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第四話 友人のために一肌脱ぐ回

 時が経つのは早く、既に五月最後の金曜日。この四人での部活が始まってから二週間近くが経過した。最近では、剣道の練習がない月、水、金曜日には、四人が持ち回りで遊べそうなものを持ってきて、部活終了までそれに興じるというのがお決まりになってきた。ちなみに館林が剣道の練習をする火、木曜日は、大体それ以外の三人で練習風景を見ながら駄弁っている。参加する気配は一ミリもない。

 本日四人で興じていたのは、楓が持ってきたウノ。これがまあ盛り上がる。さすが定番アイテムだ。罰ゲームもあの人生ゲーム以降度々導入されていて、自分の恥ずかしい失敗を暴露したり、スベらない話を披露したりといった、様々な罰ゲームをこなしていくうちに、最初はだいぶぎこちなかった俺たち四人の仲もだいぶ深まってきた。今ではすっかりこの放課後の部活の時間が毎日楽しみだったりする。

「よしっ、あがりだ!」

「くあーっ、やっぱ緑だったか!」

 何ゲーム目かわからないウノの試合が終わる。最初に高崎が一度も山札から引くことなく光の速さであがり、それを追うように館林もあっさりあがって、ずっと俺と楓の一騎打ちだったのだが、最後の最後で色を読み間違えて楓にあがられてしまった。

「じゃあ、前橋君が罰ゲームだね。葵ちゃん、やっちゃってっ」

「おうっ。恐ろしい命令行くぜ!」

「……お、お手柔らかに頼む……」

 一昨日は女装させられたからな。スカートがあんなにスース―して不安になるものだとは思わなかった。できれば一生知りたくはなかったが。

「そうだな……じゃあ、桐生のいいところを十個挙げてくれ」

「……なん、だと……」

「幼馴染なら余裕だろ?」

 いや、いくら幼馴染でも、というかむしろ幼馴染だからこそ、楓のいいところを改めて口にするというのはかなり恥ずかしい。しかも本人の前で。高崎のやつ、本当に恐ろしい命令をしてきやがった。

「……お前、次のゲームは覚悟しとけよ……?」

「ははっ、やれるもんならやってみろ。ほら、それより早く」

「わかってるよ……えっと、まずは料理が上手だろ」

「そっか、前橋君たちのところは桐生君が毎日料理してるんだっけ?」

「ああ。和食洋食中華、なに作ってもうまいよ」

 食堂のおばちゃんたちには悪いが、部屋に戻るとあれが食えると思うと、食堂を利用する気にはならない。

「それと、料理以外の家事も得意だな」

「……そういや、前に二人の寮室に入った時、部屋の中すごい綺麗だったよな」

「あ、私もそれ思った。本当に男二人の部屋なのかな、ってびっくりしたよ」

「部屋の掃除してるのも楓だ。この間やってなかったか? って頻度でこまめに掃除してる」

「じゃあ、もしかして洗濯も?」

「楓だな。たたんで俺の部屋のタンスに入れるところまでやってくれる」

「「もはや嫁」」

「嫁って言うな! 俺は男だって何回も言ってるだろ!」

 いやまあ、確かにそうかもしれないが、性別関係なくやってることが嫁っぽいんだよ、お前は。

「……でもこれ、もし桐生がいなくなったら、お前どうやって生活するんだ?」

「…………………」

 料理→卵も割れない。掃除→片付けているはずが、気付くと掃除前より散らかっている。洗濯→洗剤の量を間違えて、洗面所を泡だらけにしたことがある。

「…………俺、楓がいないと生きていけないな」

「ブッ!」

 冷静に現状を分析したら、楓が吹いた。……ああ、確かに俺の台詞、ちょっとプロポーズみたいだな。

「安心しろ楓。俺、さすがに女体化した男子と結婚する気はない」

「当たり前だよ! 俺だってこの姿のまま、しかも男と結婚なんてごめんだ‼」

「でも、楓がいなくなると俺の生活が荒廃するのは確定だ」

「わかってるなら自分でなんとかする努力をしろ!」

 ……言い返す言葉がねえ……。

「そうだよ前橋くん。家事はできて損はないんだから、覚えた方がいいよ。桐生君に教わればきっとすぐに上達するし、なんなら私も教えるよ」

 ……そう、だな。家事のエキスパートが同室にいる今の状況は、家事を覚えるには絶好の環境だもんな。館林も協力してくれるみたいだし、今後は家事を楓に任せきりにしないで、頑張って覚えてみるか。

「……じゃあ、俺も頑張ってみる。ド素人だから教えるのは大変かもしれないが、二人とも頼むな」

「……まあ、やる気があるならちゃんと教えるよ。一生広人の世話をする気はないしな」

「うん、任せてっ」

 というわけで、家事を頑張ることになった。……あれ、なんでこんな話に……?

「……そういえば、さっきから黙ってるけど高崎は家事――」

「聞くなっ!」

「え」

「……なにも……聞くなっ……」

「「「………………」」」

 察した。


「さ、さてっ。少し話がそれたが、気を取り直して罰ゲーム続けるぞっ。桐生のいいとこの二つ目だな」

 空気を換えるように、高崎が少し声を張り上げる。……そうだ、元はそんな話をしてたんだった。

「……って、二つ目⁉ 俺もう三つくらい言わなかったか⁉」

 料理ができる、掃除ができる、洗濯ができるで、ほら三つだろ?

「ああ。だからその三つを纏めて、『家事ができる』ってのが一つ目だろ?」

「……そんな馬鹿な……」

 あと七個だと思ってたのが九個になった。……いやもちろん、思いつかないわけじゃないぞ? ただ、言うのが恥ずかしいからあと七つだった方がありがたかったってだけだ。

「ほら、諦めて早く二つ目言えって」

「ぐっ……」

 俺が恥ずかしがっているのを知っていて煽ってくる高崎。……くそっ、マジで次のゲームでは覚悟しろよ……っ。

「…………二つ目は、ツッコミがうまい所だ」

「……それ、いいところなの?」

「ああ。俺と楓が話すときって、大体楓がツッコんでるだろ?」

「まあ、そうだな。前橋がボケで、桐生がツッコミって感じだ」

「会話の後、大体桐生君が疲れてるよね」

「広人がすぐにボケるからだよ」

「そう、それだ!」

「……えっと、ごめん、どれ……?」

「つまり、楓は俺のどんな小さなボケや冗談も拾ってツッコんでくれるんだよ。見逃したり無視したりしないんだ。しかも、会話のあとに疲れるくらい全力でツッコんでくれるんだ。楓のそういうところ、俺は……い、いいと思ってる」

