壁の向こう
【壁の向こう】 担当 空
オレは、走った。
オレは、桜がムチャをして、変なおっさんにつかまるところを見ていた。気が気じゃなくてあれこれ叫んだけど、もちろん声は届かなくて、どうにかしなきゃと全力で走った。
どうして、どうやって見てたかっていうと──それはちょっと、説明に時間がかかる。
壁の向こう側に来てしまったオレは、もう、ただただおどろいた。もとの場所に戻らきゃってことは、思いつかなかった。そんなことふっとぶぐらいの、衝撃だったから。
壁の向こうは、ハゼたちの暮らしてる場所とは、ぜんぜんちがってた。
外ですらなかった。
なんていうのがいちばんわかりやすいだろう──そう、ハゼたちのいるところが「ファンタジー」なら、こっちは「SF」って感じだ。
オレらの世界ですら見たことのないような、例えば宇宙モノのアニメで見るような世界が、広がってた。
床も、壁も、天井も、ぜんぶが銀色でぴかぴかしてる。照明のたぐいは見当たらないのに、すげえ明るい。ムダなモノは一切ないって感じの、いやにすっきりとした空間。
まっすぐに、道が延びてた。両側には、扉みたいなのが等間隔に並んでて、そういう意味じゃプティのいる城に似てる。扉を開けてみる勇気はなかったから──というかドアノブが見当たらない──オレはひたすらまっすぐ歩いた。
ずっと同じ景色だから、どれぐらい歩いたのかわからない。そのうちに、だだっぴろい空間に出た。ちょっと学校の体育館にフンイキが似てるかも。ただ、その真ん中に、でかい柱みたいなのがひとつ。
行き止まりかと思って見わたすと、オレが出てきたような道が、あちこちに伸びてる。ずいぶん広いみたいだ。
「……なんだこれ」
オレは、柱を見上げた。柱っていっても、天井まであるわけじゃない。ツルッとした、銀色の塔。
おそるおそる、手を伸ばしてみた。ピッと電子音が聞こえて、あわてて手を引っ込める。
ごちゃごちゃっと音が聞こえた。よくわかんなかったけどたぶん、なにかをいわれた。
そのまま、反応ナシ。もう一度、触ってみる。
今度は電子音は聞こえなかったけど、やっぱりなにか声がする。外国語っぽい。
「わっかんねーよ」
思わずつぶやくと、ピッとまたあの音がした。
『承認シマシタ』
急に、声が日本語になった。機械的な声だ。うたがいようもなく、柱から聞こえた。
「……しゃべった……」
おどろいたけど、でも触ってしゃべる機械っていうのは、オレらの世界じゃ珍しくもない気がする。ただ、オレの日本語に反応して日本語に直ったってのはすごいけど。
……日本語?
待てよ、ここって異世界ってやつだろ。日本語があるってことは、日本があるのか?
それとも、似てるけどちがう世界、とか?
『区域ヲ指定シテクダサイ』
区域ってなに。指定しろっていわれても。
「えっと……もとの世界に戻りたいんだけど」
ダメもとでいってみた。しばらくの沈黙。
『区域ヲ指定シテクダサイ』
流された。
わからん。パソコンみたいに、ヘルプ機能とかないのか?
