お城のお姫様
【お城のお姫様】 担当 桜
ぜんぜん眠れないかと思ったけど、わたしもお兄ちゃんも疲れていたみたいで、ぐっすりと眠ってしまった。ふわふわのおふとんなんかなくて、布を重ねただけのベッドだったけど、それでもすぐに寝ちゃったんだから、わたしたちってけっこうすごいと思う。
夜もぜんぜん寒くならなくて、エアコンもないのに、快適といえば快適だった。ただ、寝るときに小さな虫が飛んでたのがすごくいやだったけど。
朝になって、パンとチーズを食べていたら、馬車が迎えに来た。感動する間もなく、頭から布をかぶせられて、よくわからないままに馬車に乗せられ、そのまま出発進行。
聞いてみてびっくり。行き先は──
「城?」
お兄ちゃんが、すごく大きな、なんだかいやそうな声を出した。
向かい側にすわるティーアが、静かにうなずく。それで今日も、きっちりしたかっこうをしてるんだ。
お兄ちゃんがなんでいやがるのか、ぜんぜんわからない。わたしは逆に、わくわくしてきてしまう。
「お城があるんだ! すごい!」
すぐに、テレビで見たヨーロッパの立派なお城を想像する。イメージはどんどんふくらんでいった。きっと、入り口を入ったら赤いカーペットが敷いてあって、ぐるぐるねじまがった階段なんかもあって──根拠もなにもないけど、そんなことばかり考える。
「知らないから許されるというものでもない。くれぐれも、無礼のないようにしてくれ」
「勝手に連れて行かれて、なんでそんなこといわれなきゃなんないんだよ」
お兄ちゃんは、むすっとしている。ほんと感じ悪い。
昨日話してみて、ティーアさんもいいひとだってわかったけど、お兄ちゃんはまだ許せないでいるのかな。
そのまま、二人ともだまってしまった。ハゼはお仕事があるっていって──同じ歳ぐらいなのに、お仕事してるなんておどろいたけど──おうちにおるすばんだから、馬車のなかは三人だけだ。ちょっと間が保たない。
昨日、ティーアは、わたしたちが帰る方法を知ってるかもしれないひとに会いに行くっていってた。だからきっと、そのひとが、お城にいるってことだと思う。
帰る、という言葉が出てきたので、わたしはすっかり安心してしまって、旅行みたいな気分で楽しんでいた。馬車だって、見るのも乗るのも初めてだ。大きくてスマートな馬が二匹、わたしたちの乗ってる車を引っ張ってる。想像よりもずっと揺れて、ちょっと酔っちゃいそうだけど、そんなのがまんできるぐらい、なんだかうきうきしてた。
窓には布がかけられていて、外が見えないのが惜しい。外から見えないように、ってことなのかもしれない。でも、おばあちゃんちに行ったときみたいな草のにおいがするから、きっと田舎道を走ってるんだろうな。
「サクラは楽しそうだな。不安はないのか?」
うきうきしてるのがわかっちゃったのか、ティーアがそんなことを聞いてきた。
「不安……は、もちろんあるけど。でも、考えてもわかんないことは、考えないの」
剣を向けられて、閉じこめられたときは不安で不安でしょうがなかったけど、いまはあのときに比べれば、なんてことない。ティーアがいっしょだし、お兄ちゃんもいる。
「落ち込むよりはいいが、浮かれて耳を見せないように気をつけてくれ。ハゼのように、ニンゲンに好意的なのは希だ。あいつは変わりものだからな。ほとんどのビースルが、私がしたように、武器を向けると思っておいたほうがいい」
「……う、わかった」
そうか、浮かれてちゃいけないんだ。
気を引きしめないと。この布、絶対とらないようにしよう。
「武器って、みんな持ってるもんなの? ティーアみたいに、ナントカ隊長とかじゃなくても。ここって、そんなに危なかったりすんの?」
お兄ちゃんの質問に、わたしも思わずティーアを見た。
そうだ、武器。なんに使うんだろう?