「「おお~」」

「………待て、これ俺にとっても罰ゲームなんだが! なにこの恥ずかしさ‼」

 楓が顔を赤くしながら叫ぶ。……そりゃ、口に出す俺がこれだけ恥ずかしいなら、当然それを聞く楓だって同じくらい恥ずかしいか。

「……よし、三つ目いくか」

「「いけるわけないだろ!」」

 なに楽しそうな顔してサラッと進めようとしてんだ、お前は。


「「……ぜえっ……ぜえっ……」」

 抵抗空しく罰ゲームはきっちり最後まで遂行させられ、俺と楓は完全に憔悴しきっていた。……恥ずかしぬ、ってこんな感じか。

「よし、次のゲーム行くかっ。……って、お前ら疲れすぎじゃね?」

「「主にお前のせいだわ!」」

 館林も「もうやめて! 前橋君たちのライフはとっくにゼロよ!」と言ってくれていたのに、高崎は「話せ!」と言って俺に罰ゲームを続けさせたのだ。あいつには絶対に似たような目に遭ってもらわねばならない。

「「……(コクリ)」」

 楓と顔を見合わせ、頷き合う。共闘開始だ。

「よし。じゃあ、始めるぞ」

 前回最下位の俺が山札をシャッフルし、四人に七枚ずつ配る。そして、いよいよゲームを開始しようというところで――

 テレテテッテッテー

「あ、すまんメールだ。ちょっと待っててくれ」

 俺のスマホが鳴ったので、一時的に中断する。まあ、多分大したことないメールだとは思うのだが、なんか重要な事だったら嫌なので一応。

「(……今、気のせいか受信音がド○クエじゃなかったか?)」

「(……うん。なんかレベルアップしてたね)」

「(……広人のメール受信音は、昔からずっとアレだ。ちなみに着信音は、ポ○モンの一ばんどうろでかかるアレ)」

「「(なぜ⁉)」」

 ……なんか色々言ってる気がするが、気にせずメールを開く。差出人は……理事長? 確かに、なにか話がある度に校内放送で呼び出していたら怪しまれるので、一応連絡先は交換したが……なにか呼び出しだろうか。少し構えつつ、そのメールを開く。そこには――


 ☆    ☆    ☆


 その日の理事長室には、予定にはない客人が訪れていた。

「しかし、唐突だなー、健三も。来るなら事前に連絡くれるのが礼儀だろう? 私だって暇じゃないのだよ?」

「ふざけろ。お前が俺のところに来るときは連絡なんてないし、毎日その椅子に座ってるだけなんだからどうせ暇だろ」

 客人の名は、高崎健三(けんぞう)。この学校に通う高崎葵の父親であり、理事長とは通うジムが同じだったことがきっかけで二十年ほど前から交友がある。年は理事長の方が十ほど上なのだが、まるで同年代のような仲の良さである。

「ま、その通りなんだがな。……で、何の用だ? まさか、こんなところまでわざわざ俺と遊びに来たのか?」

「んなわけあるか。俺がここに来て話っつったら――」

「――わかってる。娘を退学させに来たんだろ?」

「……お前のその、適当そうに見えて実は全部わかってるとこ、ほんと厄介だよな」

 ジョークばかりの適当な姿から一転、急に別人のような雰囲気を纏い、健三の心の内を完全に見抜いた理事長にしかし、健三は動じないどころか悪態をつく。お互いにお互いのことはよくわかっているのだ。

「その通りだ。俺は葵を退学させにきた」

「……どうしてだ? アンタの娘はなにも問題は起こしてないし、ごく普通に学生生活を送ってるぞ?」

「男装して男子校に通ってる時点で普通もクソもあるか。……娘が男子しかいない学校の中で男装して生活してるとか、親として看過できるわけないだろ」

「その気持ちは凄くわかる‼ ……だが、それなら最初から通わせなければいいだろう?」

 その言葉がブーメランだという事実には理事長は気付かない。

「それは……うちにも事情がある」

「まあ、それはわかるし、無理に聞こうとも思わないが………だが、他ならぬ親友の他のみだからと、特別に女子が男子校に入学することを許可した私としては、やっぱり娘が心配だから退学させますと言われてもな………」

「……確かに、勝手なことを言ってるのはわかってる。だが、俺だってこんな展開は予想外だったんだ」

「……というと?」

「本当なら入学してすぐにでも、限界だ、辞めたいと葵が言ってくるはずだったんだが……思った以上に葵が粘るのでな……さすがにこれ以上は、と思って迎えに来たのだ」

「あー……なるほど。つまりこういうことだな。アンタは娘となにかしら意見が食い違った。だが、なかなか引いてくれない娘を見たアンタは、それを娘に諦めさせるために、娘の要求を通す交換条件として男子校で三年間過ごせとか無茶なこと言ったんだろ。娘にはできっこない、すぐに逃げ帰ってくる、そう思ってたんだな。ところがどっこい、アンタの目論見通りにことは運ばなかった。娘は音をあげず、男子校での生活を今も送り続けている。すぐに戻ってくると踏んでいたからこそ男子校という危険な環境に娘を投げ込んだアンタとしては、気が気じゃないよな。いつ娘の正体がバレて、どんな目に遭ってしまうかと心配で仕方がない。でもいつまでたっても娘は音をあげない、帰ってこない。そして限界を迎えたアンタは今日、こうして娘を強引に連れ戻しに来た、と」

