10
藤宮寛子は目を驚きに瞬かせた。
本来なら、告白して顔を真っ赤にするはずなのは自分の方だと思っていたのに。
(う、そ)
目の前の麗しい英語教師は、見事に赤面していた。
「あ…あの、先生?」
寛子はおずおずとそう声をかける。クルツの顔は真っ赤で、見ているこっちが恥かしくなりそうだ。
「え…うそ、え? 藤宮さんが、え? 僕を?」
信じられない、と言わんばかりだ。
しかし、ハッとして目の前の寛子を見れば、今度はサッと顔を青ざめさせた。
「え、先生?」
「も、もしかして、夢とか、じゃ。ちょ、藤宮さん、頬を、つねってみて」
「え、先生の頬をですか?」
そう問えば、クルツは真剣な顔で頷いた。何かが違うような、と寛子は思ったが、言われた通りにその綺麗な肌をつねってみた。
「っ…」
痛い…、とクルツは感極まったように呟く。
「大丈夫、ですか?」
「だ、大丈夫。痛かった。夢じゃないみたい」
「夢じゃ、ないです。ホントです」
少しムッとして寛子が言うと、今度は何を思ったのか、クルツはじっと寛子を見つめてきた。
「…藤宮さん、ホントに?ホントに、僕が、藤宮さんの好きな人?」
「そうです、先生が私の好きな人です」
はっきりと言ってやれば、クルツはバッと掌を口に当てた。そのまま後ろに後退し、椅子に崩れ落ちるように座る。
「う、わ、…すごい、どうしよう、こんなに嬉しいなんて…死ねないはずだけど、死にそうなくらいだ…」
何やら妙なフレーズも聞こえたが、喜んでいる様子は見てとれたので、寛子はホッと胸を撫で下ろす。おそらく生徒にこんなことを言われたのは初めてなのだろう。それで、おそらく、感情表現の豊かな先生は、そのスキルを惜しげもなく発揮し、凄く喜んでくれているに違いない。
―――と、寛子は少々無理な納得の仕方をする。クルツの驚くほど予想を超えた行動に、寛子の脳は酷く混乱しているようだった。
とりあえず先生に迷惑はかけていないみたいね、と安堵する箇所がどこかおかしい。
(って、今、私、告白したのね)
とハッとする。流れに身を任せて気持ちを吐露していたので、今になってようやく恥かしさがこみ上げてきた。
(か、帰ろう。居た堪れないわ…)
とりあえず、自分の気持ちは伝えたし、返事はおそらく「ありがとう、でも僕と君は教師と生徒だから」という有りがちなものだろうと予想がついたので、聞かなくてもいいか、と自分に言い聞かせ、寛子はその場を離れようと踵を返す。
しかし、それはあっさりと阻まれた。クルツがその手をぐいと掴んだからだ。目を丸くし、寛子は後ろを振り返る。
「――え、あの、せんせ、い?」
「待って、藤宮さん」
「あ、いえ、でも、その、私、出なおして」
「いいから」
グッとそのまま引き寄せられ。
「え、」
トンと落ちたのは、自然とクルツの膝の上になるわけで。それを認識した途端、かああ、と寛子の顔が赤くなる。爆発する、と思って立ち上がろうとしたが、クルツの腕がするりと腰に回り、阻まれた。
(ひっ、何、なに、何、う、腕?)
動揺が甚だしい。トン、と肩に重い何かが乗り、寛子はひくりと息をのんだ。もちろんその何かはクルツの顔で。
「――いいから。ここにいて」
ふっ、と耳元で囁かれる低音美声に、寛子の全身はぞくりと震える。
「――ね?」
と同意を求められれば、頷くしかないわけで。寛子は大人しくクルツの腕に収まった。しかし、その後もクルツの低音美声攻撃は続く。更に、回されていた手が一つ解け、するりと寛子の髪を撫でる。びくっと体が跳ねるたび、「可愛いね」とうっとりと呟くクルツ。
(こ、殺される…)
「せん、せ、先生、あの」
「ん?」
「あんまりその、ぎゅっとされると、心臓が」
「心臓が?」
「こ、こわれそう、で」
やっとのことで言うと、クルツは「壊れる?」と疑問調で呟いた後、何てことないように攻撃を再開した。
「大丈夫、壊れたら治してあげる」
おそらく、にっこり、と笑っているのだろうと容易に想像が出来た。
(なにこれ、なに、なに?)
