今後の展開が読めるプロローグ
「……すまん、今なんて?」
色々あり過ぎた五月も終わり、雨模様の空が多くなって来た六月のある日、学生寮の一室にて。俺、前橋広人は、寮のルームメイトである桐生楓の変な発言にそう聞き返した。
「だーかーらー!」
楓は身振り手振りで事の重大さをアピールしながら、再度同じセリフを吐いた。
「俺、泳ぎたくてしょうがないんだけど!」
「……泳げば?」
別に俺に言う必要もないだろうに。泳ぎたいなら勝手に泳げばいい。
「そう出来れば苦労はしねーよ! できない事情があるからお前に相談してるんだろ!」
……できない事情? なんだろう……。
「ああ、学内のプールは施錠されてるから利用できないとか?」
「それは水泳部の奴に頼めば多分なんとかなる! もっと根本的な問題があるだろ!」
「根本的……ああ、カナヅチとか?」
「俺が女になっちゃった事だよ!」
「……ああ、そっか。そういやそうだったな。俺の幼馴染の桐生くんは、色々あって今桐生ちゃんになってるんだった」
「忘れてたの⁉︎ 幼馴染の女体化問題とか、忘れようもなくない⁉︎ あと桐生ちゃん言うな!」
……まあ、楓で遊ぶのはこのくらいにして、そろそろマジレスしよう。
「お前後で絶対しばくからな」
誰か、心の声が勝手に口から漏れ出る悪癖をどうにかする方法を教えてください。
「……で? なんで急にそんな事言い出したんだ?」
「いやさ、俺、吉岡の変な薬入りクッキーのせいで女の子になっちゃったじゃん?」
「そうだな」
それをきっかけに文庫本一冊分くらいの色々があったのが先月の話だ。
「で、そのせいで俺が所属してた水泳部に顔出せなくなったじゃん?」
「まあ、水着はリスキーだからな」
女体化によって胸が出ることは無くペタンコのままとはいえ男性用水着の着用は危険だし、男子校に通っている男子として周囲から認識されている楓が女性用水着を着用した場合は変態認定待った無しだ。
「でも、今までずっと水泳部として定期的にそれなりに泳いでたのが急にゼロになると、こう、消化不良感が凄くてさ。泳ぎたい欲求が日に日に増して来て、もう抑えられないくらいまで来ちゃったんだ」
「なるほど。まあ、急に泳ぎたいって言い出した理由はわかった。要は、今まで定期的に消費していたエネルギーが発散できなくなって溜まってるわけだ」
「そうそう。最悪水泳じゃなくてもいいから、この溜まったエネルギーを発散したいんだ。でないと気持ち悪くて。何かいい方法ないか?」
「ふーむ……」
エネルギーの発散ね…………あっ。
「オ◯ニーとかどうだ?」
「ぶっ◯すぞ」
本気のトーンで怒られた。
「いや、流石に冗談だが。でも、女体化バレのリスクを考えると迂闊に寮外には出れないだろ?」
「だとしてもなんで第一候補がソレなんだよ!」
「だってお前、あんまりゲームとかしないだろ?」
エネルギー発散方法といえば、俺が真っ先に思い浮かぶのはゲームだ。だが、わりかしアクティブでアウトドア派な楓はあまりテレビゲームやスマホゲームをしない。となれば、選択肢は1つしかない。
「なんでその二択しかないんだよ! あと、その二択なら普通にゲームするよ! あんまりしないだけで嫌いなわけじゃないんだから!」
「なん……だと⁉︎」
「いやそんなに驚くことじゃないだろ⁉︎ だ、大体、女体化状態でその……お、……にーとか、出来るわけないだろっ!」
「ん? ごめん、よく聞こえなかったからもう一回」
「セクハラで訴えるぞ。高崎に」
「ごめんなさい許してください」
そんなことしたらまた俺気絶させられちゃうから。容赦ない拳が人中に飛んでくるから。
「まったく……もっと真面目に考えてくれ」
「うーん、そうだな……」
殴られたくはないので、先程以上に真剣に考える。エネルギー発散か……一番いいのは泳ぐことなんだろうが、校内のプールでは女体化バレのリスクが高すぎるし…………あっ。なら普通に校外のプールとかに行けばいいのでは……? 少し遠出をすれば同級生たちとうっかり出くわすこともほぼないだろうし、存分に水泳を楽しめるだろう。……まあ、そのためには女子用水着の着用が必要だが。
「……広人にしては悪くない案だな。でも、女子用水着か……流石にそれは抵抗あるなー……」
「なん……だと⁉︎」
そんな馬鹿な……!
