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KURZVORTOD  作者: 貴遊あきら
最終章
57/64

「よぉ、なんだかご機嫌じゃねぇか」


扉を開いて迎えてやれば、悪友がにやりと口角を上げて、いかにも面白そうだと言わんばかりの表情をしていた。クルツフォートードは僅かに眉を顰めたが、悪友の背後に立っている者の存在を知り、何か言いかけた口を閉じ、小さく息を吐いて二人を部屋に招き入れた。








寛子の誤解が解けてホッとしたクルツは、じゃあまた学校でね、今日はゆっくり休むんだよ、と言い置いて彼女のマンションを出た。もう少し彼女といたい気持ちもあったのだが、長々と邪魔をしては彼女も気が休まらないだろうと思ったのだ。


(それに…)


クルツは平良のことを寛子に話した。彼が君の様子が変だと、元気がないと教えてくれた、と。言ったことを後悔はしなかったが、その後、僅かに寛子が嬉しそうな顔をしたので、その表情を見るのが、少し辛かったのだ。


「邪魔をする」


と言ったのは悪友――ゼグヌングの後ろにいた悪魔、コイシェリーベだ。相変わらずの美貌に相変わらずの無表情だが、発した言葉にはそれ相応の気持ちが込められていた。その点で言えば、ゼグヌングよりよほどましだとクルツは思う。


「気にしないで。どうぞ入って。コーヒーでも淹れるね」

「すまない」

「お、クルツ。俺は砂糖もミルクもいらねぇから」


君には聞いてないけど、とクルツはゼグを睨みつけるように見た。おお怖、とゼグは身を震わせるジェスチャーをする。最初から彼の分も用意するつもりだったが、勝手知ったる態度の悪友を見、淹れたてのコーヒーを頭からかけてやればさぞすっきりするだろう、と思わずにはいられなかった。

ちらと見れば、ゼグはソファにどっかりと腰掛け、シェリーはどこに座ろうか考えあぐねている様子で、それに気がついたゼグが自分の隣をポンポン叩いて示す。シェリーは少し躊躇ったが、自分の中で何か納得したのか、黙ってそこに腰かけた。


あんなのでも気が利くんだから仕方がないよね、とクルツは何とも言えない感想を抱く。

そうこうしている内に準備が整い、クルツは二人にカップを差し出した。


「悪いな。有難くいただこう」


シェリーはカップを受け取り、その愛らしい顔をほんのり緩ませた。ゼグは軽く頭を揺らし、どうやらそれでお礼を述べたつもりらしい。まあいいか、とクルツは一人椅子に腰かける。


「それで、どうだったんだ?」


ゼグは至極楽しそうだ。


「どうって?何のこと?」

「おいおいとぼける気か?お姫様を送ってきたんだろ?」

「まあ、送ってきたけど?」


それがなんなんだ、とクルツは怪訝な顔だ。コーヒーを一口飲む。


「ご機嫌なのはアレか?キスでもしたか?」

「はあ?」


思わず噴き出しそうになったが堪えた。ゼグはにやにやと人の悪い笑みを浮かべている。どうなんだよ、してきたんだろ、そう言わんばかりのエロオヤジの顔だ。


「してないよ」


はあ、と溜息をつくクルツ。


「なんだよ、してねぇのか? まさか険悪な雰囲気になったとか?」

「いや、そういうわけでもないけど」

「じゃあなんだ?拒まれたのか?」

「いや、拒まれたとかそういうことじゃなくて」

「なんだおまえ、案外ヘタレだな。彼女の部屋に行ってやることといったら一つって人間の男が良く言うじゃねぇか。流石に昨日の今日だからそこまでとは言わねぇが、キスくらい。…そこんとこおまえはもうプロだろ」

「プロってなに。大体…知らないよ、人間の男に知り合いなんていないし。大体そんなことするつもりない」


その発言に、ゼグは「は」と自分の耳を疑った。


「なんだと? するつもりない? おまえ、お姫様が好きなんだろ?」

「好きだよ。だけど、そういう好きじゃない」

「はあああああ?」


ゼグの驚きは半端ない。思わずカップをテーブルに置き、身を乗り出した。


「そういう好きじゃねぇだと?じゃあどういう好きだ?説明してみろ」

「説明って、…いや、そう言われても困るんだけど」


正直良く分からないのだ。セックスについて良い思い出がないので、それをする関係になりたいと思っているわけではない、とは推測できる。加えて言えば、彼女の側に誰かがいると嫉妬をするので、一人占めにはしたいのだろう。


