森のなか
【森のなか】 担当 空
お姫さまの相手は桜にまかせて、オレはまたハゼのところに戻ってきていた。
あんなきらきらしたところは苦手だったし、やっぱりプティ相手じゃなんか緊張する。話し相手が欲しいってことだけど、そんなの桜でじゅうぶんだろ。オレがいたって、たいした話はできない。
オレだけもどるっていったら、ティーアは不安そうにしてたけど、でも頼み込んで連れてきてもらった。いっしょにいるなら、だんぜんハゼのほうがいい。
そんなわけで、桜とは別々(べつ)に過ごし始めて……もう、一週間ぐらいになるかな。こっちの生活にも、それなりに慣れてきていた。
「ソラ、準備はいい? そろそろ行こうか」
ハゼが、いつもどおり大きな布の袋を肩からさげて、オレを呼んだ。オレは、壁にひっかけてある布を取って、頭にかぶせる。その下にリュックもしょって、準備オーケーだ。
「今日はちょっと遠くまで行くから、パンを持っていこう」
そういって、食料庫からパンを持ち出し、布で包んで袋に入れる。最初は味気なく思ったけど、自家製だっていうパンはなかなかおいしくて、この世界で一番気に入ってるものはって聞かれたら、オレはパンと答えるかもしれない。しかもこれ、ハゼが焼くんだ。すげえ、オレにはぜったいムリ。
ハゼの仕事というのは、この辺りの森のパトロールらしい。町ではなく、わざわざ森の入り口に住んでいるのは、ティーアと二人、「守人」としての役割が与えられているからだとか。ただ、ハゼは、安全なところを見て回り、おかしなところがあったらティーアに報告するという役回りらしいけど。
その話を聞いて、オレは毎日、ハゼにくっついていっしょに見回りをすることにした。家にこもっててもつまんないし、うろうろしてれば、公園で見たような入り口を見つけることができるかもしれないからだ。
「壁のほうまで行くから、けっこう歩くよ。ソラ、平気?」
ハゼの家を出て、森のなかを歩き始めてすぐ、心配そうに聞いてくる。オレは苦笑いした。
「だいじょうぶ。もう、歩くのもだいぶ慣れた」
最初は、ちょっと歩いただけで──ちょっとっていうのは、ハゼの基準でのちょっとだけど──もう息があがってつらかったけど、もうだいぶ慣れてきていた。考えてみれば、向こうにいたときは、そんなに歩いたことなんてなかったんだ。塾だって、帰りは母さんが迎えに来てくれてたし、ちょっと距離があるところでも、電車やバスがいくらでもある。
向こうに帰ったら、もう少し歩くことにしようかな。
他愛のない話をしながら、オレからしてみればどう進んでるんだかわからない森のなかを、どんどん歩く。ハゼの頭のなかには、このあたりの地理は完全にインプットされていて、モンスターの出ない道を選んで進んでいるらしい。
出ないっていっても確率の問題で、出たら逃げるしかない、ってことらしいけど。できれば、出会いたくないもんだ。
どれぐらい歩いただろうか。そのうちに、白い花畑にたどりついた。
「ここって……」
見覚えがある。大きな花と、丸い葉っぱ。
「どうしたの? ちょっと、休憩する?」
「いや、そうじゃなくてさ。こういう花畑、ここ以外にもある?」
ハゼは、首をかしげた。
「こういうって、この花のってこと? だったら、ぼくは、ここしか知らないかな」
……じゃあやっぱり、オレらが最初に来たのはここなんだ。
どうして思いつかなかったんだろう。最初に来た場所なら、あの細長い丸はここにつながってたってことだ。ってことは、またここに、入り口が現れるかもしれないのに。
そのことを話すと、ハゼは難しい顔をして考え込んでしまった。
「うーん……どうなのかな……。ソラが話してくれた、プティ様の話が本当なら、やっぱりプティ様頼みになっちゃうような気がする。自然に起こったことなら、またここからってこともあるかもしれないけど……プティ様が二人を呼んだんでしょう?」
「でしょ、っていわれてもな……」
やっぱ、それがはっきりしないってのは問題だな。
「ぼくは、もうちょっとソラたちにこっちにいて欲しいけどね」
笑いながらそんなことをいって、ハゼは、花畑のなかに足を踏み入れた。しゃがみこんで、ていねいに一輪一輪物色し、葉っぱだけをいくつかを袋に入れていく。
「それ、どうすんの?」
オレも花畑に入る。びっしり花が生えてるから、どうしてもちょっと踏んじゃうけど。
「うーん……ソラになら、教えてもいいかな。お姉ちゃんには、ぜったいに内緒だよ」
ハゼから、そんな言葉が出てくるのは意外だった。
