ハゼの家
【ハゼの家】 担当 空
オレは怒っていた。
混乱してたってのももちろんだけど、それよりも怒っていた。っつーかもう、怒ってないとやってられなかった。
いろいろ考え始めたら、オレなんかの頭じゃすぐにパンクしちゃうだけだ。
目を覚ますと、なんだか臭い部屋のなかにいた。暗くてよくわかんないけど、物置みたいだ。すみっこには、切った木……薪っていうんだっけ、とにかくそれがたくさん積み上げられてて、なにが入ってるのかわかんないけど、ぱっと見は米袋みたいなのもいくつか転がってる。
部屋っていったけど、下はそのまま地面だ。倉庫っていったほうがいいかもしれない。
高いところに、ケータイくらいの大きさの穴(窓なのか?)が三つ。そこから光がちょっとだけ入ってきて、寝転がってる桜の横顔が見える。
肌寒い。こんなところでいつまでもダウンしてたら、風邪をひく。どうにかして起こしてやりたかったけど、呼んでも起きないし、両手両足がしばられてるから、カンタンにはいかない。
そう、気を失ってるんだ。
オレは見てた。あの、ウサギの耳の変なやつが、桜の首のうしろをなぐったのを。それで桜は、気絶した。オレだってそうだ。
だから、オレは怒っていた。
どうして、こんなめに合わなきゃいけないんだ。
「……んー」
ぶつぶついってたら、桜が起きた。日曜の朝みたいにのんきに、大きなアクビをする。
でもすぐに、真っ青になった。目をこすろうにも、手が追いついてこなかったことで、手足がしばられてることに気づいたらしい。きょろきょろとせわしなくまわりを見て、一気に泣きそうな顔になる。
「夢じゃなかった!」
「夢だと思ってたのかよ」
あきれた。でも、どこかケガをしたとか、そういうことはなさそうだ。
「わたしたち、さらわれちゃったの?」
そんなこと聞かれても。
「わかんねえよ」
そうとしかいえなかった。せめて、これ以上桜を不安にさせないように、できるだけ平気な顔をするので精一杯だ。
考えてしまったら、オレだって泣きそうだ。
そもそも、オレが塾をさぼったから、公園のおかしな丸いのにこだわったから──
──そう、あの、細長い丸。
あれを通って、ここに来た。
やっぱり、あの穴は、異世界につながってたんだ。
こんな夢みたいな状況なのに、思ったほどわくわくはしなかった。マンガやゲームの主人公ならまだしも……だって主人公だったら、いきなりつかまったりするか?
もしかしたら、ものすごいヤバイことになってんじゃないか、これって。
「……おなかすいたね……」
桜がぽつりとつぶやく。そういえば、何時なんだろう。外はまだ明るいみたいだけど……いや、こっちと向こうの時間が一緒とは限らないか。
そういえば、カバンのなかにお菓子を入れてたなと思ったけど、カバンが見当たらない。没収されたらしい。
オレは、うつぶせに寝転がって、しばられた手足を使って、イモムシみたいに前進した。出入り口っぽいのがぼんやりと見える。脱出できるなら、脱出(だ)したほうがいいだろう。
「やめようよ、じっとしとこうよ」
「ばか、どうせ待ってても、来るのはウサ耳の剣持ったやつだぞ」
オレの言葉に、桜はだまった。現実が見えたらしい。
どうにかトビラのとこまで来て、からだをひねって起きあがる。ここまで来てしまうと、もうほとんど光が届かなくて、どこをどうやったら開くのか、まったくわからない。
「ねえ、開くわけないよ」
桜のものすごくもっともな声が聞こえたけど、もう引っ込みがつかない。開くかもしれないじゃんか。
桜になにかいい返そうとして、オレは固まった。
足音。
気のせいかと、耳をすます。気のせいなんかじゃない。足音が、近づいてくる。
「お兄ちゃん?」
「し!」
し、っていう自分の声の大きさに、しまったと思ったけど、いまさらどうにもならない。