「………ほんと、嫌になるほど察しがいいよな。さすがあの『館林コーポレーション』の元社長か」

「昔のことだよ」

 実際、理事長の推測はほぼ完璧に当たっていた。世界に名を轟かせる『館林コーポレーション』の社長をつとめあげたのは伊達ではない。

「……こっちの事情はお前が言った通りだ。だから、即刻葵を退学にさせろ。今日にでも連れて帰る」

「せっかちだな、アンタは。私がいくら理事長でも、そんな言われてすぐできるわけないだろ? 書類を用意したりあちこちに話を通したりしなきゃならないんだ」

「……それはいつまでかかる」

「最速で明日の三時だな」

「じゃ、その時間にまた来る。それまでにきちんと退学処分にしとけよ」

「はいはい」

 その適当な返事を聞くと、健三は踵を返して理事長室を後にしようとする。健三が扉に手をかけたその時。

「――一つ、確認だが。アンタ娘を退学にして、その後……娘の要求には応えるのか?」

「……愚問だな。条件を達成していないのだから、応える理由などないだろ」

「……さいですか」

 今度こそ話は終わりだと、健三が扉を開け、理事長室を出ていく。そして、その扉が閉まる直前。

「――親友のよしみで忠告してやるが。アンタ、少し自分勝手すぎないか? さすがに娘が可哀想だと思うが」

「――部外者が、我が家の教育方針に口を挟まないでくれ。では」

 バタン、と音を立てて理事長室の扉がしまる。廊下から聞こえてくる足音が小さくなり、やがて聞こえなくなったのを確認すると、理事長は「ふーっ」と長い息を吐いた。

「……いつからあんな奴になっちまったのかね。昔はもっと真人間だった気がするんだが」

 回転椅子をくるりと百八十度回し、窓から空を見上げながらそうぼやく理事長の後ろで、再び扉が開く音が響く。入ってきたのは、二人の生徒。

「……さて。私たちの話はちゃんと全部聞こえていたかな?」

 再び百八十度回転した理事長の視線の先にいるのは、前橋広人と、先の話の当事者、高崎葵だった。


 ☆    ☆    ☆


『今すぐ、前橋と高崎は理事長室の前まで来い。だが、絶対に中には入ってくるな。そして、中からどんな話が聞こえてきても、絶対に声を出すな』

 理事長から届いたメールの内容は、こんな感じの意味がよくわからないものだった。だが、件名にも『至急!』と書いてあったので、俺と高崎は、よくわからないままとりあえず理事長の指示通り、理事長室前までやってきた。そして、その中から漏れ聞こえてくる、理事長と高崎の父親の会話を、聞いてしまった。

「……さて。私たちの話はちゃんと全部聞こえていたかな?」

 そして、二人の話が終わった今。俺たちは高崎の父親に見つからないよう一度隠れ、完全に理事長室から遠ざかったのを見計らって理事長室に足を踏み入れたのだった。

「……丸聞こえだ。理事長室のくせに壁薄いんじゃないか?」

 普通理事長室とかって、周りに話を聞かれないために防音対策を完璧に施す場所じゃないのか。

「でもまあ、今回はその薄い壁が役に立っただろう?」

 ドヤ顔で返してくる理事長が本当にムカつく。しかも、それに対してなにも言い返せる言葉がないのがいっそう腹立たしい。

「……呼び出しの理由は、今の会話を俺たちに聞かせるため、でいいんだな?」

「ああ。健三が学校に来たと連絡があった時点で、こういう話なのは予想できたからな。だから、君たち二人を呼び出して、会話を聞かせた」

「なんのために?」

「健三の話を私が君たちに伝言するのでは、二度手間になって私が面倒くさいからな」

 ……こんな時でも理事長は理事長かよ……。

「で。話を聞いた感想はどうだ? 納得か?」

「………んなわけないだろっ」

 こんな勝手が、許されてたまるか。会話中、何度殴りにいこうと思ったことか。高崎の父親は、あまりに自分勝手で、横暴で、ふざけている。

「まさか、高崎の退学を受理したりしないだろうな?」

「いや。このままなら高崎は退学だ」

「なっ……!」

 確認のつもりで尋ねたことにまさかの返答が来て、思わず言葉を失った。

「勘違いをするなよ? 俺は健三の味方だ。娘と孫娘という違いこそあれ、大切な女の子を一人で男子校に通わせているという現状は同じ。それを心配する気持ちは痛いほどわかるし、できることなら即刻やめさせたいというのが本音だ。だから、健三が娘を退学させろと提案してきたことに納得、賛同こそすれ、反対などしない。この心配する気持ち、不安な気持ちから友人が解放されるというのなら、私は喜んでその手助けをするさ」

「……てんめえ……‼」

 適当な言動ばかりだが、それでも生徒の味方だと思っていた。急に性別が変わってしまって困っていた楓も、家のしきたりでここに通うことになった館林も、父に要求を呑ませるためにここに通うことになった高崎も。言葉や方法、やり口は一癖も二癖もあって、こっちが苛立ったりすることも多かったが……それでも、それは生徒のためだった。困っている生徒を助けるための、フォローするための、あの人なりのやり方だった。

 それが……今回はどうだ。誰がどうみたって高崎の父親の方が無茶苦茶で、おかしくて、間違っているのは明白だ。それがわからない理事長じゃない。なのに……それなのに、理事長はアイツの味方をしようという。ごく個人的な理由で、こんな横暴を許可しようとしている。生徒の……敵にまわろうとしている。当然苛立ってもいるが、裏切られたというショックの方が大きかった。

「なんだか君は私を過大評価しているようだがな。私だって人の親だ。常に生徒のためにと思って行動しているのも確かだが、同時に私は親の気持ちだってわかるんだよ。この生徒の親が、一体どんな気持ちで我が子を私の学校に預けているんだろう、と。特に健三の場合は境遇が酷似しているからなおさらだ。君たちにはわからないかもしれないが、自分の子供を寮に入れるってのは、自分の手から離れたところに子供を送り出すってのは、すげぇ不安な事なんだ。自分の目の届かないところで、自分の手の届かないところで、我が子が何か苦労をしていないか、辛い思いをしていないか、常に心配で心配で仕方ないんだ。それが、娘が男装して全寮制の男子校に通うなんて状況ならなおのこと。加えて、理事長としていつでも悠輝の様子を確認できる私と違って、健三は娘の学校生活の様子を知ることもできない。遠く離れた実家の空手道場から、日々娘の無事を祈ることしかできないのだ。……それがどれほどの苦痛か、君たちに想像できるか? 日に日に増していく不安と心配に締め付けられ、押しつぶされる親の気持ちを、親になったこともない君たちが、想像できるか?」

 理事長がつらつらと語る言葉の一つ一つが、胸に突き刺さる。確かに、理事長の言っていることはなに一つ間違ってはいない。子供の俺たちからでは想像もつかないような思いが、きっとそこにはあるんだろう。でも……それで納得できるかどうかは、また別の話だ。