「なんで?」
「この花ね、実はぼくが植えたんだ」
声をひそめるようにして、そっと告げる。ものすごく重大なヒミツを打ち明けたみたいな感じだけど、なんでそれが「内緒」なのかぜんぜんわからない。
もしかして、勝手に花を育てちゃいけないとか、そんな決まりでもあんのかな。
「……なんで?」
なので、もう一回聞いた。ハゼは、オレの質問の意味を少し取り違えたみたいだった。
「この葉っぱから取れる液が、病気に効くんだ。熱を下げる効果がある。だからこうやって、こっそり育ててるんだよ」
オレは素直に驚いた。薬草ってやつだ。取れる液がってことは、薬をハゼが作ってるってことだろう。
「すげえ! なんかそういうの、かっこいいな!」
なんだかわくわくしてきて、思わずはしゃいでしまう。でも、ハゼはオレよりももっとおどろいて、こっちを見た。
「……なんとも思わないの?」
「なにが?」
わけがわからない。そうだ、そんなすごいことなのに、ヒミツにする理由だってわからない。
「ひょっとして、ソラたちの世界では、こういうの、あたりまえなの?」
おそるおそる、聞いてくる。
「こういうのって……自分で薬草探すなんてこと、しないよ。あ、でもばあちゃんは、ヤケドしたときになんかの草をはっつけてくれたっけ。ふつう、薬は薬局で買う。それか、病院に行くか」
「ヤッキョク……で、買う? ビョウイン?」
今度は、オレがおどろく番だった。
もしかして──
「──病院、ないの? 風邪ひいたり……ケガしたりとかさ、そういうとき、ハゼたちはどうすんだよ」
「ソラたちはどうするの?」
質問で返されてしまう。オレが聞きたいのに。
「だから、病院に……病院ってところにいって、先生に診てもらうんだよ。で、注射されたり、薬もらったり。そうすれば、そのうち治る。注射は痛いけどな」
オレの言葉に、ハゼは電池が切れた人形みたいに止まってしまった。数秒後に、大きなまばたきを一回。
それから、急に、ハゼの目がきらきらと輝きだした。
「すごい……! そうなんだ、やっぱり、そうなんだ!」
両手を握りしめて、なにやら感動してる。オレは完全においてけぼりにされた気分だ。
「だから、なにが? ハゼたちは、病気になったら、どうするんだよ?」
「寝るんだよ」
あたりまえのように答えられて、オレは拍子抜けしてしまう。
寝るって。そんなの、オレらだって寝る。
「そうじゃなくて……寝てるだけじゃなかなか治んないような、ひどい病気とか……そうだ、ケガなんかは?」
「すり傷や切り傷に塗る、かんたんな薬はあるよ。でも、病気は別なんだ。寝るしかない。病気に薬っていう考え方は、ぼくらにはないんだ」
「……は?」
もう、ぜんぜん話についていけなかった。
薬がないんじゃなくて、薬っていう考え方がない?
病院も、医者も、そもそも存在しないってことか?
「あんまりひどい病気のときはね、これはそれなりに裕福な家庭にしかできないことだけど、お城に行って、ラ・ディオス様とプティ様に治してもらうんだ。シューケルト様──あ、最高位の神官様の名前なんだけど──のありがたいお話を聞いて、プティ様に触れてもらう。そうやって、治すんだよ」
……プティ? あの、貧弱そうなオヒメサマが?
「プティが、病気を治すのか?」
「王家の血を引くビースルには、そういう力があるんだって、みんな信じてる」
そのいい方が、妙に引っかかった。
「ハゼは、信じてないって感じだな」
「だから、内緒なんだよ。ぼくの考え方は、そのまま、王家への反逆罪だ」
反逆罪って……なんで?
そうやって考えることが、もうダメでワルイってことか?
なんだそれ。よくわかんないけど、おかしいってことはなんとなくわかる。
それに、プティが触るだけで病気が治るって話も、いかにもうさんくさい。
「この国を守っているのはね、ラ・ディオス様っていう神様と、その恩恵を授かっている王家のかたたちなんだ。王家のビースルが病人に触れれば、病が消えるって、ずっと昔からいわれてる。でも、もし……本当にもしもの話だけど──考えてみてよ、もしソラが重い病気にかかって、プティ様のところに行くとするよね。触れてもらって、それでも病気が治らなかったとする。治りませんでしたって正直にいったら、どうなると思う?」
オレは、その状況を想像してみた。
オレには、あのオヒメサマが触るだけで病気が治るなんて思えない。まあそれはともかくとして、触ってもらっても治んなかったとする。それをいったら……
……どうなるんだ?