「しいていえば、独占したいとは思うけど」

「独占、ね。じゃあ一つ想像してみろ。お姫様が震えながら、『先生、抱きしめて』って言ったら?」

「彼女はそんな変な声じゃない」

「はあ、そうだな、そりゃそうだ。だがまあ堪えてくれ。とにかく想像してみろ」


クルツはとりかえず想像してみた。『先生、抱きしめて』と強請ってくる彼女を。瞳を潤ませ、心細そうな様子で、眦を薄らと赤く染めて。ゆっくりと、赤い唇が懇願する様を。


「――どうだ?おまえはどうする?」

「…抱きしめる」


選択肢などあってないようなものだ。言われた直後に抱きしめるだろう。


「じゃあそれを、抱きしめるんじゃなくてキスに替えてみろ。どうだ?」


クルツは真剣に想像した。赤い唇が『キスして』と紡ぐ。自分はおそらく問うだろう。『いいの?』と。『おねがい』と呟く彼女。次の瞬間、自分は。


「…する」


いや、聞く前に衝動的にしてしまいそうだ、と思った。だが、頼まれてするのだったら、今までもずっとそうしてきた。

だが他の女ではなく、彼女に頼まれたら。懇願されたら。


(…う、わ)


心が震えた。


「さて、おまえの場合はもう一段階必要だ。お姫様は何も言わない。だが、二人きりの部屋でおまえをジッと見つめてくる。その瞳は濡れていて、唇は震えていて、頬は赤く染まっている。おまえには彼女の期待が分かる。しかし言葉で乞われたわけではない。今まで他の女がおまえにしてきたようにはな。――彼女はおまえの服の裾を掴む。『せんせい』と消え入りそうな、恥かしそうな声で呼ぶ。おまえは彼女から目が離せない。そうだな?そう、そうしたら彼女は、おまえに囁く。『先生、好き』。おまえはどうする?おまえは言う。僕も好きだよ、と。そうだな?彼女の顔が綻ぶ。また彼女はお前を呼ぶ。今度は、そう、『クルツ、先生』ってな。――さあ、おまえはどうする?」


にやり、とゼグは笑う。


「っ……!もういい、ゼグ、黙れ!」


クルツの顔は真っ赤だった。

それを見たゼグはせきを切ったように笑いだした。腹を抱えている。ようやく笑いが収まったところで、指摘する。


「分かったか? 分かっただろ? おまえの好きはそういう好きだ」

「…煩いよ」


クルツは半ば愕然としている。ゼグは楽しそうに、隣に座るシェリーに話しかけた。


「なあシェリー、どうだった俺の自覚への手続きは」


見ての通り、大成功。そう言わんばかりに満足げだ。シェリーはついとクルツを見、そして再びゼグを見て、無表情のまま言う。


「別にどうとも思わない。しかし、クルツが何か気がついたようで良かったのかもしれない」

「な…ったく、相変わらずおまえは情緒が欠けているというかなんて言うか。このままこいつが自分の気持ちを分かってなかったら大変だろ」

「そんなことは知らない。私はそんな、好きだの嫌いだのどうでもいい。そんな相手も作るつもりはない」


きっぱりと主張する。


「え、男を作るつもりがない、ってことか?」

「私に聞くのか?おまえの方が詳しいだろう。とにかく、私は男に興味がない」

「え、女が好きだったのか?」

「いや、女にも興味はない」

「はあ…おまえ、そんな、男を百人二百人は夢中にさせていそうな顔して」

「どんな顔だ」


凄い美人、といったところだろうが、シェリーにはよく伝わらなかったようだ。ゼグは若干毒を抜かれたような顔をしていた。


「そういう君こそ、吉村さんとはどうなの?」


笑われたことへの反撃か、クルツは冷たい笑みを浮かべている。


「どうって?」

「相手が吉村さんだってことにはホントに吃驚したよ。いつの間にそんなことになったんだか」

「そういうことって、別に香奈枝とは特に」

「抱き合っていたな。まるで至福を味わう様に」


付け足したのはシェリーだ。丁度二人が抱き合っているときにゼグに追いつき、寺門も倒れていて動きそうになかったので身を顰め、遠くから観察していたのである。


「な、おまえ、覗いてたのか?!」

「見ていただけだ」


しらっと応える。


「それを覗いてたって言うんだ!」

「ふぅん、抱き合ってたんだ」

「なんだおまえは、その言質取ったなり、みたいな顔は」


苛々としながらゼグは問う。


「キスはしていない」


シェリーが説明する。


「へぇ。キスはしてないんだ? どうして? 至福を味わうほど良い雰囲気だったんでしょ?」

「馬鹿か。まだ何も言ってないのに、いきなり手ぇ出したら変態だろ」

「お互い自己紹介らしきことをしていた」

「シェリー!おまえは黙れ!」


ゼグが珍しくいきり立ったので、シェリーはとりあえず口をつぐむ。


「へぇ」

「なんだ」

「いや、寛子の親友なんだから、大事にしてあげてね」

「んなもん、言われなくても分かってるっつぅの」


不本意ながらも本音を吐露する。


「それならいいけど」


クルツはこのくらいでいいだろう、そう思って笑いを零した。


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