ティーアは、なぜか、わたしたちの顔をじっと見た。それから、ため息を吐き出す。
「そうか、知らないんだな……。町に住んでいればほとんど安全だが、魔物が出ることがある。一般的には魔物と呼ばれるが、正式にはペルティスというやつらだ。本能的に私たちを襲う。一般人は武器を持たないが、私のように王室を警護する者や、森を行き来する者は、皆、なにかしらの武器を持っている」
たんたんとされた説明を、もう一度頭のなかでくり返した。
……魔物、っていった。それって、ゲームなんかに出てくるモンスターとか、そういうの?
「げ、じゃあ、もしかして昨日、オレらけっこうやばかったんじゃ」
「そうだよ、あのお花畑、あそこって森のなかにあったよね。ティーアのおうちだって」
急に、うきうき気分がふっとんだ。ちっとも安全じゃないんだ、こっちの世界って。
「家のまわりはだいじょうぶだが……そうだな、おまえたちがいたあたりは、少し危険だな」
そうなんだ……じゃあ、ティーアにつかまって、かえってよかったのかもしれない。得体の知れないモンスターにおそわれちゃうなんて、ぜったいいやだ。
わたしはなんだかしぼんでしまったみたいに、うつむいてしまった。とてもじゃないけど、外のにおいを気にするとか、景色を見たいなとか、そんな気分じゃなくなってた。
ここは、わたしたちの世界よりずっと、危険な世界なんだ。
帰れる方法があっても、ケガしちゃったりとか、そんなことがあったら、帰るどころじゃなくなっちゃう。
わたしたちがここにいるのは、現実なんだもん。マンガやゲームじゃない。
「だいじょうぶだ。プティ様のもとにいれば、どこよりも安全だ。万が一のことがないよう、私も全力でおまえたちを守ろう。約束する」
重い空気に気づいたのか、ティーアがいつもよりも明るい声でいう。気を遣ってくれたみたい。
「そのプティサマっていうの、昨日も出てきたな。だれ? 様ってぐらいだから、えらいひと?」
お兄ちゃんが、意外な記憶力を発揮する。そういえば、わたしも覚えてる。ティーアが「様」なんていうのがイメージに合わなくて、あれ、って思ったんだ。
「いまから会いに行くお方だ。プティ=G=リュミエール……この国の、次期女王となるお方だ」
じょおう。
わたしは、ぽかんと口を開けてしまった。
次の女王様ってことは……いまは、お姫様?
すてき!
「お姫様に会えるの?」
これはもう、わくわくするなってほうが無理だった。だって、お城でお姫様に会うなんて! 小さいころに夢見たこと、そのまんまだ!
ティーアは、そんなわたしを見て、優しく微笑んだ。お兄ちゃんは、ますますいやそうな顔を隠そうともしない。
「……なんか、疲れそう……」
「そうかなあ? なんで?」
この見解のちがいはなんだろう。
「さあ、もうすぐ到着だ。二人とも、フードをしっかり押さえて、頭を出さないように」
ティーアの声とほとんど同時に、馬車は止まった。
着いた場所はたしかにお城なんだろうけど、だいぶイメージがちがってた。
大きな門があって、そこをくぐると長い道があって、入り口には兵士さんとか立ってて、ごごごごごって扉が開いて──なんていうのを、想像してたんだけど。
「裏口……」
思わず口から出た。
考えてみれば、あたりまえだ。こんな、布をかぶった怪しいこども二人、どうどうと正面から入れるわけがない。
馬車から降りると、すぐ目の前に、てっぺんが見えないぐらいの高い高い石の壁。実はこれ、城の外壁らしいけど、こんな近くからじゃ外観なんてぜんぜんわかんない。下は芝生で、うしろのほうにはやっぱり石の壁が見える。馬車は、裏門から建物のすぐ近くまで入ってきたみたい。ここは、裏庭ってことなのかな。
外壁の下のほうに、草むらに隠れるようにして、小さな入り口があった。からだを縮こまらせ、もぞもぞと入る。入ったっていうか、なんかもうどろぼうの気分。入った向こうも、真っ暗でなにも見えない。
「もしだれかとすれ違うようなことがあっても、顔を上げ、どうどうとしていてくれ。ただし、フードだけはくれぐれもとらないように」
小声でそういわれたけど、それってけっこう難しい注文だった。てるてる坊主みたいなかっこうなのに、どうどうとしろっていわれても。
「暗いし……寒い。なんだここ」
お兄ちゃんが不満をもらす。
