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ものの数秒で王城にたどり着く。人間にはあり得ないことを彼は平然と行った。白い壁と赤く尖ったメルヘンチックな城。頭の回る王と大層美人な女王、女王に似た美しい姫と産まれたばかりの王子。王族であることを鼻にかけず、位の低い者にも手を差し出すほどのお人好しは、この光景をどう見ているだろうか。屋根に静かに着地して、秋雨は冷めた眼で城前の広場を見下ろした。沢山の民が叫び、逃げ惑う。中には重装備をした者もいた。秋雨の見立て通り、魔法人は誰一人殺すことはしなかったようだ。しかし、医学の進歩によって痛みという感覚を忘れてしまった科学の民には擦り傷ですら絶叫するほどの痛みらしい。広場は混乱と絶望が入り交じっていた。王族たちが手を出さないからと立ち上がった民衆たちが目の前で倒れていっている。王は、女王はこの光景をどう見ているのだろうか。絶望か、後悔か、怒りか、はたまた一筋の希望か。興味があった。彼は下階のテラスへ下り立ち、窓を殴り割った。そこにら王の家族と、一人の魔法人がいた。その魔法人は秋雨を見るなり、
「おぉ!来たか、秋雨!!」
と、声を掛けてきた。アニルだった。秋雨はチラリとだけそちらを見て、すぐに王の方に頭を下げる。
「お久しぶりです、王。」
「…あぁ。」
王は疲れたような、悲しいような光を眼に宿していた。何度も民を止めようとしたのだろう声は掠れ、何時もの凛とした強さはそこにはない。女王の瞳にも同じような光が宿り、幼い王子をしっかりと抱き締めていた。その足元にはまだ幼い姫がしがみついている。
「私は、宮水家より魔法人を殺すよう命令されています。しかしどうやら、王はそれを望んでいないようだ。如何しましょうか。」
宮水は秋雨の両親、そして兄の名字。王は、 殺す と言う単語に目を見開き、秋雨が言い終わると告げた。
「殺してはいけない!我々は戦いを望んで要るわけではない!止めてくれ、夏海。この騒動を。」
第一優先事項は王の命令。この国で生きている限り、逃れられない"常識"。
「手段は。」
「任せる。」
秋雨の口元が、歪んだ。まるで、楽しく遊べる玩具を見付けたように。
「御意。」
秋雨は振り返る。アニルの顔を見て、それからまた王の顔を見る。興味を持った輝く瞳と希望に満ちた明るい瞳。似たような光でも全く違う。そして、その瞳に宿した希望の光は秋雨の放った一言で絶望の闇と化する。
「久々の、食事ですし。」
言った瞬間、秋雨の足元に幾何学模様が浮かんだ。翠のような、藍のような、様々な光が折り重なり合い、溶けていく。色と言う概念が溶けていくように。その中心で、秋雨は姿を変えていった。黒い耳と太い尾、身体が毛で覆われ、四足歩行の勇ましい獣になる。大きな牙と、鋭い爪はまるで人間を喰らい尽くすためにあるようだ。
「魔獣!!」
アニルが笑みを浮かべて言い放った。魔獣とは約100年前の戦争中に現れた獣だ。知性がなく、戦場に躍り出て人々を喰い殺していった。重症を負いながらも逃げ帰った者によると、科学の力でも魔法でも太刀打ちできなかったという。歴史上最大の人間の脅威。
「醜いな、人間は。」
低く、芯の通った声は恐怖さえ覚える。王は頭を下げ、そして懇願した。
「どうか、誰も殺さないで頂きたい。我の民だ、大切な民なのだ!」
先程の命令とは一転した言葉。そんな王を見上げる。赤く、血のような瞳の中に泣きそうな顔の王が映った。
「腹が減った。お前らを皆殺しにしても、足りない。」
王は、膝を折って地に額を擦り付けた。
「誰一人として殺さないでくれ、この通りだ!」
冷たく見下ろす秋雨は、一つ欠伸をした。