ワルモノ
【ワルモノ】 担当 桜
お城で暮らし始めて、一週間。
お城の暮らしって、すごく優雅なのを想像してたけど、現実はぜんぜんそんなことなかった。
そりゃ、わたしは内緒でここにいるんだから、しょうがないけど。だれも来ないときはいいんだけど、だれかが来たらずっとベッドの下に隠れてなくちゃいけなくて、これがけっこう大変。
しかも、なんだかんだで、ちょこちょこ人が来る。プティのお世話をするメイドさんみたいな人とか、お掃除をしにくる人とか。あと、おどろいたのは、病気の人が部屋までやってくるってこと。
最初にお城に来た日に廊下ですれちがった二人のおじさん、あの人たちは身分の高い神官様みたい。その二人と、ほかにも同じような白くて長い服を着た人たちに連れられて、病を患っているって人がときどきやってくる。
そうするとまず、一番えらそうな、長いひげの神官様──シューケルト様って呼ばれてた──が、長々とお話を始める。ラ・ディオスっていう、神様のお話みたい。それが終わったら、プティが病気の人の頭に触る。それだけ。
そうすることで、病気が治るんだって。プティは、自分にはそんな力はないって悲しそうにしてたけど。こっちの世界には、病院とか薬局とかはないみたい。ビースルの考え方の根っこが、「自然にゆだねる」ってことだから、手術とかなんとか、手を加えて治すなんてのは、考えられないことなんだって。まあでも、プティが触ってくれることで治っちゃうなら、それってすごいことだ。
あ、そうだ、気づいたことが一つ。
何人かのビースルを見てて、わかった。ネコみたいな耳がくっついてるのはプティだけで、ほかはみんなウサギの耳みたい。ハゼとティーアが姉弟だからいっしょってことじゃなくて、ふつうは、ウサ耳ってことなんだと思う。きっと、王様の血を引いてるビースルだけ、特別なんだろうな。
「サクラ、そろそろ昼食です。気をつけておいてくださいね」
わたしがプティの部屋のものを物色しながら楽しんでいると、そう声をかけられた。そういえば、さっきお昼の鐘が聞こえてきた気がする。
ここでは、わたしたちの世界みたいにみんなが時計を持ってるわけじゃなくて、城の係の人が時間を管理して、鐘を鳴らして教えてくれる。
「またベッドの下ー?」
しかたないってわかってるんだけど、ついつい不満が口をつく。プティは困ったように笑った。
「もうしわけありません。ですが、だれかに見つかって大変なことになるよりは」
「うん、わかってる。ごめんね」
あやまってほしいわけじゃなかったから、こっちがごめんっていう気になっちゃう。
年下だと思ってたけど、プティも九歳、わたしと同じだった。病気だからか、見た目は華奢で幼く見える。でも、口を開けば、わたしよりもずっと大人びてる。
です、ます、で話すのやめてっていったんだけど、これしか知らないから難しいってことで、結局そのままだ。なんだか、変な感じ。
わたしはおとなしく、ベッドの下にもぐりこんだ。
「今日のお昼ごはん、なにかなー」
ベッドの下からそういうと、上からプティの笑い声。なんて楽しそうに笑うんだろう。
ちなみに、わたしの食事は、ぜんぶティーアが持ってきてくれる。外で買ったっていうかんたんなものばかりだけど、けっこうおいしい。
とんとん、とノックが聞こえてきて、わたしは息をひそめた。
「どうぞ」
プティが静かにいうと、戸が開く気配。いつものお姉さんが、失礼しますと声をかけて、しずしずとトレイを運んでくる。わたしからは足しか見えなくなって、上でなにやら物音。テーブルをセットしているんだろう。
ふしぎなもので、だめだめって思ってると、なんでだかせきとかくしゃみとかしたくなっちゃって、わたしは両手で口を押さえて必死にこらえてた。いつもこうだ。
おかげんはいかがですか、とか、今日はいい天気ですよ、とか、いつもとたいしてかわらない言葉をいくつか投げかけて、お姉さんが出て行った。しばらくそのままがまんして、プティから許可が出るのを待つ。
「サクラ、もうだいじょうぶ」
「いーいにおい!」
わたしはベッド下から抜け出して、思わず思い切り空気を吸い込んだ。だって、ものすごくいいにおいがしてきてる。とってもおいしいにおい。
今日の昼食は、焼きたてパンと……野菜のスープかな?
