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1.これはひどい

「───君たちの入学式のことが本日はとても懐かしく感じます」


 そんな言葉を皮切りに始まった校長の話。本日はとある田舎のとある公立高校。その卒業式当日である。

 高校生にとって卒業式というものは、小学生という子どもから中学生のお兄さんお姉さんの仲間入りを果たす中学校の入学式に比する大人感を得られる偉大なイベントの一つであると言える。

 ある者はこれまでの三年間を思い返し、自分たちの青春に思いを馳せ、これから自分は立派な大人の仲間入りをするのだと、万感の想いを胸に抱きながら少しばかりの寂しさに涙を流す。ある者はクソみてえな三年間だったぜと顎をクッと上げて斜に構え、周囲を馬鹿を見るような目で見ながらやはり瞳を潤ませる。

 ある程度の個人差はあるものの、講堂に集った卒業生のほとんどが自分の母校での軌跡を頭に描き、これから選ぶ道について想像の翼をはためかせて胸を張っている。高校生にとって、そういった一種のイニシエーションなのだ、卒業式は。

 そんな、感動的であるはずの卒業式の会場に、決して視線に力がこもっているとは言えない、ありていに言えば、死んだ魚をさらに三週間寝かせて発酵させたような目をしている青年が一人いた。

 多くが黒を占める中にわずかに銀色の混じった不思議な頭髪。左目が見えるだろう部分には、およそ端正な顔立ちをした美青年と言って差し支えのない彼にはそぐわないドラッグストアで売っていそうな安っぽい医療用の眼帯が着けられている。

 クラス別に並べられた椅子。そこから起立した状態での説話。男女混合の出席番号において最後尾にあたる彼は、左にいる同級生からいくらか距離を取られて立っていた。

 彼は別に、式場である講堂の三月とは思えないほどの暑苦しさに顔を顰めているわけでも、御歳53歳である頭皮の後退著しい校長の話しの長さにウンザリとしているわけでもない。

 彼の目が濁っているのはただ…そう、ただ単純に明日からどうやって生きていけば良いのかとちょっとした絶望を味わっているだけだ。

 そのわけはおよそ半年ほど前に遡る。

 彼が高校卒業後は就職しようと思い立ち、校内で唯一嫌な顔をせず相談に乗ってくれる先生と一緒に求人情報誌を見ながら県内の会社を吟味し、応募書類を提出したのが四ヶ月ほど前。

 その後見事試験に合格し、彼は後日面接に臨むよう通達を受けた。その翌日、学校でソワソワしつつ報告を待っていた先生に彼が合格を伝えると「やったねタカキくん!」と彼女は普段前髪で隠れている目が露出されるほどに喜んだ。そして、彼女の喜びように触発された彼もまた口元を綻ばせた。その高揚のまま二人はハイタッチをして互いの感情を分かちあったのだった。まあ、その先生の頭部は彼の鳩尾あたりにあるので、傍目ハイタッチというより幼女に降参のポーズを取っているようにしか見えなかったのだが。

 面接当日の朝、親の言いつけで左目を隠すようにとつけている眼帯を、先日の気分の高まりがまだ残っていたのもあったのだろうが、「失礼が無いように外した方が良いよな」と大胆にもキャストオフ。人前では見せたことがないアラベスクのような幾何学模様の瞳が晒されることとなった。何度染めても銀色の部分が消えることがないことは経験上理解しており、大半は黒髪なので「まあ良いだろ」と思考を放棄しての出社。

 緊張する反面、試験の合格による僅かな自信も垣間見える表情で臨んだ彼の面接は、しかしながら、入室と同時に終了を告げられるという惨憺たる結果に終わった。面接官が言うには、君が近くにいると気分が悪くなるから、とのこと。面接終了RTAならば世界ランク一位に燦然と名前が輝くだろう素晴らしくも物悲しい記録を達成し、会社ビルを追い出されたときの彼の表情は、ついさっきばかりの緊張や自信はどこへやら、分かっていたと言わんばかりの諦念に塗りつぶされていた。

 彼曰く、気分が上がっていたからと言って眼帯を外したのが良くなかった。証明写真でも外していたのだからそんなことはないと思われるが。

 とぼとぼとした足取りで家に帰り着いた彼は、ただいまと声をかけ、玄関には両親と妹の靴があるというのに、家族の誰の声もしない家の中で、自分の現実を叩きつけられたような気持ちになり、その後は就活すらも諦めた。面接における顛末を聞いた先生は泣いた。先生に釣られ彼も涙を流した。


「───君たちの未来には今以上に辛いこともあるでしょう」


 そんなこんなで現在。校長の長話もようやく終わりの見える頃合。自身のバイト先である個人経営のカフェの存在を思い出した彼は


(店長に雇用期間の延長をお願いすればいいか)


 と考えた。そうして、ようやく周囲に目を向ける余裕ができた彼は同級生に距離を取られていることに気づいて軽く肩を落とした。


(なんて寂しい卒業式なんだ)