「……想像なんてできねえよ………でもっ、だからってこんなことが許されるわけないだろ! 高崎が自分の意思で選んだ今を、アンタや父親が勝手に奪い取るなんて、そんなのは絶対に許さない‼」

 父親に無茶な条件を叩きつけられて、でも高崎はそれを呑んだんだ。自分の要求を通すために、自分の意志でこの今を選んだんだ。それを勝手に奪い取って、「条件を達成していないのだから、応える理由などない」だと? ふざけるのも大概にしやがれ。

「……ふむ、「自分の意思で選んだ今」か……。そういえば、高崎本人の意思を確認していないな」

 俺の言葉の一部に反応した理事長が、高崎に水を向ける。

「高崎。君は今回の件についてどう思っている? 返答次第では、健三との話し合いの場を設けなくてはいけなくなる。いくら私が健三の味方だと言っても、それはあくまで彼が『親』ならば、という話だ。娘を無理やり従わせるために、娘の承諾もなしに退学させようとしているのなら、それはもはや『親』ではない。たとえ友人であろうと、娘の言葉に、意志に耳を傾けられないやつなどに、私の預かった大切な生徒を返すわけにはいかない。どうだ、高崎? 君の心は、どっちだ?」

「……理事長……!」

 一瞬、本当に裏切られたのかと思った。でも、やっぱり理事長は理事長だった。最後まで、生徒の味方だった。あとはただ一言、高崎が退学したくないと口にするだけで――……。

「…………高崎?」

 そういえば、理事長室に入ってから一言も喋っていない。それどころか、廊下で二人の会話を聞いていたときから、一言も。俺なんかよりもずっとたくさん文句があって、不満があって、言いたいことだらけなはずなのに……なんで、一言もそれをぶつけない? 高崎なら、真っ先に怒鳴っていたっておかしくないのに……。

「……っ!」

 心配になって、俯いた高崎の顔を覗き込む。そこで俺が見たのは――全てを諦めきった、絶望に染まる友人の顔だった。

「………た、か……さき……?」

 それが本当にあの高崎なのか、一瞬わからなくなった。それほどまでに、高崎の表情は変わり果てていた。

「……やっぱり、あたしは…………あたしじゃ、お父さんには…………っ!」

 泣くような声で呟くと、高崎は弾かれるように駆け出し、理事長室を出ていった。

「高崎!」

 咄嗟に追いかけようとして、すぐに足が止まる。……このまま高崎も俺も部屋を出ていったら、高崎の退学の件はどうなる? 高崎はなにも言わずに出ていった。それは、退学することに異存はないと取られてしまわないだろうか。俺だけでもここに残って、理事長の説得をした方がいいんじゃ――

「……私はまだ、高崎の意思を確認できていない。早く連れ戻して、きちんと私に伝えさせろ。高崎の真意をきちんと本人の口から聞くまで、私は動けないからな」

「…………まったく、一瞬敵にまわったのはなんだったんだよ」

「一度落としてから上げる方が、いい男っぽく見えね?」

「……ははっ、くだらね」

 やっぱり、理事長は理事長だった。一瞬でも本気で疑ったこっちが馬鹿だったみたいだ。

 安心して理事長に背を向けると、俺は高崎を探しに理事長室を飛び出した。


 むやみに走り回って探すのではなく、まずは冷静に行き先を絞る。とりあえず、学校……いや、校舎からは出ていないはずだ。おそらくだが今の高崎は、一人になりたいんだと思う。なら、部活中の生徒たちがまだたくさん残っていて注目を集めてしまいそうな校舎の外に出る可能性は低い。各教室にも練習中の吹奏楽部がいるから、そこも多分ない。そうなると……。

「あっ、広人くん!」

 推測をしながら階段をのぼっていると、上から誰かが声をかけてきた。

「望か。どうした?」

 エプロンを身に着けた望だった。たしか料理部だったはずだし、部活の途中だろうか。

「うん。今、部活の途中でお手洗いに来てたんだけど、そしたら誰かがすごい勢いで階段上がっていって……すこし高崎くんっぽかったから、追いかけようか迷ってたところに広人くんが来たんだ」

「そうか……」

 それは十中八九高崎だろう。上に行ったってことは……多分、目的地はあそこだ。

「教えてくれてありがとう、望。俺が追いかけるから、望は部活に戻ってくれ」

「う、うん……。なにかあったら言ってね? ボク、家庭科室にいるから」

「ああ」

 心配してくれる望に頷いて、俺は階段を上がる。屋上へと続く扉に向けて。


 この学校は、珍しく屋上への出入りが規制されていない。多分理事長の趣味とかだと思うが。そのため昼時などは昼食を食べる生徒たちでそれなりに賑わうのだが、放課後は部活なり寮室に戻ったりなどで、やってくる生徒はほとんどいない。既に暑さも感じられるようになってきたこの時期ならなおさら。

 そんな、普段なら人影なんて見えるはずもない放課後の屋上に、今日は一人の生徒の影があった。その影は屋上の柵に腕を乗せ、沈んでいく夕日を眺めている。俺はその影の横に無言で並び、同じように柵に腕を乗せた。

「一人になりたいところを邪魔して悪いな」

「……別に」

 高崎の返事はそっけないが、本当に嫌がっているという感じでもない。俺はそのまま続ける。

「高崎は、こんな形で退学になってもいいのか?」

「………あたしに、選択肢はないんだ」

「……どういうことだ?」

「………あたしの家、お母さんがいないんだ」

「え…………」

 突然の告白から、高崎の昔話が始まる。

「弟が生まれてから、一年もたたない頃だったかな……あたしが三歳のときに、病気で。あんまり記憶は残ってないけど、真面目で頑固なお父さんの代わりにあたしたちを包み込んでくれるような、優しお母さんだった。そんなお母さんが亡くなってから、あたしと弟はお父さんに育てられた。元々仕事一筋な人だったけど、お母さんが亡くなってからはそれを忘れるように一層仕事にのめり込んでいった。慣れない家事もやって、大変だったんだろうな。その頃から、子供……つまりあたしたちへの態度がきつくなり始めたんだ。言うことを聞かないとすぐに拳が飛んできて、無理やり従わされた。もうあたしたちには、お父さんに従う以外の選択肢がなかった。