何度かまばたきをしているうちに、だんだん目が慣れてきた。たくさんの箱が、いくつもいくつも積み重ねられている。最初にティーアに入れられた場所とはふんいきがちがうけど、ここも物置みたいだ。壁が石だからか、ひんやりとしていて、お兄ちゃんのいうとおり、ちょっと寒い。
「静かに。声を出すな」
ささやくような声で、でもぴしりと注意して、ティーアはずんずん進んでいく。わたしたちは、しーっと指を立てて、抜き足差し足ついて行く。あんまり大きな部屋ではないみたいで、すぐにドアのところまできた。ティーアはドアに耳をくっつけて、そのまま動かなくなる。
わたしは、ちらりとお兄ちゃんを見た。馬車のなかではつまらなそうだったけど、いまはまんざらでもなさそうな顔をしてる。
だって、ここって、まるでお兄ちゃんがやってるゲームに出てくるお城みたいだ。わくわくしないはずがない。
「行くぞ」
ティーアが、そっとドアを開けた。まぶしいほどではないけど、いままでが真っ暗だったから、入ってきた光に思わず目を閉じる。
ティーアはするりと向こう側へすべり出た。わたしたちも、あわてて出る。すぐにドアを閉めて、なにごともなかったように歩き始める。
「すごい……!」
思わず声になってしまって、口をおさえた。
だって、映画で見るみたいな光景だ。長い長い廊下、深い赤色のじゅうたん、石の壁にはろうそくが灯されていて、ときどき花や絵も飾ってある。ちょっと歩いてしまったら、もうわたしたちがどの部屋から出てきたのかわからないくらい、同じようなドアがいくつもいくつも並んでいる。
こんなにたくさんの部屋、なにに使うんだろう?
「……そんなたくさんひとが暮らすもんか、城って? ホテルみてえ」
お兄ちゃんが、こそこそと話しかけてくる。同じことを考えてたみたい。
「ね、王様とか女王様だけじゃないんだね」
「料理するひととか」
「あ、そういうひとたちも?」
ごほんと、ティーアがせきばらいをした。しまった。
わたしたちは、いいつけを思い出して、むんと胸をはった。どうどうと、どうどうと。緊張するどころか、なんだか笑いそうになってしまったけど、気むずかしそうな顔を作ってえらそうに歩いていく。
廊下の向こう側から、だれかが歩いてくるのが見えた。おじさんが、二人。二人とも、白くて長い、だぼだぼの服を着ていて、背の高い帽子をかぶってる。
一人は長いあごひげがあって、なんだか身分の高そうな感じがした。もう一人は、あごひげの人よりもちょっとうしろを歩いてる。
なんとなく、ほんとうになんとなくだけど、校長先生と教頭先生って感じ。なんだか、いばってるっていうか。
すれ違うときに、ティーアが頭を下げた。わたしとお兄ちゃんも、同じように頭を下げる。
「──ティーア=ハッティ」
すれ違ったあとで、うしろから声がかけられた。
ティーア、お兄ちゃん、わたしの順に歩いていたので、聞こえてきた声がすごく近くて、わたしはびくりとしてしまう。
低い、やっぱりえらそうな声だ。わたしがふり返れないでいるのに、お兄ちゃんはすぐにこっちを見る。ティーアが足を止め、からだごとうしろを向いた。
「なんでしょう、シューケルト様、アラーグ様」
ティーアはすごく自然なのに、わたしはやっぱりさっきの男の人たちを見ることができなくて、心臓がどきどきいってるのが聞こえそうなぐらいだった。人間だってばれたら殺されちゃうと、そればかりを考えてしまう。
せめて怪しまれないように、じっとしてないと。
「そちらのお二方は?」
「──!」
やっぱり、と思った。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
でも、ティーアの声は、とっても落ち着いていた。
「プティ様のご命令で、町のこどもを連れて参りました。……お察しください、どうか、ご内密に」
「姫様の? なるほど、またか……困ったものだな。くれぐれも、姫様のおからだに障ることのないように」
「もちろんです。では」
くるりと前を向き、なにごともなかったように歩き始める。お兄ちゃんがわたしの手を引いて、やっと我に返って、わたしもあとに続く。
まだ、うしろから見られてるような気がした。会話は聞こえていたけど、内容までは頭に入ってこない。困ったものだっていってた。なにが? どうして?