「わからない! 困った! えーと……教えて! 使い方を教えてください、ヘルプ!」
いろいろいってみた。すると、ピッとまたあの音。なにかに反応したらしい。
フォン、とそれこそパソコンの電源を入れたときみたいな音がして、目の前に画面が現れた。画面っていうか、映像が映し出されたような感じだ。なにもないところに、文字が一気に表示される。
学校にある、ビデオを白い布に映すやつ、あれを布じゃなくて黒板にそのままあてちゃったときみたいな、そういう感覚だ。ただ、それよりもずっと見やすい。
思わずうしろを見たけど、映写機みたいなのがあるわけでもない。
やっぱり、SFだ。すげえ。
「……なんかいっぱい書いてある」
文字を読もうとした。日本語だ。読めないわけではなさそうだけど……
「フリガナ! フリガナよろしく」
いってみると、ちゃんと漢字にフリガナがつく。いいな、こんなの欲しいな。
どうやら、いくつかの項目があるみたいだけど、それぞれに長々と説明がついてて、正直読む気がしない。目を細めてまじまじと見ていると、上の方で、チカチカと点滅している文字があることに気づいた。
『新しい記録があります』って書いてある。その横には数字が並んでて、日付だろうと思うけどいつなのかはわからない。
「じゃあ、新しい記録を読む」
すると、画面が切り替わった。
『ここを訪れた者へ──』
そんな一文で始まっていた。
『ここを訪れた者へ──
ここにいるということは、おそらくあなたは人間なのだろう。
もしもあなたがビースルであり、そしてビースルの地を愛しているのならば、この先を読んではいけない』
オレはここでひるんだ。
読んではいけないって。そんなこといわれても、気になる。
オレは結局、続きを読み始める。
『私は、別の世界より呼び寄せられた、別の世界の人間だ。過去にも類例があったというから、未来にもあるのだろうと信じ、この記録を残す。
私は、ビースルを、ビースルの暮らしを、愛している。この穏やかな暮らしを波立たせるべきではないと考える。
しかし、偶然に、壁の向こうへ来てしまった。そして、知ってしまった。私はこのことを、ビースルの良き友人たちに伝える気はない。しかし、記録として、ここに残しておく。
このことを伝えるか伝えないかは、いまこれを見ているあなたに託そうと思う。というのも、私ひとりの胸にしまっておくには、あまりにも大きな事実だからだ──』
オレは、すべてを読み終えた。
長い長い文章だったけど、休憩もなしで、一気に読んだ。
放心して、その場にすわりこんだ。
ずいぶん長い間、そうしていた気がする。ふと、桜はいまどうしてるだろうと考えた。
とにかく、もう、帰ってしまいたかった。
このままこっちの世界にいても、それまでのように、無邪気に楽しめる気はしない。
「……帰ろう」
とりあえず、ハゼたちのところへ帰ろう。それから、桜を迎えに行こう。
立ち上がり、顔を上げると、あんまりほっといたからか、いつのまにか最初の画面に戻っていた。たくさんの項目のなかの、『観察する』という文字が目にとまる。
そうだ、きっと、ここから見ることができるんだ。
そもそも、そのために、これはあるんだから。
「観察する」
心は変に静かだった。もう、緊張はない。
オレの声に反応して、画面がすぐに切り替わった。壁と、その内側の森に囲まれた、丸い景色が映し出される。城はすぐに見つけることができた。中央にある、大きな建物。
ビデオで撮影するときみたいに、城にズームしていく。ぐんぐん城が大きくなって、壁を通り越して内部を映す。
まず、プティの部屋を見た。プティが寝ているだけで、桜の姿が見えない。
妙な胸騒ぎがした。画面の切り替えをくり返して、桜を探す。
プティの部屋からそう遠くないところで、見つけた。けど、やばいことになってた。
えらそうなおっさんに、桜が食ってかかって──
──それからオレは、全速力で来た道を戻って、あの高い白い壁をためらわずに触った。思ったとおり、来た時みたいに急に開いて、わかってたはずなのに勢い余って、向こう側につんのめる。
バランスをくずして、よろめいたまま壁を越える。ふり返ったら、どこが開いたのかわからないくらい、いまここを通ってきたってのが信じられないぐらいに、あたりまえに壁がもとどおりになってた。
オレが特別だなんて思えない。人間が触れば、開くようにできてるんだ、きっと。
森のなかだから空はほとんど見えないけど、なんだか薄暗かった。けっこう長い時間、向こう側にいたみたいだ。
「──ソラ! だいじょうぶかっ?」
道じゃないところから急に声がして、オレはびくりとした。出てきたのがティーアだとわかり、胸をなでおろす。どうやら、ずいぶん敏感になってるみたいだ。それどころじゃないってのに。
「ソラ!」
ティーアのうしろからハゼも出てきて、オレに飛びついてきた。もう、ほとんど泣きそうな顔だ。っつーか、目が赤いから、たぶん泣いたんだ。
「よ、良かったよ……! もしかしたら、サクラを置いて先に帰ってしまったのかと……急に、消えたから……」
涙声になってる。そんなに心配かけてたのか……一度戻って、それから探検したほうが良かったかもしれない。悪いことしたな。
「ごめん」
とりあえずあやまった。いくら相手が男でも、泣かれたらあやまるしかない。
「まさか、壁の向こうに行っていたのか」
ティーアが、固い声で聞いてくる。からだのあちこちに葉っぱなんかがついてて、必死に探してくれてたってことがわかる。ハゼが連れてきたんだろう。
「うん、オレにもよくわかんないけど、壁に触ったらすり抜けたみたいになって……気づいたら、向こう側に行ってた」
「ニンゲンに、会ったのか」
オレは、正直、返答に困った。けどティーアがこわい顔をしていたので、首を振る。
「会ってないよ」
ティーアがほっとしたように見えた。ハゼのほうは、むしろ残念そうに見える。
いや、そんな話をしてる場合じゃないんだった!