 彼が落ち込んでいる間にも校長の話は進み、校長の話は締めに入っていた。


「───これからも君たちの成長を願っています」


 ほんとかよ、と彼が胡乱げな視線を向けたのは言うまでもないことだ。




 卒業式を終えた卒業生たちは教室に戻り、担任の先生から卒業証書を受け取ることが高校での最後のミッションとなる。

 彼らは最後のホームルームが終わるときを今か今かと待っており、各クラスの担任の先生は無性に寂しさを感じていた。彼のクラスを除いて。

 彼の所属するクラスの担任は、彼の最も尊敬する人である就活の時の先生だ。

 これまでの人生で何かと疎まれていた彼が高校を辞めることなく、曲がりなりにも高卒の称号を得ることができるようになれたのは彼女の存在によるものが大きい。

 というのも、彼女──名を槌和(つちのわ)エイルという──は学校の中で唯一彼のことを受け入れた人であったからだ。


(エイル先生がいなかったら、俺は今頃どうなっていたかな…)


 教壇に立ってクラスメイトに声をかけながら卒業証書を手渡していくエイルを見て、そんなことを彼は思う。深い森の中で土の肥やしになっている自分を幻視した彼はぶんぶんと頭を振り、今しがた想像した光景を頭の片隅に追いやる。


渡世(わたらせ)タカキくん」


 彼の名前が呼ばれた。証書を受け取る番が回ってきたのだ。クラスメイトたちは彼が直視し難いものであるかのように努めて視線を逸らすが、彼はエイルとの別れを惜しむ気持ちで胸がいっぱいになっておりクラスメイトの挙動に気づいた様子はなかった。


「タカキくん、色々あったけど卒業おめでとう!また何かあったときは相談してね」


 エイルが手を伸ばして卒業証書を渡す。タカキは自分より遥かに低い位置にある顔を見て、今日も目が見えないことにほんの少しの寂しさを覚えつつ卒業証書を丁寧に受け取る。そして、卒業した後も相談に乗ってくれるという彼女の言葉に彼の胸中には感謝と喜びが満ち満ちた。


「エイル先生、今まで本当にありがとうございました!なるべく先生に迷惑をかけることのないよう頑張っていきたいと思います」


 三年間を思い出しつつ感謝を伝えるタカキに、しかしエイルは不服であることを示すように軽く唇を尖らせる。容姿や声が幼く感じられることの多い彼女であるから、可愛がられることはあれどなかなか頼られることはなかったこともあり、タカキが頼ってくることは密かに楽しみにしていたのだ。


「はい…でもタカキくん、本当に困ったときはいつでも連絡していいからね?ね?」


「え?あぁはい…。あまり迷惑をかけたくないのですが…まぁ、わかりました。もしもの時はお願いします」


 何度も念押しする彼女の様子に、彼は首を傾げつつも頷いた。その動きを見て、彼女もようやくニコリと満足げに口角を上げるのであった。




 その後、特に何事もなくホームルームは終了し、卒業生たちは最後の思い出だからと学内散策に出かけたり、何もせずそのまま下校したりとそれぞれの行動を取り出した。

 タカキもエイルと連絡先を交換した後は、彼女との交流に後ろ髪を引かれつつも早めの帰宅を敢行する組の仲間入りを果たした。正門を出る時はまるでモーセの海割りのようであった。

 最近、家族がなにやら忙しそうにしていたのを思い出し、なんとも言えない妙な胸騒ぎを感じてタカキはなるべく急ごうとする。


(何か嫌な予感がするなぁ…これは家族だけが旅行に行って俺だけ放置された時の感覚に似ている気がする)


 自身の思い出ワースト十位に入る出来事を思い出しながら、学校から徒歩で三十分の位置にある自宅までの道のりを足早に進んでいった。

 タカキの実家は父が医者で、母親が芸能人だったということもあり、かなり裕福ではあったが、その家に関しては築三十三年のそこそこ趣を感じることができる二階付きの一戸建て住宅であり、よくある一般家庭と同じようなものだ。

 いくつかの角を曲がるとやがて、見覚えのある屋根が近づいてきた。

 自宅にたどり着いたタカキは高校の制服である青色のブレザーのポケットから鍵を取り出し、急いでドアを開けた。

 玄関に靴は一足もなく、玄関口の靴箱の上に置かれていた花瓶なども姿を消していた。


(ん?これは前とは違う気がするな…けどまあ、また置いてかれたことに違いはない)


「はぁ…お茶でも飲もう」


 いつかと同じように何も伝えられずに放置されたと考えた彼はわずかに重さを増したように感じる足をリビングに向けた。

 リビングに入ったタカキは目を見開かずにはいられなかった。


「は、はは…いくらなんでもこれはないだろ、父さん、母さん」


 目の前の光景に思わず腰が抜け、彼はバタンと床に倒れた。いつもならカーペットが敷いてある床に。

 何度目を擦って見ても、眼帯を外して両目で見ても、そこにあるものは変わらなかった。いや、今朝まであったものが何も無いという事実は変わらなかったと言うべきか。

 力の抜けたタカキは、とりあえず自室へ行こうと階段を上がる。


「あぁ…良かった。ちゃんと全部残ってた」


 自室のドアを開け部屋の中を物色し、大してあるとは言えない彼の私物が確かにあることが確認できた。ホッと一息ついたタカキは、部屋の中心あたりに置いてあるテーブルのそばに座ろうとしたが、その上に見覚えのない無地の白封筒が置かれていることに気づき、まずはそれを手に取ることを優先した。


