「8」
稲荷の小僧、油壺の中の油の正体を知る
私は少女を抱えたまま速足で階段を上る。
階段の壁は漆喰の白塗りで、幅はそこそこ広い。
あの陀権も通れる広さだろうと推測した。
今度は六段ごとの螺旋状になっており、六度回転して階段を登りきる。
「流石に…息があがるな」
目隠しをして私が見えないであろう相手にニコッと微笑んでみる。
心臓に負担がかかるのは目に見えてはいたが、ここではどうしても死にたくなかった。
兎に角、なんとかしてこの子を連れて逃げなければ。
目の前には扉。銀の鍵穴がある。鍵をポケットから取り出そうとポケットに手を入れたら、あの本堂の荼枳尼天の掌の水晶片がゴトリと下に落ちた。私はそれを拾うと
「少しの間持ってておくれ」とそれをすずに手渡す。
その瞬間、すずの体が、ふいに陸に上げられた魚の様にビクンとはねた。
「ああ、ごめんよ…。冷たいし重かったんだね?もう少しだけそれをもってておくれ」
そう声をかけるとすずは豊かな黒髪のおかっぱを揺らしてコックリ頷く。
扉を開けるとそこは、四方を金色に彩られた輝く部屋だった。天井は美しい五色の絵が幾枚も貼られている。贅の限りを尽くした風情だ。
部屋の最奥には今日見た中で最も美しい黄金の荼枳尼天像があり、その前にはすずに渡した水晶の欠片と同じ物が三つ並べられていた。回収されたものだろう。
私は扉を閉めて内側から鍵をかける。多少はアイツらの足止めになるはずだ。
部屋の左手側は障子張りの窓。開けると遠く海が広がっていた。白い岩壁を晒す崖、その上に海へと靡く大ぶりの枝の見事な松、爽やかな青空に、立つ白波の美しい紺碧の海。
一瞬、自分が何処に居るか忘れるかのような美しさだ。
さっきまでのは単なる悪夢なんじゃないか。こっちが本当の…と、ぼうっと外を眺めていたらすずが私の肩をポンポンと掌で叩いたのでハッと我に返る。どうやら下に降ろして欲しいようだ。
「す、すまない、ぼーっとしていた」
すずを下へおろす。
すずは荼枳尼天像の方へとことこ歩いて行った。
と、背後の扉がドン!と叩かれる。
「ここを開けろ!」
桃井の声だ。
どうやら鍵を持って来ていないらしい。私は一息吸って吐くと、扉の向こうへ向け声をかけた。
「桃井さん。あんた馬鹿ですか」
「何だと!?」
「あんた、まさか漆田様が私如きのために、金を出すと本気で思ってるんですか?私は単なる捨て駒ですよ?」
「何を言うか!お前は奴の貴重な手駒だろうが」
「冗談じゃありません。戦争にも出ない暗い納戸に棲む役立たずですよ?」
「いや、俺は知ってるぞ」
桃井は笑いながら言った。
「お前はな柏木、いうなれば、漆田の魔守札よ。奴を守護する、呪詛の篭った式神みたいなモンだろうが」
「大分買い被りますね」
「一族郎党死んで、漆田に買われた、稲荷の小僧のはお前のことだろうが!漆田はさんざん自慢していたからなァ!面白い化物を飼っていると。
…一つ!そう、お前がいると、人はお前の前ではその本性を晒さずには居られなくなる。そして、もう一つ!その、祓えの体質。お前を瘴気のある所へひとたび放りこめば、その悪夢の様な場所の空気が一変し、やがては崩壊すると聞き及んでいる!」
私は自嘲しながら答えた。
「ご主人様は本当に私を買い被ってたんですねぇ…。それでここにぶち込まれた、と。そういう訳ですかね。ハハハ、なんとも…なんとも…」
それを聞いて桃井は急に猫なで声になった。
「そうだ、だからな、お前は助かりたいなら素直に準じるがいいよ。お前を助けるためなら漆田は応じるのだよ。ことが成就した暁にはお前にも分け前をやろう。そして私の下に着けば良い、可愛がってやる」
「イヤです」
キッパリ言い切る。
「なんだと!?」
「主がそのように申していたのであれば、この悪夢を私に消せとの仰せと存じます。よって、殺されたとてあなたの言いなりにはなりませなんだ」
大きく息を吸い込み、叫んだ。
「よってその申し出、お断り申し上げる!」
「クソッ!」と怒鳴り声と共に扉を殴りつける音がして、桃井が粘つく声で言った。
「お前が言う事を聞かんならこの扉を壊すまでよ、やれ!」
桃井の合図で扉の向こうで何者かが思い切り拳を打ち付けてくる。
…陀権だ。
