「9」
すずの正体
その時私の目前の桃井が物も言わずに吹っ飛んで床に倒れ伏した。
脇に控えていた陀権二体が吠え唸ると同時に、入り口に向かって進んだため、互いに衝突しよろける。
私から向かって右手の一体が、何かに突き飛ばされたかのように壁に衝突し、激突した壁が壊れてそのまま外へ木片と共に落下していった。残りの一体はそれを見てゴルッと唸ると体勢を立て直し、入口に向かってもう一度突進して行く。
だが突進して行った陀権は、陀権とは別の…聞き覚えのある、勇猛な雄叫びと共に、先の開いた壁から外へ放りだされた。
雄叫びの主は叫ぶ。
「南無三!恨みはねえが成仏しやがれッ!」
私もその人の名を叫んだ。
「あ…赤樫さん!!」
彼は肩で息をしながら不敵にニヤリと笑う。私も思わず笑顔がこぼれた。
「よかったご無事でしたかっ」
「さっき私は死なないと言ったでしょうが!」
そういいながら赤樫は、よろけて起き上がろうとする桃井の背中を踏み台にして飛び上がり、今度は住職めがけてとび蹴りを入れた。
住職はそのまま床に這いつくばる。
赤樫は剣を拾って住職の背に突き立てた。
「1度死んじまったアンタは、桃井達に油壺に漬け込まれて復活した!だから残念ながら油を吸っちまって火に弱い!死ににくい体ってだけで妖怪の出来損ないみたいになった挙句、不死になれずに残念だったな」
だが住職はもがきながら赤樫の言葉には全く耳を傾けず、絶叫している。
「すずぅうううだめだぁあああおまえはここにずっといなければああああ」
けれどすずは振り向かない。
余りのその奇妙な空気に私と赤樫が視線を合わせた瞬間…
銃声が響いた。
「う、あ」
「赤樫さんっ!?」
撃たれたのは赤樫。
撃ったのは桃井だ。
拳銃をもう一丁隠し持っていたらしい。
赤樫が、ドッと膝を地面に着いた。それをみて桃井はゲラゲラ下品な声を立てて嘲笑う。
「ざまぁないな!赤樫ィ!流石のお前でもピストルにゃ、敵うまい!ここが年貢の納め時だァ!」
「この…クソッタレ…!年貢の納め時だァ!?…それはっ…俺の文句だっ…桃井ッてめえだけは絶対許さねえからなぁっ!」
床に赤い雫がボタボタ落ちる。
私が駆け寄ろうと一歩踏み出すより先に動いた者がある。
すずだ。
さっきまで周囲の喧騒に無反応だった彼女が、スッと立ち上がり、赤樫の前に立つ。
手には水晶で出来た髑髏があった。
「それはっ…」
そうか、さっきの水晶の欠片はすべて組むとこの形になったのか。クリスタルスカルの存在は知ってはいたが、まさかこんなところでお目にかかることになるとは。
……すずは赤樫の前に膝を着いて、向かい合わせになる。私も彼女の後に続いた。
「お前っ…すず、だったか?一体どうするつもり…」
赤樫の言葉にすずはただコクリと頷くと、彼の腹の下に手と水晶髑髏を差し入れて、滴り落ちるその血を水晶髑髏の頭部へかけている。
「ああっ、すず、イカン、イカン」
その様子になすすべのない住職は、燃えながら悲痛に叫んだ。
その瞬間、バキバキと音を立てて部屋が崩れだす。
「なんだっ!今度は一体なにがっ」
叫んで赤樫は私の手をつかんで引き寄せる。
すずは血で赤くなった水晶髑髏を頭に乗せた。
……途端、すずの猿轡と目隠しが、ばらり!とはずれた。
彼女の目のあるはずの場所は暗い穴が開いていて、口の中も真っ黒い穴である。その黒い穴から
キーーーーーーン!と金属とのぶつかり合う音とも、獣の遠吠えとも似たような声が響き、それを機に部屋中のすべての黄金がどろどろと溶け出した。溶けた黄金はあっという間に彼女の周りに渦を巻きつむじ風のごとく回転する。
それらがどっと物凄い勢いで彼女の空虚な目と口に飲み込まれていった。
彼女の体は一度ぶわっと膨れあがり、彼女の着ている服も、肉体すらもすべて弾け飛ぶ。