「それどころじゃないんだ、サクラが変なおっさんに捕まった。いそいで城に行かないと」
「サクラが?」
二人がそろって、きょとんとする。
「サクラも、向こう側にいたの?」
──ああ、そうか! そうなるのか!
どうやって説明したもんかな……くそ、こんなとこで時間食ってる場合じゃないのに。
「ティーア、頼む! オレを城に連れてってくれ。くわしいことはいえないけど……とにかく早く行かないとやばいんだ。お願いだ!」
ティーアは、じっとオレを見た。心の奥までのぞかれてるような目だ。そらしちゃいけない。オレは、まばたきもしないで、見返す。
「……わかった」
「ありがとう!」
オレはティーアの手を両手で握りしめた。あれだけニンゲンを毛嫌いしているティーアが、オレを信じてくれてるっていうのが、たまらなく嬉しかった。
「サクラが大変なんでしょう? ぼくも行くよ」
ハゼもそういってくれた。なんだか、胸の奥がじんとした。
そうだ、ニンゲンとかビースルとか、関係ない。こうやって、だれかを信じて、信じられてってこと、向こうの世界にいたときにはなかったような気がする。なにかに必死になることも。
二人は、オレを捜すために、ここまで馬で来ていた。オレはティーアのうしろに乗っかって、ぐっとからだをひっつけてしがみつく。こわいとかいってられない。
「とばすぞ!」
馬が走り出す。目を閉じて、ひたすら手に力を込めた。そうしていないと、振り落とされそうだった。
*
城の裏口から入って、こっそり静かにとかいってられなくて、オレは先頭をきって全力で走った。来たときと、戻るときにも通ってるから、迷うことはない。
フードを押さえながら階段を駆け上り、プティの部屋の戸を思い切り開ける。開けてから、なかに世話係でもいたらやばいなって思ったけど、いらない心配だった。
プティが、ベッドの上でぼんやりとしていた。もともと顔色は良くないけど、それにしても真っ青だ。
「プティ! 桜は、どうした?」
あせりから、怒鳴りつけるような声になる。プティが驚いてこっちを見た。遅れて部屋に入ってきたティーアが、オレを追い越してプティに駆け寄る。プティは、はらはらと泣き出していた。
ハゼが、オレの背中にそっと触れた。落ち着いて、と声をかけられ、ちょっとだけ我に返る。
べつに、プティを責めたいわけじゃない。どうせあいつのことだ、オトナぶるわりには考えなしだから、ひとりで勝手に突っ走ったんだろう。
「い、いくら呼んでも、いないのです……わた、わたくし、サクラを怒らせました……! わたくしが、あんな話をしたから、出て行ってしまったのです……!」
しゃくりあげながら、どうにかこうにか声になったって感じだ。要するにケンカしたってことか。女はくだらないことでケンカするもんな。クラスの女子もそうだ。
「どんな話をしたんだ? あいつ、白い服の偉そうなおっさんにつかまったんだ。心当たりあるか?」
オレの言葉に、プティは目を見開いた。そこから一気に涙があふれ出して、なにかをいおうとしてるけど声にならない。
心当たりがあるって顔だ。そこだけ説明してくれりゃ、それでいいのに!