「ティーア、まだかなあ。わたしのお昼はなんだろう」
カーテンの裏に隠してあったいすにすわり、ベッドに頬杖をついて食事をながめる。
おなか空いたなんて思ってなかったけど、見ていたら一気に空腹になってきた。
「今日は遅いですね。なにかあったのでしょうか」
「ティーアだってお仕事があるんだもんね……隊長さんだっけ」
お仕事の合間をぬって、わたしにごはんを運んでくれているんだ。文句はいえない。
「いいよ、プティ、食べてよ。冷めちゃうよ」
こんなにじーっと見られてたら食べづらいだろうなと思いながらも、そういってみる。プティは、もうしわけなさそうな顔をした。
それでも、プティの手がスプーンを握る。わたしはそれを目で追った。
おいしそうだな……。食べたいな。一口ちょうだいっていったら怒るかな……そんなことばかりが、頭のなかをぐるぐると回る。
実は、一度ちょうだいといって、強い調子で断られたことがある。だから、それからはおねだりなんてしなかったけど。
「ね、ちょっとだけ、もらってもいい?」
やっぱりがまんできなくて、聞いてみた。プティは、ふだんめったに見せないような険しい顔をして、わたしはすぐにしまったと思う。
「これはだめです」
ぴしり、と一言。
おもしろくない。
「一口だけ。そのパン、ひとかけらだけ」
食い下がる。だって、お姫様の食べるパンなんて、いまを逃したら食べる機会なんてぜったいない。
それに、ずいぶん仲良くなれたと思ってたのに、こうやって断られるのはなんだかさみしかった。だからわたしは、ムキになってた。
「もーらい!」
軽い気持ちで、パンをつかんだ。そのまま、口に運ぼうとする。
「サクラ!」
ばしん、と手を叩かれた。
パンがベッドの上で一度跳ねて、床に転がる。
わたしは、なにが起こったのか、理解するのに時間がかかった。
すごく大きな声だった。
思い切り、手を叩かれた。
怒るというよりも、ただただびっくりしてしまう。いまのは、ほんとうに、プティがやったの?
「死にたいのですかっ?」
プティは震えていた。ものすごく怒っているように見える。
けど、やっぱりわたしには、よくわからない。死にたい? お姫様の食事を横取りしたから、殺されるってこと?
わたしが目と口を大きく開いたまま、わけがわからずにぽかんとしていると、プティが息を吐き出した。
首を左右に振って、頭を抱えるように額に手をやる。
「……ごめんなさい。どうかしておりました。ただ、お願いです、わたくしの食事を食べたがるようなことは、やめてください」
冷静にふるまおうとしてるけど、やっぱり声が震えてる。
泣いているのかと思って、顔をのぞきこんだ。長い髪に隠れた顔は、とてもつらそうだ。
「ごめん……そんなに、いけないことだとは思わなくて」
あやまったら、わたしが泣きそうになってきた。
きっと、すごく悪いことをしてしまったんだ。
「ごめん」
二回目のごめんが、涙声になる。プティがあわてて顔を上げた。
「ちがうんです! ただ、わたくしの食事は、危険なのです。もしも毒物が入っていたら、大変なことになってしまいます。わたくしには、サクラを無事に帰す義務がありますのに」
……どくぶつ?
ますます、わけがわからなくなった。
死にたいのですかって、そういうこと?
「ど、毒が入ってるの?」
プティは、両手で口を押さえた。しまったいっちゃった、って感じだ。
「いえ、あの……そういう可能性も否定できないということです」
「どういうこと? プティ、だれかに命を狙われてるの? え、でもプティは、ふつうに食べてたよね?」
もう、頭のなかははてなマークだらけだ。
そうだ、プティはパンだってスープだって食べてた。なら、毒なんて入ってないってことになる。
「ええ、わたくしは……だいじょうぶなんですが」
「なんで?」
体質のちがいとか、そういうの?
わたしはもう、ちゃんと説明してくれるまで、引き下がるつもりなんてなかった。そのままじっとプティを見る。
プティは、わたしから目をそらしてたけど、しばらくして、あきらめたように話し始めた。
「わたくしの両親は──つまり、前王と王妃ですが──二年前に、亡くなっております」
「……ん?」
話が飛んだ。なんでそうなるの?