足音が、トビラの向こうで止まった。カチャカチャ、となにかをいじる音。
ギィと、ゆっくり、向こう側に開けられる。光が差し込んできて、オレは思わず目を細める。
そこに立ってたのは、オレの想像してたのよりも小さいやつだった。
「わあ!」
エンリョがちに戸を開けて、そいつは悲鳴をあげた。目の前にオレがいたのが予定外だったらしい。
あわてて、そのまま半分ぐらい戸を閉めて、思い直したのか、もう一度恐る恐る開ける。目の前のオレと、奥にいる桜とを、まじまじと見た。
「やっぱり……」
なにが「やっぱり」なのか、口をぽかんと開けてまばたきもしないそいつを、オレだってまじまじと見た。
オレと同じぐらいの男だ。カーテンを巻きつけたみたいな、変な格好。色白で、髪が金、目も青くて、日本人には見えない。そもそも、やっぱり頭のてっぺんからウサ耳が出てるから、日本人とかそういう問題じゃないだろうけど。
「ええと……こんにちは。あの、だいじょうぶですか?」
さっきの、剣を持ったウサ耳とはちがって、こいつは話のわかりそうなやつだった。ほっとしたものの、どう答えたものかと、オレはだまってしまう。
まさか、だいじょうぶに見えてるんだろうか。
「だいじょうぶじゃないよ!」
オレが答えないでいると、うしろから桜が声をあげた。間抜けな返事。
ウサ耳男は、ちょっとほっとしたように息を吐き出して、それから今度はオレを見た。しかたないので、オレもいう。
「だいじょうぶに見えるか?」
だいじょうぶだなんて、ウソでもいえない。
「ですよね……でも、話してくれるみたいで良かった。では、いくつか質問するので、正直に答えてください。まず……あなたたちは、ニンゲンですか?」
オレは思わず、ふり返って桜を見た。さっきみたいに、答えるかと思ったんだ。けど、桜は、頭の上にハテナマークが見えるぐらいに、眉の間にシワを寄せてる。
ここはオレが答えよう。もしかしたら、ちがうっていったほうがいいのかもしれないけど、変にウソをつくのもあとがこわい。
オレはうなずいた。イエス。
「やっぱりそうなんだ……!」
そいつは目を輝かせた。さっきの剣のやつとは、だいぶ反応がちがうな。
「じゃあ、二つめ。あなたたちは、ぼくや、お姉ちゃんや……ええと、だれかに、危害を加えますか?」
オレは首を横に振る。ノー。
「最後に──本当に、正直に答えてくださいね──あなたたちは、なんのために、ここに来たんですか?」
オレは、正直に、本当に正直に、疑問をぶつけた。
「っつーか、ここ、どこ?」
そいつは、目を丸くした。
*
ウサ耳男は、ハゼと名乗った。
ねほりはほり聞いてくるので、オレと桜とで、起こったことをぜんぶ、できるだけていねいに説明してやると、最終的にはオレたちのロープをほどき、あのホコリっぽい物置から出してくれた。
出てみると、オレたちが入れられてたのは、森のなかにある小さな小屋だった。去年の夏休みに、山で泊まったバンガローにちょっと似てるけど、それよりもずっと古めかしい。
そこから、林のなかのでこぼこ道を数分歩いて、さっきよりも立派な小屋にたどりついた。
「どうぞ。こんなものしかありませんけど……」
ハゼは、オレたちを木のイスにすわらせて、マグカップ二つと、皿を一つ持ってきた。どっちも、木でできてるように見える。
マグカップからは湯気が出ていて、のぞき込むと、白い液体が入ってた。牛乳かな。皿には、パンらしいものが二つ。
「ありがとう、いただきます!」
「あ、おい……」
止めようとしたけど、桜はあっさり両方に口をつけた。その顔が、すぐに笑顔になる。
「おいしいー! これおいしいよ、お兄ちゃん!」
……なんてやつだ。こわいもの知らずっていうか……ふつう、もうちょっとケイカイしないか?