「いや当然だろ⁉︎」
「でも楓ちゃんになってからもう一ヶ月だし、女子として生きるのにも慣れては来ただろ?」
「出来れば慣れたくはないんだがな! 仮にそうだとしても水着は流石に抵抗あるよ! あと楓ちゃん言うな!」
「……今日はよく叫ぶな。疲れないか?」
「誰の! せいで!」
「……あっ。その激しいツッコミがエネルギー発散に――」
「なるかボケ!」
肩で息をしながら楓が睨んでくる。……ふむ。流石に今日は楓で遊びすぎたか。この辺で本当にやめておこう。
と、決意したタイミングで部屋のチャイムが鳴った。息が上がっている楓に変わり、俺が玄関まで出て行く。
「あれ、前橋か」
「こんにちは、前橋くん」
扉を開けた先で待っていたのは高崎と館林だった。玄関を開けたのが楓じゃなかったことに驚いているほうが高崎、その後で俺に挨拶をしてくれた方が館林だ。男物というよりはユニセックス系の私服を纏っているこの2人は、訳あって男装して男子校に通う女子である。その訳を教えろ、という人は、この作品の第1章を読んでくれ。
「前橋、メタ発言は控えた方がいいぞ?」
おおっと。また悪癖によって思考が口から出てしまっていたか。本当に気をつけないとヤバイな、これ。
「ところで、上がっても平気かな?」
俺の背後、部屋の中を指差しながら館林が尋ねてくる。なんだろう、廊下じゃしにくい話だろうか。まあ、そういう話題には事欠かない……というか、そんな話題しかないからな、俺たち。
「ああ。楓が死んでるくらいだから別に問題ないぞ」
別段断る理由もないので、普通に許可を出す。
「「何があった(の)⁉︎」
「まあ、大したことじゃないから」
「「いや全然大したことだと思うけど⁉︎」」
そうだろうか。楓がツッコミ疲れで死んでるのは割と日常茶飯事だと思うのだが……。
「まあいいや。取り敢えず、入っていいぞ」
「「まあいいやじゃ済まないと思うんだけど(だが)……」」
何故か若干引き気味の2人を引き連れてリビングに戻る。
「楓、来客」
「あ、高崎に館林か。いらっしゃい」
「「全然ピンピンしてるんだけど(だが)⁉︎」」
そりゃまあ、エリート帰宅部の俺と違って楓は全力の運動部だからな。疲労の回復は早い。
「……え、何その反応。広人、この二人に何言った?」
高崎たちのリアクションを受けて、楓が俺を睨んでくる。
「楓が死んでるとしか言ってないぞ?」
「うん、明らかにそれが原因だな! 言葉足らずにもほどがある! お前はもうちょっときちんと説明するよう心がけようか!」
なんかお説教された。お前は俺のオカンか。
「誰がオカンか‼︎」
「……ええと、本題に入ってもいいかな?」
俺と楓がコントを繰り広げていると、苦笑いの館林がそう割り込んできた。そうだな、楓とコントをしている場合ではなかった。二人が部屋を訪ねてきたということは、何か用事があるはずだ。コントよりはそっちを優先すべきだろう。
「ああ、ごめんな。広人は後で教育しとくから、本題に入っていいよ」
え、俺後で教育されんの?
「うん、お願いね」
え、お願いしちゃうの?
「で、私たちがここに来た理由なんだけど、実は今から葵ちゃんとカラオケに行こうと思って。それで、よかったら前橋くんたちも一緒にどうかなー、というお誘いに来たんだけど」
「……なるほど、カラオケか」
確かに、しばらく行った記憶がないな。久しぶりに歌いに行くのも悪くないかもしれん。それに。
「ちょうどよかったじゃないか、楓。お前の溜まったエネルギー、解消できそうだぞ」
カラオケとかストレス発散の最大手だろう。なんで真っ先に思いつかなかったのか。
「……そうだな。少なくともお前のふざけた案よりは100倍マシだ。でも、俺たちも一緒でいいのか?」
「もっちろん。こういうのはみんなで行った方が楽しいしね。ね、葵ちゃん?」
「ああ。前橋の酷い歌声を馬鹿にするのが今から楽しみだ」
「おいこら」
人を勝手に音痴認定すんな。エリート帰宅部の歌唱力舐めんなよ。確かに肺活量はゴミだが、選曲さえ間違えなければ平均よりは上だと自負している。
「そういうことなら、ご一緒させてもらおうかな。俺もしばらくカラオケなんて行ってなかったし」
「決まりだな。んじゃ、さっさと行こうぜ」
楓が賛成の意を示すと、高崎が立ち上がって俺たちを急かしてくる。何気にカラオケを一番楽しみにしてるのはコイツか?