 そうやって十年以上生活してきたある日、弟があたしに将来の夢を教えてくれたんだ。『僕、お医者さんになりたい。僕やお父さんと同じように、お母さんを失って悲しい思いをする人が一人でも減るように』って。泣けてくるだろ? 叶えさせてやりたいって、思うだろ? あたしより小さくて、もっと親に甘えたい年頃だったはずなのに、ずっとなにも言わずに我慢してきてさ。そんな弟がこんなこと言うんだ。姉として、絶対に力になりたいって思ったよ。

 でも、うちの空手道場はお父さんよりも何代か前から世襲で続いてきた道場で、その継承者は長男、って決まりがあったんだ。このままいけば、長男の弟は道場を継ぐことになって、医者になるという夢をかなえることができなくなる。だから、あたしはあれ以来初めてお父さんに反抗しようって決めたんだ。当然言ったときには猛反発を喰らったし、パンチだっていくつも喰らった。でも、どうしても弟の夢を応援してあげたかったあたしは、『あたしが道場を継ぐ』って言ったんだ。一応、小さい頃から空手は習ってたし、自信もあった。あたしが道場を継げば弟は自由に夢を追いかけられる。そう思ったから。でも返ってきた言葉は『お前は女だから道場は継がせられない』の一言。あの時ほど自分が女だったことを悔やんだことはないね。

 でも、それでも諦めずに頼み続けた。何度断られたって、言うことを聞けと殴られたって、弟のためだって思ったらちっとも辛くなかった。そうやって粘り続けること一か月くらいだったかな。ようやくお父さんから交換条件を引きだせたんだ。それが、『男装して男子校に通い、高校三年間を男子として過ごせば認めてやる』っていう条件。これならあたしがすぐに諦める、って思ってたんだな。でも、姉をなめちゃいけない。今までたくさん我慢してくれた分、絶対にその夢だけは叶えさせるって、強い覚悟をもって、男子校(ここ)で三年間過ごすことを決めたから。だから、どんなに辛くたって途中でリタイアする気なんてなかった。

 ……なのに、お父さんは無理やりあたしを退学させようとしに来た。あたしとの約束は、まったく無意味なものになった。……これが現実なんだって、思い知らされたよ。あたしがいくら頑張ったって、それがお父さんのたった一言で、一瞬にして全部なかったことになる。あたしがいくら頑張ったって、お父さんの意見を覆すことなんてできない。今まで通り、お父さんの言うことに従うことしかできない。あたしがなにを言おうが、未来は変わらない。理事長が口添えしてくれたって、あの頑固なお父さんの心は動かない。あたしの学校生活も、弟の夢も、ここで終わりだ」

「高崎…………」

 全てを話し終えた高崎は、完全に諦めきっている様子だった。小さい頃から父親に従うことを刷り込まれてきて。だけど弟のために初めて反抗して、粘って、交換条件まで勝ち取って。希望が見えたと思ったら、今日こうして、父親に反抗する術はないのだと思い知らされて、希望を見失って。高崎の心は、完全にぽっきりと折れているようだった。でも……でもな………!

「……一人で勝手に諦めてるんじゃねえぞ」

「……は?」

「自分一人じゃなにもできなかったからって、勝手に諦めるなって言ってんだよ!」

「なに、言って……」

「自分一人でお父さんに反抗してみたけどダメだった。だからもうお父さんに従うしかない? ふざけんなよ‼ なんで俺たちを頼って、もっと反抗しようとしないんだよ‼ お前が弟の夢を応援したいって気持ちは、その程度で諦められるものなのかよ‼」

「なっ……んなわけないだろっ! 自分の人生がどうなったって叶えてやりたいことに決まってるだろ! でもっ、あたしじゃダメなんだよ! あたしの力じゃ、お父さんを変えられないんだよ!」

「だから俺たちを頼れって言ってるんだ‼」

 いつかも華奢だと思ったその両肩をつかみ、俺は全力で言葉に想いを込める。

「お前が退学になるのは、俺たちだって嫌なんだよ! お前と館林が男装してること知って、フォロー役として一緒に過ごす時間が増えて、一緒に買い物行って、毎日剣道場で楽しく遊んで……もうお前がいる日常の方が当たり前なんだよ! お前と過ごす毎日の方が楽しいんだよ! なのに突然父親がしゃしゃり出てきて高崎が退学? そんなの俺たちだって納得できるわけないだろ‼ 俺たちだって反抗するに決まってるだろ‼ なのになんで一人で勝手に先に諦めるんだよ‼ なんで俺たちに一言『助けて』って言えないんだよ‼」

「……まえ、ばし………」

「……お前の本心ぶつけろよ、高崎。できるできないの話じゃない。お前がどうしたいかだ。退学したいのか、俺たちとこのまま学校生活続けたいのか。お前の本音は、お前の心はどっちだ⁉」

「っ! ……そんなのっ、続けたいに決まってるだろぉ!」

 涙腺が崩壊しながら、高崎は叫ぶ。

「最初は弟のために耐え続ける日々だったけどっ、前橋たちに正体がバレて、悠輝や桐生のことも知って、一緒に過ごす時間が増えて……すごく、すごく楽しいんだよっ! 悠輝と女子トークすんのも、前橋と桐生をからかうのも、みんなでゲームするのも、全部全部楽しいんだよっ! 退学なんて絶対いやだよっ‼ 弟の夢も、あたしの楽しい学校生活も、両方同時に奪われるなんて、そんなの冗談じゃない‼ お願い前橋、力を貸してっ! あたしが退学にならないようにっ、お父さんを変えられるようにっ、一緒に闘って!」

「……その言葉が早く聞きたかったんだよ」

 泣き叫んでぐしゃぐしゃになった高崎の頭を優しく撫でる。

「安心しろ。俺だけじゃない、楓や館林にも協力してもらって、絶対にお前を退学になんかさせやしない。だから、最後まで諦めるな」

「……うんっ!」

 嬉しそうに笑って胸に抱き付いてくる高崎を、俺が夕日が沈むまで抱きしめていた。


 翌日の放課後。いつもの剣道場。そこにはただならぬ空気が流れていた。

「……これはどういうことだ?」

 そう声を発したのは、高崎の父親、高崎健三。

「いや、アンタの娘の退学に納得がいかないという生徒がいてな。まあ、そのうちの一人はアンタの娘本人だが」

 そして、その隣にたつのはもちろん理事長。そしてそんな二人と向き合う、剣道部の四人。

 昨日あの後、理事長室に戻って高崎の意思を伝えた俺と高崎は、急いで剣道場に戻って残っていた二人に事情を説明した。楓も館林もすぐに協力を了承してくれて、高崎は感極まってまた泣いていた。そして話し合いの末に本日の作戦が決定すると、理事長に頼んだ。今日、高崎の父親がやって来たら、高崎の父親を連れて剣道場に来てほしい、と。

