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KURZVORTOD  作者: 貴遊あきら
第六章
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日没の刻は迫っていた。マンション内に踏み込んだ死神と天使の前に、一人の女が姿を見せる。肩に触れるほどの銀髪と、宝石のような赤い瞳。それらが美しいコントラストを成し、女に常人にはない冴え渡った美貌を与えていた。


「…シェリー」


天使は女の無表情を見、ぽつりと彼女の通称を呼んだ。


コイシェリーベ。


それがこの、美しき悪魔の名である。










赤い瞳は光を灯さず、じっと死神と天使を見つめている。艶やかな外見とは裏腹に、それを一層引き立たせる表情が、その悪魔には欠けていた。


「嗅ぎつけてきたか」


堅い声を発する。そこには苛立ちも、戸惑いも、怒りさえない。淡々と吹き込まれたナレーションのように、静まり返ったマンションのエントランスに広く響いた。


「どうやら具合のいい「豚」を見つけたようだなあ」


天使――ゼグヌングはくいと眉を上げた。悪魔はついと彼に視線をやると、何の感慨も得られぬ様子で返事の代わりに瞬きをした。


「シェリー、聞きたいことがあるんだ」


そう言ったのは死神――クルツフォートードである。彼は拳を握り、今にも飛び出していきそうな自分を必死に抑えているように見えた。焦燥に駆られているのだ。


「何だ?」

「君の豚は、もしかして、寺門という男?」


そう指摘されて、ようやく悪魔――コイシェリーベは眉を潜める。


「なぜそれを?」

「っ…!」


クルツは最も会ってほしくなった事実を知り、思わず息をのむ。居ても立ってもいられずその場から走り出そうとするのを、隣に立っていたゼグに邪魔され、瞬間的にゼグを睨みつける。


「離せ!」

「落ちつけ。おそらく結界がある」


冷静な友の言葉にクルツはぐっと次の言葉を飲み込んだ。シェリーは二人の様子をじっと観察していたが、何か二人の様子が妙だと感じたのだろうか、ふと尋ねた。


「別な用向きがあるらしいな」

「結界を今すぐ解くんだ」

「何を言う」


覚えているより随分と威圧的なクルツの態度に、今度こそ違和感を覚え、シェリーは眉間にしわを寄せた。どうやらこっちは冷静さを失っているようだと判断し、ゼグを見やる。ゼグは小さく息を吐いた。


「おまえの豚が、女子高校生を拉致している」

「なんだと?」

「知らないのか?」

「知るわけがない。器の時が満ちるのを待っていた。それまで干渉しないのが常だ。じきに完全に理性を失った獣となる。寺門と言う男、随分良い臭いがした。どんな罪を犯してきたかは知らないが、もしかすれば私が求めてきたものかもしれない」


淡々と語る彼女に、クルツはぎりと唇をかんだ。


「器になるのに新たに罪を増やす必要はねえ。それに、その女子高校生はどうしても生きてもらわないといけねぇんだよ」

「どういうことだ。まさか、おまえの?」


ゼグは首を横に振った。


「いや。こいつのだ」

こいつ、と指し示されたのはクルツフォートード。それがどういう意味を表すか、もちろんシェリーも知っていた。驚いたのだろう、目を見開く。


「《永遠の魂》か」

「そうだ」

「そうか、それは、――」


おそらく、よかったな、と続けたかったのだろう。だが、その言葉が放たれる前、いや、そうしようとした瞬間、待ちわびた瞬間が訪れたことを感じた。


時は満ちた。

時は満ちて―――


「器が」


その一言が何を示すのか。クルツは走り出していた。


「シェリー、頼む!結界を!」


ゼグが叫ぶ。クルツはすでに階上へと続く道を駆け登っていた。

シェリーはごくりと固唾をのみ、頷く。


「わかった」





最早クルツは目的地に向かうことしか頭になかった。


(ひろこ、を)


失うことなど有り得ないのだ。ようやく見つけた《永遠の魂》。誰より大切な人。

メモを握りしめる手は汗ばんでいた。おそらく、文字は滲んでいる。


(ひろこ、ひろこ、どうか、無事で)


焦燥感に喉が渇くなど、一度だってなかったはずだ。ようやくたどり着いた目的地の扉の前で、彼の進路を阻む扉の前で、クルツは肩で大きく息をし、震える拳にぎゅっと力を込め、眼前を睨みつけ、後ろからの足音を遠くで聞きながら、