答えないでいると、ハゼは、ちょっと影のある笑いかたをした。
「反逆罪で殺されるだろうね。治らないなんて、王家を信じていないからだ、ラ・ディオス様への信仰心が足りないからだ──そういうことになるんだ。だから、治ってなくても、治ったふりをして、ありがたがって帰るしかない」
「なんだそれ?」
オレは思わず叫んでいた。
そんな変な話、あっていいのか? だいたい、病気なのに城まで出かけるってのも、おかしい。
「そうか、そういう反応になるんだね。ぼくだけが、おかしなことを考えてるのかと思ってた」
「そんなの、ほかのヤツだっておかしいと思ってるだろ。プティに触られたって、だれも治んないんだから」
「でも治るひともいるんだ。城に行けるぐらいだから、そこまでの重病ではない場合も多いしね」
オレは、なんだか悔しいような気分になっていた。そんなの、ぜったいに変だ。きっと、おかしいって思っているヤツがいても、ハゼみたいに口に出せないってことなんだろう。
それをいったら、罪になってしまうから。
オレらの世界では、考えられないことだ。
「……でも、母さんは、治らなかったんだ」
うつむいて、ぽつりとハゼがつぶやいた。
そうだ、ハゼはティーアと二人で暮らしてる。両親はどうしたんだろうって、思わなかったわけじゃないけど……
「……病気で死んじゃったのか?」
聞いてから、しまったと思う。こんなこと、聞かれたくないに決まってるのに。
「もう、何年も前にね」
ハゼは、こっちを向いて、わざと笑った。オレの動揺を感じたんだろう。
「母さんはお城で働いてたから、お金はなかったけど、特別にプティ様に触っていただいたんだ。治らなかったけど、母さんは信仰心の強いひとだったから、そんなはずないって、そのまま働き続けた。それで、死んじゃったんだ。……ぼくがおかしいと思い始めたのは、そのときからだよ。それまでも、疑問はあったけどね。ぼくは、ニンゲンの書物を読んでいたから」
「ニンゲンの?」
うん、とうなずいて、ハゼは花畑にすわりこんだ。オレも、そのとなりに腰を下ろす。
「これこそ、ゼッタイに、だれにも内緒だよ。見つかったらこわいから、いつも持ち歩いてるんだ」
そういって、袋を開ける。布にていねいに包まれた、四角いものを取り出した。
「小さいころ、取り壊される前の廃墟でね、偶然拾ったんだ。これを読むために、文字も少し勉強した」
それは、本だった。
辞書ぐらいの大きさだ。図書館の奥からひっぱりだしてきたような、古そうな本。
開いて見せてくれたけど、花や草の絵がたくさん載ってて、図鑑みたいに見える。文字は……日本語ではない。まるで英語みたいだけど、これが英語なのかどうなのかはよくわからない。
「ここには、いろんな薬が載ってる。びっくりしたよ。びっくりして……ニンゲンってすごいなって、思っちゃいけないことを思った。でもいまは、素直に、すごいと思ってる。彼らは、やりすぎてしまったけどね」
「やりすぎた?」
聞き返しても、ハゼはあいまいに笑っただけだった。気にしてなかったけど、最初にこっちの世界のニンゲンのことを聞いたときも、くわしいことは教えてくれなかったんだ。
ニンゲンが、なにをしたっていうんだ?
はぐらかされるかもしれないけど、それでも聞いてみようと、ハゼを見る。でもそのときに、オレは、気づいてしまった。
ハゼよりもずっとうしろ──森のなかから、なにかがぬっと顔を出すのを。
息が止まるかと思った。
明らかに、ニンゲンでもビースルでも……それから、森の動物のたぐいでもなかった。
ひとのかたちをしている。でも、なんていえばいいだろう、頭からどろどろの液体をかぶったみたいに、あちこちから液がしたたっている。灰色の、動くもの。
声も出せないでいると、様子がおかしいと思ったのか、ハゼが急いでうしろを見た。
「ペルティスだ……!」
ペルティス? ああ、そうだ、ティーアがいってた。こいつが、そのモンスターなんだ。
そいつは、ゆっくりとこっちを向いたようだった。ぴたりと、動きが止まる。目があるはずの場所も灰色の液体におおわれて、どうなってるかはわからないけど、たぶんオレらを見たんだろう。それから、こっちに向かって、のっそりと歩き出す。
風が吹いて、これだけ遠いのに、なにかが腐ったようなイヤな匂いまでしてきた。
胸のあたりが、急に寒くなる。恐怖だ。
「ソラ、立って。急いで逃げよう。走ればだいじょうぶ」
小声でささやいて、ハゼがオレの手を引く。
でも、オレは動けなかった。
金縛りにあったみたいに、そいつから目が離せないでいた。