オレらを殴ってさらった女と、同じ耳のやつだぞ。
でも、桜がおいしそうに食べてるのを見てたら、オレだっておなかがすいてきた。すいてきたっていうか、本当はガマンしてたんだ。
白い液体を見下ろす。そうだ、牛乳に違いない。ホットミルクってやつだ。
オレは目を閉じて、一気に飲んだ。
「……うまい」
いそいで、パンにもかぶりつく。ちっとも甘くないけど、こっちもうまい。
「お兄ちゃんったら、うまいとかいってたらまたママに怒られるよ。おいしい、でしょ」
だんだんペースを取り戻したようで、桜がいつもの小言をいってくる。ハイハイ。
オレと桜は、二人であっというまに皿をカラにした。正直なところ、満腹にはほど遠いけど、それでもだいぶ満たされた。
見ると、オレらが二つしかないイスにすわってるからか、ハゼは壁側の背の低い棚に腰を下ろし、こっちを観察していた。なんだか、にこにこしてる。
「あ、ごめんなさい、わたしたちだけ。ハゼさんの分、ありました?」
桜が気を遣う。ハゼは首を左右に振った。
「いいえ、いいんです。ぼくはさっき食べたので。喜んでもらえてよかった」
「あ、敬語なんてやめてください。わたしのほうが、たぶん年下だし」
桜は四年生のくせに、妙に世慣れてる。オレだったら絶対出てこないセリフだ。
「いえ、そんな、サクラさんのほうこそ」
「えーと……じゃあ、両方なしってことにしませんか?」
オレはだまって、お互いゆずり合う二人をながめた。買い物先で見かける主婦の会話みたいだ。ヘンなの。
だいたい、ちょっと食いもんもらったからって、なつきすぎじゃないのか、桜のやつ。そりゃ、悪いヤツじゃなさそうだけど。
桜の提案に、ハゼは困ったように笑った。でも、といいかけて、それからだまってしまったので、オレから話しかけることにする。
「なあ、オレらのことは、さっき話したのでぜんぶなんだけどさ。ここ、どこなんだよ。どうやったら帰れるか、知ってる?」
「なんでお兄ちゃん、そんなにえらそうなの?」
桜が目を大きくして、余計なことをいってきたけど、無視。
オレはオレだ。それに、大きく見せといたほうが有利なんだ、こういう場合。
「どこ、といわれても……なんていえばいいのか」
ハゼは、眉をぎゅっと寄せて、見るからに困り果ててしまった。まあ、たしかに、逆の立場だったら、オレだって困るとは思う。
「……うん、あなたたちが、こことはちがうところから来たんだってことは、わかります……ええと、わかるよ」
桜の、ほとんどにらむような視線に負けて、あわてていい直す。
「着ている服も、持ってるものも──あ、カバンのなか見ちゃったんだけど──、見たことのないようなものばかり。さっき話してくれたことが、うそだとも思えない。第一、二人は、ニンゲンなんでしょう? こっち側に、ニンゲンが来るなんてこと、もうずっとなかったんだ。信じるよ。でも、ごめん、どうしてここに来てしまったのか、どうやったら帰れるのか……そういうのは、さっぱり、わからないんだ」
オレと桜は、顔を見合わせた。
そうだ、最初に会ったウサ耳女も、人間がどうのっていってた。ハゼにもあいつにも、ウサギの耳みたいなのがあるから、耳で見分けるってことなんだろう。そんで、耳以外はオレらとほとんど変わらないように見えるこいつらは、人間ではないらしい。
でも、人間が存在しない世界ってわけでもなさそうだ。
「あの……わたしたちの世界では、こうやってお話ができるのは、人間だけなの。ハゼくんたちは、人間ではないなら、なんなの? この世界にも、人間はいるの?」
同じギモンを持ったらしく、桜が問う。ハゼは、ええ、とうなずいた。
「ぼくらみたいなのは、ビースルっていいます。ビースルとニンゲンは……その、あんまり、仲が良くない。ニンゲンは、もちろんいるけど……というか、いると、いわれているけど。いまでは、こちら側には入ってこないはずなんだ、本当は」
ビースル……あたりまえだけど、聞いたこともない。
「なんで入ってこないんだ?」
「ケンカしてるから?」
オレと桜が口々にいう。答えは、ハゼからではなく、戸のほうから聞こえてきた。
「おまえたちが、愚かだからだ」
背筋が、ひやっとした。あの、冷たい声。
あいつだ。オレと桜を気絶させて連れてきた、ウサ耳の女が、入り口に立っていた。右手が、いつでも抜けるように、腰の剣を握っている。
「お姉ちゃん!」
お姉ちゃん?
