僕の秘密の旅
「僕を膨らませてごらん」
僕の手の中でぺったんこの赤い風船がそう言った。赤い風船には簡単な目と鼻と口がマジックペンで書かれていて、驚くことに僕の目を見て風船はそう言った。
僕は不思議な気持ちで風船に口をつけて思いっきり息を吹き込んだ。風船は僕の息で少し膨らんだかと思うと、みるみるうちに自力で膨らみ始めた。
「さぁ、乗って!」
そう言われて、僕は更に膨らんでいく風船に飛び乗った。気球のように大きく膨らんだ風船は、屋根を越え、高く高く上っていく。鳥が隣を飛び、やがてその鳥さえも越えて風船はぐんぐん高度を上げていく。
「うわぁ、すごいね!」
それはまるで気球の上にでも乗っているようで、ゆっくりと時間をかけながら僕を空の世界へ連れていってくれた。
やがて風船は雲と並び、家や車はアリのように小さくなった。
「どうだい。空の世界は気持ちいいだろ?」
と、風船が自慢気に言う。
「うん!」
嬉しくなってそう言うと、風船は楽しそうに言った。
「よぉし、じゃあもっと驚かしてやるぞ。隣を見てみて」
言われるがまま右隣をみた僕は、雲が突然形を変え始めるのを見て目が離せなくなった。雲はふわふわした綿のような姿から徐々に渦を巻くようにして集まり始め、やがて真っ白な天馬へと姿を変えた。
「うわぁ!ペガサスだ!」
「あっちにはドラゴンだっているぞ!」
左隣を見てみれば、大きな翼を羽ばたかせ、口から炎の代わりに白い雲を噴くドラゴンの姿があった。
かと思えばドラゴンの噴いた雲はまた渦を巻き、小さなウサギ達へと姿を変えた。ウサギ達は僕の頭の上を跳び、風船の下を駆け、自由に空を走り回っている。
「すごいね!雲ってこんなにすごいものだったんだ!」
「そうだぞ。空っていうのはこんなにすごいんだ。ただ、こうやって不思議な空の旅に出られるのは僕と飛んだときだけなんだ」
風船は穏やかな波の上を進むようにゆったりと上下しながら進んでいく。
「君は不思議な風船なの?」
「そうだよ。本当は、本の中の想像の世界にいるはずだったんだけど、間違えてその世界から出てきてしまったんだ。でも見かけだけだとただの風船だから、誰にも拾われずに道に落ちてたんだ。そんな僕を拾ってくれたのは君だけだよ。だから、君に素晴らしい想像の世界を見せてあげようと思ったのさ」
僕の乗った大きな風船は少しずつ小さくなり、いつの間にか雲は僕の頭の上になっていた。少しずつ少しずつ、分からないくらいゆっくりと風船は小さくなり、先程まで米粒のように小さかった建物や車はいつの間にか普段みているのと同じ大きさに戻っていた。
高さは屋根よりも低くなり、僕は風船から飛び降りるように地面に足をついた。なんだかまだ空にいるみたいに体がふやふわする。
風船は宙で大きく円を描くようにしてしぼんでいき、やがて萎れた葉っぱみたいに手の上に落ちてきた。
「僕は大人に見つかると力を失ってしまうんだ。大人はこんなことありえないと思っているから、僕は生きていけないんだ。でも、君が僕に息を吹き込んでくれたら何度でも空へ連れていくよ」
風船はそう言って僕にウインクしてくれた。僕は嬉しくなって風船の目をじっと見た。
「じゃあ、見つからないように息を吹き込まなくちゃね」
そう言って僕も風船にウインクした。大人には言えない。友達にも言わない。
そう、これは僕達の秘密の旅だ。