頭のなかが真っ白なまま、お兄ちゃんの手だけをたよりに歩き続けて、いつのまにかゴールについた。なんだか、ずいぶん長い距離を歩いたような気がする。階段もたくさん登ったような。
「失礼します」
ティーアが一言そう告げて、ほかよりも立派な、大きな大きなドアを開ける。
うつむいてたわたしの目に映ったのは、白いふわふわのじゅうたん。甘いようなにおいがただよってくる。
なかに入って、ティーアがドアを閉める。
初めて顔を上げて、わたしは声を失った。
「すげえ……!」
お兄ちゃんでさえ、そうつぶやいてた。
白いじゅうたん、白い壁、白い家具……そして、大きな大きな白いベッド。ベッドの上には、白いレースがはためいてる。知ってる、これ、テンガイつきベッドってやつだ。
イメージしてたとおりの、お姫様の部屋──そして、ベッドの上に上半身を起こしている、銀色の髪の女の子。
「ごくろうさまです、ティーア。始めまして、旅人さんたち」
女の子は、オルゴールの音みたいなきれいな声でそういって、上品に目を細めた。いわれなくてもわかる。この子が、プティ様なんだ。
「二人とも、もうフードを取っていい。プティ様に、ごあいさつを」
わたしは緊張してしまって、部屋に入ってすぐのところから動けなかった。お兄ちゃんが布を取るのを見て、あわててわたしも取ったけど、はじめまして桜です、なんてのんきにいう気にもなれない。
だって、見るからに、「お姫様」だった。
ふわふわの髪の毛はきらきらしてて、腰よりもまだ長い。ここからはけっこう距離があるのに、まつげが長いのがわかる。白い、つやつやの服は、レースの布──薄そうだけど、おふとんなのかな──に隠れてしまって、腰から上しか見えないけど、それを着てベッドに入るなんてわたしにはぜったいむりってぐらいにきれいで、まるでドレスみたいだ。
髪の毛で見えないけど、やっぱりわたしたちと同じ位置には、耳はないみたいだった。 だって、頭の上から、ねこみたいな三角の耳が顔を出してる。
まぶしいものを見たみたいに、なんだかくらくらしてきた。
わたしよりも年下に見えるのに……どうやって育ったら、こういうふうになるんだろう。
「二人とも」
ティーアに急かされて、助けを求めようとお兄ちゃんを見る。お兄ちゃんも、ぽかんと口を開けて、プティ様に見入ってた。そうだよね、そうなるよね。
「ごめんなさい、わたくしはここから動けないのです。もっと近くに、来ていただけますか。ええと……なんとお呼びすれば良いでしょうか?」
プティ様が、首をかしげるようにして聞いてくる。
このままじゃいけない。これってきっと、気を遣わせてるんだ。
「桜、相川桜です。お兄ちゃんは、相川空。桜、空って、呼んでください!」
近くに来てっていわれたのに、その場で声を張り上げてしまう。いってしまってから急に恥ずかしくなって、耳のあたりが熱くなるのを感じた。わたしいま、きっと真っ赤になってる。
「サクラ、ソラ……すてきな名前ですね。どうぞよろしく、サクラ、ソラ。わたくしのことは、どうぞ、プティと」
そういって、プティ様はにっこりと笑った。
その笑顔に、金縛りから解けたみたいな気分になる。なんて優しく笑うんだろう。
「よろしく、お願いします」
「どうも」
お兄ちゃんはぶっきらぼうに、でもちょっと照れたみたいに、そうあいさつをする。
「では、茶でも入れよう。ソラ、そっちのイスを、プティ様のベッドのそばに。サクラはこっちを手伝ってくれ」
「あ、うん!」