しまった、頭に血が上って奴の存在をコロッと忘れていた。これはもう完全に詰みだ。
ズドン!と一発。
ズドンと二発。
その回数が増え、ドン!ドン!ドン!が早くなっていく。連打しているのだ。だが相当頑丈なのか、扉は全く壊される気配はない。
この隙にせめて すずだけでもどこかへ逃がさないと、と振り向くと、すずがいつの間にかそばに来ており、私の手を引っぱって部屋の奥へと誘った。
彼女は黄金の荼枳尼天像のところまで来ると、像の宝珠を触っている。何かあるのを訴えたいのだ。
良く見るとそこに鍵穴があった。
そうか、これはここで使うのか。金色の鍵を出して、鍵穴へ差し込んで捻った。
荼枳尼天の持つ宝珠の蓋が開く。
中を見ると水晶の欠片が入っていた。
「まさかこんな所にあるとはな…。すず、探してたのはこれかい?」
すずは大きく頷いた。余程嬉しいのか頬が紅潮している。すずに手渡した所で扉が開いた。住職が追ってきて鍵を開けたらしい。
私は無言ですずの前に立つ。
「小僧!貴様!」
住職は私を威嚇した。
「その子から、すずから離れろ!」
私は身構える。
「その娘は特別な娘なのだ!返せ!」
すずは私の背後で何やらカタカタと組み立てている。水晶を復元しているのか。肝が据わってるのか空気が読めないのか。何れにせよ恐怖していなければ問題ない。
しかしすずの事を隠しきれなかった。
住職はすずが何かを組み立てていることに気付いたのか、ギャアアと奇妙な鳥の声で陀権に命令した。
「捕まえろ!そしてすずにあれをやめさせろ!」陀権が凄い速さで突進してくる。
その時、すずが荼枳尼天像の片手に持つ宝剣を素早く抜き取り、私に手渡してきた。
私が受け取ると今度はその宝剣の先を、指でスッと拭う。どういう仕組みなのか宝剣に炎が揺らめいた。
陀権たちはそれをみて怯む。
そうかこいつらも火が怖いんだ。体の中身は大層な油だから。これなら脅しにつかえる。私は剣を中段に構えた。何故か火を熱く感じない。幻なのか?どちらでもいい。
「この約立たずどもめ!」
桃井が陀権と住職を押し退けこちらへ向かって来た。
よもやとは思ってはいたがその手には拳銃が握られている。1発目が放たれたが弾は私に当たりはしなかったが、髪の毛を掠って奥の壁にめり込んだ。
本気で殺す気で来ているらしい。どうせ死んだとて実験台に使えるから、問題ないのだ。
残念だが私は弾が避けられる程、機敏ではない。間近で撃たれたらひとたまりもなかろう。
距離はもう1メートル程度に迫っていた。
「桃井さん」
咄嗟に声が出る。
桃井の足が止まった。
「殺される前に3つ確かめておきたい事があるんです」
「なんだ」
「こいつらが火に弱いのは油のせいですか」
「そうだ」
「あの油壺ァ…成分は一体なんなんです?」
ああ、と桃井は嗤う。
「あれはなぁ定めし、特定の人間達から長年かけて絞り出したもんだよ」
背筋に悪寒が走った。
「特定の人間…」
「そうだ、例えば…うん。お前みたいに、霊験あらたかな輩だなぁ」
「成程、それで私を殺したとしても無駄にならないって寸法ですか」
「昔から不老の妙薬の1つとして闇取引してたんだとよ…あちこちで。外法も色々あるが…これはなかなかどうして悪趣味だよなぁ」
そういう桃井の顔には呪われた先人達の残酷な所業に対する嫌悪感はみてとれない。
なんて奴だ。無性に腹が立った。
まぁあんな実験してれば同じ穴の狢なんてお察しだ。一瞬でも同情した自分に腹が立つ。
気を取り直し冷静を取り繕ってさらに聞いた。
「最後の質問です。幽霊人間達は戻せないのですか」
「戻すことはできん」
桃井の目が据わっている。
「だがあいつ等を変質させて、やり方さえ間違えなけりゃ不死の体の兵士が出来る」
吐き気がした。
その時、桃井を押しのけて住職が飛び込んでくる。
「すず!やめろ!それをやめないかっ」
「来るな!」
私は剣を住職に向ける。
けれど住職はそれどころではないらしい。お構い無しの様相で、口を開け、剣に噛み付いた。あっという間に住職の顔は火で包まれる。
考えてみればあの赤樫圧された相手。私如きが勝てるわけがない。剣は住職に毟り取られる格好になった。
「すず!!!!」
住職が私を押しのけすずに手を伸ばす。
「9」へ続きます。