「そうだね。……あ、ところで。前橋君のふざけた案ってなんだったの?」
「「それについては聞いてくれるな」」
元男子の楓ならともかく、男装してはいても紛れもなく女子である二人を前に平然と下ネタを言う勇気は、流石の俺にもない。
部屋着から外行きの装いに手早く着替えると、俺たちは寮を出て学校の外へと歩き出す。日曜日にも関わらず熱心に部活動に励む生徒たちを横目に学校の敷地を出ると、高崎と館林がふぅと息を吐いた。
「ここまで来ると少し安心だな」
「そうだね。校内だと気が抜けないからね」
「……改めて思うが、疲れそうだな、お前らの生活」
学校内では自分が男装女子だとバレないように常に神経を使ってなきゃいけないとか。俺には到底できそうもない。
「確かに大変は大変だけど……あたしがそう望んだ結果だし、文句はないよ。……それに、一ヶ月前に比べたらだいぶ心にゆとりもできたし。な?」
「うん。私たちをサポートしてくれる心強い味方がいるからね」
「なあ、今ルビの振り方おかしくなかったか?」
「だからメタ発言やめろって」
「いや今のはツッコんで然るべきところだろ⁉︎」
誰が便利屋か。そんな認識なら容赦なく見捨てるぞ。
「ごめんごめん、冗談だって。……でも、もし私たちを裏切った場合、前橋君は海の底に……」
「すいませんっした!」
便利屋でも何でもやるのでそれだけは勘弁してください。
そんなやり取りを続けながら歩くこと十分弱。学校から二番目に近いカラオケに到着する。一番近い店を避けたのは、うっかり知り合いとバッティングしてしまうリスクを減らすためだ。その方が三人も心置きなくカラオケを楽しめるだろうということでそうなった。
カウンターで受付を済ませてルームに入ると、早く歌いたくてたまらない様子の高崎が早速選曲用の機械を手に取る。
「さーて、何から歌うかなー」
「……へぇ、普通のカラオケってこんな風に曲選ぶんだ。家にあるのと全然違うね」
鼻歌を奏でながら機械を操作する高崎を横から覗き込んだ館林がそんな感想を漏らす。……い、今更これくらいじゃ驚かないぞ。なにせアイツは先月まで電車に乗ったことさえなかった超の付くおぜうさまだ。そりゃ実家にカラオケくらいあるだろう。
「……さすが館林家だな。ちなみに悠輝の家だとどうやって曲選ぶんだ?」
「なんかこう、〇〇歌いたい! って言ったらその曲が流れ出すよ」
「「「ハイテクが過ぎるんだが⁉︎」」」
流石に驚かざるを得なかった。なんじゃその機能は。「さくら!」とか言われたらどないすんねん。山ほどあるぞ。
「よし、コイツに決めた!」
そのやり取りの間にも選曲を進めていた高崎が一曲目を入れる。なんの断りもなく一番手でいったな……まあ、一番楽しみにしてたっぽいし文句はないが。
高崎が入れたのは、某懐かしアニメの主題歌。俺ら世代にダイレクトに突き刺さる絶妙なチョイスだ。
「〜♪」
「「「ーーーーーー」」」
高崎がAメロを口ずさんだ瞬間、全身が震えた。普段と少し違う透き通った高い声に絶妙な強弱、細かく揺れるビブラートに、聞くだけで情景が思い浮かぶほどの熱量、感情。……え、何コイツくそ上手くね……? 普段よりも二割増しくらいでテンション高いとは思ってたが、そういうことか。これだけ上手く歌えればさぞ楽しいだろう。
結局その曲が終了するまで、俺たち三人は次の曲を選ぶこともせずにその歌声に聞き入っていたのだった。
「ふぅっ。久しぶりに歌うとやっぱり楽しいな! って、どうしたんだ、三人して固まって。次の曲入れないのか?」
「「「この後はハードル高いって」」」
絶対高崎と比べられるじゃん。「あっ、普通……」とかなるじゃん。それは辛過ぎるって。
「そ、そんなことないって。じ、じゃあ、席順に時計回りで、次は前橋な」