そうやって指示を出してもらえるのは、ありがたかった。わたしたちはティーアにいわれるままに、お茶会の準備を始めた。
プティ様……じゃない、様をつけたら怒られちゃうから、ここからはプティにするけど──プティは、病気らしかった。
生まれつきからだが弱くて、ここ数年で悪化したみたい。最近では、ほとんどベッドから起きられなくなったんだとか。
一日中、ただ部屋にこもっている生活に耐えきれず、ほとんどを城の外で過ごすティーアに頼んで、ときどき町のこどもを話し相手として連れてきてもらってるらしい。それで、さっきのえらそうな二人組との会話も納得できる。
ティーアの用意してくれたのは、ハーブティと甘いクッキーだった。町で買ったものをわざわざ持ってきたみたい。ベッドの横にいすを三つ運んで、わたしたち三人がそこに座る。プティのベッドには、ベッドの幅にちょうど合うように作られてるテーブルをセット。そこにトレイを置けば、お茶会の準備は万端だ。
ときどきこうやって、お茶会をして、気を紛らわしているみたいだけど……それにしたって、一日中ベッドの上にいる生活なんて、想像しただけで気が滅入っちゃう。
学校もなくて、もちろんテレビもゲームもマンガもなくて。
わたしなんて、風邪で一日学校休んだだけで、ひまでひまでしょうがないのに。
「プティは、わたしたちが人間でも、なんとも思わないの?」
そんな話をして、ちょっと慣れてきたから、ずばり聞いてみた。
だって、変だもん。ふつうは、人間だってばれたら武器を向けられる、なんてティーアはいってたのに。
「あら、だって、わたくしたちのいう『ニンゲン』と、あなたたちはちがうのでしょう?」
プティは目をまたたいて、ふしぎそうにいう。そっか、この子はわかってるんだ。わたしたちが別の世界から来たんだって。
「ここが別の世界につながってて、オレらがそこから来たんだってこと、あんたは知ってたってことだよな。──っていうかそもそも、オレらが来ること、わかってたってこと?」
最初は緊張してたお兄ちゃんも、もうこの口のききかただ。ティーアが不機嫌そうにお兄ちゃんを見て、わたしのほうがはらはらしてしまう。
あんた、っていうのはどうかな……。お姫さま相手に。
でも、お兄ちゃんのいってることは、わたしも気になってることだった。それよりも、いちばん聞きたいのは、
「わたしたち、どうやったら帰れるの?」
ってことだ。
わたしとお兄ちゃんとで、真剣な目でプティをじっと見る。プティは、わたしたちとは時間の流れがちがうみたいにゆっくりまばたきをして、ええと、と口を開いた。
「どこから、お話すればよいでしょうか……。あなたがたの世界にも、昔からいいつたえられているお話というのは、ありますか?」
……いいつたえ?
「昔話とか、そんなん? 桃太郎とかかぐや姫とか」
お兄ちゃんがわたしに聞いてくる。
「え、そういうのでいいの?」
「いいんだろ、すっげえ昔からあるんだぞ、ああいうの」
なんだか自信ありげだ。わたしも、ママも、おばあちゃんもそのママも、みんなが知ってるんだから、いいつたえってことに…………なるのかなあ? どうなんだろう?
「こことはちがう世界のお話が、いいつたえとして残っているんです。別の世界からやってきた、旅人のお話。わたくし、ティーアからあなたがたの話を聞いたときに、ぜったいそうだって思いました。だって、ずっとずっと、会ってみたかったんですもの」
「そのようないいつたえ、聞いたことがありませんが」
ティーアが無表情で水を差す。え、そうなの?