「白い服……というのは、まさか神官服か? めったなことをいうものではない。そのようなことはありえない」
プティの背中をさするようにしながら、ティーアが不機嫌そうにいってくる。神官服? それを聞いて、ピンときた。
見たことあると思ったんだ、あの顔。最初に城に来たときにすれ違った、あごひげ!
「そうだよ、あのえらそうなおっさんだよ! どこにいるんだよ!」
オレだって説明しなきゃ伝わらないのに、感情ばっかりが先走ってしまう。こんなこといったって、わかるわけないってのに。
「ソラ、これ」
ひとりだけ冷静な声で、ハゼがオレを呼んだ。オレはいらいらしながら、そっちを向く。
ハゼは、ノートを手にしていた。ピンクの水玉の、趣味の悪いヤツ。
「──! 貸して!」
奪い取るように受け取り、ページをめくる。算数の式が途切れた次のページに、丸っこい字でなにやら書かれてる。
読み終わって、頭がくらくらした。
あいつ、こんな危なっかしいことに首突っ込みやがって──!
「シューケルトってヤツんとこに、案内してくれ。サクラはそいつに捕まったんだ」
文字を読んだことで、いくらか落ち着いた。いいながら、息を吐き出す。
ティーアとハゼが、コワイ顔でこっちを見た。プティは、ただ泣きじゃくってるだけだ。
「シューケルト様って……最高位の神官様だよ?」
「ニンゲンだということが、ばれてしまったか……あれほど注意しろといったのに」
話が伝わらない。ああもう、イライラする!
「ちがうのです」
涙をぬぐいながら、震える声で、プティがいった。
「わたくしが、いけないのです。サクラはなにも、悪くない……」
「あんたさあ!」
八つ当たりのような気もしたけど、止められなくて、オレはプティをにらんだ。
「なにもできませんって顔してるけど、あんた一応お姫様だろ? そうやってずっと泣いてるつもりかよ。突っ走った桜はバカだけど、あんたよりずっとマシだ。あんた結局、いいなりのお人形さんだもんな」
「ソラ!」
ティーアが手を上げて、オレは身をすくめる。
「やめなさい、ティーア!」
鋭い声が、それを止めた。見た目からは想像できないぐらいの大声だ。
目の前でいわれたのに、それがプティの声だってことが嘘みたいだ。プティは、両手で涙を拭いて、その手を頬にあてた。すうっと息を吸い込んで──
──パアン、と乾いた音がした。
プティが、自分の両頬を、自分で叩いていた。
青白かった顔が、みるみる赤くなる。でも、涙は止まっていた。
「ティーア、わたくしを、シューケルトのもとへ連れて行ってください。ソラとハゼも、ご同行願います」
年下とは思えない、しっかりした声だった。
ティーアが目を見開いて、それからひざまずく。オレとハゼも、うなずいた。
「わたくしには、責任があります。このままではいられません」
「──あ、待ってください! なら、せめて……」
思いついたように、ハゼが布袋を探る。小さなビンを差し出した。
「飲んでください。少しですが、楽になるはずです。ラ・ディオス様の教えに背くことだとはわかっています、けど……」
プティは小さく目を見張った。それからすべてを承知したように、うなずいた。
部屋を出る前に、オレはハゼに、ひとつだけ聞いた。
ニンゲンがおこなった、「やってはいけないこと」っていうのはなんだったのかって。
「ニンゲンは……進化するために、自分たちの身体に手を加えたんだ。ナイフを入れていじくって、ヒトではないものを組み込んで、高みに登ろうとした。それは、ぼくらの考え方では、禁忌なんだよ」
──なら、ハゼたちは自分たちの歴史を知ったら、なんていうだろう?