さっき赤面していた先生はいったいどこへ?
寛子はそんな心境だ。抱きしめられているのは嬉しいが、正直言って嬉しい気持にも許容量というものがある。とりあえず、恥かしさで死にそうだ。
「僕も」
とクルツは耳元で囁く。
寛子は心臓を落ちつけようと努めながらも、クルツの言葉に耳を傾けていた。
「せ、先生も?」
「僕も、藤宮さんが好きだよ」
そう言われて、寛子の時がぴたりと止まる。
「あれ、藤宮さん?」
クルツは少し彼女の体を揺すってみたが、反応がない。しばらく逡巡し、仕方がない、と言わんばかりに、寛子の首筋にちゅ、と口づけた。「ひゃっ」と声を上げ、寛子は我に返る。
「せん、せん、せ、今、何を」
「聞いてた?僕の返事」
「あ…いや、えっと、その」
「好きだよ、僕の好きな人は藤宮さん、です」
「え、え、ええ?うそ、だって、そんな、先生は先生で、私は生徒で、それに」
「先生だとか生徒だとか、そんなの関係ない。藤宮さんは僕が好き?」
「…好き、です」
「僕も好き。それでいいよね?」
「え、あ…いい、です」
思考が追い付かず、流されるままに頷く寛子。
クルツは寛子の腰から手を解き、膝の上からゆっくりと下ろして、自分の前に立たせた。
しかし、何か物足りなかったのか、僅かに眉を顰めた後自分も立ち上がり、次の瞬間にはまた、自分の腕の中に寛子を抱きこむ。
「わ、ぷっ」
「全然足りない。――もうちょっといい?」
事後承諾を得ようと言葉尻を上げる。寛子はもはやこれは現実なのかどうか疑い始めていた。
「――好きだよ、藤宮さん」
クルツの声は少し切ない色を帯びていた。
「どうしてこんなに好きなのかって、考えたこともあった。でも、こんなこと初めてで、正直良く分からない。でも、藤宮さんが世界で一番好きなのははっきりしてるんだよね」
熱に浮かされた様にではなく、どこか不思議そうに言う。
「初恋が実るって、凄く嬉しいことなんだね。恋なんて、知らなかった。「好き」がこんなに切ないものだなんて知らなかったよ。でも、知らなかったときのことなんて思い出したくないんだ。君が僕の腕の中にいることが凄く嬉しい。好きだって言われた時、このまま死んじゃうんじゃないかって思った。でも死ねないよね。君がいるんだから」
クルツは抱きしめていた腕を緩め、そっと寛子の顔を覗き込む。
すっかり赤面している寛子の顔を見て、嬉しそうに笑った。
「君がずっと好きだった。たぶん、君が吃驚するほど好きだよ。最初は、魂だけが欲しいと思ってた。だけど、それだけじゃ足りないんだ」
「そ、それだけって…」
「藤宮さんの全部が欲しい」
「…っ!」
絶句した。どうしてこう、次から次と赤面する台詞を言えるのだろうか。
そうか、お国柄?
と寛子は必死に動揺を鎮めようとくだらないことを考える。だが、そんなことを考えたところで、クルツの甘い言葉は止まらない。
「ふふ、可愛いね」
極上の笑みでそんなことを言われて、平静を保っていられる者などいないに違いない。かああ、と寛子は全身が熱くなるのを感じた。
クルツは彼女のそんな様子に目を細め、何を思ったか、彼女の額に口づけた。驚きに目を丸くする寛子を、クルツは再び腕の中に閉じ込める。そしてぎゅっと抱きしめたところで、彼女の頭の上に顎を乗せ、ぽつりと呟いた。
「《永遠の魂》に、永遠の想いを捧げよう。
死が二人を分かつその時まで、――死に際まで、君を愛そう」
死神は満足げに言って、その口元に笑みを浮かべた。
fin.
読了ありがとうございました。これにて本編完結です。