あ、でも、ティーアが聞いたことがあったら、そもそも最初に剣を向けられることもなかったのかな。
プティは、もちろんです、とうなずいた。
「これは、王族のみに伝えられています。いいつたえというよりは……そうですね、記録として残っているといったほうがよいでしょうか。昔、わたくしたちの祖先はふしぎな力を使えたのだといいます。そのふしぎな力で、こことはちがう世界から、旅人を招いたのだという記録があるのです」
「召還ってやつだ」
お兄ちゃんが、ゲーム用語を持ち出す。
わたしもお兄ちゃんがやるゲームをいつも見ているので、召還っていうのは知ってる。魔法使いが、他の世界からお役立ちキャラクターを呼び出すってやつだ……と思う、たぶん。
「まあ、あなたがたの世界には、そういう秘技があるんですか?」
プティが目を輝かせて聞いてくる。わたしはお兄ちゃんをひじでこづいた。
「いや……オレらのほうにも、そういうイイツタエが」
てきとうなこといってるなあ。
「わたくし、どうしてもちがう世界のかたにお会いしたくて、毎日毎日お祈りしていました。ですから、ティーアの話を聞いたときには、とうとう願いが通じたのだと──もしかしたら、大昔に途絶えたはずの王家の力が、わたくしに備わっていたのかもしれないと──そのように思ったのです。会えてよかった、ソラ、サクラ。あなたがたの世界のお話、たくさん聞かせてくださいな」
「それは、いいけど……」
でもそれって、あいまいないいかただ。
そういう力が備わっていたのかもしれない、ってことは、プティが自分でわたしたちを呼んだのかもしれないし、そうじゃないのかもしれないってことだ。
「……要するに、帰れるの? 帰れないの?」
いちばん聞きたいことは、やっぱりこれしかない。
「記録には、旅人たちは帰っていったとあります。ですから、だいじょうぶです。急がずとも、きっと、帰れます」
そのやわらかい笑顔は、かわいいんだけどやっぱりどこかはかなげで、わたしもお兄ちゃんもなんだか強くいうことができなくなってしまった。
きっとじゃ、困るんだけどな。
「……帰れるのが何十年も先で、それまでにオレらはじーさんばーさんになるとかさ。そうでなくても、二、三日で帰ってみたら、向こうの世界では何百年も経ってました、とかだったりしてな」
そんなこわいこといわないで欲しい。わたしはお兄ちゃんをにらんだだけで、返事はしないことにする。
「プティ様がだいじょうぶだとおっしゃっているんだ。きっと、そのうちには帰れる。あまり気をもむな。おまえたちは、帰れるその日まで、無事でいることを考えろ。ニンゲンであることを外部に気づかれないように、あたりまえだが、病などにならないように」
ティーアが淡々(たん)と、でもちょっとこわい声でいうので、もうそれ以上なにもいえなくなった。わたしとお兄ちゃんは顔を見合わせて、しょうがないか、と納得した。
以前にも、わたしたちみたいにこの世界に来た人がいて、その人はどうやら無事に──お兄ちゃんのいうように、何年後とかはわからないわけだけど──帰ったらしいということは、わたしたちにずいぶん勇気をくれた。
うん、きっとだいじょうぶ。
だって、考えたってしょうがないもん。あれこれ考えて、ティーアのいうように病気にでもなったら意味がないし。
とりあえず楽しもう!
そう決めて、もう一度プティを見ると、青白い顔ながらとても嬉しそうに微笑んでた。 わたしもなんだか嬉しくなって、笑顔を返す。
この子とは、いいおともだちになりたいな。
それから、ティーアがこっそり持ってきてくれていたわたしたちのバッグを開けて、教科書やゲーム機なんかを見せてあげると、プティも、ざっとしか見てなかったらしいティーアも、とてもおどろいてた。お兄ちゃんのゲーム機を見たときは、プティなんてびっくりしすぎて泣きそうになったぐらいだ。こんな小さなものが光って音を出すってことが、こわいみたい。
こっちの世界では、だれもが教育を受けるわけではないらしく、わたしとお兄ちゃんが毎日学校で勉強していることをいうと、とっても尊敬された。あたりまえだと思ってたけど、これってすごいみたい。ご両親に想われているんですね、って……勉強することが? なんだか変な感じ。
お兄ちゃんのカバンにあったソフトキャンディを二人が食べたときには、思わず笑っちゃった。だってティーアったら、すごい顔して吐き出しちゃったから。でもプティは、おいしいおいしいって、喜んで三つも食べてた。
プティはなんでもかんでも知りたがって、話しているうちにパパやママのことを思い出して、わたしはなんだか寂しくなっちゃったけど、でもがまんした。
こうして話していると、いろんなことを考えずにすむし、なにを聞いても目を丸くしておどろいてくれるプティを相手にするのは楽しかった。
このときは、こっちの世界でも、なんだかやっていけそうな気がしていた。
わたしもお兄ちゃんも、たぶん、考えが足りなかったんだ。