「本人の了承も得ていないのに退学にさせろとか、教育者としてさすがにそんな横暴は許せないのでな。こうして話し合いの場を設けたというわけだ」

「……親が言っているんだから子供の意志は関係ないだろ」

「常に子供の、生徒の味方。それが私の教育方針だ」

「………ちっ」

 理事長に向かって舌打ちをすると、高崎の父親は高崎に目を向ける。

「葵。この学校は危険だ。今すぐ退学した方がいい」

「嫌だ。そもそもあたしにこの学校に通えって言ったのはお父さんだろ?」

「……それは、お前があまりに言うことを聞かないからだ。これだけの無茶を言えばさすがに諦めると思ったんだ」

「あたしは絶対に諦めないし、この学校での生活を続ける。(まもる)には自分の夢を追いかけてもらう」

「……わかった、俺が悪かった。守の夢のことは認める、だから葵は家に戻ってきてくれ。これ以上は俺が心配で耐えられない」

「嘘だな。とりあえず高崎を辞めさせれば、後はどうとでも言いくるめられると思ってるんだろ? 弟さんの夢を叶えてやる気なんて、これっぽっちもないくせに」

 父娘のやり取りに、俺は口をはさんだ。

「……誰だ、君は?」

 高崎の父親の視線が俺の方に向く。鋭く敵意全開の視線だが、一歩も引かない。いや、引けない。

「前橋広人。高崎の友人だ。昨日のアンタと理事長の会話を一部始終聞いている。下手な嘘はつかない方がいい」

「……おい、お前まさか――」

「なんのことだい? 私はなにもしていないよ。ただまあ、理事長室の壁は少々薄いのでな。廊下を歩っていた生徒にたまたま聞かれてしまうこともあるかもしれないな」

 恐ろしい目で睨まれたにもかかわらず、理事長は白々しくとぼける。

「ちっ……白々しい……。……そういうことなら、もう遠慮はなしだ。葵、つべこべ言わずにお前は退学だ。もちろん、守の夢だって認めない。最初から認めるつもりなどなかったのだしな」

「だから嫌だって言ってるだろ」

「……お前がなにを言おうが、私が学費を払うのを止めたらお前は学校に通えないんだ。大人しく言うことに従え」

「あ、別に学費は問題になりませんよ?」

 高崎の父親が学費の話を出すと、すかさずそこに館林が口をはさむ」

「……今度は誰だ」

「館林悠輝。理事長の孫にして、次期『館林コーポレーション』経営者です。僕の実家は、天下の『館林コーポレーション』なので、友人一人分の学費くらい余裕ですよ?」

「んなっ……」

 館林は終始ニッコリ笑顔だが、それが恐ろしく怖い。多分、今回の件で一番怒っているのは館林だ。せっかくできた友人の為に、本気で怒っているのだ。その笑顔の奥にため込んでいる怒りは計り知れない。

「……ちっ、できれば明かさずに事を運びたかったが……仕方ない。うちの葵は、本当は女子なんだ。理事長に無理を言って入学させたが、やはり男子校に女子が通っているのはおかしいし危険だ。だから葵は退学にする」

「「「…………」」」

「………? なんだ、お前ら。驚きで声も出ないのか? もう一度言うが、葵は女子だ」

 ……いや、驚いてたわけじゃなくてさ……。

「……それ、ここにいる全員が知ってるぞ」

「…………は?」

「だから、高崎が本当は女子だってこと」

「加えて言うなら、高崎と同じように男装して男子校に通っている女子は他にもいるぞ。ほら、ここに二人」

 楓が自分と館林を指さす。楓の方は少し事情が違うが、話がややこしくなるのでそういうことにしてもらっている。

「…………いやいやいや、なにを馬鹿なことを。そんな妙な事情のやつが、同時に三人も? そんなことあるわけないだろ。もっとまともな冗談にしろ」

 当然といえば当然か、高崎の父親は楓の言葉を信じない。だから、楓が動く。かつて俺にそうしたように、高崎の父親の腕を取り、自分の股間に導く。

「は⁉ 君は一体なにをっっ……。………」

 触れた瞬間、高崎の父親は黙り込んだ。高崎の父親が楓たちの性別の話に納得しなかった時にはこうやって信じさせようと、昨日の作戦会議で決めていたことだ。楓にはかなり酷なことをお願いしてしまったが、本当に純粋に女子である館林にそんなことはさせられないのと、なにより高崎のためだということで楓は承諾してくれた。

「……わかったか? 俺も館林も正真正銘女子だ。アンタの娘のルームメイトは館林だし、女子である俺たちが安全に、無事にこの学校で生活できるようにそこの広人がしっかりフォローしてくれる。アンタが言うほど、娘の男子校(ここ)での生活は危険じゃないんだよ」

 これが、一応の俺たちの作戦だ。高崎の父親が娘を退学させようとする理由は、娘が一人で男子校に通っているという現状が心配で、不安で、危険だと思っているからだ。だが、実際には同じようにして男子校に通う女子が二人もいて、そのフォロー役もいると知ればどうだ。高崎の父親の不安の種は、娘を退学させようという根拠は、ゼロになるとまでは言わないが、少なからず軽減できるんじゃないか。今すぐの退学は取りやめて、もう少し様子を見る方向に話が向かってくれるんじゃないか。そう考えたんだ。

「ぐっ………」

 事実、高崎の父親は娘を退学させる根拠を失いつつある。自分が挙げていった、娘を退学にさせるための理由がことごとく覆されて、かなり動揺しているようだ。今が好機と見た俺たちは、ここで一気に畳みかけようとして――

「……だがっ‼」

 高崎の父親が放った、怒号のような大声に遮られた。

「そのフォロー役は男子じゃないかっ! アイツがいつ葵を襲うともっ、葵の正体を前項にバラすとも限らないだろっ⁉ やっぱり葵をこの学校に通わせておくわけにはいかない‼ 葵は退学だ‼」