ご両親がもう亡くなってるっていうのは聞いてたから、わたしは別におどろかない。おどろいたのは、この話題の飛びかただ。
「こんなこと、憶測でいってはいけないというのは、重々(じゅう)承知しております。サクラだからいうのです。世間知らずの娘の世迷いごとと思っていただいてかまいません」
難しい言葉で前置きが入る。わたしは辛抱強く、続きを待つ。
「……わたくしは、父様と母様は、殺されたのではないかと、思っています」
「ええ?」
すっとんきょうな声をあげてしまった。
「こ、殺され──って、だれに? え、でも病気だったって……」
「お元気でした。急なご病気で、お亡くなりになりました。お二人ともが、です」
ぴんときた。
つまり……
「……毒物、で?」
いつかテレビで見た歴史物で、大統領暗殺とか、もっと昔に偉い人が殺されたとか、そういうのをやっていた気がする。
こっちの世界でも、同じなんだ。
「なんの証拠もありません。憶測です。そして……これこそ憶測ですが、そのころから、わたくしの体調も急に悪化しました。食事のあとが、特につらいのです」
「──! じゃあ、なんで食べてるの?」
プティは、瞳を伏せた。
「憶測だからです」
「はあ?」
もう、おどろきすぎておかしくなりそうだ。
「それでも、おかしいと思うなら、食べなければいいのに!」
「こんなこと、だれにいえますか? 自分でも理解しているのです。わたくしは、父様と母様を失ったショックで精神を病み、このような妄想にとりつかれてしまっているのだと」
プティはすごく冷静だった。自分のことなのに、ひとごとみたいに、淡々(たん)とそういった。
そりゃ、もちろん、気のせいかもしれない。気のせいのほうがいい。
けど、毒が入ってるかもって思ってるのに、なんで食べていられるの?
「そうだ、プティのパパとママのことだって……元気だったのに、急に病気で死んじゃったんでしょ? プティが変だって思うぐらいなら、ほかにもおかしいと思った人、いたんじゃないの? ティーアとか、ハゼだって」
わたしは、あたりまえにそう思った。けどプティは、とてもさみしそうな顔をした。
「ご存じでしょう。いまのわたくしのように、以前は父様と母様が、病人に触れて病を取り除いておりました。あるとき、神官がラ・ディス様のお声を聞いたのです。あまりに多くの病を取り除いたために、数多の病人たちの身代わりとなり、父様と母様の身が病におかされると。そしてそれは、決して治ることはないと」
なんだかむずかしいことをいった。わたしは、一生懸命その意味を考えた。
ラ・ディオス様っていうのは、こっちの世界の神様のことだ。神様が、プティのパパとママが死んじゃうっていって、その声を神官さんが聞いた。
……でも、ということは……
「プティはそれ、ぜんぜん、信じてないんでしょ? ほかのみんなは信じたの?」
「だれも、ラ・ディオス様のお声をうたがうことはありません。それは、ここでは大変な罪になります」
そうか……そりゃ、そのラ・ディオス様っていう神様と、プティたち王族を信じてるからこそ、病気になったら治してもらいにくるんだもんね。
「けど、プティは信じてないんだ」
プティは、あいまいに首を動かした。
「もちろん、ラ・ディオス様のお声は、信じるべきだと思っております。けれど、病については……逆にいえば、それをうたがうことができるのは、わたくしたち王族だけなんです。わたくしは、自分に病を取り除く力などないのだろうと思っております。それは、父様や母様も、同じでした」
「……ええ?」
なんだかおかしな話になってきた。
自分にそんな力はないっていってたのは、謙遜とかじゃなくて、ほんとうにないってこと?
「ちょっと待って、待って」
考える時間が欲しくて、両手を開いて待ったのポーズをする。
つまり、どういうこと?
