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油壺  ~悪夢夜話シリーズ①~  作者: 犬神まみや
1/11

「1」 

稲荷の小僧、遣いを頼まれる。

 この話は昭和二十年の記憶である。

 日本は世界巻き込んで長く続いた太平洋戦争の渦中。


 世の中が悲惨な現状のさなかにあると言うのにそんなものとは無縁のまま、私はまるで深海に棲む魚か何かのように、東京の奥底の片隅に潜んでいた。


 都内一角にある巨大な日本家屋の蔵の中を根城にして天井近くまである本棚に治められた蔵書と日がなにらめっこするのが仕事であった。


 そも。この頃の私が他の若者の様に徴兵に借り出されないまま済んだもっぱらの理由は、もとより心臓が弱いせいで体のあちこちが脆弱にできているという理由もままあるが、恐らく私の主である男の威光が大きい。


 男の名は“漆田源三”といい、その都内の一等地を有するほどの金持ちの上に、今で言う障害者や私のような病弱な人間を沢山雇うので、近隣の人間からは大層奇妙に思われていたようである。

その上なんの仕事をしているのか近隣の者ならず私もろくろくまともに知らない有様だから、世間から遮断された世界であったのは本当だ。


 私の主には奇妙な癖があった。

一日一度はこの暗い蔵の連なる敷地へやってきて、私を探し出すと毎日同じことを私に問うのだ。


「柏木、お前はこの戦、どう思う?」

私はそれに対し、おしなべて必ず同じ答えを述べる。

「私の中ではこの暗がりと等しいといったところです。道は暗い様に思えます。ですが、あの高窓から差し込む一条の光、私の手元を照らすランプの様に灯りや標はあるのではないかと」