「っ…!」


勢いよく、扉に蹴りを入れた。


ガシャアアンと豪快な音を立てて扉がひしゃげ、およそ一蹴りで大破したとは思えない酷い有様の扉の残骸を踏み越え、クルツは部屋の中に走り込んでいく。その両の瞳は青白い光を帯び、美しい碧は闇の暗さを孕んでいる。四肢はどうにかなりそうなほど熱い。フローリングの床が革靴に踏みしめられる。ギュギュッと音を立てる。


リビングルームへと続く扉は完全には閉まっておらず、ノブを捻らずとも押すだけで開くだろう。クルツは押した。瞬間的に鼻につく異臭を嗅いで、その獣の臭いがまた別の部屋から流れ出ていることを感じ取る。後ろから自分を呼ぶ声がしたが、そんなもの、構ってなどいられない。彼は更に奥へと進む。そして見つけた。


(ドア)



その取手に手を伸ばす。きっちりと閉じられたその向こうから、解読できない呪文のような言葉の群が聞こえてくる。男の声だ。呻くような、獣の、声。

ガチャと、

あけた


目の前に広がる光景、惨状、異様な状況。ベッドの上には悪魔が言う理性を失ったかつて人間だったものが蹲っている。蹲って、舐めている。その腕は何かを掴んでいる。混乱しそうだ。この淀んだ空気。沈滞した臭い。おかしくなりそうだ。獣の向こうに何がある?何、が、あ、


(か、お、)


かお、が、ある。

生気がない。青白い。両の目は閉じている。そこから連なる首、肩――ぐったりと、疲れ切った四肢。白い肌に赤や青紫のまるで噛まれたような痕、アト、あと。


次の瞬間、クルツは怒りに我を忘れる。











「……」


寝室と思しき部屋に入ったゼグとシェリーは、目の前にある光景に驚きを隠せなかった。

部屋の中には、片腕を失った全裸の男と、自分たちより早く駆けて行った死神と、その腕に抱かれた、ぐったりと意識のない少女が一人。


「まじ、かよ」


思わずそう声を漏らす。部屋の中は血が飛び散り、おそらくそれは全裸の男の腕の残骸だろう。内側から爆発物で弾かれたように、腕はあとかたもなくその肩からもぎ取られ、破壊され、部屋中に散り散りになっていた。


(あいつがやったんだ、よな)


ちらとクルツを見やる。その美しい金髪にも、今は俯いて表情の見えぬ甘いマスクにも血糊が飛んでいた。


『う…ぐ…』


片腕を失った男は痛みに顔を歪めながらも、なんとかその場に立ちあがろうとしている。唸るような声はくぐもっており、聞き取りにくかった。


『…そいつを、わた、せ』


男は醜悪な顔を引きつらせながら、少女を抱くクルツに要求する。クルツは視線を向けようともせず、ただ少女の顔についた血糊を拭っていた。


「この子は渡さない」


はっきりとそう返す。


「この子は、僕のだ」

『ぐ、ぐ、ぐ、そいつを!わたせ!』


焦ったように怒鳴る男に対し、クルツは驚くほど冷静だった。上着を脱ぎ、それでもって、何も身に纏っていない少女の体を包む。作業が終わると、少女を抱きしめたままゆっくりと立ち上がった。怜悧な美貌は怒りで研ぎ澄まされ、碧の瞳から放たれる視線はまるで刃物のように鋭い。


「――だから、渡さないよ」


鬱陶しい。そう言わんばかりに宣言する。


その冷たい視線に射られ、肩腕を失くした男はじり、と後ろへ下がった。もしかすると、肉体的な痛みを感じたために、一時的に嘗ての人間性を取り戻したのかもしれない。男は俯き、その場で逡巡するように黙り込む。


『…なら、ば』


ならば、に続く言葉は何なのか。その場にいる者には想像できなかった。


(逃げるつもりか?)


この状況は男にとって分が悪い。考えられるとしたらそれくらいしかなかった。だが、ゼグはふと、男の顔に笑みが浮かんだのを見、嫌な予感を覚えた。


『ひろこが、だめなら』


男の発言に、クルツは怪訝な顔をする。


「何?」

『ひろこが、だめなら』


くっくっくっ、と男の奇怪な笑いが響く。


『やくそく、やくそく、やくそくを、はたそう』


狂ったのか、とそこにいる全員がそう思った、そのとき。

クルツの腕の中で意識を失っていた少女、藤宮寛子が覚醒し、男の言葉に反応したかのように叫ぶ。


「だめ!かなえはだめ!」


小さな子どものように舌ったらずで叫んだその声に、男はにんまりと、口角を上げ。部屋にいた者の視線が、寛子の方に集まった、次の瞬間。

すでに暗闇が訪れ始めた街に、姿を消した。


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