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 トラックから降りて、その男性の様子を確認した。


 被害者の若い男性はうんうんと呻き、きっちりと整えられた頭からは多くの血が出ている。


「あぁ、やっちまった」


 横浜国際通運と大きく名前が塗装された大型トラックの前で、一人のドライバーが立ち尽くしていた。

このトラックを運転していた河野仁は、朝っぱらから事故に巻き込まれて苛立っていた。


「これでもう何度目だよ、チクショウ」


 事故発生からしばらく、現場は物々しい空気に包まれている。

夏の暑い日差しが照りつける、朝の大田区の幹線道路付近で起きた事故。

 横浜ナンバーの大型トラックの前で、大手財閥系企業に勤めていそうな若い会社員の男性がアスファルトに突っ伏している。


「大丈夫か、おい!」

 事故を起こしたトラックドライバーの周辺では、通勤中でも野次馬がそれをネットに上げようと殺到していた。


「あぁ、またか」

 周りを見ると、歩道から何人もの会社員や通りがかった通行人が足を止めて、事故現場を撮っていた。

 カメラのレンズが自分の顔を撮っているのが分かる。


 自分は、何度も何度もこのような光景を目にしている。


 その周りにいる人間は自分に対して死刑執行の決まった死刑囚を見つめるような、鋭く攻撃的な目を向けているのはいつもの事。


 事故を起こした自分は、どちらかというと被害者側だというのに、事故に関係していない第三者の人間でさえ遺族のような感情を抱いているのが腹が立って仕方がない。

お前らは被害者でも何でも無いはずだろう。


 ネットが普及してからというものの、日本にプラスになるような出来事があっただろうか。

今の時代、コンプライアンスやなんだかで騒動が至る所で起こり、そしてその原因にはいつもインターネットがある。


 誰かが何かをした、誰かが人をどうこうした。

そんな嘘とも真実ともわからない情報を鵜呑みにしてしまう日本人のなんと多い事か。


 国民性とまでは言い切れないが、感情があまりにも極端すぎる日本人の感性にはいつも嫌気がする。


「おいおい、誰も助けようとしないのか?」


 それにしても、こんな光景をネットに上げて何が楽しいのだ。

こっちは大変なのに誰もその男性を助けようともしないでスマホを操作している。


 俺は人殺しか? 殺人犯か?

この前も、動画を撮って自分を人殺しだと揶揄する動画がネット上に上がっていたのを目にした。


 恐ろしい世の中になったものだとその時も怒った。

全くこの世界は狂っている。


「なんだ? 交通事故かな?」


「うわ、これヤバくね?」


「凄いリツイート来るんだけどこれ」


 そこでスマホを見ているお前ら、この状況をしっかりと理解しろ。


 人が今にも死にそうだぞ。

大型トラックに轢かれてうめき声を上げているぞ。

今にも死ぬかもしれないぞ。


 そんな時、普通ならば助けることが一番最初にやる事ではないのか?

警察に通報し、周りの人間が彼を少しでも助けるべきではないのか?


 そのスマートフォンを降ろし、助けようとも思わないのか?