「これ、なんだ?」


 裏返したりして白封筒をグルッと確認すると、『皐希(たかき)へ』という文字が見えた。


「これは…母さんの字だな。ってことは手紙か?わけを説明してくれてるとありがたいんだが」


 ある程度読めていることとはいえ、タカキにとってこの状況が決して喜ばしいものではないことは誰の目にも明らかだ。タカキ自身もそう考えてはいるが、やはり詳しくわけを知りたかった。


「何か、こう、せざるを得ない理由とかがあればな…」


 そう半ば願うように口にしながら白封筒を開き、中身の確認をすると、そこには案の定手紙らしきものが二枚入っていた。

 折りたたまれた紙を白封筒と同じように見回すと、それぞれ誰が書いたかがわかった。


「えーっと、こっちはやっぱり母さんからだな。そんで、へぇ、こっちはミズキからか。…父さんからは無し、と」


 ミズキというのはタカキより十ほど歳下の妹の名前だ。歳が離れていることと、両親の考えによって二人が接触することはほとんどなかったのでミズキからの手紙をタカキは意外に思った。それと同時に父親からは何もないことに軽い落胆を覚えた。


「じゃあまずは母さんのから読むか」


 そう呟いてタカキはまず母親からの手紙を開いた。


「えーっと、なになに『あなたが高校を卒業したら引っ越すとお父さんが突然言い出したので引っ越します』…」


 ビリビリ


「っは!破っちゃダメじゃん。まだ続きがあるんだよ」


 あまりにもあんまりな理由だったのか、無意識に手紙を破り棄てようとしたタカキだったが半分ほどまでで気が付いた。また破りそうになることも無きにしもあらずだろと思い、さっさと先を読むことにした。


「えー、続きはっと…『あなた、就活してたでしょう?それでお父さん、これで一人でも生きていけるだろうからって決めちゃったみたい。五月に県外へ行くことになるし、ちょうどいいとも言っていたわ。あなたといると何だか嫌な気分になるというか、どうしても避けちゃうから悪いとは思ったけど、お互いのためにその方が良いと私も思ったの。あと、一週間後にはその家を完全に引き払う予定だから荷物を準備して早めに住むところを確保してね。一応、当面の生活費くらいはあなたの口座に振り込んでおいたから…お仕事頑張ってね。母より』」


 まさか自分の就活が今の状況を作り出す要因になっていたとは微塵も考えていなかったタカキは困惑していた。


「就活失敗したんだけど…」


 言ってなかったかな、と当時を思い出してみるも面接終了を言い渡された後の記憶がほとんど朧気で両親に伝えていたかどうか覚えていない。


「多分言えてなかったんだろうなぁ。はぁ…今更伝えてももう遅いし、仕方ないよな。いくらかは入れてくれてるらしいし、なんとかなるだろ」


 人生における理不尽とはそれなりに付き合いのあるタカキであるから、早々に現状を受け止めた。理由にいつも通り自分の行動が原因の一つとして挙げられていることで、いつもと一緒だと頭を切り替えることができたのだ。


「まあ母さんの方はこれでいいけど、問題はミズキだよなぁ。ほとんど接点なかったし、家にいる年上の人としか認識されてない気がしてたんだが。なんで手紙なんか置いていったんだ?」


 そう言いながらミズキからの手紙を手に取るタカキ。

 内容が全く想像できず、母親からのものよりよほど怖々とした様子で手紙を開いていく。


「『タカちゃんへ、みずきはタカちゃんの妹らしいです。しりませんでした。タカちゃんはしっていましたか?お母さんが手紙を書くと言っていたので、みずきも書くことにしました。でもなにを書けばいいのかわかりません。ピンチです。あ!またこんどあそびましょう!みずきより』…ふーん、ミズキって俺のことタカちゃんって呼んでたのかぁ…ほぉ、なるほどなぁ。…でもやっぱ兄とは思われていなかったわけね」


 八歳らしい拙い文字で書かれた手紙の中で、思わず判明した妹からのタカちゃん呼びと、実現できるとは思えないものの、遊ぼうという提案に少し嬉しくなってニヤニヤしだしたタカキである。

 しかし、兄として認識されていなかったのが堪えたのか、半ば無理やり思考を切り替え、軽く自室をぐるりと見渡して呟いた。


「これからのこと、考えないとな。一人暮らしは考えてたけど、まさか家族から放り出されるとは考えていなかったよ…はぁ。これは先生に相談してもいいはず…だよな?」


 なるべく頼らないようにしますと伝えたその日に相談したくなる案件が身に降りかかり、不可抗力とはいえすぐにエイルに頼ろうとする自身をタカキは情けなく思った。そして、タカキは軽くため息をつきつつエイルになんて伝えようかと頭を悩ませるのであった。

一週間を目処に更新したいなーと思っています。

メインヒロインちゃんの登場を心待ちにしてくれたら嬉しいです。

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