桜が、オレの影に隠れるようにして、服のすそをつかんでくる。こいつは、不安になると必ずこうだ。
「さすが、ニンゲンはずるがしこいな。もう弟をたぶらかしたか。痛い目を見たくなければ、おとなしく、そのまま壁まで下がれ」
もう完全に、オレらを敵として見ている目だ。こんなあからさまな敵意を向けられたことなんてないから、オレだってひるんだ。けど、うしろに桜がいるし、なによりオレはこいつに怒ってる。ほとんど意地で、オレはヤツをにらみ返した。
いいなりになってたまるか。
「ちがうんだ、ぼくが勝手にやったことなんだ! 話を聞いたけど、二人とも、お姉ちゃんが思ってるような、そんな人たちじゃないよ」
ハゼが、オレらとヤツの間に立ち、両手を広げて説得しようとする。そいつは、ハゼと、オレらとを、じっと見た。だれもなにもしゃべらない。息を飲むような沈黙が、ものすごく長く感じられる。
やがて、そいつは、大きく息を吐き出した。頭からのびてるウサ耳も、疲れたようにだらんとおじぎする。
「……おまえまでそんなことをいうのか。だいたい、どうしてニンゲンがいるとわかった?」
……おまえまで?
「そんなの、お姉ちゃんがこわい顔で帰ってきて、それからすぐに正装して出かけたら、おかしいなって思うよ。見たこともないカバンが二階にあったし」
正装、といわれて改めてみると、最初に見たぼろぼろの布きれじゃなくて、きっちりした白い服を着ている。服っていっても、やっぱり布をまいたような感じだけど、腰布なんかもしっかりしていて、オレからみてもヨソイキってフンイキだ。
「二人がここに来ちゃったのは、偶然というか……ほとんど事故みだいだ。なにか目的があるわけじゃなくて、ただ帰りたいっていってる。だから、落ち着いて……ね?」
ハゼがそういったときには、そいつはもうだいぶ落ち着いてるふうだった。身体中の息を吐き出すみたいなため息をついて、腰の剣をはずし、戸の横に立てかける。
だまって歩いて、ハゼの隣をすぎると、オレの前に立った。右手を差し出す。
「どうやら、そのようだ。プティ様にもその可能性を指摘された。──非礼を詫びよう。私はティーア。王室警護隊ハッティ隊隊長、ティーア=ハッティ。ハゼの姉だ」
なにをいっているのかはよくわからなかったけど、なんかすごそうな身分だってことはなんとなくわかった。若そうなのに。
ちょっとためらったけど、しょうがないのでその手をつかむ。握手なんてめったにしないから、なんか気恥ずかしい。
「相川空、です」
「相川桜です」
桜もうしろから顔を出す。にゅっと手をのばし、ちゃっかり握手した。
オレたちの世界のこと、こっちの世界のこと、そういうのを話しているうちに、あっというまに日が暮れた。
話してみると、ぶっきらぼうだけど、ティーアも悪いやつじゃなかった。オレらを殴って閉じこめたことを、何度もあやまってくれた。
夜は、ティーアがおわびにと、ホワイトシチューを作ってくれた。話している時間は忘れていられけど、シチューを食べたときに、桜がちょっと泣きそうな顔をした。たぶん、母さんの特製シチューを思い出したんだろう。
こっちの世界のこと──こっちの世界の、「ニンゲン」のこと。説明しといたほうがいいだろうけど、長くなりそうだから、それは桜にパス。
ともかく、こうして、こっちでの一日めが終わろうとしていた。