爆発の衝撃から身を守るために上げた手をおろし、あっという間の惨事に頭が追いつかないまま目を開けて驚いた。
元々すずのいた場所に立っていたのは金色に輝く異形の女だったのだ。女の出現で住職を包んでいた赤い炎が更に燃え上がり、哀れ住職は断末魔と共に消え去った。炎は女の周りに集まって舐める様に踊る。桃井がガチガチと震えながら「化け物め!!」と叫んで拳銃を女に二発放った。
女の腹に二発が消える。
「やった!」
桃井が歓喜の声を上げる。女は不思議そうにその様子を眺めてから桃井に顔を向け、ニタリと嗤った。
「え」と桃井が小さく呟いた瞬間、女は長い下をねろりと出し、桃井に舌先を向ける。そこにあったのは弾丸だった。
「あ、ああ、嘘だろ」
桃井が震え声で女を見上げた瞬間女はもう一度その弾丸を口に含みプッと噴出した。
桃井の額には二つの穴をが空いた。
桃井はそのまま絶命したらしくドタリと床に倒れふして額から血を流したまま二度と動かなくなった。女はそれを見極めると桃井の首をそのまま毟り取って、炎に晒す。炎は肉を綺麗に舐め尽くすと、あっという間に白い頭蓋骨にかえた。
「ナニが、起きてるんだ」
さしもの赤樫の声も震えている。
「アレは一体ナニモノなんだ。寧ろ人なのか」
「あれは…」私も声が震える。「多分人じゃありません。あれは…」
私がそこまで言うと女はくるりとコチラを向いた。
笑顔である。獣のような美しい瞳だ。
「本物の…ダーキニー…」
彼女は更に笑顔を輝かせた。
荼枳尼天。
仏教においては辰狐王菩薩。貴狐天皇。
元はダーキニーと言う人を喰らう種族の出で射干や、狐に似た獣の野干を共につれたヒンドゥー教や東南アジアの荒ぶる女神だと言う。やがて仏教や密教に取り入れられ、羅刹、夜叉の位置を与えられ閻魔天の配下として発展した天女だ。
一時江戸時代、立川流と言う性愛妙技の怪しい外法が蔓延したことで、迫害された経緯もある。
「そんな女神がなんで俺等の目の前にいる」
「すず」
赤樫がえ?と私を見る。
「すずです。彼女はどうやらダキニの化身だった様です。いや、封印でもされてたのかな…確認の仕様もないですが」
ダキニは私の言葉に微笑んで頷くと両手を伸ばして来た。先程の桃井の様に首を跳ねられるのか?
悪くない。
私は微笑んだ。
彼女は私の顎の骨に沿って両手を添えると私の顔を上げた。顔が迫り彼女の唇が私の唇に触れる。唇がしっかりと重なった瞬間、全身に電気のようなものが駆け巡り、心臓が跳ねた。頭の中に金色の光が煌めく。
束の間。
彼女の唇が、手が、ゆっくりと離れ、もう一度ニコリと微笑んですぅっと私から遠ざかっていく。
そうしてふわりと宙に浮いた。けたたましく愉快な笑い声を放ち空を蹴る。彼女の纏う火炎が揺れながら、眼下の油壺のある場所を舐めた。火はあっという間に油壺に引火したのだろう勢いを増してすべて彼女の後を追う。彼女は焔の衣を纏って泳ぐようにあちこち飛び廻る。
その時「あれは」と赤樫が海を見た。
波間にぷかぷかと幽霊人間達が視得る。沖へ出てきたらしい。
「あの無気力な連中が泳いで来ただと」
その時ダキニも彼等に気付く。彼女はくるりと回転すると、幽霊人間達の所へ飛んでいく。
「どうするつもりなんだ」
ダキニは視得ない力で幽霊人間達を引き上げ、全員の首を跳ねて火炎で白骨にし、髑髏を首飾りにした。残った体から心臓を取り出し火炎にくべて溶かした。残った体も彼女の熱で全部灰になって、海に溶けていく。事を終え彼女は私達のいる高さまで上昇して私たちの直線上の空中に立つ。
彼女は金色の飾りと真っ白な頭蓋骨の首飾り赤や朱や黄金色に輝く炎の衣を纏って美しい笑顔でくるりと回転した。すると、何処からともなく白狐が一匹空を駆けて来て、彼女はそれにひらりと乗ると西に向かって飛んで行く。
調度太陽が、彼女を迎える様に真っ赤に燃えていた。
「10」へ続きます。