ゆっくり、ゆっくり……でも確実に、そいつが近づいてくる。
「ソラ!」
鋭く呼ばれて、やっと我に返る。立ち上がり、走り出した。
「ソラ、待って! 勝手に行かないで! やみくもに進むのは危険だ!」
すぐうしろから、ハゼの声が聞こえてくる。いってることもわかったけど、でも足は止まらなかった。逃げなきゃ、逃げなきゃと、それしか考えられなかった。
うしろをふり返ることもできない。ヤツは追ってきているだろうか。止まったら追いつかれるんじゃないか。追いつかれたら、追いつかれたら──
オレは、とにかく走った。走って走って……どれぐらい走っただろう。
突然森が途絶えて、目の前に白い壁が現れて、立ち止まった。
「ちょ……、も、もう、追ってきてないから……」
ずっとうしろを走っていたらしいハゼが、肩で息をしている。やっとうしろを見て、ハゼしかいないことに胸をなで下ろす。
息を吐き出した。思い出したように、汗がどっとあふれてくる。
「壁まで来ちゃったね……」
ぜえぜえと息をしながら、切れ切れにそういわれ、初めて悪いと思った。
「ごめん、オレ……なんか、わけわかんなくなって」
急に恥ずかしくなった。でも、ハゼは笑った。
「ソラはなんでも平気なのかと思ってたよ! だいじょうぶ、それほどルートからはずれてないから」
「ごめん」
もう一度あやまる。ばつが悪いので目をそらして、壁を見た。
ニンゲンとビースルの住むところを区切る壁があるって話は聞いてた。聞いてたけど……
ものすごい違和感だ。
城の壁みたいに、石が積み上げられてるのを想像してたのに。
「これが……その、壁? この向こうに、ニンゲンが住んでるっていう」
「そうだよ。大きいでしょう」
大きいなんてもんじゃなかった。
上を見ても、右を見ても左を見ても、終わりが見えない。しかもこれ、なんでできてるんだろう? コンクリート……ではないみたいだけど、石でもないみたいだ。金属っていわれちゃえば、そうかもと思ってしまう。ツルツルした、白い壁。
「この壁……作ったのは、ニンゲン?」
ビースルの生活からすると、こんなものが作れるとは思えない。
「っていわれてるよ。この壁が、ぼくたちの国をぐるっと囲んでるんだ」
「囲んでる?」
なんだか、変な気分になった。囲んでるってことは、もう、壁で区切られてるっていうより、ビースルの住むところが箱のなかにまるごと入ってるみたいだ。そう思えるぐらいに、どこまでも続く高い壁だった。
それにしても……これは、どういうことだろう。
オレは、こっちの世界のニンゲンっていうのは、それこそゲームの世界のひとたちみたいに、のどかな生活をしてるって勝手に思ってた。住むところはちがっても、ハゼやティーアたちと、それほどちがわない暮らしをしてると思ってたんだ。
でも、この壁。
これって、よくわかんないけど、よっぽどの技術がなくちゃできないんじゃないか?
オレがだまって考えていると、ハゼが心配そうに顔をのぞきこんできた。
「だいじょうぶだよ、ぼくのルート内でペルティスに会うことなんて、そうないから」
まだ怖がってると思ったらしい。ちがうとはいわず、気になったことを聞いてみることにする。
「あの、モンスター……ペルティス? って、結局、なんなんだ? 昔からいるの?」
単純にフシギだったから聞いたのに、ハゼの顔が急に強ばった。
「え、なんかまずいこと聞いた?」
「いや……うん、いっか、話しても。ペルティスはね、ニンゲンのなれの果てなんだ。ニンゲンとビースルが仲悪くなった原因さ」
……?
いってる意味がわからなくて、ハゼの言葉を頭のなかでくりかえした。
なれのはて?
「あれ、もとはニンゲンってこと?」
ハゼがうなずく。
「うそだろ……」
ぞっとした。
いくら別の世界の話でも、あの気持ち悪いのがもともとはニンゲンだったなんて。
どうやったら、そんなことになるんだ?
なんだか考えることが多すぎて、オレは頭を抱える。そのまま、壁にもたれた。
もたれようと、した。
「──?」
一瞬だけ、背中にひやりとした感触。それから、ピッと、小さな電子音。
うしろに壁があるはずなのに、まるで自動ドアのように、オレのところだけが開いた。支えるところを失って、あたりまえだけどそのままうしろによろめく。
ドスン、としりもち。
顔を上げると、目の前に、白い壁。
「……え?」
なにが起こったのかわからなかった。ハゼの名を呼んでも、返事はない。
ズボンの下が、ひんやりとする。地面についたはずの手の感触も、土の上とはちがう。
「……まじかよ……」
絶望的な気持ちになった。
オレだけ、壁の向こう側に、来てしまったんだ。