「なんなんだよ、本当に!」


 誰も警察に通報していないことが分かり、自分で警察に事故が起きたと通報した。

数分もたつと、何台ものパトカーが現場に到着して警察官が交通整理を始める。


 警察が到着して野次馬が排除されたものの、肝心の男性は動かない。

さっきまでうめき声を上げていたが、手遅れだったか。


「窓を開けてください」


 トラックの中で待機し、警察官が来るのを待っているとドアをノックする音が聞こえた。

窓を開けて下を見る。


「あっ! またあなたですか」


 目の前には困った顔をした警察官が見上げた状態で自分を見ていた。

いつものパトカーといつもの制服の細身の男。


 確か、川崎といったか。


「すいません、毎度毎度」


 通報してから数分で到着する日本の警察は優秀だ。

もっとも、もう覚悟していた様子だったが。


「毎度毎度、かけつけると確実に被害者は死んでいるし、こっちも忙しいのにあなたときたら本当に······」


 早口でまくし立てながらもしっかりと現場の様子を確認しつつ、ある程度の救命処置をしている。


「蒲田6、現場到着しました」


 手慣れた動きに手慣れた動作。

この前もそうだった。


「で? 今回はどうして?」


「第一京浜から環七をそのまま物流センターまで通るルートを走行していましたが、やっぱり歩道から突然」


「あんたねぇ、もう少し注意できないかな? なぜか自殺者がことごとくあんたの運転するトラックにぶつかってくるのが不思議だよ」


 書類に細かな事を取りながら、ふてくされた中学生のような態度をして警察官は言葉をぶつけてくる。

申し訳ない。


「法定速度もオーバーしていない、それで前方不注意でもしない。真面目な話、本当に過失も何もしない優良ドライバーですけどねぇ」


「今回も、一応······」


「いい加減ドライバーをやめて、他の所に行ってくれませんか」


 ドライブレコーダーを見せればわかる事だが、自分に過失はないだろう。

それもそのはず、大体自分の轢く人間は自殺願望のある人間だらけだ。


 第一京浜から環七に曲がる交差点から少し奥側の見通しのいい三車線道路。

ここで交通事故を起こす方が奇妙なのだから、今日もまたすぐに解放されるだろうな。


「あー、はいはい。飛び込みでしょう? じゃ、もう行ってください。現場検証とかもういいですから」


 やっぱりそうだった。


 もう慣れているのだろう、同僚の警察官もすました顔で『またあの男です』とこっちをちらりちらりと確認しながら無線機を取っている。


 いつの間にか野次馬はいなくなり、代わりに通学途中の小学生がキャッキャッと騒がしく歩いていた。


「えーと、へこみも何もないですね? うん、自走も可能か。これでよく人が死ぬものですね」


「はぁ、どうもこうも」


 これで何度目だろうか。


 もう警察官も呆れ果て、とっとと戻りたいとでも言いたげな表情。

あんたは仕事を何だと思っているんだと言いたくなる。


「今回の積み荷は何を? 過積載も無いでしょうね?」


「工業製品を。過積載なんてある訳ないじゃないですか、不景気ですもの」


 福井から夜通し走り続けてきたらこうだ。

いい加減家に帰らせてくれ。


「そうですか。なら急ぐ必要も······って、そんなわけないか」


 こいつ、人をイライラさせることに関しては天才か?


 いつもより早く済ませてくれるのは助かるが、その態度を改めろとだけは言いたい。

こっちは轢きたくて轢いているわけじゃないのだから。


「じゃあ、とりあえず被害者の遺族の連絡先とそのあたりの書類はそちらに送りますので、まぁなんとでもやってください」


 警察官としてそれはどうなのか、と言おうともしたがやめた。

ここでくだらない口論をしても逆にあっちからますます印象を悪くされるだけだ。


 腕時計を見るともう数分は遅れている。


「じゃあ、またよろしくお願いします」


「よろしくお願いされても困るのですけどね」


 明らかに嫌な顔をしたその警官は、すぐ車線を止めると、事故を起こしたトラックを誘導して解放した。


 申し訳ないとも思うが、もうそろそろ日課になってきたのだろう。

サイドミラーからは、時々顔を上げながら書類を書いている同僚の警察官が見えている。


「あぁ、ありゃ死んだな」


 事故現場にはもう救急車が到着し、救急隊員が自分の轢いた若い会社員を救急車に乗せている。

だが、様子を見るあたり死んでいるだろう。またこれで一人。


 あの衝撃で人間が生きていられるわけがない。

大型トラックに真正面から激突されて生きているなんて運のいい話だろうが、事故にあった被害者がこの先の人生をまともに生きるとは思えない。


 大型トラックは急には止まれないのだ。


「そんなに異世界転生したいならよそでやってくれよ」


 あの男の自殺の原因は、やっぱり流行りの『異世界転生小説』か。

流行するのもいいが、その中身を鵜呑みにして死なれてもこっちが迷惑するだけだ。


 そもそも、異世界転生なんてできる筈もないのに。

今の若い人間はそれを理解できる頭を持っていないのか?


「都合も考えてくれよ、こっちは一歩間違えれば捕まるのだから」


 自分より頭のいい、給料もなかなかの金額の会社に勤めている会社員が自ら飛び込んで死ぬなんておかしな話だ。


 俺の憧れる生活ができる筈だろう。

もっといい暮らしもできて、家族もいるのだろう。


「自分の暮らしが、どれだけ他から見たら幸せかわからない人間が増えた。若い人間は莫迦だ、大莫迦だ」


 こんな、社会を根元で支えている運送業のトラックドライバーに殺されて何が面白い?


 一生懸命学んで、一生懸命働いて幸せを掴むために生きてきたのではないのか。


 辛くても耐えて、いつかいい家庭を持って幸せな人生をくれたはずなのにも関わらず、ひと時の苦痛に耐えられずに妄想とその『異世界』に逃げ込むために死んで。


 これまでの人生、まともに生きてきたのだろう。


 それでも死にたかったか。辛いことに耐える力を持っていないのか。幸せとは何かを知らないのか。


 ちっとも気分がよくならない。

こうなったら、昼食はいつもよりいい物を買ってやる。


 それで気分が晴れる訳もないが、それしかこの感情を抑えられない。


「あ、社長。またやっちまいました」


 会社に連絡を入れておかなければ、今度こそ先方からクレームが来ると社長が言っていた。

社長にも多くの迷惑をかけている。


 一緒に菓子折りを持って葬儀に行き、自殺の場合は車両の修復代と言って遺族からそれなりに資金を頂いてくる。


『まぁ、そういう事だ。とりあえずクルマだけは壊さないでくれよ』


 この前、葬儀から帰ってきた時も色々と貰ってきたのだからその力だけは誰も真似できない。


 遺族も遺族で気の毒だろう。

最愛の人間を殺した運送会社の社長が『おたくの人間はこうやってうちのトラックに飛びこみました、過失はありません。だから車両修復費を出してください』とドライブレコーダーを見せながら請求するのだから。