「……ええと……こっちの世界では、病気になったら、基本的にはなにもしないで寝てるんだよね。けど、それだけじゃ治らないようなときに、高いお金を払って治してもらいにお城にくる。プティは、病気を治すために、病気の人に触る。わたしも見てたけど、触ってもらった人は、すごく感謝して帰ってく…………けど、それじゃ、病気は治んないってこと?」
「治らないのだろうと思っています。事実、亡くなったかたたちもたくさんいらっしゃいます」
「じゃあ、なんでみんな来るの?」
プティは答えなかった。でも、その悲しそうな顔を見て、わかった。
みんなが信じてるからだ。プティや、プティのパパやママにそういう力があるって、信じてるから。
きっと、うたがうなんてことしないんだろう。もしもうたがったりしたら、罪になるってことだ。
「変!」
わたしの感想は、その一言に尽きた。
変。ぜったい変。おかしい。
まるごと信じてうたがわない人たちもおかしいし、力はないって思いながら、それを続けるプティも変。神官さんたちもみんな変。ついでに、そのラ・ディオス様っていうのも変。
そこまで考えて、あ、と思いあたった。
そうだ、病を治す力がないから、プティのパパとママがそんな理由で死ぬわけがないって話なんだ。
ってことは、ラ・ディオス様がうそをいった?
ううん、ラ・ディオス様っていうのは、実際にいるひとじゃないんだから、その声を聞いたっていう神官がうそをついてる?
そうだ、きっと、そういうことだ。
「その神官に殺されたんだ……」
口に出すと、よほどおそろしいことに感じられた。でも、わたしのこの考えが、まちがってるなんて思えなかった。
だって、プティはいまからだが弱っていてお仕事ができないから、王様としてのお仕事は神官が代わりにやってるんだっていってた。あの、長いひげのいちばんえらい神官──たしか、名前はシューケルト。
そうだ、きっと、あいつだ。
王様と王妃様を殺して、この国でいちばんの権力者になって……さらに、プティの食事に毒を入れて、プティを病気にしとく。そうすれば、ずっとシューケルトがトップにいられて、やりたい放題だ。
「憶測です」
わたしの考えていることがわかったのか、プティがぴしりといった。たしかに、こんなことをいいだして、もしちがってたら大変なことになっちゃう。それは、わかるけど。
でも、なんだか、納得いかない。
変なことばっかりだ。
「とにかく、憶測でもなんでも、ここに運ばれてくるごはん、食べちゃだめだよ。ティーアならきっとわかってくれるから、ぜんぶ話して、プティのぶんも買ってきてもらおうよ。ここのは、こっそり捨てて、食べたことにして」
「できません。……いったでしょう、これはわたくしの、妄想です」
なんだか、いらいらしてきた。
どうしてそうなっちゃうんだろう。わたしでもおかしいってわかるのに、プティにわからないはずがないのに、どうしてそのままにしていられるんだろう?
「こわいってこと?」
ちょっとトゲのあるいいかたになった。プティは、答えない。
「自分で動くのが、こわいってこと? ぜんぶを自然にゆだねるって、いいことみたいに聞こえるけど、プティのは、まるでぜんぶあきらめちゃってるみたい。おかしいってわかってるのになんにも変えないなんて、そんなの、かっこよくもなんともないよ」
いい始めたら、止まらなくなった。プティはわたしから目をそらす。
「サクラにはわかりません」
かっとなった。そりゃ、お姫様の苦労なんてわかんないけど──
「わたし、わかんないし、わかんなくていい。プティを信じたまま死んじゃった人たち、きっとたくさんいるんでしょ? プティがあきらめないで動いてれば、なんとかできたかもしれないのに。それって、だましてるってことじゃん! ごはんだって、毒が入れられてるかもとかいいながら食べ続けてるのって、それって結局、いいわけにして逃げてるだけなんだ。妄想とかいうのだって、そうやって自分をごまかしてるだけで──」
いいすぎだっていう自覚があったけど、でも止まらない。
「そういうの、いくじなしっていうんだよ。そうやってずっとベッドに寝てるだけで、ぜんぶ知ってるのになんにもしない。自分なんて死んでもいいって思ってる? いまだって、死んでるのとほとんど変わんないじゃん!」
さすがに、あっと思ったけど、もう口からぜんぶ出てしまっていた。
プティが、だまってこっちを見てる。こわいくらいに無表情だ。
でも、ごめんって言葉が出てこない。だんだん、わたしはおかしなことなんてひとつもいってないっていう気になってくる。いいかたはきつかったけど、でもまちがってない。
だって、おかしい。おかしいっていうのは、ぜったい、本当だ。
「……そうかもしれません」