そうか、と主はニヤリと笑うと、扉を閉めて去っていく。


これが私の日常のワンシーンだ。

意味が解らないと思われそうだが本当にこれだけ。


 その日常がある時とうとう崩れ去る日が来た。


 忘れもしない。

昭和二十年三月九日。

私は主に呼び出され、こういわれた。

「柏木、お前に遣いを頼む」

「どちらへ」

「島だ」

「島…」

「ここからそう遠くない。小さい離れ小島だ。そこの軍の施設の軍医で桃井という男がいる。

 過去、印籐先生に師事した男だ。その男へ私の蔵書を2~3冊届けてくれ」

「かしこまりました」


 私は会釈をして部屋を出ようとして、足を止めて「一つだけ」、と顔だけを向けて主に尋ねる。

「今回の一件は…先日いらした海軍の水野義人様と何か御関係が?」


 主はちらっとこちらを見るとニヤリと目だけ笑って言った。

「そういうところだ、柏木」

 主は椅子から立ち上がると窓の外を見る。

「柏木、お前のそういう点と点を結び、線にする力をゆめゆめ忘れる事なきよう、

 心して今回の仕事をこなすがいい」

 私は主の方を向き直った。


「旦那様」

「最後の質問をしよう。柏木よお前の意見を聞かせよ」

「ハイ」

「柏木、お前はこの戦、どう思う?」

「はあ…」

 私は目を閉じて答えた。そしてまぶたの裏に揺れるイメージを語る。

「私は暗がりを出てしまいました。その為いつもどおりのお答えが出せません。

ただ…人を導くための光や炎が…暴れる。そんな気がいたします。

相変わらず…意味の解らない抽象的な言葉で申し訳ありません」


「いや」主は笑った。見たこともない様な笑顔であったがすぐに真顔に戻った。

 そして私に背を向け窓の外の空に目を向け、言う。


「……行け、柏木」


 私はその命を受け、主に頭を深く下げ一礼すると、すぐに身支度して館を後にした。


 館を出ると主やこの屋敷全体の主治医の印籐先生が立っていた。

「柏木君」

「印籐先生、私は暫く屋敷を空けねばならなくなりました。旦那様の事を何卒宜しくお願い申し上げます」

印籐先生はうん、と頷いて、くれぐれも無茶をするなよと涙ぐんで私に何かを握らせる。

手を広げてみると水晶で出来た小さな宝珠の根付である。

「豊川稲荷で願をかけたものだ。お前さんにあげよう。どうか無事で行って来なさい」

「印籐先生、そんな永久の別れじゃあないのですから…」

 私が先生の手を握りかえすと彼はその手をまじまじと眺め言った。

「それはそうかもしれんが、ワシャお前さんが本当の孫子の様でな…。大声じゃ言えないが普段あんな暗い本の森で静かに暮らして

いる、そんなに体も強くない子を…突然物騒な軍の施設なんぞに行かせるなんぞ…心配でならんのだ」

「ちらと聞き及びましたが、その施設の軍医への御遣いで、その方は印籐先生のお弟子さんだとか」

先生はうむと頷き、何か一瞬言いかけたが、また視線を手の甲に落とし言った。

「面倒な事を…まさか君にお鉢が廻るとは…なにかあったら一番に自分の身を守るんだぞ」


その手から何かじわりと彼の不安が流れ込む。


「解りました」


 その時軍部からの迎えの車がやってきて

「漆田先生の所の柏木だな?」と声がかかった。

「左様で御座います」

「乗れ、駅へ連れて行く」

 私は頷くと先生の顔を覗きこんだ。

「では先生、行って参ります」

 医師はうむ、と涙声で私の手を名残惜しそうに離した。


 移動する車の窓の外に目をやって一瞬見慣れた周辺の建物が全て焼け落ちて崩れている様に視得て、ゾッとした。

一度の瞬きでその幻覚は消える。


 私は先生から貰ったその小さな水晶の宝珠を見つめる。

先生の泣き顔が思い起こされて、なんだか自分も泣けてきた。


 汽車に乗り揺られて行く海の上。

そこまで距離はないが陸橋になっている。

遠くに別の島を繋ぐ汽車が陸橋を渡るのが見えた。快晴。窓を開けると風が心地好い。

客を乗せる車両と物資を運ぶ車両には、私以外には誰もいない。上等な車内だ。

何度か見かけたあの出兵する者たちを送る何両もの鮨詰めの車両が嘘の様だ。

そういえば駅だって軍部専用の一般人が立ち入れない場所にあった、まさに軍専用のものだったな、と思う。機関車そのものをよく上層部に取り上げられなかったものだ。鉄が足りないとあちこちから徴収していると噂で聞いて、素直に嫌な話だと思った。


 自分は太平洋戦争の始まる前に漆田に拾われて以来、何一つ不自由はしていない。

おおっぴらにはいえないが戦争に巻き込まれるよりは暗い蔵に籠もっている方が到底マシである。

戦争へ駆り出されれば殺し合い云々にならず一番最初に死ぬ類の宿命は目に見えている。


そういえばその気持ちを言い当てたのは、水野義人という人であった。

海軍の嘱託員だとかで、不思議な目をした青年だった。ひょろりとした高身長で、顔の長い男だ。

その日主に言われて、蔵書庫から数冊本を取り出して来ると、廊下でたまたまその水野某とすれ違ったのである。

彼は私の顔をみるなり突如「そこな君」と呼び止め、言った。

「うん、君は軍人には向いておらん。戦争なんざ行かないが宜しい」と呟かれた事がある。

私はにわかに眉を潜めたが、彼は続けて言った。

「だが、君は他の者と違う。奇妙な運命を辿ってここにいる。成程、漆田さんの言う稲荷の小僧とは君の事だな」

「どうしてそれを」

 私は息を呑む。

「どうしてって」

 水野某は人差し指で顎をぽりぽりかいて言う。

「顔に書いてある」肩をすくめた。


 “稲荷の小僧”


 子供の頃。もとより稲荷守をしていた私の家の隣にある神社で、日課でお参りをした際、社脇の小さな稲荷の祠に悪餓鬼に閉じ込められた事がある。

子供1人が入るにも狭いその祠に長い事封じ込められて、おんおん泣いていた所を、助け出してくれたのが漆田源三であった。

その後、流行り病で身寄りを亡くした私を唐突に引き取ったのも漆田だ。

引き取られて以来、私は漆田に頼まれて、蔵書庫の中で延々と彼のコレクションを読み続け、時折本の内容とその意見を聞かれて答えると言う奇妙な仕事を任された。


「人にはアレだよ…それぞれくっついてる運命があるけれども、君のそれァ…ちょっと見た事がない」

 水野氏は私の手を突然取ると、掌を食い入る様に眺めすかしてから、首を傾げてううんと唸ると言った。

「ある意味君のお役目は戦争とは全く違ったモンじゃあないかしらん。今まで見た事もないものこんな…」

 首をぐるりと一度回し、私を見据える。

「こんな読めない寿命」


「!?」

「ああ、気を悪くしないでくれ。死滅でも生存でも説明がつかん。理解不能だなこりゃあ。なあ君、この戦争が終わって、お互い生きていたらば、どこかでまた会おうじゃないか。君のその後が知りたい、どうも僕も特殊な宿命にあるが君ほどじゃあない」

 面白いものをみた、と水野氏は私の肩をぽんと叩くとフハハと笑いながら去っていった。


 なんでそんなことが今思い出されるんだろう。

「奇妙な話だ」

ポツリ呟き私は肘をつくと、ついでに溜息もついた。


 その瞬間、ボォウ!!と強い汽笛の音が鳴り、私は音に釣られて窓の外へ少し顔を出す。

眼前に灰色の真四角にも見える大きな建物がある。

窓が少ない。気味が悪いなと思ったが、まぁこの荷物を届けてさえしまえばすぐに引き返せると手の中の鶯色の縮緬の風呂敷をそっと手で撫でた。

「2」へ続きます。

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