お盆
早朝、山からはセミの鳴き声が沢山聞こえていた。それでも、まだ風に涼しさが感じられた。青年はリュックに荷物を詰めていた。軽い登山の準備。まずはこの時期必須の水。水筒は重量がかさむのでペットボトルに入れてある。二リットルのやつを二本、うち一本はまるまる凍らせてあった。それから途中で食べるつもりの軽食の入った弁当箱一つ。帽子にタオルも必要。クマよけの鈴に、この時期は藪や雑草が凄いから、それらをかるための鎌もと…。
それから肝心なものをとな。線香とお供えの花もだった。
山登りになぜそんなものが必要なのか?それは、ただの日帰り山登りではなく、ご先祖様の墓参りなのだからだった。青年のご先祖は何を考えたのか、山の上にお墓を作っていたのだった。しかも百メートル級くらいはあるじゃないかという、そこそこの高さのある山だった。車で上がれる道でもあればよかったのだろうが、無いのだからこうやって登山の準備をしているのだった。
前日、青年の父親は、
「父さんな、ちょっと腰を痛めてるから、今年はお前一人で行ってくれ」
と言った。
「一人で、って俺何年ぶりに行くと思ってんの?」
「ああ、そこは大丈夫だから」
「大丈夫ってあんな獣道みたいな…」
「ああああ、そこんところだな、全部父さんが整備したから…」
「道作ったのかよ」
「まあそんなところだな。大工事だったぞ。がっはっは」
青年の父親はよく笑う。
「それでお父さん腰を痛めたのよ」
母親はあきれたように言った。
夏と言え、早朝の風はやはり涼しく感じられた。山の方から吹く風は特にだった。
「墓参りなんて久しぶりだな」
山の中腹まで来て、少し休もうかと思った時だった。急だった道が少しばかり平らになっているところに出くわした。その道端には腰かけるのにちょうどよさそうな石がベンチ代わりに置かれていた。それには明らかに人工的に置かれた風があった。
「まさか、親父がこんなもんまで作ったのか…」
腰を下してリュックからペットボトルを取出しながら呟いた。
「そりゃ腰を痛めるわけだわ」
親父の苦労を頭に思い浮かべながら水を飲み、一息ついた。
山中からセミの鳴き声が聞こえていた。
最後に俺が墓参りに行ったときは、ずいぶん荒れた道だったように思うが、今はずいぶんときれいなもんだった。ちょっとしたトレッキングコースと言えるくらい整っていた。
「観光客でも呼ぶ気か…」
その時突然、草むらから音がしたかと思うとなにやら動物が飛び出した。
「わっ!なんだ。タヌキ?!」
夏毛のせいなのか、頭の中のイメージにあるようなモフモフした感じとは程遠く、ガリガリに痩せているように見えた。一度こちらを見たかと思ったら、すぐさま草むらへ姿を消した。
「後もうちょい…」
木々が生い茂ってはいるが、太陽はほぼ真上くらいに来ているのが分かった。今日も汗が噴き出てくる暑さだった。
不意に周囲が開けて、真夏の昼の日が降り注いだ。眩しさに思わず目が眩んだ。明るさに慣れて見渡すと背の低い薄い塀に囲まれた一角が目に入った。先祖代々のお墓のあるところだった。
お墓の目の前の木々はきれいに伐採されていた。そこからは、遠くに海が見えた。この景色は今までの記憶には無かった。何の変哲もないような景色だったが、何となくいつまでも見ていたくなるような景色だった。
「親父がこの景色見えるようにしたのか…」
青年は無事に家に戻り、夜は両親と食卓を囲んだ。
「うちのご先祖は海が見えるところに墓をつくったんだよ」
「でもわざわざあんな高い山の上に造らなくても…」
「いいじゃいか。きっと昔の人は暇だったんだろう。現代人は忙しいからな、はっはっは」
父親はビールを一口飲んでから続けた。
「でも、いい眺めだったろう」
「まあ、そうだね」
「じゃ、俺が墓に入った後は引き継ぎを頼んだぞ」
「えっっ、まじかよ。墓は麓に移そうかな…」
「おいおい、そんなこと言うなよ」
食卓には笑い声、外では鈴虫の鳴き声が聞こえていた。