「嘘だろ……⁉︎」
照れ笑いと共に絶望がやってきた。いやマジでこの後はしんどいんだが……選曲超重要だぞ……。
少し迷った末に、俺はそこそこ自信のあるアニメ主題歌を入れる。ネタ曲に逃げる手もあったが、流石に二曲目からそれもどうかと思い、無難な選択肢を取った。周りからの憐れみの目には耐えるしかない。
極力三人の顔を見ないようにしながらなんとか歌い切る。ふぅ、と一息つきながらソファに腰を下ろすと、次の順番である楓にマイクを渡す。
「ほい、次」
「お前も十分上手いじゃねえか!」
なんか楓がキレていた。
「いや、お前とは何度もカラオケ行ってるだろ?」
俺の歌だって何度も聞いたことがあるはずなのに、何を今更。
「色々あって忘れてたんだよ!」
「……まあ、そうだな」
何も言い返せなかった。
「なんだ、音痴じゃなかったのか」
「だからそう言っただろうが」
高崎の歌を聴いた後だと嫌味にしか聞こえないんだが。まあ、そんなつもりはないんだろうけど。
「葵ちゃんも前橋君も凄く上手いね! 私は逆に凄く下手だから羨ましいなぁ」
「「いやいやいや」」
自宅にカラオケがあるようなヤツが下手なわけないだろう。間違いなく謙遜だ。
楓がごく普通の歌声でごく普通のJPOPを可もなく不可もなく歌った後は、いよいよ館林の番。さて、カラオケ所有者の実力やいかに。
「#?@!☆%÷*〒――――」
「――ハッ!」
……あれ、俺さっきまで何してたっけ……?
「私の歌声、気を失うレベルなの⁉︎」
マイクを握りしめた館林が何事かを叫んでいる。左隣には何故か白目をむいた楓、右隣には耳を抑えてうずくまる高崎。……ああ、そうそう、俺たちはカラオケに来ていて、確か今は館林の番で……。…………。
「……なあ、館林」
「……な、なんでしょう……?」
「お前、自分の家以外で歌うの禁止な」
「そこまで⁉︎」
この間、高崎に料理だけは絶対にさせてはいけないことを学んだが、今日は館林に絶対歌わせてはいけないことを学んだ日だった。
「いやー、楽しかったな!」
「ああ! 絶好のストレス発散になったぜ!」
気絶から目覚めた後は普通にカラオケを楽しんでいた高崎と楓が前を歩きつつ感想を述べあう。当初の目的は達せられたようでなによりだ。
「……結局あれ以降本当に歌わなかったが、よかったのか?」
そんな二人を横目に、俺は隣を歩く館林に問いかける。確かに俺もつい歌うなと言ってしまったが、やはり折角カラオケに来て歌わないというのは楽しくなかったのではないか。
「あはは、心配してくれてありがと。でも、大丈夫だよ。葵ちゃんも前橋君も上手いから、それを聞いてるだけでも十分」
「……楓は?」
「……ノーコメントで」
「お、おう……」
別に下手ではないんだけどな、楓も。高崎が上手すぎるのがいけないんだ。
「まあ、人のこと言える腕前じゃないんだけどね」
「自覚はあったのか?」
「ここまでとは思わなかったけど、多少はね。今日カラオケに来たのも葵ちゃんが歌いたそうにしてたからで、私は聞いてるだけでもいいかなって最初から思ってたし」
「そうだったのか」
ならよかった……のだろうか。まあ、楽し気な様子ではあるし、良かったということにしておこう。
「それよりこの間おじいちゃんがね、『今年の夏はプールの授業を無しにしてくれる!』って息巻いてたんだけど、上手くいくと思う?」
「無理」
「即答⁉」
館林の質問に適当に返しつつ、夕暮れ時でも暑さを保ち続ける橙色の空を眺める。そうか、そろそろプール開きの時期か……。
「……これはまた、今月も厄介な事態になりそうな予感だ……」
できることなら外れてくれと祈りつつ、そんなことは想像もしていなさそうな楽しげな二人の背中を俺は追いかけるのだった。