ぽつりと、プティがつぶやいた。そのまま、それ以上食事には手をつけないで、ベッドに横たわってしまう。
わたしは、自分から話しかける気にはならなくて、だまったまま、部屋のすみっこに移動した。
それから、どれぐらいの時間が経っただろう。
鐘の音が、何度か聞こえてきた気がする。わたしの感覚では、午後二時とか三時ってとこかな。プティは、眠ってしまったみたいだ。
わたしは、いろんなことを考えてた。
思えば、こっちに来てから、じっくりなにかを考える時間なんてなかった。いつも近くにだれかがいたから。お城での時間だって、プティとのおしゃべりはぜんぜん尽きなくて、話しているうちに時間は過ぎていった。
ママは、心配してるかな。
パパだって、仕事から帰ってきたらわたしたちがいなくて、どう思っただろう。夜遅くに帰ってきて、わたしたちが寝ている部屋をいつものぞいてるの、知ってる。まぶしくて、ときどき目が覚めちゃうからいやだったけど、いまはぜんぜんいやなんて思わない。
警察とか呼んで、誘拐だって大騒ぎかな。
ママ泣き虫だから、泣いてるかな。
……なんだか、泣きそうになってきた。考えないようにしてたのに、こんなに静かだと、どうしても考えちゃう。
きっと、帰れる。だいじょうぶ、だいじょうぶ──
わたしは、急いで首を振った。考えてもしょうがないことは、考えちゃだめだ。
そうだ、ちがうことを考えよう。
わたしはカバンからノートとペンを引っ張り出した。プティが話してくれたこと、わたしがそうにちがいないと思ったことを、できるだけていねいに、書き出していく。
書き終わって、考えた。
そもそも、わたしたちはどうしてこの世界に来たんだろう。
偶然?
このまま、なにもしないで帰るのかな。マンガやゲームの主人公たちみたいに、なにか大きなことをしたいってわけじゃないけど……それでも、プティの話を聞いちゃったのに、それを知ってるのはプティとわたしだけなのに、なにもしないままで?
「……なにか、できることがあるかもしれない」
気づいたら、声に出してつぶやいてた。
プティが寝てるのを確認して、お城に来たときみたいに大きな布を頭からかぶって、てるてる坊主になる。使えそうな物をポケットに入れて、そっと部屋を出た。
赤いじゅうたんの、長い廊下。外の光は入ってこなくて、壁に点々としてるろうそくだけじゃ、ちょっと薄暗い。でもその薄暗さが、いまはありがたかった。
きっと、夕食の準備をしているころだ。プティの料理になにかを混ぜてるって証拠があれば、プティだって考えを変えるはず。もちろん、毒なんて入れてないかもしれないけど……でも、それならそれで、安全だって確認ができるなら、結果オーライだ。
キッチンは、一階かな。わかんないけど、学校の給食室だって一階だから、きっとそう。来るときにはずいぶん階段を登ったはずだから、まずは階段を探さなきゃ。
お姫様の部屋があるような階には、なかなかだれも来ないのか、人影はぜんぜんなかった。最初に来たときも、すれ違ったのはあの神官たちだけだから、そういうものなのかもしれない。
しばらく歩いて、やっと階段を見つける。でも、階段を見下ろして、ためらった。
「……せまい……」
しかも、隠れるところがない。もしだれかとすれ違ったら……こんなこどもが一人でうろうろしてたら、ぜったいに呼び止められる。
でも、プティは、ときどき町のこどもをこっそり呼んでるっていってた。神官たちも知ってるふうだったし……そうやっていえば、だいじょうぶかな。
わたしは息を飲んで、急いで階段を下りた。でも、すぐに階段が途切れてしまう。もっと長かったと思ったけど、ちがう階段を下りちゃったのかな。
もう戻ろうかな、と思った。迷子にでもなったら、どうしようもない。
「──あ!」
廊下の向こうに人影が見えて、あわてて階段の影に隠れる。白い、だぼだぼの服を着てた。たぶん、神官だ。
部屋から出たところみたいだった。おそるおそる、顔を出してみる。
白いうしろ姿が、遠ざかっていく。よかった、こっちに来るんじゃなくて。
戻ろうか、それとも進もうか──ちょっと考えたけど、ここまで来たんだから、手ぶらでは帰れないっていう思いが勝った。わたしのなかではもう、神官はみんな「ワルモノ」だ。あとをつけたら、なにかわかるかもしれない。
意を決して、廊下に出る。でも、すぐに後悔した。
「おや、迷子かな?」
うしろから、少ししゃがれた、低い声。聞き覚えがある。
わたしは完全に固まってしまった。ふり返る勇気もない。
「姫様のところへ来たのでしょう。一部には暗黙の了解があるとはいえ、良く思わないものも多い。すぐに戻りなさい」
優しい、おだやかな声だった。でも、わたしはこの声を知ってる。長い長いお話を、何度も聞いた。
