすの男性も困っている。
「いいから退かせよ、一般人の邪魔してまであんたらイベントしたいのか?」
「はぁ、いい加減あきらめてくださいよ」
キレそうになってきた。
なんでここまで拒むんだ?
「いい加減にしろよ、おい。こっちは一般の人間だぞ! 歩道をお前らに占拠されて邪魔なことぐらい分からないのか!」
ついカッとなって怒鳴り散らしたが、すぐにあることに気がついた。
「見て、あの人······」
「喧嘩か?」
「ネットに上げようぜ」
振り返ると、列に並んでいる人間のほとんどが自分にカメラを向けていた。
またネットに上げるつもりだろう。
俺は正しいことをしている筈だ。
お前らに人の心はないのか?
「······もういい。俺が悪かった」
そのまま群衆の視線を浴びながら、また道を引き返した。
無駄に時間を損した、と思う一方で自分にも落ち度があったと反省する。
「ダメだ、こんなに怒りっぽくなってはダメなんだ」
平穏な日々を送るには大人しい人間でなくてはならない。
いや、そうならないといけないのだ。
「これ以上、厄介ごとには巻き込まれたくはないんだ」