「なっ……! こ、こんのクソ親父……っ‼ あたしのことはともかくっ、前橋のことをそんな風に言うんじゃ――‼」

 父親の発言に怒ってくれた高崎を手で制す。

「前橋……!」

「ここは、俺に任せてくれ」

「……。……わかった」

 自分の憤りを必死に抑えて俺に託してくれた高崎に笑みを返して、俺は一歩前に出る。

「それはつまり、俺が信用に値しない、ってことでいいんだな?」

「当たり前だっ! 大体俺とお前は初対面だろ! 信用しろって方が無理だっ‼」

「……それもそうだな。じゃあ、一つ勝負をしろ」

「……勝負?」

「ああ。俺と勝負をして俺が勝ったら、すぐに全面的に信用しろなんて言わない、俺が信用に値する人物かどうか判断をする様子見の期間をくれ」

「……俺が勝ったら?」

「そんときは、俺も高崎も退学だ。俺だけリスクを負わないのはフェアじゃない」

「「「はぁ⁉」」」

 なに勝手なこと言ってんだ、という抗議の声が後ろから聞こえてくるが、今は無視して高崎の父親を見つめ続ける。大丈夫、勝算だってある。負ける気はさらさらない。

「……ふん。そこまでの覚悟があるなら、受けてやる。なにで勝負する気だ?」

「じゃんけん」

「「「……はあぁぁ⁉」」」

 先程以上の講義の声が聞こえてきた。……そんなにおかしいだろうか。空手道場の師範と勝負しようと思ったら、こういう勝負くらいしかないと思うんだが。

「……運に任せようというのか?」

「いや。俺はパーを出す」

「……心理戦か。いいのか? 俺は武道に携わっている者として、心の鍛錬もずっとやってきている。心理戦で高校生ごときに負けることはないぞ?」

「覚悟の上だ」

「……ならいいだろう。では、一発勝負だ。退学になる覚悟をしておけ」

「そっちこそ、負けた後でダダこねるんじゃねえぞ」

 お互いに挑発し合ってから、右手を構える。……心理戦にしたとはいえ、ほぼ初対面の俺たちだ、互いの性格なんてほとんどわかっていないから、結局はただのじゃんけん。勝つ確率は三分の一で、負ける確率も三分の一。そこに、俺の、高崎の、俺たちの高校生活が、今後の未来が懸かっている。……絶対に、負けられない。

「理事長、号令」

「あいよー。最初はグー、じゃんけん――」


 ―――パァン


 理事長の号令に合わせて、俺は宣言通り渾身の平手打ち(パー)を繰り出した。

「ふざけんのも大概にしろクソジジイ‼」

 突然頬を撃たれて呆然とする高崎の父親に、構わず俺はすべてをぶつける。

「自分勝手な理由で高崎を男子校に入学させて、かと思ったらまた自分勝手な理由で退学させようとして……‼ 少しはアンタに振り回される娘の気持ちも考えろ‼ アンタの娘はなあ、弟の健気な夢を本気で応援するためにこの学校に来たんだよっ‼ 今までいろいろ我慢させてきた弟に、どうしてもこの夢だけは追いかけさせてやりたいって! だからアンタの出した無茶苦茶な条件呑んで、危険は承知でこの学校に入ることを選んだんだろ‼ それなのにアンタはなんだ‼ やっぱり娘が心配になったから退学させる? だけど娘の要求には応えません? いい加減にしろよクソ親父‼ なんで娘の健気で純粋な想いに応えてやることもできねえんだよ‼ 息子が自分の夢を追いかけることすら許してやれねえんだよっ‼ アンタそれでも父親かっ‼」

「な…………だ、だって、医者になるのは難しいから……」

「だとしてもっ、挑戦する権利くらい与えてやれよ‼ 息子に道場を継いでもらいたいのはわかるが、だからって自分の息子の未来まで奪ってんじゃねえよ‼ アンタの息子は『僕やお父さんと同じように、お母さんを失って悲しい思いをする人が一人でも減るように』って医者になろうと決意したんだぞ⁉ その想いを応援してやれない親がいるかよ‼」

「んなっ………そ、そんな話は初耳だぞっ⁉」

「アンタが聞こうとしなかったんだろっ‼ 息子が医者になりたいっていう高崎の言葉だけ聞いて頭ごなしに否定して、息子がどんな想いで医者を目指そうと思ったかなんてこれっぽっちも聞こうとしてないんだろっ‼ だからアンタは父親失格なんだっ‼」

「……っ‼」

「娘のことだって同じだ! 娘が一体どんな想いでアンタの無茶苦茶な条件を呑んだか知らないから、こうやって簡単に退学させようなんてことができるんだ‼ 妻を失って、一人で仕事も家事も子育てもやらなきゃいけなくて大変だったのはわかるけどなっ、アンタは一番忘れちゃいけないものを忘れたんだよっ‼ 自分の子供たちとのコミュニケーションっていう、絶対に忘れちゃいけないもんをなっ‼」

「……子供との……コミュニケーション……」

「ああそうだよっ! 仕事と家事の忙しさにかまけて、子供たちとのコミュニケーションを忘れたんだっ‼ 忙しい自分をこれ以上煩わせないように子供たちに無理やりいうことを聞かせて、子供たちをないがしろにしてきたんだっ‼ それでもっ、お父さんが大変なのはわかるから、っていって色々我慢してきたんだよ高崎たちはっ‼ ここまで聞いてもアンタは、まだ娘を退学させようと、息子が医者を目指すのは認めないって言うかっ⁉ 娘の今も、息子の未来も、どっちも奪おうって言えるかっ⁉」

 エリート帰宅部の癖に柄にもなく叫び続けて、喉が枯れそうになってきた。……だが、俺が言いたかったことはとりあえず全部言い切った。

「……あとは本人と話し合え。勝負は俺の負けだから、俺の処遇については好きにしろ」

 呆然としたままの高崎の父親の右手が未だにチョキの形を保っているのを確認して、俺は剣道場を後にした。


「……ふぅっ、やりきった」

「「じゃねえよ(ないよ)!」」

 俺の後を追いかけてきたらしい二人が、俺の前に回り込む。

「いきなり勝手な事してんじゃねえよっ!」

「そうだよっ! なに勝手にあんな大勝負してるのっ⁉ しかも負けるし! 前橋君退学だよっ⁉」

「あー……まあ、そうだな。でも、俺の退学くらいで一つの家族がやり直せるなら、安いもんだろ?」

「「………はい?」」

「だってさ。あんな父親であろうと、高崎にとっては唯一の親なんだ。高崎が親って呼べるのは、あの人だけなんだよ。あのまま高崎が退学になったり、あるいは俺たちが高崎父をやり込めて強引に高崎の退学を却下させたりしたら、どうしたってあの父娘の間には亀裂とかわだかまりが残ってたはずなんだ。少なくとも和解は、できなかったはずなんだ。そんなのは悲しいだろ? だから俺は、あんな行動に出た。想いのたけを全部ぶつけて、高崎の父親の間違いを正そうとした。……上手くいったかはわからんが、多分大丈夫だろ。勝手な真似して悪かったな。じゃんけんに勝ってれば格好良かったんだが」