顔だってすぐに思い出せる。長いあごひげの、ちょっとこわそうなおじさん。
いちばん偉い神官だ。名前は、シューケルト。
いきなり大正解なのか、それともいちばんの悪いクジを引いてしまったのか、よくわからなくて混乱する。だって、わたしの考えでは、この人がプティのパパとママを殺した張本人なのに。
「……場所がわからないのですか?」
動かないわたしをおかしいと思ったのか、さっきとはちがう声で聞いてくる。ふり返るべきなんだろうけど、こわくてできない。このままじゃ、怪しまれちゃう。
「だ、だいじょうぶです」
なんとか、声だけ出した。もう、本当のことをつきとめるとか、そんなのはどこかに行ってしまっていた。
とりあえず、この場から離れなきゃ。
わたしは、顔を見られないように──考えてみれば、顔を見られたってどうってことはないんだけど──うつむいて、さっと階段に向き直る。そのまま登ろうとして、とんでもないことに、段につまずいてしまった。
「わわっ」
よろめく。とっさに、フードを押さえる。
わたしの腕を、シューケルトがつかんだ。ささえてくれたんだけど、その冷たさにぞくりとする。
「部屋まで案内しましょう。どうも、あぶなっかしい」
これが、わたしが疑っている人でなければ、素直に嬉しい申し出だった。けど、もう完全にありがた迷惑というやつで、困惑してどんどん頭に血が上っていく。
「だいじょうぶです! ほんとに、ひとりで戻れます!」
フードを押さえて、下を向いて早口でいう。こんなの、フードの下に見られたくないものがあるっていってるようなものだ。
でも、考えと行動が一致しない。
わたしは、シューケルトの手をふりほどくようにして、階段を駆け上った。もう、逃げるが勝ちってやつだ。
「待ちなさい」
強い調子で、呼び止められた。
最初に、校長先生みたいだって思ったけど、ぜんぜんちがう。だって、校長先生はもっと優しい。シューケルトの一言で、ほんとうに、動けなくなる。
ゆっくりと、階段を登ってくる気配。あの長い服をひきずる音。
頭のなかが真っ白になった。
もう、だめだ──!
「好意は受けるものです。ラ・ディオス様がお嘆きになりますよ。案内しましょう」
そういって、シューケルトがわたしを追い越す。いいかたは優しいけど、逆らうことなんて許さないって調子だ。
そうか、お城のなかを勝手にうろつくなってことなんだ。問題にでもなったら、困るのはわたしだけじゃないってことだ。
「……姫様にも困ったものだ」
小さな、ほんとうに小さなつぶやきだった。
自分の客を勝手に出歩かせて、って意味だったんだと思う。でも、わたしにはそれが、とても腹立たしいものに聞こえた。
わたしのなかの引き金を引くには、その一言でじゅうぶんだった。
「どうしてですか」
敵意丸出しの声になった。さっきもそうだったけど、どうやらわたしは、一度スイッチが入ると止まらなくなっちゃうタイプみたい。こわいなんていうのはどっかにいっちゃって、立ち止まって、目の前の大きな背中を見据えた。
シューケルトがふり返る。
「……どうして、というのは?」
「プティがお城にこどもを呼ぶのは、さみしいからです。ずーっとベッドの上から動けないからです。それなのにどうして、あなたが、そんなことをいうんですか」
完全にけんか腰だ。それが伝わらないはずもなく、わたしを見下ろすシューケルトの目が険しくなる。
「どうして、わたしが、いってはいけない?」
やめとけばいいのに、わたしは続けた。
「だってあなたが、プティに毒入りのごはんを食べさせてるのに!」
しん、となった。
まるで廊下いっぱいに、わたしの声が響いたみたいだった。
シューケルトの目が、一瞬強ばった。たしかに、動揺した。でもすぐに、ばかにしたような目になる。
「世迷いごとを」
受け流されるのかと思った。そういって、鼻で笑ったから。
でも、次の瞬間には、わたしはシューケルトに腕をつかまれ、そのまま抱き上げられていた。
「きゃっ──」
口もふさがれて、悲鳴が声にならない。抵抗もむなしく運ばれて、たくさんある部屋のうちのどこかに入る。
扉を閉めて、カギをかけ、それからわたしを放り出した。
部屋のなかを見る余裕はないけど、放られたのにおしりは痛くなかった。客室みたいだ。じゅうたんが敷かれている。
「世迷いごとであっても、そのようなことを吹聴されるのは、好ましくありませんね。嘆かわしい」
刺すような目で、シューケルトがわたしを見下ろす。
でもその様子に、わたしは確信していた。やっぱり、こいつがワルモノだ。
だって、正しいことをしているなら、動揺したりしない。こうやって、わたしを捕まえたりする理由がない。
わたしは、かえって気が大きくなっていた。もう、ここまできたら、いいたいことをぜんぶいってやる──!