 それでも払ってしまうのも日本人。


〈いまどこだ?〉


「環七を平和島方向に。あと数分で着くかとは思いますが」


 混雑状況も見て、ざっと二、三分くらいで着くだろう。

それくらいの遅れなら文句もない。


〈警察の奴らは何か言っていたか?〉


「何も。むしろ社長に車両修復費の請求させるために遺族の連絡先とか送るって言っていましたよ」


 電話先で社長が声を上げて笑う声が聞こえてくる。


 何がおかしい。

こっちはもう数時間もタバコ臭いトラックに乗っているのに。


「トラックターミナルまであと数キロ、さすがにないでしょう」


〈了解。また轢くなよ?〉


「二度目なんてある訳ないじゃないですか、そんな······」


 社長にも困ったものだ。

もう自分の起こす事故を資金源とまで見ている。


 こっちはやりたくてやっているのではなく、なぜかそういう人間がやってくるのだと言っても聞く耳を持たない。


「じゃあ、よろしくお願いします」


 信号が青に変わり、前のトラックが動きだした。

こちらも続けてアクセルペダルを踏む。


〈はいはい、ご苦労さん。降ろしたらすぐ帰ってこい〉


「わかりました。じゃあ、またあとで」


 ゴッ!


 電話を切ろうとしてモニターを見た時、突然鈍い音がした。


「······あっ?」


 これはまさか。


〈······え? また轢いたのか?〉


 またか?

まだ数十メートルも走ってないぞ!


「ちくしょう」


 イライラしながら、またドアを開けて車外に出た。

蒸し暑い。


「あ、どうでした?」


事故後、事務所に戻ると専務の平沢が慌てた様子で駆け寄ってきた。

いつもの顔にまた皺が増えている。


慌てるのも無理はない。


社員が一日で二度も事故を起こし、すぐに警察に呼び出されて社長が出ていったのだから。

専務としても、ずっと生きている心地がしなかったろう。


こちらに過失があって相手が死亡したとしたら業務上過失致死傷罪で社長が逮捕され、会社は経営がうまく行かずに倒産する。

社長と専務がここまで大きくしたこの会社を、そんな理由で潰さなくてよかったと何度も思う。


「すまんな、なかなか時間がかかってしまったから」


蒸し暑い昼下がり、昼食をまだ済ませていないが、そのまま荷下ろしを済ませてから横浜の本社兼事業所に戻ってきた。

事故を起こしたトラックは自社の整備工場で整備を受けている。


「······すみません」


社長はいつもと変わらない様子だったが、さすがに二度目の事故を起こした自分はそうはいかない。

平沢が社長と話しながら、首の後ろを掻いて自分の方を見た。


「君、本当に何かに呪われているんじゃないか?」


 申し訳ない、とばかりに体を小さくする。

この事故で、とうとう一か月で十八回は事故を起こしたことになる。


「当たり前だろ? この前除霊してもらおうと厄除けに行ったら門前払いされたんだってよ、コイツ」


 社長の冗談で平沢が吹き出した。

笑い事じゃないぞ専務。


「現場検証なんて久々じゃないですか、ねぇ?」


 二度目の事故の後、さすがにこれは見逃せないと言われて現場検証を行った。

次は若い中学生の女の子。

信号発進からすぐだったため、そこまで速度は出ていないが頭の打ちどころが悪かったのが運の尽き。


 そのまま病院で死亡したとの連絡が入った。


 現場検証には社長も呼ばれ、顔を合わせた時に『お前、またやったのか』と苦笑いで言われた。

ここで怒鳴り散らさないあたり、やはりいい社長に出会ってよかった。


「取引先からは何か言われたか?」


「いや、二度目の事故の時はあのあと『ゆっくりでいいから傷だけはつけないでくれ』と言って切られました」


 取引先も器が大きくてよかった。

自分の運転で運送中の部品に傷をつけないどころか、時間ぴったりに着く技術が逆に感心され、大目に見てもらえるのが不思議だ。


 事故を起こしてもすぐに来ること自体におかしいと思わないあたり、取引先も次は何をしてから届けてくるのかと面白がっているに違いない。


「とりあえず、もうお前は帰ってもいいからな」


「え、いいのですか社長」


 何か小言をいわれると思って身構えていたのだが、予想は外れた。

これで帰っていいってことは、もしかして?


「別に構わないよ。その代わり、今夜飲みに行くぞ」


 ……また飲み会かよ。

自分は酒に弱いのに。


「じゃあ、着替えてきます」


「おう。しっかり寝ろよ」


 そのまま家に帰宅した。


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