「……ホント、三分の一を外すなんて運がないよね、前橋君も」

「パーを出すって宣言してそのままパー出したもんな、お前」

「うぐっ………」

 し、仕方ないだろ。なんとなく右ストレート(グー)は躱されそうな気がしたんだし……。

「……でもまあ、よくやったよ、広人は。お前の行動は、間違ってないと思う」

「楓………」

「だから、俺も退学だな」

「……は?」

 楓はなにもやらかしてないじゃん。なにが「じゃあ」なのか意味わからんし。

「だって、お前のフォローがなかったら、お前が近くにいてくれなかったら、俺こんな状態で普通に学校生活なんて送れないぜ?」

「……無理に俺に合わせようとしなくていんだぞ?」

「いや、これは割とマジだから。広人が近くにいてくれるから、身体が女子になってもなんとかなってたところあるし」

「……なに、告白? さすがに元男は……」

「んなわけないだろ⁉」

 ……でも、うん。本当に、いい幼馴染を持ったな、俺は。楓が女だったら惚れていたかもしれない。……ってそうか、今の楓は女か……ちょっと混乱してきた……。

「あははっ……うん、そうだね。じゃあ、私も退学しよ」

「「……いやいやいやいやいや」」

 館林がこの学校に通ってるのは家のしきたりじゃん。もし退学してしきたりを破ったりしたら、会社継げなくなるんじゃ……。

「いいのいいの、実は会社の経営なんてあんまり興味ないし。どうでもいい未来のために面白そうな今を放り出すなんて、そんなのは面白くないじゃん」

 どうでもいいって言っちゃったよ……。でもほんと、俺はいい仲間たちに恵まれたな。

「じゃあ、三人で退学すっか!」

「「おー!」」

「……いや、誰も退学させねーよ?」

 盛り上がる俺たちに水を差したのは、後ろからやってきた理事長だった。

「……二人はともかく、俺もですか?」

 俺は確かに勝負に負けたら退学するって約束したはずなんだが。

「私、理事長だよ? この学校の最高権力者だよ? 誰がなに言おうが、私がダメって言ったらダメなんだよ」

 え………。

「……じ、じゃあ、今回の高崎退学事件も、理事長が一言ダメって言えば……」

「うん。それで全部解決したよ?」

「「「ざっけんなこのクソジジイっ!」」」

 なんだそれは! さっさと言ってくれればこんなことしなくてもすんだんじゃねえか!

「まあまあそう怒るな。今回の件は、前橋がきちんと男装女子たちのフォローとして機能するかどうかを試すのに利用させてもらったんだ。健三ごときを撃退できないようでは、私の可愛い孫娘を任せるにはやはり心配なのでな」

 ……結局すべては理事長の思惑通り、か。そう思うとあんまり納得いかないが……まあ、結果として高崎の退学は止められた(ハズ)から、よしとするか。

「結果は良好だ。今後も孫娘たちのフォローは前橋に任せようと思う。当然前橋の退学も理事長権限で却下だ。……では、これからもよろしく頼むぞ?」

「こういうのは金輪際ごめんだがな」

「それはどうかな?」

 理事長と言い合いながら、剣道場を振り返る。今頃はきっと、父娘二人での話し合いが繰り広げられていることだろう。その話し合いが和解の方向に向かっていることを願って、俺たちは寮に向かって歩き出した。


 ☆    ☆    ☆


「……葵。俺は、ずっと間違ってたんだな………」

「……そう、かもしれないな。あたしも守も、お父さんのせいで苦労したことは沢山ある」

「…………」

「でも、それはお父さんだって同じだ。お母さんが亡くなって、誰よりも一番ショックだったはずなのに、仕事も家事も頑張って、あたしたちを必死に育てようとしてくれた。慣れないことばっかりで、すごく大変だっただろ。あんな状況じゃ、あたしたちのことがおざなりになっちゃうのも仕方なかったと思う」

「……葵…………」

「でもだからって、お父さんが間違えたことに変わりはない。あたしや守を苦労させた、傷つけた事実も、その最たるものである今回の件も」

「……ああ」

「守の夢を全否定して、それを応援するあたしの想いも全否定して……父親として、お父さんは大きく間違えたんだと思う」

「……ああ」

「……でも今こうして、お父さんは自分が間違っていたことに気付けた。自分がやってきたことが、どれだけあたしと守を苦しめていたか、傷つけていたか、気付けた」

「……ああっ」

「だから……きっと、今からやり直せるよ。間違いに気付けたんだから、後はそれを直すだけだ。……できるだろ?」

「………ああっ!」

「まったく……気付かせてくれた前橋に感謝しろよ? あたしたち家族がバラバラにならないように、自分の退学まで賭けてくれたんだから」

「もちろんだ。彼には感謝してもしきれないよ。……いい友人ができたな、葵」

「……ああっ。最高の友人だよ、あいつらは」

「………やっぱり、この学校に残るつもりなのか、葵」

「……ああ。お父さんが心配する気持ちもわかるけどさ……あたし、今のこの学校での生活が気に入ってるんだ。退学に反対してたのは、もちろん守の夢のためって理由もあったけど……実は、単にあたしがここでの生活をもっと続けたいっていうのも大きかったんだ。今のこの生活を手放したくないって……もう、そういう場所になてるんだよ。あたしにとって、ここは」

「………そっか。じゃあ、葵はここでの生活を続けろ。もちろん守の夢も、応援する」

「お父さん……!」

「……少し、遅くなったかもしれないが。これからちゃんと、お前たちの「父親」として頑張るから」

「うんっ……うんっ!」

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