「プティのパパとママを、殺したでしょう。わたし、ぜんぶ知ってるんだから」
ふしぎと、声も落ち着いていた。シューケルトは、無表情のまま、少しだけ眉を動かす。
「最近のこどもというのは、平気でそういう発想をするのですかな。毒を盛る、殺す、などと、恐ろしい」
「恐ろしいのはそっち」
わたしはシューケルトをにらんだ。いいたいことは、すらすらと口から出た。
「神様の声を聞いたなんてうそついて、ヒトゴロシして。プティに毒を盛って弱らせて、権力握ろうとしてる。それに、病気のひとたちもだましてお金ふんだくってる。ラ・ディオス様ってのが本当にいるなら、罰を受けるのはそっちなんだから!」
「おまえはだれだ」
急に、シューケルトの声が低くなった。口調まで変わる。顔も、さっきまでの顔とぜんぜんちがう。すごく冷たい目。
わたしは答えない。でも負けたくなくて、目だけはぜったいそらすつもりはなかった。
顔をしっかり見ようというのだろう、シューケルトが、わたしのフードに手を伸ばす。わたしはもう、受けて立ってやろうって気になっていた。だから、フードがはずされても、身じろぎしなかった。
「ばかな……ニンゲンだと……!」
シューケルトが、目を見開く。やがて、さもおかしそうに笑い出した。
なにがおかしいの。こっちは、真剣なのに。
「なるほど、ニンゲンであるなら、呪われた思考にも納得がいく……! だれも現実に見たことのないニンゲンなど、もうとうに滅びたかと思っていたが……そうか、すべてをいいあてたのがニンゲンというのは、おもしろいな。私は本当はビースルではなく、ニンゲンであったのかもしれぬ」
気持ち悪いぐらいの笑顔だった。目を細めたままで、膝を折る。
「ニンゲンのお嬢さん、あなたならおわかりでしょう。私の向上心は、あなたがたに近しいものだ」
わたしは、こっそりと、ポケットを探った。だいじょうぶ──落ち着いてやれば、まちがえない。
「認めるんだ、あなたがやったってこと」
そっと問う。にたりと、シューケルトは笑った。
「当然だ。愚かな前王と王妃を殺し、姫に毒を盛るという偉業、私以外に、だれが為せるだろう」
偉業、っていった。
わたしには、それが許せなかった。
こんなやつが、人間に近いだなんて、どうかしてる。
「それで、貴様はどうする? そのことを、触れ回るのか? そんなことをしても、気が触れたこどもだと、哀れみを受けるだけだが」
そうだ、この先を、考えてなかった。
どうしよう。ひょっとして、口封じとかされるのかな。それだけはいやだ。
わたしは、頭をフル回転させて、どうすべきかを考えた。マンガやゲームの主人公は、こういうとき、どうするんだっけ? だれかが助けに来る? ──それじゃだめだ、なんとか機転を利かせて、この場を切り抜けないと。
でも、わたしの不安そうな顔が、まるごと向こうに伝わってたみたいだった。シューケルトはおかしそうに肩を震わせる。
「この国では、ひとの死すら、ラ・ディオス様のお導きだ。終わりのときまで、そうして考えているといい、勇敢なお嬢さん」
「……!」
くやしいことに、わたしはなにもいい返せなかった。